26.助けて
「それって、フルールがお前から逃げだけなんじゃないのか?」
「……フルールが逃げた?」
「ああ。よく考えたら伯爵令息と結婚するのはもったいないとか、
もっと高位貴族に嫁ぎたいとか思ったから邪魔になったんじゃないのか?」
「そんなフルールが俺を捨てるなんて……」
いや、ありえる。学園に入学してからフルールはエミール王子のそばにいた。
学園の送り迎えもブルーノからエミール王子に変えてしまった。
何よりも……ブルーノが美しくなくなってしまった。
美しい者しかそばに置かないフルールがブルーノを嫌うのは当然に思えた。
「とにかく、フェリシーはフルールにも侯爵家にも何も言っていない。
跡継ぎになる気も無い、それは理解したか?」
「……はい」
「お前にできるのはフルールに婚約を続けてくれるようにお願いするだけだろう」
「……ですが……フルールは」
きっと誰のお願いも聞いてくれないと思う。
フルールは全ての人は自分のお願いを聞くものだと思っている。
だけど、人からのお願いを聞いてくれるような人ではない。
あ……でも、一つだけ例外があった。
「ブルーノ。あなた、フルールに女神の加護は使ってもらえなかったの?」
「……いや、使ってもらっていた。だんだん、使ってくれる回数が減ってきて、
最近は使ってもらえなくて……でも、昨日まではまだ良かったんだ。
今朝起きたら、身体がこんなことになっていて……。
フルールは一目見るなり、気持ち悪い……って」
「そんな……」
「おねがいだ……フェリシー。
フルールのところへ一緒にお願いに行ってくれないか?
フェリシーは跡継ぎになる気はないんだろう?
フルールに跡継ぎになってくれるように、一緒にお願いしてくれ!」
泣き出しそうなブルーノに、ゆっくりと首をふる。
私のお願いなんてフルールに聞いてもらえるわけがない。
下手にお願いなんて言えば、逆に嫌がらせされる可能性か高い。
「おい、お前。フェリシーにこんな怪我をさせておいて、
都合が良すぎるんじゃないか?」
「え?怪我?」
ハルト様に言われて初めて気がついた。
つかまれていた左腕が青黒くなって腫れている。
ブルーノも私の腕を見て気がついたのか、慌てて首を振る。
「え、いや、そんなつもりはなかったんです」
「つもりはなかったじゃないだろう。
俺が来た時、フェリシーを恫喝していたじゃないか。
令嬢に暴力をふるうなんて、学園から処罰が来ると思え」
「そんな!?」
「お前、この怪我を見ても反省しないのか?」
「……っ」
「すぐにここから立ち去れ。そして、もうフェリシーには関わるな。
それを破るようなら、次は王家から処罰を与える」
「わ、わかりました……申し訳ありませんでした」
これ以上はまずいと思ったのか、ブルーノは礼をしてから書庫から出て行った。
ブルーノの姿が見えなくなって、大きく息を吐いた。
気を緩めた途端、力が入らなくなって座り込んでしまう。
「大丈夫か?……いや、大丈夫じゃないな」
「……だいじょ」
「フェリシー。聞いた俺が悪かったよ。
頼むから、我慢して笑わないでくれ」
私と視線を合わせるためなのか、床にしゃがみこんだハルト様が顔をのぞきこんでくる。
心配してくれている顔……わかっているけれど。
「我慢はしていません……助けていただいてありがとうございます」
「フェリシー」
「少し休めば動けます」
「フェリシー」
「だから」
「フェリシー。もういい。何も言わなくていい。
怖かったんだろう」
床に二人座り込んだまま、ハルト様の腕に抱き寄せられる。
あまりのことに動けず、あっさりと腕の中に閉じ込められた。
「もっと早く助けられなくて悪かった」
「ハルト様が悪いのでは」
「俺はフェリシーを助けたい。助けたいと思うのはいけないことか?」
いけないことではないけれど、でも。
「お願いだから、この手を取ってほしいと思ってしまうんだ。
俺が、フェリシーを守りたい。そう思うことは迷惑だろうか」
ハルト様が迷惑だなんて……違う。
「……だって、……迷惑を……かけたくなくて……」
言葉と共に涙が零れ落ちる。
一度でも弱さを吐き出してしまったら、そのまま崩れ落ちてしまうと思っていた。
誰かに頼って裏切られてしまったら、もう立ち上がれないと思った。
ハルト様に、裏切られるようなことがあったら……
「俺はフェリシーを裏切らない」
「え?」
「誰かを信じるのが怖いというのはわかる。
だけど、俺はフェリシーを裏切らない。
この手を取ってくれ。頼ってほしんだ……」
ぎゅっと抱きしめられ、耳元でハルト様の声がする。
追い詰められたようなハルト様の声に、そうさせてしまったのが自分だと感じた。
頑なに拒否していたから、こんなにも悲しませてしまっていた?
「一言でいい。助けてほしいと言ってくれ」
「……」
「このままではフェリシーは跡継ぎにされて、ブルーノと結婚させられてしまう。
あんな連中にいいようにされて、本当にいいのか?」
さきほどのブルーノの言葉が思い出される。
フルールがそう言ったのであれば、きっとお父様はそれに従う。
アレバロ家にお父様の決定を覆すような力はない。……私にも。
何を言っても聞いてもらえず、言うとおりにするしかなくなる。
「……そんなのは嫌です」
どうしてもそれだけは嫌だった。
ブルーノと結婚して、フルールのために動くのは。
「ハルト様……私を助けてください。
もう、あの家にいるのは嫌なんです」
「っ!ああ!わかった。すぐに動こう」
私の返事を聞いたハルト様は笑顔になって、私の涙を手でふいてくれた。
まだ立てない私を抱き上げると、そのまま書庫から外にでる。
もう図書室内に学生たちの姿は見えない。
だけど、このまま廊下を歩いていくのはまずいのでは?
「ハルト様、降ろしてください」
「だめだ。まだ立てないし、怪我をしているだろう。
それに時間がない。急がないと」
「どこに行くつもりなんですか?」
「教会だよ。ヨハン叔父上のところだ」