責任
静かな夜の闇に抗うような小さなランプの光が広がる宿の部屋。響くのはユラシルとゾーシェが寝息とページが捲られる音だけだ。
「……」
ウィルリットから借りた本に目を落としていたライセアをじっと見つめていたシミッサは少し迷いながらも声をかける。
「ねぇ、ライセア」
「ん? どうした?」
ライセアは自分に向けられている視線がすぐ近くに置いているランプに向けられていると誤解して続ける。
「ああ、ランプか……すまない。
あと少しで読み終わるからそれまで待ってほしい」
「……いいの? ローグ、全然帰ってこないけど」
ローグがウィルリットの部屋に行って何時間過ぎたのかもうわからない。
夜に1つの部屋で2人きりの男女。それが意味することが分からないほどシミッサは子どもではなかった。
シミッサの焦燥感にも似た不安げな声にライセアは微笑む。
「ああ、そんなことか」
「そ、そんなことって!」
無意識に声を荒げたシミッサは慌てて両手で口を覆った。横目でユラシルとゾーシェを横目で見たが、寝返りを打つだけで目を覚ました様子は見えない。
そのことにほっと胸を撫で下ろすと改めて小声で続ける。
「いいの? ローグ、取られちゃうかもしれないんだよ?」
「ローグが選んだことならば私が口を挟めることではない。
別れを告げて帝国に戻る。それだけだ」
「物分かりが良すぎない?」
「……そうかもしれないな。
ただ私は、あの目を見てしまった」
ライセアの脳裏に過るのは昼間に入った温泉で見せたウィルリットの目。
『さ、体を洗おう。背中の洗いっこだ』
そう笑っていたウィルリットの目にあったのは悲しみと悔しさ。
たが、あともう1つ、彼女が必死に隠していたのだろう感情が溢れ出ていた。
今までも向けられたことがあったからこそ、ライセアはそれに気がついてしまった。
気が付いてしまったから今夜のことを見て見ぬふりをするしかなくなった。
しかし、シミッサはそこまでのことを読み取れずに首をかしげる。
「あの目……?」
「嫉妬だ」
「っ!?」
端的に言い切ったライセアにシミッサは息をのみながら目を見開く。
少し思い返してみてもそんな素振りは少しも見えなかった。隠していたということだがあまりにも巧妙過ぎる。
「冗談、じゃないんだよね?」
「ああ。しかし考えてみれば当然だろう。
大切なヒトが一番大変な時に近くに自分はおらず、知らず知らずのうちに新しい関係を築いて笑いあっている者たちがいる。嫉妬しないわけがない」
シミッサは言葉を失っていたが、ライセアの言葉を咀嚼して口を開こうとしたところで、彼女が手で制した。
「これはウィルリットに対する慈悲ではない。慰めでもない。
同じ者を愛してしまった恋敵同士の、そう……なんと言えばいいんだ?」
「え、えぇ……?」
肩透かしを食らって肩を落としたシミッサにライセアはしばらく言葉を探していたが、最終的には諦めて話を再開させる。
「まぁ、悔しいところは私もある。
ローグは私が迫ったところで応えてはくれないだろうからな」
「え? そんなことはないと思うけど?
ライセアって美人だし、スタイルもいいし」
1つも隠すことなく出された言葉にライセアは耳の先っぽを赤くさせる。
部屋が薄暗くて使ったと少し安堵しつつ誤魔化すように咳払いを1つ、喉を整えていたと装って話を戻した。
「君がどう思おうとローグは応えないさ。
だから私も少し嫉妬しているのだが、ウィルリットは自覚していないだろうな」
開いている本を見つめる瞳には確かな羨望がある。
その先にあるのは本ではなく、その持ち主であるウィルリットであることは聞くまでもない。
「そうなんだ。私にはよくわからないや……」
ごろんと寝返りを打って天井を見上げていたシミッサは静かに足をバタバタとし始めた。
ライセアがそんな彼女から本に視線を戻したちょうどその時、声が上がる。
「でも、大国って男のヒトは重婚してもいいって話じゃなかった?」
シミッサの声にはなにかを思いついた時特有の高揚感が混ざっている。
まるで新しいおもちゃを見つけた子どものような輝きの瞳にライセアは困惑しつつ頷いた。
「まぁ、そうだが……」
「ならローグはみんなと結婚すればいいんだよ!」
両手を広げて宣言するように言い切ったシミッサの表情には純粋な解決策を見つけた喜びが溢れていた。
その「妙案得たり」とでも言いたげな顔を見てライセアは無意識に眉間を抑えて息をつく。
「はぁ……何人いると思っている」
「えっと、ライセアとユラシル、ラシアとルミリって貴族とメリスってヒトとウィルリット。あとついでに私で……7人?
あ、そう考えるとたしかに多いかも」
指折り数えていたシミッサが難し気に唸るのを見てライセアは付け足す。
「それも私たちが把握している人数だ。実際のところはもっといてもおかしくはない」
あくまでも1つの情報として口にしたが、自分のその言葉で心に靄がかかる。
唐突に形を持った独占欲を振り払うように小さく首を横に振って、少し凝ってきた肩を回して話を続けた。
「そもそもだ。ローグが女性を何人も侍らせるような性格に見えるか?」
「う~ん。見えないけど、でもそれはその気にさせたローグが悪くない?
責任は取らせなくちゃ!」
「そ、それは……まぁそうかもしれんが」
ローグの自業自得。
そう言われてしまえばライセアとしては何も言い返せない。
「それでは国を作るのとそう変わらん労力がかかりそうだな……」
同情するように笑みを浮かべたライセアは本を閉じた。
◇◇◇
朝靄の漂う早朝、湯けむりと共に立ち上る朝の空気が風に乗って流れるように、朝食を終えたローグたちは歩いていた。
ライセアたちの後ろを静かに歩くローグの顔を覗き込みながらユラシルがためらいがちに尋ねる。
「あの、ウィルリットさんとこんなに早く分かれることになって、よかったんですか?」
「ん? ああ、話したいことは話せたから大丈夫。
ちょっと気後れしたけど頼み事もできたし」
安心させるようなものから一転、真剣な表情で告げられた言葉にユラシルは首を傾げた。
「頼み事?」
見上げるユラシルの視線に、ローグは足を止めて振り返る。
朝日に照らされた彼の表情には昨夜の影を完全に払拭したかのように凛としていた。
「オイケインのことだ」
「ッ!?」
その言葉にユラシルは思わず足を止め、瞳を大きく見開く。
「そもそもブルーブラッド、オイケインの話はウィルリットから聞いたものだからな。
話してみたら『民話として広がっているなら私の専門だよ』って言ってくれたよ」
たしかに今オイケインについて知っており調べているホランズは貴族。
彼自身も言っていたが、貴族の間では特に執拗に話が消されていることを考えれば、あまり有力な情報は得られないだろう。
それならば吟遊詩人として活動しているウィルリットに調べてもらったほうが確実かもしれない。
少なくとも貴族という視点ではなく、民間で口伝されている内容は知ることができる。
「まぁそれでも何か情報が得られるとは俺はあまり考えてない。
結局のところまたあの2人に会って話を聞きだしたほうが早いと思う」
「……会えますかね。また」
「世界は広いようで狭いからな。旅を続けてればまた会うこともあるだろう」
その時までに自分の考えをまとめておかなくてはならない。
──殺し合うか、理解か。
まるでその道を選ぶのを避けるようにローグは王都への一本道を歩いた。




