良きヒトの世で
「ローグ、あなたにはこのパーティから離れてほしい」
日が昇り始めたばかりの宿。ロビーに広がるしんとした空気の中、それを告げるのは女性エルフ。青い瞳、肩の上で切りそろえられた朱色の髪に端麗とした顔立ちのハルシュだった。
いつもの勇ましさは影を潜め、先が尖った耳はわずかに震え、青の瞳は怯えが滲んでいる。
朱色の髪さえもどこか不安げに揺れる彼女の目の前には、短く切りそろえた黒髪に黄色のメッシュを入れた男性ノーマ──ローグ。
「……そう、か」
追放を言い渡されたことよりも、聞き慣れた幼馴染の声と見慣れない表情にローグはすぐに返事をすることができなかった。
再び訪れた重い沈黙が広がる中でハルシュが頭を下げる。
「ごめんなさい」
ふわっと広がった風と嫌にはっきり聞こえたハルシュの謝罪。
怒りは浮かばない。その理由に察しがついているからだ。
だから、悔しさに表情を歪ませながらもローグは頷けたはずだった。
だが、口がそれを許さない。
「……理由を聞いてもいいか? 一応、俺は斥候としての仕事はできていたと思う。薬だって作れる」
ローグは与えられた役割を果たしてきた。
非戦時は情報収集、戦闘時は撹乱や支援。薬の調合技術もあり、それを売って日銭を稼ぐこともあった。
もちろんそれはハルシュもわかっている。
しかし、助けられ続けていたとわかっていても彼女の考えは変わらない。
──追放しなければならない。
「うん。それでも私の考えは変わらない。ローグもわかってるでしょ?
今は、ニアスがいるから」
ニアスは2週間前に加入したエルフの少女。
かつて別のパーティから追放されたが、その実は魔術の天才だった。その頭角を現した彼女は今ではパーティに欠かせない存在となっている。
「トラスロッドを追い出せば彼女に懐いているニアスも出て行くかもしれない。かといって前衛が私だけじゃ守りとして不安だからシルトも追い出せない」
「消去法、か……。魔術使えないもんな。俺」
自嘲気味の笑みを浮かべるローグにハルシュは言葉をかけようとしたが、即座に諦めて小さく頷いた。
「ローグは魔術を使えないなりにトラスロッドの負担を軽減してくれていたけど……今はニアスがいる」
魔術は魔力の制限こそあるが、ただの斥候よりも索敵、攻撃、治療すべてに優れる。
薬学があるといっても今のパーティでのローグはニアスの下位互換に過ぎない。
「5人も賄えないもんな。このパーティ……」
ローグが放った諦観の言葉が決定打だった。
目を見開いて息をのんだハルシュは血が滲むほど拳を握りしめ、青い瞳に涙を浮かべる。
「本当にごめんなさい! 私のせいで! 私がもっと強くて力があればローグを──」
「やめろ!」
ローグはハルシュの肩を掴み、言葉を投げかけることで口をつぐませた。
動揺に瞳を揺らす彼女に笑みを浮かべて続ける。
「やめてくれ。お前の悪い癖だぞ。そうやって自分を責めるの」
「っ、けど!」
「ハルシュのせいじゃない。俺に力がなかったんだ」
ローグには力がなかった。
悔しくはあるがこれが現実だと認めざるを得ない。否定しようとしても、目を背けても、事実は揺るがない。
「……ごめんなさい。本当に」
「何度目だよ」
ローグは明るく笑い飛ばすと肩から手を離した。
数歩下がりそのまま宿で借りていた部屋に荷物を取りに向かおうとしたところでハルシュが声を上げる。
「あっ、待って!」
ハルシュは早足で駆け寄るとウエストポーチから取り出した少し古びた短剣を胸元で握りしめ、ローグに差し出した。
「これを持っていって」
「赤燐の短剣? でもこれは……」
赤燐の短剣──ありふれた武器だが、ハルシュが村を出たときに手にしたもの。
何度も手放す機会はあったのにも拘らず、今も持っていることからわかる通り、彼女にとっては思い入れのある大切な品だ。
「ローグ、これをあなたに預けたい」
「なんっ!?」
驚愕の表情を浮かべたローグに対してハルシュは柔らかい笑みを浮かべていた。
少し照れているように、ほんのりと赤く染まった頬。今にも泣きだしそうなのをこらえるようにきつく結ばれた口とかすかに震える手。
熱を帯びたように少し潤んだ瞳にさらに戸惑い、短剣とハルシュとを交互に見たローグは頭を掻いてそれを手に取った。
「わかった。これは借りとく。
絶対、取り来いよ。俺みたいなやつを賄えるぐらいにパーティを大きくして」
「うん、ローグは生きてちゃんと返してね。幼馴染の無惨な死体を見る気はないから」
そうして笑い合ったローグはハルシュに背を向けながら手を挙げて今度こそ荷物を取りに部屋へと向かう。
ゆっくりと、しかし確実に遠くなっていく背中へと手を伸ばしかけたハルシュはそれをぐっと堪え、かわりに言葉を送る。
「ローグ、どうか良きヒトの世で」
「……ずいぶん探索者らしい別れの言葉を使うんだな」
思わず足を止めて振り返ったローグにハルシュは精一杯いつもと同じ笑みを浮かべる。
「だってこの言葉は、そういうものでしょ?」
それが長年共に生きてきたかけがえのない存在をパーティから追放することしか出来ない幼馴染の彼女が唯一できることだった。
◇◇◇
雲ひとつない青空の下、草原を駆ける風の音が広がる草原で宿屋を飛び出したローグは大きなリュックを枕がわりに寝転んでいた。
「これから、どうするかな……」
溢した言葉に答える者はいない。
そのことに一抹の寂しさを感じながらローグは大きく足を上げると両手で跳び上がって着地。付いていた草を払い落として首を回す。
さらに「んーっ!」と背伸びをして大きく息を吐いた。
「決まってるよな」
手元にある金ではどう頑張っても1週間程度が限界。根無し草で仲間もいない今のローグが金を稼ぐ手段は大きく2つ。
ギルドで小さな仕事を受けるか、ダンジョン【迷宮樹ユグドラシル】で魔獣の素材を集めてギルドに売るかだ。
加えて薬師としての知識も活用しながらであればある程度金を貯めながら生活することも不可能ではない。
(不安しかないけど……)
黒味がかった赤い刃を見つめ、その先に浮かんだハルシュの顔にローグはつい笑みをこぼした。
『ローグ、探索者になろう! 私と、一緒に!』
ハルシュの緊張で震えた声、勇気を振り絞っていることがよくわかるほどに固くなった体は今でもはっきりと思い出せる。
彼女がいなければ今のローグはここにはいなかった。ずっとあの村で空っぽのまま生き続けていただろう。
その時のことと比べればこの孤独は終わりが見えている孤独。耐えることは難しくない。
(ハルシュたちがまた迎えに来るまで俺もやれることをやろう)
見上げた青空はローグの心を映す様にどこまでも青かった。