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新幹線の車窓から見える風景が次々と変わる中、俺たちは出張先へと向かっていた。
華が所属する新規事業開発部門は、天宮不動産が進める大規模商業施設プロジェクトを担当しており、行政との交渉や地域調査を通じて、計画の具体化を進める役割を担っている。
華は向かいの席で薄型のノートパソコンを開き、資料に目を通している。時折スクロールしながら、何か考えるように視線を止めては、再び動かす。俺はその様子を横目で見ながら、同行する天宮不動産の重役たちと、プロジェクトの成功に向けた戦略を練っていた。
今回の出張の目的は、新規商業施設の開発計画について地元行政と協議し、事業許可やインフラ整備に関する合意を得ること、さらに市場調査を通じて地域の消費動向を把握し、計画の精度を高めることだ。
新幹線が目的地へ到着すると、俺たちはそのまま市役所へ直行し、会議室へと案内された。会議室へ入ると、行政担当者たちはすでに席についており、室内は張り詰めた空気に包まれていた。
華は落ち着いた様子でスクリーンに資料を映しながら、プロジェクトのビジョンを説明し始める。俺は財務面の補足を加え、具体的な計画について話を進めた。
「この商業施設は地域経済を活性化させると同時に、観光客の流入を促進する狙いがあります。行政との協力を深めることで、長期的な成功へと繋げたいと考えています」
行政担当者たちは俺たちの提案に興味を示し、質疑応答のセッションでは、重役たちも加わって意見を交わした。議論が進むごとに、行政側の関心が高まり、会議は順調に進んだ。
会議を無事に終えた俺たちは、地元の名物料理を楽しむために小さな郷土料理の店へ足を運んだ。古民家を改装したその店は落ち着いた雰囲気で、どこか懐かしさを感じさせる。店の奥から出汁の香りが漂い、期待が膨らむ。
「蓮、お疲れ様。明日の市場調査もこの調子でいけば大丈夫だね」
華は店主が運んできた料理を眺めながらそう言った。彼女の笑顔に心を和ませながら、俺はグラスを軽く持ち上げた。
「ああ。華もお疲れ。明日も頑張ろうな」
俺たちは乾杯をし、明日の確認を軽く済ませた後、宿泊先の天宮ホテルズが経営するホテルへ向かった。
「蓮様、華様、おかえりなさいませ。お部屋へご案内いたします」
ホテルに着いた俺たちは、支配人の案内で部屋へと向かった。俺と華に用意されたのは隣同士の部屋だった。俺たちはお互いが手にしたカードキーでそれぞれの部屋に入った。
スーツの上着を脱ぎ、ソファーに腰を下ろした。長い一日の疲れが一気に押し寄せてくる。資料をテーブルに置き、深呼吸をする。
しばらくして、部屋のドアがノックされた。ホテルのスタッフが現れ、俺と華をプライベートバスへと案内する。
「蓮、私より先にあがっても待ってなくていいからね?」
「わかった。華もな」
温泉に浸かると体の芯から温まる感覚が広がった。湯気が立ち込める中、俺は心身の疲れを癒し、リラックスした時間を過ごした。
以上、よくある普通の一日だったんだ……。
しかし……。
「え?」
プライベートバスから戻り部屋のドアを開けると、そこには驚くべき光景が広がっていた。
「蓮おかえり」
浴衣姿でデスクについている華が、振り返って俺に声を掛けた。俺は思わず手元のカードキーと部屋のドアの番号を確認した。
合っている……。
「なんだこれ!?」
「戻ってきたらこうなってた。ここってコネクティングルームだったみたい」
動揺する俺に、華はパソコンに視線を戻し、明日の市場調査の資料を確認しながら平然と答えた。
隣同士だったはずの俺と華の部屋は、二つの部屋の間の壁がなくなり、一つの広い部屋になっていた。俺たちがプライベートバスへ行っている間に、スタッフたちは家具の配置まで変え、まるで最初から一つの部屋だったかのような空間を作り上げていた。
そうか! 湯けむり大作戦とはこれか……!!
「私あっちね」
華は二つ並んだベッドのうちの一つを指さして言った。
その声にはっとして我に返った。
「華! 支配人に連絡!」
「えー、なんで? いいでしょ別に。前はよく一緒に寝てたじゃん」
「何年前の話だよ!?」
「ベッドはふたつあるんだから問題ないでしょ。そんなに嫌なの?」
華はパソコンを見つめたまま、面倒くさそうに答えた。
俺はソファーに腰を下ろし、冷静になろうと深呼吸をした。しかし、視線を向けた先の華の姿は魅惑的で、俺の心をさらにざわつかせた。
風呂上がりの華の肌はほんのりと赤く染まり、少し湿った長い髪を片側に寄せていて、その白く細い首と、誘うようなうなじが俺の欲望を掻き立てる。
俺はソファーから立ち上がり、華の後ろに立った。華の近くに寄ると、シャンプーの爽やかな香りがした。
パソコンに向かっていた顔をあげて、華は振り返り俺を見つめた。その瞬間、俺は彼女の瞳に映る自分自身を見て、感覚が研ぎ澄まされたように感じた。
好きな女が風呂上がりで目の前にいる。そしてそこにベッドがある。俺は試されているのか……!? 何で華は平気なんだよ!? 華……、俺はお前にとって、兄弟でしかないのか……!?
俺の混乱をよそに、華は軽く伸びをすると、パソコンの画面を閉じた。
「明日は早いから、今日は早めに寝ようか」
「えっ!? ああ、うん。そ、そうだな……」
俺はそう答えたが、華の言葉に心臓が跳ね、妙な喪失感を覚えた。
「おやすみー」
俺が戸惑っている間に、華はさっさとベッドに入り、すぐに目を閉じた。
俺は室内に設置されたミニワインセラーから、シャトー・ペトリュスを取り出した。
ワインオープナーでコルクをそっと抜き、クリスタルグラスに注ぐ。その深紅の色合いは、部屋の照明に反射して美しく輝いた。
グラスを傾けると、ワインがゆっくりと壁を伝って落ち、その香りが部屋中に広がった。
俺はそうやって心を落ち着けようとした。
って、落ち着けるかーーーーーーっ!!
無理だろ!! 好きな女がそこで寝てるんだから!! 俺は健全な二十三歳の男だぞ!?
俺は一気にワインを飲んで、華のベッドへと近づいた。華は既に規則正しい寝息を立てている。
ベッドにあがり、華の顔を覗き込む。華の顔は幼い頃と変わらず、無邪気で純粋なままだった。その顔を見ていると、俺たちが子供の頃に過ごした日々が蘇ってきた。
そのとき、テーブルの上のスマートフォンの受信音が鳴り、俺ははっとした。
「はぁぁぁぁぁ…………」
俺は大きくため息をついてベッドから降りた。
スマートフォンを確認すると翔からメッセージが届いていた。
『熱い夜を……』
翔のメッセージは俺の心を少しだけ落ち着かせた。
「頑張れ……! 俺……!」
***
「華、おはよう」
「……おはよう……」
なかなか寝付けず、朝方になってようやく眠りについた俺が目を覚ますと、華は既に支度を整えていた。髪はきちんと整えられ、スーツも完璧に着こなしている。手には温かいコーヒーのカップが握られていた。
しかし、付き合いが長い分、「……おはよう……」の一言でわかる。華はもの凄く機嫌が悪い。
「華、どうかした?」
俺がそう言うと、華は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに無表情に戻った。
「別に何でもない」
相当機嫌悪いな……。
俺たちは部屋で朝食を摂ってから、ロビーに降りて、天宮不動産の重役たちと合流した。
「…………おはようございます。蓮様。華様」
「「おはようございます」」
重役たちと朝の挨拶を交わすが、彼らは華には満面の笑みを向けたものの、俺に向けた笑顔は目が笑っていない……。皆、湯けむり大作戦が失敗に終わったと察したようだ。
いや、だって、順番とか心の準備とか、いろいろあるだろ……?
出張二日目は市場調査や行政との調整を行い、無事に業務を終えることができた。
東京へ向かう新幹線の車窓から見える夕焼けは、出張の終わり……いや、湯けむり大作戦の終わりを静かに告げていた。




