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1 転校先は『山ノ上』

 新田蒼はバスに揺られていた。真っ白なシャツ、ほつれ一つないブレザー、鮮やかな赤色のネクタイ。彼の身を包むものは、何もかも真新しい。

 一方で、彼の顔は浮かない。自分が裏口入学をしたのだと、彼は信じて疑わなかった。シャツも、ブレザーも、ネクタイも、自分には過ぎたもののように感じた。

 気を紛らわすために、彼は周囲に目を向ける。バスには彼と同じ鞄を持った生徒がたくさん乗っていた。だが、奇妙なことに、バスに乗っているのは女子ばかり。男子が一人もいないのだ。不安になった蒼は、胸ポケットから生徒手帳を取り出す。

『山ノ上中学・高等高校 男子・女子校』生徒手帳には間違いなくそう書かれている。一枚ページをめくると、そこに学校の沿革が書かれていた。

 かつて、山ノ上高校は男子校だったという。戦前からある名門校だったが、少子高齢化の影響もあって、二十年ほど前に共学になった。新校舎も完成し、時代の先を行く学校として国内外から注目されている……。

 先ほどとは別の理由で居心地の悪い気分になりながら、彼は生徒手帳を閉じた。おそらく、山ノ上の男子高校生がこのバスに乗っていても、問題にはならないだろう。裏口入学をしたこの俺がこのバスに乗っていることが、一番最低な問題だ。

 そんなことで蒼が頭を悩ませているうち、バスは『山ノ上高校』停留所に到着した。

 女子生徒たちがわらわらバスから出ていくのを待って、蒼はうつむきながらこそこそとバス停に降りる。

 ふと顔を上げた瞬間、彼は思わず息をのんだ。バス停の目の前に、どっしりとした学校の校門が待ち構えていた。パンフレット表紙に乗っていた写真を幾度となく見たが、いざ実物を見ると圧倒される。レンガ仕立ての時代を感じさせる校門は、博物館かと思うほどに巨大で古めかしい威容だ。奥に見える校舎は現代的なデザインで、ホテルを思わせるような風格だ。門の前には警察のような服を着こんだ警備員がいて、こちらに厳しい視線を送っている。

 だがまぁ、この制服を着ている限り、呼び止められたりはしないだろう。

 ピリついた空気を感じながら、蒼が校門を潜り抜けようとすると……。

「君っ!!」

 門の前の警備員がすごい剣幕で蒼に詰め寄った。

「どこに入ろうとしている、男子がこっちに来ちゃいかん!」

「ええっ……と」

 自分でも顔がカッと赤くなったのが蒼はわかった。周りの女子生徒たちが訝しげな目で彼を見やりながら通り過ぎていく。間違って女子トイレに入ったのを見とがめられた気分だ。

「すみません、俺……ワタシ、今日転校してきたばっかりで……」

 何とか取り繕うとしたが、そもそも自分がどんなミスを犯したのかがわからないのだ。だというのに、警備員はますます彼に厳しい目を向けた。

「山ノ上高校は、男子・女子高だぞ」

「はい」

 そのくらいは知っている。何ならさっき生徒手帳で見た。警備員の怒りをなだめたいあまり、蒼は警備員の次の言葉を先回りするかのように言葉を並べた。

「それってつまり、あの、共学ってことですよね?」

「違う!」

 警備員は蒼を一喝した。

「男子校と女子校に分かれているんだ。男子はあっち! 山ノ上!!」

『あっち』と示した彼の人差し指は、門の向こうの校舎の、さらに向こうの方に向いているようだった。蒼は目をすがめる。ホテルのようなきれいな校舎の裏に、うっそうと木々の生い茂る山があり、そのてっぺんにいくつか建物があるのが見える。

「……えと、つまり、あそこの山の上に行けってことですか?」

「そうだ! この道をまっすぐ行ったところに信号がある。そこからずっと山の方に登った先だ。わかったら早く行きなさい。遅刻だぞ」


「なにあんなに怒鳴んなくてもいいだろ、あのジジイ……」

 悪態をつきながら、しかし素直に警備員に言われたとおりの道を蒼は進んだ。

 数分もしないうちに、信号が見えてきた。多分、あの警備員の言っていた信号だろう。あそこから山の方向に行けば学校につくのだろうが——蒼は思わず足を止めてしまった。

 大勢の男たちが集まってたむろしているのだ。信号機の下、やや大きめの交差点に、百人ほどいるのではないだろうか。 

 群れの中には二種類の男達がいる。一つは蒼と同じ制服を着た生徒。もう一つはスポーツウェアや、ユニフォーム、はてまた道着を着ている者……。

「おい、そこの文化部!」

 蒼が戸惑っていると、集団の中にいる男の一人が怒鳴りつけてきた。

「何をしている錘役。早くこっちにこい。これが最終便だぞ!」

「は、はい! えっと……」

 勢いに飲まれて返事したが、そもそも状況が全く分からない。

 とりあえず、あの集団の中に紛れればいいのだろうか。いやしかし、何も知らない部外者同然の俺が俺が混じってしまっていいのか?

 そんな風にまごついていると、

 「こっちだ、来て!」

 集団の中から、男子が一人飛び出してきた。彼は蒼の手をつかむと、ぐいぐい引っ張って集団の方へ向かっていく。蒼よりも一回り小柄なのに、随分と強い力だ。やや強引だが、タンクトップ姿の彼は蒼にこう声をかけた。

「君、転校生だよね。いきなりこんなの見せられて、訳わかんないっしょ?」

「あ、そう! そうなんだ」

 朝から散々な扱いを受けていた蒼は、思わず声を上ずらせてしまった。こっちの境遇を察してくれるなんて、なんて賢くていい奴なんだ。

「初めまして、俺は……」

「あ、ちょっと待って、あとで聞く。大事な話があるんだ」

 タンクトップの彼は、蒼の話を簡単に遮った。そしてこんな質問をした。

「君体重何キロ?」

「た、体重?」

 唐突な質問に、蒼は目をぱちくりとさせた。

「最近量ってなくて…」

「大体でいいから、何キロ?」

「……55キロくらい?」

「よっしゃ!」

 タンクトップの彼はガッツポーズをした。そして、アオに向き合って華奢な腕を大きく広げる。

「細かい説明は後だ。ちょっと借りるね!」

「借りる? え、何を?」

「君の身体!」 

 言うや否や、彼はいきなりしゃがみ、そして蒼の腹に自分の肩をあてがう。そして――

「あまり暴れないでね――よいしょ!!」

 掛け声とともに、蒼の体をひょいと担ぎ上げた。

「わわわ!」 

 突然米俵のように担がれた蒼は、声を荒げてしまう。彼の体は小柄な体の彼の肩の上でふらふらと宙に浮いている。硬くてざらざらとした質感のアスファルトが目と鼻の先でゆらゆらと揺れている。

「な、なんだ急に! おろしてくれ!」

「あ、こら、暴れないで! あと五秒でスタートだから」

「スタートって、まさか……」

 お前このまま走り出す気じゃないだろうな!?

 今の蒼の考えうるうえで最悪な予想は、的中していた。

 ピーッッ!!

 どこからか笛が鳴る。

 うおおおおおおおおお!

 周囲の男どもが雄たけびを上げて走り出す。

 蒼を抱え上げた彼も一緒だ。甲高い雄たけびを上げて一緒に走り出す。

「ウワァ――!!」

 恐怖のあまり蒼は絶叫した。息が切れるほどに叫ぶと、不思議と恐怖心がやや薄らいだが、目と鼻の先でとがり散らしたアスファルトが高速で流れていく恐怖映像は続いたままだ。地面から目をそらしたくて、彼は首をひねって周囲を見回した。

 周囲も周囲で恐怖映像だった。色とりどりのジャージやユニフォームを着た男どもが、制服を着た男子生徒を抱えて、全力で走っている。ある者はおんぶ、ある者は米俵担ぎ、特にガタイの良いものはお姫様抱っこで……。

「やぁ、君、転校生なんだって?」

 声をかけられた。首をひねると、ひと際ガタイのいい男にお姫様抱っこされた長髪のイケメンが蒼に手を振っている。蒼は引きつった愛想笑いを返した。

「ええまぁ」

「あはは。転校そうそう、厄介な慣習に巻き込まれて大変だったな。ああ、タメ口でいいよ。君と同じ高一だから。ネクタイの色を見れば、学年がわかるんだぜ」

 長髪の彼は、蒼と同じ赤いネクタイの色を示しながら笑いかけた。蒼は藁にも縋る思いで彼に問いかける。

「なぁ、教えてくれ。いったいぜんたいこれは何なんだよ」

「運動部の朝筋トレだよ」

 彼はさらりと答えを教えた。

「山ノ上高校の男子校は、文字通り山ノ上にあるんだ。運動部の生徒は、朝練として山のふもとから学校まで走る朝坂ダッシュっていうのが定番メニューなんだよ」

「な、なるほどぉ!?」

 大いなる感動と当惑のせいで、蒼はそう返すので精いっぱいだった。この日初めて初めて俺とまともに会話をしてくれたのは、全力疾走する筋肉マッチョにお姫様抱っこされている、長髪・高身長イケメン男子だった!

「じゃあ、なんで皆、君や俺みたいな人間を抱えてるんだ? ウエイトとかじゃダメなのか?」

「人じゃないとダメなんだ。これは来るべき時、『迷い鳥』を助けるための鍛錬だからさ」

 そう言い終わると、筋肉達磨に抱えられたまま、彼は器用にカバンから一冊の本を取り出す。表紙には新幹線の写真と、『鉄道ジャーナル』という題名が躍っている。

「僕もぼちぼち学修に励むかな。集中させてもらうよ。また教室で会おう」

 唖然とする蒼の前で、彼は熱心に鉄道雑誌を読み始めた。マッチョマンにお姫様抱っこされながら。

「あー、そうなんだ。ガンバッテネ……」

 どうやら、蒼はまたコミュニケーションに失敗したようだった。


「くそっ……鍛錬不足だ」

 蒼を抱えていたタンクトップ男子が、坂の途中で止まった。序盤からだんだんペースが落ちてきていたが、とうとうここで力尽きたのだ。悔しそうに蒼を地面に下すと、地面に寝っ転がった。

 ようやく地面に足をつけた蒼は、ほっと息をつく。長髪イケメンを抱えていたマッチョマンに比べて、この男子はだいぶ小柄で、走っている間中落とされるかもと不安だったのだ。さすがに一言でも文句を言わないと気が済まない。感情そのままに、蒼は彼に向き合おうとしたが……。

「ああ、クッソ、悔しいな……せっかく実戦練習ができると思ったのに、うまくいかねぇの、ほんっとかっこ悪いな……」

 仰向けになりながら、その男子は悔し涙を流していた。蒼はすっかり毒気を抜かれてしまう。

「えと……なんというか、お疲れ!」

 それだけ言って、蒼は学校に向かおうとした。山ノ上にある男子校舎だが、彼が担いでくれたおかげげで、もう目と鼻の先のようだ。

「……じゃあ、俺、先に行くんで、いいよな」

 地面に突っ伏している男子に声をかける。が、返事はない。その男子は荒い息をしたまま動かなかった。後味が悪い気がして、もう一度声をかける。

「行くからな、俺。お前を置いて学校行っちゃうからな、俺」

「ハァ、ハァ……ぐすっ」

「あーそろそろ始業の時間じゃないかな、急がなくっちゃ。俺もう行かなきゃなー」

「ぐすっ、ぐすっ……」

「……」

「ぐすん……」

「……あー、もう!!」

 蒼はとうとうしびれを切らした。

「いつまで寝てんだ、ほら、遅刻するぞ。肩貸すから、学校行くぞお前」

 寝そべってる彼を無理やり立たせ、背中をポンと叩く。

「ぐっ……すまねぇ、転校生。情けないなぁ」

「はいはい、わかっから泣くな」

「ああ、悔しいなぁ。どうしてオレこんな体力ないんだろう」

「そんなことはないと思うが」

「ああ、クソ、このザマじゃオレ、一生彼女出来ないんだろうな」

「なんの話だ急に……体力がすべてじゃねぇよ。多分」

 あきれた蒼は彼に言ってやった。

「まずは、そのコミュニケーション能力をどうにかしたらどうだ? 自己紹介もせずに人の体を持つ奴は多分モテねぇぞ」

「な、なんだってぇ!」

 その男子は目を白黒させた。

「『名乗るほどのモノじゃないが……』じゃあダメなのか!!」

「だめに決まってんだろ! どこの時代劇の話だよ!」

 結局彼は、吉岡祐樹と名乗った。「新田蒼だ」と蒼も自己紹介をする。歩きながら、吉岡は何のけなしに、こう質問をした。

「新田は中学どこ? 県外の私立?」

「県内だよ。公立」

「なっ、コウリツ……!」

 吉岡は急に目を輝かせた。

「コウリツってことは、あれか、共学か!」

「そうだけど」

「おおお、お、女の子と一緒に授業!」

「……受けるけど」

「女の子と帰りにマック!」

「何回か」

「まさか彼女いたり……」

「それはないけど、いる友達はいた」

「最高じゃねぇか!」

 吉岡はそう叫ぶと、蒼の腕を掴み、学校に向けて駆けだした。

「よっしゃ、早いとこ学校に行くぞ! みんなお前を待ってたんだ」

「お、おい。またロクに話せずに引っ張んのかよ」

 蒼はそうつぶやいてみせたが、少しうれしかった。山ノ上高校の転入生は毎年一人二人程度らしい。少しの間だけでも、蒼は話題の人になれるだろう。

 その間にクラスになじめるといいのだが。


「本当に、山の上に、あるんだな」

 蒼は荒い息をしながら、吉岡に声をかけた。坂を上り続けて五分。とうとう姿を現した古びた校舎は、多くの男子生徒でにぎわっている。周囲を森で囲まれているので、ちょっとした隠れ里のようでもあり――。

「こっちこっち!」

「わ、引っ張るなよ、行くから」

 これから三年間お世話になる校舎のまえで感慨に浸る暇も与えてくれないらしい。それだけ歓迎されてるってことが、いやなわけではないけれど……。吉岡にひかれるまま蒼は校舎へと入って行く。迷う間もなく、あっという間に教室の前についてしまった。

「クラスの連中にはもう伝えてあるから。多分みんな待ち焦がれてる……ここだ」

 吉岡は教室の扉を開けた。

 熱気がこもっていた。だが静かだった。等間隔に並べられた椅子に、生徒が一人一人姿勢を正して座っている。机の上にはノートが広げられている。

 蒼は思わず生唾をのんだ。一限目が始まる前に、皆静かに待機しているのだろう。これが、山ノ上高校か。少数精鋭の最優秀私立高校の授業前の風景とは、これほどのものなのか。

「遅いぞ、吉岡」

 前の方に座っていた男子生徒が厳かに咎める。

「ごめん、走り込み遅れてさ。新田、とりあえず、お前の座るイスここな?」

「おう……うん?」

 蒼は一瞬戸惑ってしまった。吉岡の指示していたのが、教卓だったからだ。

「これ、先生のじゃ……」

 言いかけて、黒板の番所に書かれた文字が目に入った瞬間、蒼は絶句した。

『新田蒼先生特別講座~「元共学生徒から見た、女の子と仲良くなる方法」~』


 ちょっとした戦慄を覚えながら、座席を振り返る。クラスメイトたちは畏敬のこもった熱視線で蒼のことを見ていた。彼らの手元にあるのは教科書ではなく、女性誌、ライトノベル、ギャルゲーのパッケージなどなど……。

 いやいやいや、さすがに女に飢えすぎじゃないか、こいつら! 吉岡をはじめ、相当認知も歪んでる気がするし!

 蒼は教卓に両手をついて、クラスの面々を待っ正面から見据えた。

「……質問形式でお願いします。事実のみ伝えるので、失望しないように」

  

 結局、担任の先生がやってくるまで、蒼への質問が止むことはなかった。蒼だって恋人いない歴と年齢が一致するタイプの男子だが、山ノ上高校の男子どもから見れば優秀な恋愛の先生だろう。連中ときたら、やれ幼馴染はどうやったら作れるのか、空から女の子が降ってきたときはなんと声をかければいいか、ヤクザに絡まれている女の子を救い出した後どうエスコートするべきか……なんて質問ばっかりだ。

 彼らの妄想を一つずつ潰している間に始業式の時間となり、蒼の『特別講座』は中断となったが、それが終わると休み時間の合間を縫ってすぐに質問攻めが始まる。

 蒼はとうとう力尽きてしまった。人と喋るのは苦じゃないが、程度ってものがある。

 四時間目の授業が終わり、昼休みに入ろうというところで、蒼は逃げるように教室を出た。

 だが、教室から出たところで、他に時間をつぶせるような場所は知らない。昼ご飯も食べなければならないことを考えると、結局教室に戻ったほうがいいのか――。

 ため息をついた蒼が、のそのそと教室に戻ろうとしたその時、

「ああ、いたいた。迷子になってるのかと思ったよ」

 吉岡が声をかけてきた。

「ああ、ごめん。質問?」

「いや、昼飯のことだ。一人で食える場所教えるぜ」

 彼が意外なことを言い出すので、蒼は目をぱちくりとさせた。

「休み時間とかずっとしゃべりっぱなしだっただろ、新田。流石に疲れてんじゃないかと思ってな」

 そんなことないよ、と蒼は否定しようとしたが、言葉に詰まってしまった。吉岡がニッと笑みを浮かべる。

「気にしないで。この学校、みんなが一致団結するいい校風なんだけど、やっぱり疲れちゃう時があるからね。オレもたまに一人になりたい時があるもん。

 校舎の裏にね『ハイキングコース』て書かれた小道があってね。その道をひたすら下ると、途中でちょっとした広場みたいなところがあるんだよ。あまり行くやつ居ねぇから、ゆっくりできるぜ」

「あ、ありがとう」

 蒼は吉岡に感謝をしながらも、なんだか申し訳ない気持ちになった。

「そうだ、なんなら一緒に食わない? なんか奢るよ」

「いやいい。どうせオレ、この後部活の昼練習だし」

 また教室でな! 吉岡は蒼に手を振りながら廊下を駆け出して行った。

「ありがとう、吉岡! 多分お前大学行ったらめちゃモテるぞ!」

 部活へと駆けていく吉岡に、蒼は一つそう声をかけてやった。ギュッ、と吉岡が駆けていた足をブレーキさせて、振り返った。

「え、マジ! なんで、どこのへんが? あちょっと待て新田、詳しく教えろ。あーだめだ、部活の時間が……オレが部活終わるまでそこにいろ、おいって!!」

 面白い奴だな。少しニンマリとしながら、喚き続ける吉岡に片手をあげて別れを告げつつ、蒼は校舎裏に向かった。


 果たして、校舎の裏には『ハイキングコース』と書かれた看板と、森を抜ける小道があった。足元に注意しながら蒼は森に入って行く。小道はほとんど下り坂だ。ふいに、今日の朝上ってきたあの坂道を思い出す。

(……もしかして、この小道、女子高者につながってるんじゃないか?)

 警備員に怒られた今朝のことを思い出しながら、蒼は少し不安になった。迷って女子校舎に入ってしまいやしないだろうか。だが結局その心配は杞憂に終わった。五分もしないうちに、森に囲まれていた小道が急に開け、整備された芝生にぽつんと建つ、庇のついた東屋が蒼を出迎えたのだ。

 蒼はため息をつく。疲れたとかではなく、感動のため息だ。ハイキングコースの休憩所なのだろうが、眼下には町を一望できるパノラマが広がっていた。五分ほど山を下ったとはいえ、まだ標高の高いところにいるのだと改めて実感する。手前側にみえるホテルのような建物は、今朝間違えて入りそうになった女子校の建物だろう。やはりこのハイキングコースの終点は、女子高の校舎らしい。しばらく景色を堪能した後、蒼は東屋のベンチに腰掛け、弁当を広げた。少し量が多いのは「新しい友達と分けっこできるように」みたいな母のおせっかいだろう。

 弁当を食べ終わり、蒼はベンチの上に横になる。寝苦しいネクタイを外して、少しワイシャツのボタンを緩める。スマホを開いてアラームをセットして、仮眠をとるつもりだったが……なかなか寝付けなかった。

 学校の授業はハイレベルだった。先生は熱心に授業をしていた。中学のころとは比べ物にならないくらい。そして多分、わかりやすい授業なのだろう。どこが大事なところなのか、どこに注目すべきなのか、生徒たちにきちんと説明してくれる。

 だが、蒼は何言っているかよくわからなかった。子供の時分、親が見ていた経済ニュースをぼんやりとみている感じと似ていた。

 なぜ入試というものがあるのか、蒼は今、まざまざと思い知らされている。あれは生徒のための選別だったのだと。本当に、俺はこの学校に受かるべきではなかったのかもしれない。偏差値が低くとも、実力通りのところに行った方が幸せだったはずだ。

 弱気になるな、落ちた奴のことを考えろ、今からでも遅くはない、人一倍勉強して誰にも文句を言わせなきゃいい……自分を奮い立たせるために、そんなセリフが頭にパラパラと浮かんだが、心の底にいる自分を納得させることはできなかった。

 プルルルルルルルル……

 スマホの音。ハッとなって蒼は体を起こす。アラームを止めると、12:45と画面に表示されている。五時間目の授業まであと十五分。

「やっば」

 悩んでいるうちに、どうやら本当に寝入ってしまったらしい。跳ね起きると、蒼は慌てて弁当を片付けて、下ってきたハイキングコースを、今度は駆け足で校舎へと向かって登っていく。食後の運動はきついが、授業の遅刻だけは避けたかった。勉強ができないだけでなく、授業態度も悪いと思われたら救いようがない。

 ワオーン、ワオーン、ワオーン……。

 校舎へと向かう道すがら、背中の方から、犬の遠吠えが聞こえた。

 

 ところがである。授業に遅れないように校舎にけ込んだ蒼を待ち受けていたのは、カオスだった。

 教室から次々と生徒が飛び出していくではないか。皆口々に叫びながら、廊下を駆け、昇降口へと向かって行く。なんだこれは。授業まであと5分程度だというに。

「あ、新田!」

 呆然としている蒼に、知った声が呼びかけた。周りの生徒とともに廊下を駆ける吉岡が俺に手を振っている。

「お前、まだ部活に入ってないよな? なら、こっちについてきてくれ!」

 何がなんなのかわからなかったが、蒼は吉岡と並走する。

「一体何の騒ぎだよ、これ!」

「『迷い鳥』だっ」

 吉岡が答える。

「お前、さっきまでハイキングコースにいたんだろう? 出たんだよ、そのハイキングコースの森に、『迷い鳥』が!」

「だーっ、もういい加減教えてくれ!」

 とうとう蒼は痺れを切らした。

「お前らの言う『迷い鳥』っていったい何なんだ!」

「この学校が、男子・女子高なのは知ってるよな?」

 走りながら、吉岡が答える。

「山の上が男子校、山のふもとが女子校だ。隔てられた二つの校舎。男女の生徒がまじりあうことは決してない。

 だが、たまにいるんだ、二つの校舎の間に広がる森林に迷い込んでしまう女子校の生徒が」

「それが、『迷い鳥』なんだな、じゃあ……」

 蒼は新たに浮かんだ疑問をぶつける。

「それが、どうしてこんな騒ぎになるんだ」」

「迷い込んだ女の子を助けに行くんだ。皆で!」

「なるほど! ……いや、何で?」

 一瞬納得しかけたが、蒼は眉を顰めた。迷子の捜索は先生か警察の仕事であろう。なのにこいつらが授業そっちのけで我先にと飛び出している理由は——

「……あわよくば、助けた先で女の子口説こうとか考えてない? おまえら」

「ば、馬鹿野郎、そんなの最低なナンパ野郎じゃないか!」

 吉岡は蒼に怒鳴りつけた。

「ただ、森の中に迷い込んだ女の子をかっこよく助けたいだけだ!」

「そ、そうか、すまん」

「その結果惚れられて、告白されたとしたら、まぁやぶさかではないがな!」

「やっぱりナンパじゃないか! 馬鹿な野郎はお前らだっ!」

 蒼は大声で糾弾したが、しかしその声は周囲の男子どもの喧騒にかき消された。


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