41.嘘の呼びかけ
「何をするつもりだ!」
ハルト様に抱きしめられたままなので、何が起きているのかわからない。
ただ、ハルト様が誰かを咎めているようだ。
「私はただ、お姉様に声をかけようと」
「声をかけただけじゃないだろう。後ろから腕をつかもうとしていた。
それに、もうフェリシーはお前の姉ではない。
ラポワリー侯爵家の籍から外れたと通告されただろう」
少し高めの甘えたような女性の声。フルールだ。
私の腕にふれようとして、それに気がついたハルト様が私を抱き寄せた?
ラポワリー侯爵家から外れた後、ローゼリアには注意されていた。
おそらく何か言ってくるだろうと。
だけど、こんなに時間がたってから?
侯爵家を出てから二週間以上も過ぎているのに。
「……私は認めていないわ。お父様とお母様もよ!
突然、お姉様をさらっていくなんて、あんまりだわ!」
突然、さらっていく?誰が?
少しだけ腕の力がゆるんで、ハルト様の顔が見えた。
フルールをにらみつけているかと思っていたが、無表情に見える。
それがよけいに怖くて、ハルト様を軽くゆする。
「ハルト様?」
「あぁ、フェリシーはそのままで。相手しなくていい」
「お姉様!家に帰って来てくれるわよね!?」
「え?帰る?」
どうして家に帰したいのか。あれだけ私を追い出そうとしていたフルールが。
意味がわからなくて、聞き返してしまう。
ハルト様が離してくれないので、フルールの姿は見えないままだ。
「だって、お姉様は私のお姉様でしょう。
ずっとラポワリー家にいてくれなきゃ困るのよ」
「何が困るだ。姉扱いなんてしたこともないくせに。
フェリシーが屋敷に帰らなくなったのはいつだと思っているんだ。
もう二週間も前だぞ。遅すぎるだろう。
姉が帰ってこなかったのに気がつきもしなかったくせに、
侯爵家が処罰されると知ってフェリシーを戻そうとしているんだろう」
「だって、処罰されるなんて意味がわからないわ!
お姉様が戻ってくれば、問題ないでしょう?」
「そんなわけあるか。いいか、フェリシーはもう公爵家の令嬢だ。
お前よりも身分が高くなったんだ。
勝手に話しかけたり、腕にふれたりしていい立場じゃない。
二度と、関わるな。わかったな?」
「うそ……公爵家?」
どうやらラポワリー家を出たことはわかっていても、
公爵家の養女になったことは知らなかったようだ。
自分よりも身分が高くなったことがおもしろくないのか、フルールの声が低くなる。
ハルト様はもう相手にする気がないのか、私を抱きかかえたまま前に進ませる。
数歩前に進んだ時、フルールのつぶやきが聞こえた。
「……フェリシーのくせに」
そのつぶやきに感情が見えなくて、ぞっとする。
憎々しげに言うのであればまだわかるのに。
何の感情もなく、ただ事実を言うようなフルールの声に、
フルールの中では私が醜く価値のないものでいるのが当然だと思っているのがわかる。
食事を終えてA教室に戻ると、すぐにローゼリアが駆け寄ってくる。
「フェリシー!大丈夫だったの!?」
「え、もしかしてフルールのこと?」
「そうよ、人通りの多い廊下だったせいで噂になっているわ。
……フルールが泣いて訴えていたそうよ。
姉を無理やり奪われたって。そんなわけないのに」
どうやらあの後、フルールは他の者に訴えることにしたらしい。
処罰のことは食事中にハルト様から説明を受けた。
きっとその処罰を受けたくなくて、私を家に戻そうとしているんだろうと。
他の人に訴えていたのも、そういうことなんだろう。
自分たちは悪くないのに姉が奪われた。
もしくは、姉のわがままで出て行ったということにでもしたいのかもしれない。
ベンとミラン、リリー先生だけでなく、
辞めさせられた家庭教師たちも虐待について証言してくれている。
嫡子なのに離れに住まわせ、食事は一人だけ別にし、
勉強だけは人並み以上にさせていた。
休日はなく、睡眠時間を削ってまで勉強させ、ドレス一枚作らせなかった。
お茶会に行くどころか、買い物に連れて行くこともせず、
妹と比べて貶めることは日常のことだった。
その妹は侍女の手をつかい、姉の私物を取り上げたり壊したりしている。
婚約者まで奪った挙句に卒業後は家から追い出そうとしていた。
これだけの報告がされていたら、虐待を認めないことはありえないだろうと。
「ハルト様が言うには、ラポワリー家は爵位が下げられるかもしれないって。
フルールはそれが嫌で自分たちは悪くないってことにしたいんだと思うわ」
「そういうこと……甘いわね。
王家が動いているのだとしたら、もう遅いわ。
叔母様がそんなこと許すわけないもの」
「コレット様が?」
「ええ。陛下はそこまで厳しい方ではないけれど、
叔母様はそういうことを見逃してくれるほど甘くはないの。
しっかり処罰を受けさせると思うわ。さすが叔母様よね」
仲良くなってわかったけど、ローゼリアはコレット様を敬愛している。
叔母でもあるけれど、王妃でもある。
親戚ではあるが、そうそう簡単には会えないらしい。
もしかしたら王太子妃か王子妃になりたかったのは、
コレット様の義娘になりたかっただけなんじゃないのかと思ってしまう。
「それでも、噂するほうは無責任だからね。
フルールに気に入られるために嘘でも平気で流すの。
しばらくは気をつけたほうがいいわ」
「そうね、噂が正しいとはかぎらないものね。
わかったわ。気をつける」
以前、ローゼリアに言われたことを思い出す。
嘘だとわかっていても、そのほうが都合がいいから信じるのだと。
今になればそうだったのかと理解できる。
フルールのそばにいるものたちにとっては、
私が悪くなかったとしても私のせいになるのだから。
その日から学生たちが私を見る目が厳しくなっていったが、
ハルト様とローゼリアが必ずそばにいるためか、
フルールが直接私に言いに来ることはなかった。