ジュノアの夜
完全に陽が落ちてジュノアの街に夜の帳が下りる。
夜闇を纏って暗い海にあらがうように酒場街は明かりが灯り、人々の声がそれを煽り立てるように広がっていた。
外でさえそんなありさまであれば当然、酒場内は大きな賑わいを見せている。
客たちの騒ぎ声と店員が忙しなく駆け回る足音、厨房から立ち上る炎の音と料理人の怒声にも似た指示が飛び交う喧騒はまだ数時間は続きそうだった。
そんな中で恐る恐ると言った様子で刺身を前にしたローグたちがいた。
それぞれが顔に恐れと疑うような表情を浮かべながら意を決して口に運ぶ。
「「「ッ!?」」」
各々に刺身を口にして目を見開く。
口に入れたそれが食べられるものであることを確信するやしっかり噛み締めて飲み込んだ。
「……美味いな」
目を丸くしたライセアに「ああ」と驚愕で少し気の抜けた声をローグがこぼした。
「魚を生で食べるなんてどうかしてると思ったけど、これはなかなか……」
「海の魚には危険な寄生虫が少ないって少し意外ですね」
ユラシルが言う隣ではゾーシェとシミッサが黙々と刺身を食べ続けている。
そんな彼らを見てイコリスは嬉しそうに微笑んだ。
「いや〜、なんだか嬉しいわね。刺身を食べて美味しいって言ってくれると」
「そういえばトーンシーは海産物を名物でしたね。
どちらかといえばこういった食べ物よりも貿易のイメージが強いですが」
「ま、大海と貿易の国って言われるぐらいだしね。実際この醤油とかは貿易品よ」
「なるほど……。他にも何か輸入してたりするんですか?」
ユラシルの質問にイコリスは腕を組むと唸り始めた。
ひとしきり唸ると下げていた顔を上げて口を開く。
「輸入するよりも輸出することが多いわね。ダンジョン産のものなら石ころにだって値段が付くのよ?」
「石に?」
「そ、ちょっと独特な見た目と質感なのよ。サンゴ礁……って言っても伝わらないか。
まぁ、どうせ行くだろうしその時に見てみるといいわ」
「トーンシーでは独特な工芸品が多いと聞くが、なるほど」
納得したようにうなずくローグにシミッサが疑問を向ける。
「どういうこと?」
「素材としてじゃなくて加工して価値を上乗せして売るのよ」
「ただでさえ珍しいものが加工されていれば、海外の商人としては買うしかない。向こうでも加工されたもののほうがより高く売れるだろうしな。
危険な海路の往復回数を減らしつつ、多くの利益を得られる。商人にはこれとないものだ」
イコリスの説明とライセアの補足にシミッサだけでなく、ユラシルとゾーシェも「へぇ~」と声を上げた。
3人の反応を楽しんでいたイコリスは話を戻す。
「香辛料とか食べ物はルイベ、鉱物資源はディザンで手に入るから海外から買うのは基本的には調味料とか嗜好品ぐらいね」
イコリスのちょっとした授業が終わり、さらに数分。
ローグたちのテーブルに並べられた皿に空きが目立ち始めた頃、イコリスが「そうそう」と切り出した。
「えっとローグとライセア、ゾーシェはお酒飲めるんでしょ?
だったらさ。私と勝負しない?」
その誘いに3人は目を合わせると視線をイコリスに戻して口々に言う。
「勝負?」
「もしや飲み比べを?」
「え、待て。それローグに絶対に勝てないやつだろ」
ゾーシェの言葉はイコリスの勝負心に火をつけたのか表情が興味に変わった。
「ローグってそんなに飲めるの?」
「自覚はないですけど……まぁそうですね」
「なら私と勝負しない?
私もお酒結構強いし、こういうのやってみたかったのにいつもみんなに止められててさ」
イコリスは今すぐにでも、それこそ勝手に勝負を始めそうな雰囲気と勢いだ。
だがローグたちからしてみればたまったものではない。
相手は大国の皇女。何かあってはいくらローグたちであっても首が文字通り飛びかねない。
どうこの場を切り抜けようかと頭をひねらせるローグたちの中でいち早く口を開いたのはユラシル。
「あ、あの……それはさすがに」
「大丈夫よ。ここのお金は私が出すし、それならいいでしょ?」
おずおずと話を切り出そうとしたユラシルをお金の心配をしていると勘違いしたイコリスが容易く言い伏せた。
(とりあえず多少強引でも止めるしかないな)
そう思ったライセアが口を開きかけたちょうどその時──
「勝負だって!?」
──わざとらしい声が響いた。
声の主はこの店の常連らしい風貌の男性ドワーフ。
彼はニヤリと怪しい笑みを浮かべるや否や店内に響くように大声を上げる。
「おーい! 今からこの2人が飲み比べするんだとよー!」
飲み比べはジュノアの酒場ではままあることなのか、そこで好奇の目を向ける者はその場に存在せず、むしろあれよあれよと場が整えられていく。
例えば、最初こそローグたちは壁際の円テーブルの席についていたのだが、勝負をすることになったローグとイコリスはいつの間にか酒場の中央のテーブルに移動させられていた。
その円テーブルにはいつの間にか大量のジョッキが並べられており、いつでも勝負が始められるようになっている。
更には賭けまで始まっているようで至る所から騒々しい声が響いていた。
「なんだか……すごいことになっちゃいましたね」
「そうね。どっちが勝つかな」
「普通ならローグだろうが……ジヤの酒はたしかに美味いが酒精が強い上に少し口に残る。
飲み慣れてない分、不利かもしれんな」
「そこまで気にするほどか? ローグならたぶん大丈夫だろ。
明日のイコリスがどうなるかの心配をした方がいいと思うけどな」
ユラシルたちがそんな話をしているうちにローグとイコリスの飲み比べが始まった。
どちらもまるで水でも飲んでいるかのようにジョッキを傾けて酒を飲み干していく。
空になったジョッキがテーブルに置かれる音が断続的に響き、それに合わせて観客たちの歓声が波のように高まる。
「おいおい、あの2人すごいぞ!」
「どっちももう10杯は飲んでるのに全然勢いが落ちねぇ」
「これ勝負つくのか?」
ローグとイコリスは互いに引くことはなく勢いも維持しているがどちらも内心では焦りが浮かんでいた。
(イコリス皇女、すごいな。俺のペースにここまで追いつけるなんて……)
空になったジョッキを置いたローグの口から無意識にため息に似たものがこぼれる。
瞬間、観戦していた者たちがにわかにざわついた。
「ノーマの方、今ため息ついたぞ」
「ああ、限界が近いんじゃねぇか?」
罵声と歓声が上げられる中でしかし、ユラシルたちは彼らの認識とは異なるものを覚えていた。
(いや、違う──)
(ローグさんのあの顔は──)
(たぶん──)
(いや、絶対に──)
ローグは酒好きだが同じものをずっと飲み続けることはあまりない。
1種類しかないのならばともかく、複数種類ある場合は頻繁に飲む酒を変える。
つまり──
(((──味に飽きている!)))
そのため今のように何十杯も同じ酒を飲むことはなく、味に飽きてペースを落としたとしても不思議ではない。
そして、彼女たちの推測は当たっていた。
(美味いからまだ飲めるけど……正直、味に飽きてきたな。
別の酒が飲みたい……)
ペースが落ちてきたと言っても誤差程度。
少なくともイコリスの目にはローグが潰れかけているようにはとてもだが見えなかった。
(ローグどれだけ飲めるの!? え、私結構きついんだけど!?)
勢いこそまだ落としていないがローグと比べればイコリスの余裕はほぼ残っていない。
ジヤで作られた酒の甘い味も普通なら飲みやすいものだが、ここまで矢継ぎ早に入っては口に残り続けてしまう。
加えてそこそこに強い酒精が喉を刺激し、酔いも回ってき始めた。
最初こそ面白半分での提案だったが、ここまで白熱したものになるのは予想しておらず、イコリスは引き時を見失っていた。
そんなペースでさらに飲むこと20杯。
合計で31杯目に入ったところでイコリスが唐突にテーブルに突っ伏した。
イコリスはまだ勝負を諦めていないのかそこから上半身を上げようとするがその肩をライセアが優しく叩く。
それが勝負が終わった合図だった。
そのことを全員が悟った瞬間、大きな歓声が上がる。
広がる歓声と感想、労いの言葉を受け取りつつローグはイコリスに駆け寄って顔を覗き込んだ。
「イコリス皇……っと、大丈夫ですか?」
「うっ……ふっ……だ、大丈夫に見える?」
イコリスの頬は真っ赤に染まり、うるんだ瞳には明らかに酔いが回っていることが見て取れた。
「誰か! 水を持ってきてくれ」
ローグがそう声をかけるとエルフの店員が即座にジョッキ一杯の水を持ってきた。
それを受け取りイコリスに差し出す。
「イコリス、ゆっくり飲んでください」
「ローグ、もうこの場は開きだ。帰るぞ」
「わかってる。ライセアはユラシルたちを頼む。俺は先にイコリスを外に出す」
ライセアは頷くとユラシルたちの方に向かった。
その間にローグは水を半分ほど飲んだイコリスに優しく声をかける。
「立てますか?」
「んっ、ん……ちょっと、厳しい、かも……」
イコリスのどうにか出された答えに頷いたローグはしゃがみ込んで背中を向けた。
「なら、背中に乗ってください」
「ごめん。ありがと……みっともないね。勝負しかけて負けるなんて」
「ははっ、まぁ、たしかにそうですね」
ローグはそう答えながらイコリスが背中に乗ってきたのを感じて立ち上がって続ける。
「でもこうして騒ぎながら飲むのは嫌いじゃありませんから」
「そう……ならよかった」
首に回された手に少しの力が込められた。
ローグにはその表情は見えていないが喜んで笑っていることはその行動と声音からわかった。
楽しい時間を作ってくれたイコリスに心の中で感謝しながら、ローグは優しく声をかける。
「吐き気はありませんか?」
「それは、ないけど……ん、お金」
「ああ、会計ですね。財布は出せますか?」
そう言いつつローグが店員を探し始めた時、未だ盛り上がり酒を飲み始めたヒトたちを避けつつ店主の男性フィシュットが現れた。
「会計はいいぞ」
「え、でも……結構飲んだぞ」
にこやかに言う店主からローグは先ほどまで飲み比べしていたテーブルを見る。
大半のジョッキが片付けられているが、脳内に残っている惨状を考えれば「タダでいい」と言ってしまえるような量ではなかった。
その心配を肯定するように店主は即答。
「もう二度とうちの店ではやるな」
「すまない……」
意気消沈した顔をすぐに戻して「やはり」と言いかけたところで遮るように店主が言う。
「まぁ、あんだけ盛り上がったんだ。
それにあんたの勝負でだいぶ儲けた奴がいるみたいだからな。そいつから貰うさ」
「わかった。また飲みに来る分にはいいよな?」
「ああ、もちろんだ。いい酒を用意しとくよ。あんたの飲みっぷりは気持ちがいいしな!」
「楽しみだ。じゃぁ、彼女を宿に連れて行ったらまた戻るよ」
「わかっ……え?」
「……?」
きょとんとしているローグを見て店主は思い出す。
よくよく思い返せば目の前のノーマはもう40杯近く飲んでいた。それもかなりのペースでだ。
それなのにヒト1人を軽々と背負っており、その足取りも酒が入った者とは思えないほどしっかりしている。
「は、ははっ……ま、待ってるよ」
首をかしげるローグに店主は「飲み尽くされやしないか」と冷や汗と共に苦笑いを浮かべるしかなかった。




