皇女命令
マグリルとの謁見を終えたローグたちは、彼らが泊まる部屋と先行して行われたレムトーズの調査資料準備が終わるまでの間、茶室で待つことになった。
「皇王様は無駄骨でもいいって感じだったけどさ、実際のところ、それでいいのか?」
ゾーシェから出てきた素朴な疑問にライセアが笑みを浮かべながら答える。
「あの言い方であれば問題ないだろう。
もちろん、私たちが何か得られればそれが1番だが、難しいだろうからな」
お茶菓子を口に放り込んだシミッサは高い天井を見上げつつ唸る。
「う~ん、私たちってここのダンジョンのことよく知らないからなぁ~。ローグは何か知らないの?」
「ユグドラシルのことならともかく、さすがにほかのダンジョンのことまでは、な……」
「ああ、普通であれば探索者でも国を越えることはそうそうない。相当に興味でもなければ能動的に情報を集めはしない」
ライセアは「私もそうだしな」と照れ隠しで微笑みながら付け足すと、それを流すように紅茶に口をつけた。
シミッサも「それもそうか」と紅茶で口を潤しつつユラシルに視線を向ける。
「ユラシルは? 何かわかりそう?」
「いえ、機能の大部分は同じですけど、それぞれに明確な差がありますから……」
ダンジョンはその機能のほとんどが同じである。
例えば魔獣の存在、大国を大国たら占めるに十分な資源、未だ多い謎。
表立って知られてはいないが、オリジナルとアディターという対となるものの存在。
しかし、採れる資源の内容、出現する魔獣やダンジョン内の様相など異なる点もまた多い。
「極端に言えばユグドラシルでは普通でもレムトーズではありえないこともあると思います。もちろんその逆も」
「つまり、ダンジョン同士の比較は難しいってことだな」
最終的なユラシルの言葉に肩をすくめながらまとめたゾーシェ。
薄々感じてはいたが、改めて言葉で突きつけられたシミッサは諦めたように両腕を伸ばしてテーブルに上半身を預ける。
「そ~だよね~……」
いくら他の目がないとはいえあまりにも気が抜けすぎた姿を注意しようかと考えたライセアだったが、彼女と同じように自分自身も手詰まり感を覚えていたため、注意を飲み込み思考に向ける。
(目星すら付けられん。
広大な草原で『なにかはわからないが落とし物をしたから探してくれ』と言われているようなものだ。
せめて探すものがなにかわかれば良いのだが……)
ライセアが頭をひねり始めたちょうどその時、茶室の両扉が開かれる。
扉の向こうから現れたのは数人の従者を従えたイコリスだ。
「みんな、部屋の準備が──ってなんか空気が重いわね」
「あはは、どうにもこうにも調査のことが頭に浮かんでしまって」
苦笑いとともに返されたユラシルの言葉にイコリスはまるで落胆したかのように肩を落とす。
しかし、それも一瞬のこと、何か思いついたのかすぐに胸を張った。
「ねぇ、みんなから見て私って偉い?」
唐突で何を聞きたいのかいまいちわからなかったローグたちは互いに顔を見合わせるとほぼ同時に頷いた。
それを受けてイコリスは質問を重ねる。
「なら『皇女の要求にはある程度は従わなきゃな〜』とか思ってる?」
「は、はい……それは」
彼らの生まれはレムトーズではなく、過ごしてきたわけでもない。
しかし、それでも大国で共通している階級を考えれば従わなくてはならない。
戸惑いながら返したローグの言葉に同意するように残りの4人が頷く。
それを見て笑みを浮かべたイコリスははっきりと彼らに命令を下した。
「なら、しばらくゆっくりしなさい。調査のことを考えるのは禁止」
「え!? で、ですが──」
ローグは反論しようと口を開いたがイコリスに手で制されてしまい反射的に口をつぐんだ。
そんな彼に満足げな笑みを浮かべたイコリスは従者の1人に指示を出す。
「調査の前にローグたちを休ませるって伝えて。
調査資料も引き上げて、そうね……私の部屋にでも運んでおいてちょうだい」
「承知いたしました」
指示を受けた1人の従者が深々と頭を下げて去ったのを見届けたイコリスは両手を腰に当てると困惑しているローグたちの顔を見回す。
そして「やってやった」と言わんばかりに鼻を鳴らして笑みを浮かべた。
「さ、これで休むしかなくなったわね」
「お言葉ですが、時は一刻を争うと思いますが……?」
「ええ、ライセアの言う通りね。でも今のあなたたち、みんな酷い顔よ」
その指摘にハッとした一同は、慌てて自分の顔に手を当て、互いの表情を確認し合う。
ローグの口は固く引き締まり、ライセアの眉間には深い縦じわ。
ユラシルは無意識に唇を噛んでおり、ゾーシェとシミッサも普段の穏やかさとは程遠い、険しい眼差し。
まだ調査も始まっていない段階だというのに、あまりにも力が入りすぎている。
そんな彼らの固くなった表情をほぐすようにイコリスは柔らかな語調で続けた。
「そこまでトーンシーの問題を考えてくれるのは嬉しいし、頼もしいわ。
でも今からそんなに力んでたら、わかるものもわからないんじゃない?」
イコリスの言うとおりだ。
意気込みはいいかもしれないが、力が入りすぎていては咄嗟のことに反応できず、些細なものも見落してしまう。
少なくともレムトーズ向かうその時まで、いや、たどり着く前にするような表情でもなければ、心構えでもない。
「申し訳ありません。少々焦りすぎていたようです」
「わかってくれたならいいのよ。
さ、今日は疲れてるでしょうし、部屋でゆっくりするといいわ。
みんなを部屋に案内して」
イコリスの言葉を合図にそれぞれの下に従者が立ち、言われるままに立ち上がって当てがわれる部屋に向かう。
ローグもそれに続いて茶室から出ようとしたところでイコリスが呼び止めた。
「今夜、ローグの部屋に行くわ。時間、空けておいてもらえる?」
「ええ、構いませんが……なにかありましたか?」
「なんてことはないわ。あなたのことが少し知りたくなったの。だから少し、お話しましょ」
そう告げるイコリスの瞳には、これまで見たことのない真剣な決意の光が宿っていた。




