3.帰宅
ヨハン公爵の馬車は王族が乗るものと同じで、大きくて乗り心地が良かった。
私一人では乗り込めなくて、ヨハン公爵の手を借りてしまった。
ラポワリー侯爵家も貴族としては有数の家だが、王族とは格が違う。
ふわふわした椅子におそるおそる座ると、ヨハン公爵がにっこりと笑う。
「もし、この馬車が気に入ったのなら養女に来てくれてもいいんだよ?」
「え?……あの?」
「まぁ、半分は冗談だが、半分は本気だ。
教会で儀式をするようになって十数年だが、子を置いて親が帰ったことはない。
豊穣の加護を持つ令嬢を蔑ろにするような家に置いておくわけにはいかない。
困ったら、すぐに私のところにおいで?」
「でも、うちは私と妹しかいなくて。私が婿を取って家を継ぐ予定なんです」
「令嬢だけ?フェリシーが家を継ぐと決まっているのかい?」
「ええ。フルールは勉強が苦手なんです。領主になる勉強を嫌がってしまって。
私しか継げるものがいないのです」
両親はフルールに継いでほしかったかもしれない。
だけど、五歳から始まった勉強はフルールが嫌がってしまった。
かろうじてダンスの授業だけは受けているようだけど、
その他の科目は軒並み遅れていると聞いた。
同じ家庭教師だったはずなのに、いつのまにか違う家庭教師になっていた。
なんでも、先生が怒るから変えて欲しいとお父様にお願いしたとか。
当然、そんなことが何年も続けば、
フルールは勉強がまったくできない令嬢になってしまっている。
十二歳になった今から勉強をやりなおしたとしても……
いや、やり直すことなんてしないだろう。
フルールが興味を持つのはドレスや宝石、美しいものやお茶会での楽しい会話。
令嬢としては間違っていないかもしれないけれど、あれでは家を継ぐのは無理だ。
詳細を話すのはラポワリー侯爵家の恥になると思い、軽く説明する。
「それに私には婚約者がいるんです。
ラポワリー家に婿入りしてもらうことが決まっています」
「婚約者?儀式の前に婚約するなんて早くないか?」
「……妹と違って私では婿が見つからないだろうと、早くから探したようです」
あの時のお父様の言い分は悲しかったけれど、真実だと思った。
美しいと評判のフルールであれば急いで相手を見つける必要はない。
だが、何の取り柄もない私では侯爵家の身分を使わねば婿が見つけられないと。
そうして婚約した時、私も婚約者もまだ九歳の子どもだった。
私の話を静かに聞いていたヨハン公爵は、ため息をつきながらもう一度言った。
「それでも、両親が間違っていると思ったなら、私のところにおいで。
いつでも手を貸そう。これはフェリシーのためであり、国のためでもある」
「国のため……」
「あの妹がフェリシーを害するのであれば、離したほうがいい」
まるでフルールを敵視するようなヨハン公爵の言い方に首をかしげてしまう
「何か疑問なことでもあった?」
「公爵様は妹のほうが優れているとは思わないのですか?」
両親でさえフルールが正しいと疑わないのに、
会ったばかりのヨハン公爵がフルールを嫌う理由なんてあっただろうか。
「そうだな。なんて言っていいかわからないが、美しさが正しいとは思わない。
そして、美しさを武器にする人間は嫌いなんだ。
私は妹の美しさよりも、フェリシーの誠実さのほうが好ましいよ」
「……ありがとうございます」
まだ会って間もないヨハン公爵だが、信じてもいい気がしてきた。
ヨハン公爵は私とフルールを見比べていたわけじゃなかった。
ただ純粋に似ていないと思っていただけのようだ。
何も話さない空間が居心地良いと思ったのは初めてだった。
こんな人が家族だったら、どんなに良かっただろうか。