17.フルールという嵐
カタンと音がして扉が開いた。
入ってきたハルト様は疲れた顔をしていたが、私が部屋にいるのを見て柔らかく笑う。
「もう来ていたのか」
「今日はハルト様のほうが遅かったんですね」
「あぁ、ローゼリアに捕まりそうになって、一度帰るふりをして戻って来たんだ」
「それはお疲れ様です……お茶を入れましょうか?」
「あぁ、頼む」
隠し部屋を使わせてもらうようになってから二か月が過ぎ、
一緒にお茶を飲むのが恒例になりつつある。
そして殿下と呼んでいたのも、ハルトと呼ぶようにと言われている。
もちろん隠し部屋の中だけのことで他では呼んでいない。
それどころか教室では挨拶すらしていないので、
表向きはハルト様と一度も話していないことになっている。
「それにしてもローゼリア様はあきらめないですね」
「おそらく兄上の結婚式までに婚約者が欲しいんだろう」
「王太子様の結婚式までですか。あと一年もないですね」
「あいつはずっと王太子妃になると思い込んでいたからな。
兄上に振られたのが悔しいんだろうけど、王子妃を目指してどうするんだか」
「王族に嫁ぎたいということなんでしょうか?」
そこまで執着する理由がわからなくて首をかしげてしまう。
王太子様に振られたのが悲しかったのなら、私なら近づきたくないと思う。
ましてや好きな人の弟と結婚するなんてありえないと思うけど……。
やはりローゼリア様の考えはよくわからない。
「まぁ、フェリシーならわからないだろうな」
「え?ハルト様ならわかるんですか?」
「まぁ、なんとなくはな。どうせ、くだらない考えだ。
さすがに俺を王太子にしようなんて馬鹿げたことは思っていないとは思うが、
それを利用しようとするものがいないとも限らない。
ローゼリアも成績がいい割にはそういうところが抜けている。
そろそろ伯父上も黙っていないと思うが……」
「ジョフレ公爵様は王太子様の婚約に反対しなかったのですか?」
王妃様の兄であるジョフレ公爵様は力の強い貴族だ。
当然、王太子様の婚約についても口を出したと思うのに、
それでもローゼリア様は選ばれなかったのだろうか。
「伯父上はローゼリアを王太子妃にしたかったようだが、
陛下、父上が反対したんだ。ローゼリアではダメだと。
まぁ、俺も反対したんだけど。これはローゼリアには内緒にしてくれ。
知られたら何を言われるかわからない」
「あ、はい。内緒にします」
渋い顔のハルト様に、聞いてはいけないことだったのかと思う。
王太子様が選ばず、陛下と弟王子までも反対したのであれば、
ローゼリア様が選ばれなかったのも当然だ。
その理由までは私が知る必要ないだろう。
「というわけで、そろそろローゼリアの婚約者も決まると思う。
父上から伯父上に話がいっているだろう。
そうすれば教室でも大人しくなると思う。
もう少しだけ我慢してくれ」
「私よりも大変なのはハルト様ですから。
でも、そうですか。婚約者が決められるのですね」
国王陛下と父親が決めたら、わがままなローゼリア様でも断れない。
どんな人が選ばれるのかはわからないけれど、ハルト様でもエミール王子でもないのだろう。
その時、ローゼリア様がどう思うのか。考えても意味はないのに考えてしまう。
自由に恋愛するなんて、貴族として許されるわけ無いのに。
いつも通りに早く学園について、A教室で授業を待つ間に本を開いた。
先生が来るまで、勉強とは関係のない本を読む。
これは図書室に通っているのは本を借りているからだと思わせるためだ。
本も借りていないのに、私が毎日図書室に入るのを見られたら、
何をしているのかとあやしまれてしまう。
そのために借りた小説だったが、意外と面白くて授業前の楽しみになっていた。
「あの……ラポワリー侯爵令嬢」
「はい」
呼ばれて顔を上げたら、同じ教室だけど話したことのない令息だった。
たしか伯爵家の三男だったと思うけれど、何の用だろうか。
「妹様が呼んでいるようですよ」
「え?」
視線で示されたのは教室の入り口だった。
そこでフルールがにっこり笑って待っている。
他の教室に入るのは禁じられているため、令息に頼んで私を呼んだらしい。
令息に礼を言って、急いでフルールへと向かう。
「お姉様」
「フルール、何の用なの?」
いつも呼び捨てなのに、お姉様だなんて初めて言われた。
にっこり笑っているけれど、何を企んでいるんだろう。
後ろには令嬢や令息を数人連れている。フルールの取り巻きだろうか。
「あのね、お姉様にお願いがあってきたの。
ハルト王子様を紹介してくれる?」
「え?」
「ふふ。せっかくお姉様が同じ教室なんですもの。
紹介してもらおうと思って来たのよ。さぁ、早くして?」
ハルト様を紹介?フルールに?
たしかに初めて話す場合は他の貴族に頼んで紹介してもらうことはよくある。
ハルト様に直接話しかけたら不敬だと思われるかもしれない。
だから同じ教室の私に紹介を頼んだ、そのこと自体はおかしくない。
だけど……
「無理だわ」
「え?どうして?」
「殿下とお話したことないもの。挨拶すらしていないのよ。
妹を紹介だなんて、そんな失礼なことはできないわ」
「ええ?話したことないの?隣なのに?」
フルールが大げさに驚くと、後ろにいた令嬢と令息がくすくすと笑いだす。
私を見下すような笑いはフルールの侍女たちがよくしていた。
いつもフルールが私を見下すから、見下してもいいと思っているのだろう。
「まぁ、でも、フェリシーならしかたないかも。
私なら、王子様のほうから話しかけてきてくれたけど」
「え?」
「エミールよ。仲良しになったの!
だから、弟王子だというハルト王子様とも仲良くなろうと思って」
「そう。残念だけど、役にはた」
「じゃあ、昼休みで良いわ」
「は?」
無理だと言ったのにもかかわらず、昼休みでいいとは?
フルールは私を見ずに教室の中を見ている。どこを見ているの?
振り返ったら、ハルト様がこちらを見ていた。
その隣の席ではローゼリア様がにらんでいるのも見える。
しまった……聞かれていた。
「昼休みまでに話して、カフェテリアに連れて来て?ね?」
「無理だって言ったわよね?」
「可愛い妹のお願いくらいきいてよね。それじゃあ、絶対よ?」
「無理よっ」
「連れて来なきゃ……ひどい目にあわせるわよ?」
私にしか聞こえないくらい小さな声でフルールがぼそっとつぶやく。
優雅に笑っているのに、フルールの青目はまるで凍っているかのように冷たい。
ぞくりとして何も言えないでいると、またにっこり笑う。
薔薇が咲き誇るかのように艶やかに笑うと、教室内からざわめきが聞こえる。
他の令息たちも気になって見ていたようだ。
「じゃあ、お願いね」
返事も聞かずにフルールは去っていった。