大量生産への挑戦悲話
史実では、ローマ時代に道路の舗装材やレンガ、セメント、鉄釘を生産したのが大量生産の初めて、ということだそうです。これらはローマで集中的に生産され、帝国内各地の内需を賄い、遠い遠征地に派遣されたローマ軍団によって使用され、街道や拠点都市などのインフラ整備に使われたそうです。
一方日本では、世界から大幅に遅れ、第二次世界大戦後にようやく近代工業として大量生産が根付いた、ということになっています。つまり日本では元々木工が主体であり、しかも木材と腕のいい職人なら日本中どこでも調達可能だったので、モノを一カ所で大量生産するニーズがほとんど無かったんですね。
赤坂宮(織田信長)の無茶ぶりにより、史実よりかなり前に大量生産という課題に取り組まなければならなくなった、日本の技術者たちの苦悩を味わってください。
昭和十四年(一九三九年)夏、ドイツとソ連がポーランドに攻め込み、遂に第二次世界大戦が始まった、というニュースが世間を大いに騒がしている時、そんな喧噪を逃れたかのような一団が、東京市京橋区築地にある海に面した元の海軍大学校の広大な敷地の中にある埠頭近くの倉庫に集まっていた。
彼等は、学生と呼ぶには少々老けすぎていた。
「京橋区には、まだこんな建屋、残っていたんですな。震災で全部やられたと思っていた」
「このまわりはひどかったらしいから、ここだけまわりが水に囲まれていて助かった、ってことじゃないですか」
「それにしても赤坂区から近い割には時間がかかる場所だよな、ここ。最初場所を聞いた時には、どんな場所か全然思いつかなかった。身近にある知られざる場所って感じだな」
「近い割に不便、って重要だよ」
「そうだな。いろいろ好都合だな。秘密の保持という意味でも、これだけの人間が集まりやすい場所だという意味でも、設備としても申し分ないという意味でも」
「にしても、暑くてかなわん。海に近いんだから潮風で少しマシかもと思っていたが、蒸し暑くてかなわん。今年は潮風が吹かないって、異常じゃないのか」
「気のせいですって。とにかくさっさと用件にはいりましょう」
「おう、暑いとか言ってる場合じゃなかった。殿下のあの勢いだからな」
「しかし想像はしていたが、いざ実物を見せられるとこんなに大きいもんだとは思わなかった。まるでバケモノだな。車体から下ろすのも大変だったろうに」
「なんでもアメリカの会社の工場で大きなホイストを持っているところが新京にあったてんで、そこを借りたらしいですよ」
「アメリカって、それ、大丈夫なのか?」
「あ、それは偽装用に鉄道のレールを満載したトラックのつきそいみたいな感じで紛れ込ませたから大丈夫だったとか。まあ、依頼元が満州鉄道だから先方も疑わなかったんでしょう。だいたい民間の会社同士のやりとりですから。軍服組は一切ノータッチだったそうで」
「なるほど。だいぶ関東軍の連中も殿下のことがわかってきたみたいじゃないか」
「だいたい戦車からエンジン下ろすのに苦労するなんてこと自体、普通は思わないですよ。それこそアメリカだったら何の問題もなく簡単にやってしまいそうでしょ」
「まったくだな。こういうところこそ国力の差を感じるよ。そっか、アメリカの会社にとっては、本国を遠く離れた満州の工場でもそんな設備をいれるのが当たり前ってことになるのか。そっちの方がよほど驚きだ」
「いや、まあ、もともとは鉄道車両作ってる会社ですからね。世界にそれほどたくさんあるわけじゃないから」
「ってことはあれか? 例のハリマンの関係先か?」
「らしいですよ。元々は満鉄自体を手に入れるつもりだった、ことの名残りみたいなもんでしょ。我々にとってはいい置き土産だった、っていうことになりますかな」
「で、コイツの性能はどうだったんだ?」
「大きさはダテじゃない、ってことですかね。もう何から何までビックリの数字で」
「そんなにか?」
「ええ、そんなに、です」
「う~ん、とうとう欧州じゃ、ドンパチ始めちまったし、これから作るものはこれぐらいじゃないとダメそうだ、ってのはよくわかるんだが」
「ソ連はポーランド侵攻にもこのエンジンの戦車使ってるんでしょうしね」
「で、殿下はなんて言ったんだ?」
「これと同じものを作れ、です」
「一応聞いてみる。できそう?」
「ムリですね。いや、どうやったら作れるようになるのか教えてくださいって、誰かに聞きたい気分です」
「ムリって言う割には、ヤケに落ち着いてるじゃないか。しかも何だ、その笑顔は?」
「いや、そりゃ、もう笑顔にもなりますよ。無茶苦茶なんですから、殿下の話は」
「どういうふうに無茶苦茶なんだ」
「いや、もう何もかも。あの方の頭をかち割って中身を見てみたいと思うぐらいですよ」
「分からんな、お前だって結構斜め上行ってるヤツだと思っていたんだが」
「私なんか、あの方と比べたらもうミジンコ並みに普通ですって。いいですか、佐藤さん。我々は昨年、戦車用のエンジンを何台生産したか知ってますか?」
「えっ、台数? 二百ぐらいじゃないか」
「さすがよくご存じで、あれやこれやいろんなタイプを全部合わせて百九十でした。そんな我々に、あの方、何て言ったと思います? 一万台ですよ」
「一万! 何だそれ」
「しかも年間じゃなくて月間だそうです。つまり年間なら十二万。もうね、私この時点で精神凍り付きましたわ。最初は、性能的に同じレベルにするなら空冷ならなんとかとか、いろいろ意見具申しようかと思っていたんですけど、もう全部すっ飛んじゃいました」
「その、戦車だけでそんなに数を作るつもりなのか、殿下は?」
「いや、そういうことじゃないんですよ。何て言うか、殿下の発想は我々と真逆でしてね、佐藤さん、我々はエンジンを戦車の部品と考えていたじゃないですか。だから戦車の台数とエンジンの台数は同じ、ってことだったんですけど」
「そんなの当たり前だろ。えっ、そうじゃないってことは……」
「そうなんですよ。殿下はこのエンジンを戦車だけじゃなくて他の車両や、船、飛行機全部に乗せるつもりなんですよ。最強の戦車のための最適なエンジンを作る、じゃなくて、このエンジンから作る最適な戦車、船、飛行機って感じで、発想が逆転してるんです」
「なんか、それでいくと戦車の性能が心配になるな」
「はあ、私も同じ事考えたんで一応意見してみたんですが……」
「なんて言われた?」
「兵器なんて一回戦場に出したら壊されて当たり前なんだから必要となったら短い時間でどれだけ作れるかの方がよほど重要だと言われまして」
「そりゃ、そうだけど、それ、征夷大将軍が言っちゃっていいのか、って感じはするな」
「こういうとこ、全然なりふりかまいませんよね、あの人。とにかく、我々の置かれた立場は、この普通に作ってもまともに作れるかわからないこの物体を月間一万台作れるようにする、っていう役目を負わされたわけで。もう笑う以外、何もできません、私は」
そう呟き終わると、男は口元には笑みを保ちながら、目元に泪を浮かべるという実に器用な表情を佐藤に見せた。
ある意味、絶望の淵に立たされた男達は、送られてきた物体のおおまかな全体構造を把握し、その場でできる限り部品への分解作業を決め、各部品の個々の分析日程などの調整を行い、この日の会合は終わった。
ノモンハンにて鹵獲されたソ連邦の誇る最新鋭T32に搭載されていた液冷V型十二気筒、三四リッターディーゼルエンジンは密かにここ東京へと送られ、幕府および軍工廠技術士官の検分を受けていたのである。
性能自体は満州で関東軍がすでに様々なテストを行っており、その性能が非常に高いことは分かっていた。
問題は、その部品と同じものが日本で作れるのか、ということに絞られていた。
数日後、主要部品についての各部レポートが出揃ったところで、赤坂幕府内の一室で、再び検討会議が開かれていた。
赤坂宮からスタッフに申し渡されていたことは、月産一万台同じエンジンを日本国内で生産できるようにしろ、ということだけだった。
「どうにも殿下の指示には面食らわせられますなぁ」
工廠の古参の技術士官がぼやく。
「今までだったら、おエラさんの言うことなんて、敵の性能を上回れ、しか言わないもんだったんだがな。最初から生産量の要求、しかも今までの数の二桁違いの数字なんて……」
「性能が多少ダメダメになります、なんて呟いたら、以前だったら、そうか、じゃあ考え直すわ、ってなってましたもんね。ある意味、昔は上の操縦が楽だった。でも殿下は作りながら改良すればいい、とか平気で言っちゃうんですもん。まあ、その通りなんですけど。結局最初の方針から一歩も動かない」
「殿下の悪口はそれぐらいにして、で、今、とりあえず困っていることを列挙していこうか。一個一個具体的な解決策、もしくは解決策を見つけるための行動計画を立てにゃ先に進めん」
「その空冷なら部品が減って楽になる、ってことで空冷を復活させるて話はダメなんでしょうか。液冷だから課題の数が倍増してるように思えるんですけど」
「殿下が将来性の比較でソ連やアメリカ、イギリスの技術動向にこだわっている限りどうしようもないよ。我々だって液冷じゃ作れそうにないな、って自覚していたからこれならなんとか作れそうだって感じで空冷に入れ込んでいたことは確かだ」
「どうでしょう、みんなの意見をこの先ぶらさないようにするため、何故我々は空冷を捨て液冷にしなければならないのか、ということを先に整理をしていてはどうでしょう。でないと困難な課題が出てくるたびに同じ議論を繰り返して時間の無駄を起こしそうな気がします」
「破釜沈船、退路を先に断つ、ってやつか。まあ、いいだろ。殿下の発言を全員が聞いていたわけじゃないから、この先の無駄を省く意味でも確認しておいた方がいいか。それに我々が直面している困難な課題に対し、何が何でもそれを克服しなきゃならん、認識を深めておくということで意味はある」
「じゃ、わざわざ部品点数が少なくて軽い空冷を捨てて、重く複雑な液冷を先進国が進める理由を確認しておきましょう。と言ってもそんな難しい話じゃありません。一言で言えば力の制御が簡単だから、ってことですかね」
「おいおい、それじゃ簡単すぎて、みんな分からないんじゃないか?」
「熱力学の大家の君にとってはそれでいいんだろうけど、機械屋の我々にはさっぱりわからんよ」
「え~と、じゃあ、間島さん、あなたからお願いできますか。機械加工の方の苦労はあんまり私は詳しくないので」
「おいおい、もう逃げるのかよ。ヤレヤレなまじ機械のことなんかかじるべきじゃないな……。じゃあ、私から。要するにですね、今の原動機ってのは、ものを燃やしてそこで上がった温度、それに圧力によって膨張した気体でピストンを押している、これはおわかりだと思います。問題は、燃やした時、温度がどれぐらい上がるのか、によって取り出せる力も大きく変動する、ということにあるんですよ。空冷エンジンは、高まった温度で部品が溶けてしまうのを避けるための冷却に空気を使っているんで、液冷よりもこの変動が大きい。発動機を使う立場から見れば、できるだけ幅広い条件下で、安定的に出力が取り出せた方がいいのですが、そこの点で空冷は劣るというわけです。空冷は現在、作られているものはほとんど一列九気筒のものばかりでしょ。言ってみれば空冷にとってはこのレイアウトしかまともな性能にならないから、こうなったわけです」
「二列一八気筒だってあるじゃないか」
「理論値と比べるとあんまりうまくいってないみたいですよ。要するに二列目の冷却は一列目を冷やした後の温度が上がった空気になるから冷却効率が落ちるんです。それにこの空気に頼る冷却ってのは、冷えすぎ、オーバークールに全く対応できないんです」
「なるほど、冷えすぎると力が出ない、こういうことか」
「その通りです。厳寒のロシアで空冷エンジンを使わない最大の理由でしょう。それに飛行機なら高度が上がれば同じ問題を起こします」
「つまり空冷は空気温度に直接エンジン性能が反映されすぎてしまうが、液冷なら冷却液が温度クッションの役割を果たすから、ということか」
「冷却液温度を別にちゃんと管理するシステムにすれば、外部環境の変化にも柔軟に対応させやすいってことですね」
「それに加えてエンジンの構造をいろいろ変えて、気筒数を増やしたり減らしたりしても,冷却液を上手に取り回してやれば、ちゃんと冷やせる、というのも大きいです。特に、戦車なら低い全高、飛行機ならスリムな機体なんてのは、液冷エンジンでないと難しいでしょう」
「だいたい分かった。で、これにちゃんと反論できないとこの構造がクソややこしい液冷エンジンを何がなんでも作らんといかん、ということか」
「反論? まあ、それができればたぶん科学工業史に名前が残せると思いますよ」
「しかし、殿下は、よくそんなこと分かっていたなぁ。我々だって習った頃なら覚えていたが、実際設計やるようになってからなんて、考えたことも無かったぞ」
「技術者じゃない方が、こういう部分はよく見えるんでしょ。純粋に想像力だけで結論が出せますから」
「で、現状、この液冷エンジンなんだが、今までの我々の経験での問題点をここで確認していこうか? 作れ、作れ、と言われなくたって、こっちだって作ろうとしてて、結局満足なものが出来なくて困っていたんだから、何で困ったのか、もう一度確認していかんとな」
「まず難点は材料に鉄を使うってことだな。アルミでほとんど造るってことにはならないんだろ」
「だいたいこれ戦車のディーゼルエンジンですからね。ディーゼルを動かす圧縮比20近辺なんて圧力、アルミじゃ持ちませんって。割れてしまいます」
「アルミの加工なら難易度が下がって助かるから空冷押し、という我々の考え方がそもそも間違っていたか……」
「そっか、じゃどっちみち空冷なんて話は持ち出せなかったんだ」
「で、大出力のエンジンだから当然材料は鉄しかありえないなると」
「アルミの融点のほぼ倍、一四〇〇度近辺の温度で何もかも処理することになると」
「製造技術自体が謎、ってのも結構大きいと思います」
「そうそう、液冷のエンジンブロックには冷却と潤滑用の油を流す管、冷却用の管と錯綜してるんだが、経路がかなりややこしくて、立体のパズルみたいになってんだ。どうやったらあんな図面が引けるのか、さっぱりわからん」
「いや、ホントにわかんないこと多いです。でも、さっきの話で何となくうまくいかない理由の一つがわかったような気がします」
「ほう、さっきの話だけで? すごいじゃないか。それで、どんなことだ?」
「その冷却液ってとにかくエンジンを冷やすものだ、としか考えていなかったんで、たぶん冷却しすぎていたんじゃないかなって。たぶん今までの設計だと冷却液多過ぎだったような気がします。というか、より正確に言うとエンジン内部で冷却液がいる部分の体積が大きすぎるんじゃないですかね。今までオーバーヒートしたエンジンばかり見てきたもんで、とにかくそれが怖くて冷却液をじゃんじゃん増やす方向にしてたような……」
「エンジン出力と冷却液量と温度の関係のデータならあるんじゃないですか?」
「いや、だいぶ前のどんなエンジンを使ったのかもはっきりしないようなデータならともかく、そんな信頼性の高いデータなんて無いんじゃないですかね。少なくとも私は見た覚えがありませんよ。おそらくどっかの時代のどっかの国のエンジンを見よう見まねで組み上げたようなもんでしょうから、初めからこういうスペックがオリジナルとどれだけ近いかだって怪しい気がします。だいたい形状や大きさしか見てませんから」
「なるほど、基礎を学ぶのは後回しってのが伝統だからな。じゃあ、今回は基礎からお勉強のし直しが最初の一歩ということか」
「ベアリングもそうですね。星形空冷はベアリングをほとんど使わなくて済むというメリットがあったんですけど、液冷となるといたる所にたくさんベアリングを仕込まないと回転バランスが取れなくなる。で、安物のボールベアリングじゃ、軸受けにかかる力にはまったく強度が不足するんで、ローラーを使わなきゃいけないんですが、そのローラーの成形や加工がとんでもなく難物みたいで、うちで作ったローラーベアリングじゃ、すぐ壊れて使い物にならなくなる。たぶんベアリングにどれぐらい力がかかるのか、なんて今までデータをちゃんと残していなかったんじゃないかと。いやそもそも、現状我々の作っているベアリングがどれぐらい精密なのかもちゃんと調べていなかったかも」
「設計技術というよりも生産技術と品質がネック、ということですか」
「いや、そんな単純じゃないと思います。そんなことよりもむしろ、我々、たくさん作るっていう認識が全く足りてないんじゃないですか。要するに今までのモノヅクリって、先進国の作ったものと同じ形状の部品さえ作ればいいからと、大きさ、形合わせしやすい切削加工にばっか頼っていたわけです。だから材料の金属の塊をこうゴリゴリ削るって作業ばっかりがメインだったんですけど、だからモノの数を増やすには工程を単純にその生産する数を掛けた工数にならざるをえなかった。だけどイギリス、アメリカ、ソ連だって日本の何十倍も人口がいるわけじゃないんだから、そんな作り方していて、こんなものを沢山用意できるわけないじゃないですか。だからなんていうか、たくさん作るならそれなりの最適な作り方を模索しなきゃダメなんですよ。我々がよく知っているやり方にこだわっていては前に進めないと思います」
「なるほど、要するに鯛焼きだな」
「鯛焼き?」
「そう、鯛焼き焼くのに、一個一個の小麦の塊を鯛の形に彫刻整形して焼くやつはおらんだろ」
「ああ、なるほど……って、エンジンを型から作るって話になるんですか?」
「殿下の言っていた数字を実現するにはそれしかあるまい。溶けた鉄を鋳型にいれて固まったらエンジンの部品の大まかな形がすでに出来ている。そんな材料だったら、精度を上げる加工をするのもそんなに時間はかかるまいよ」
「なるほど。溶けた鉄を型に流し込んで部品の大元をつくっていくか……。このブロック単品でもおそらく重さは五十キロはあるでしょうね。予め鯛焼きの型みたいに、一度三十ぐらいの部品を作る型をつくっておけば、一回溶けた鉄を流し込むだけで三十作れるのか。型の数を増やし、鉄を流し込む回数を増やせば、一ヶ月で一万という数字も案外できるかもしれませんね。だけど、この例えですら、一つの型でも一回に流し込む鉄の量は1.5トンですか。つまり1.5トンの熱く溶けた鉄をいれたるつぼが必要になって、しかもそいつは漏斗みたいに動いて型に鉄を流し入れなきゃいけないってことになる。そんな装置、軍艦を作ってる海軍工廠にも無かったんじゃないかな。砲弾作るところなんか、ちっこいるつぼを数人がかりで持ち上げてちまちま流し込んでましたよ」
「そりゃそうだろ。軍艦は完成品は大きくても単品料理ばっかりだからな、あそこは。それに部品を小さめに作って大きいモノに組み上げる方が職人芸でどうにでもなる。となるとだ、おそらく我が国には参考になりそうな設備はないな」
「やっぱりアメリカのフォードあたりがどうやっているかを当たる方が参考になりそうですね。民間の技術者にそのへんを研究している会社があるような気がします。日本にもいずれ自動車産業を興したいって活動している人間がいると、大学の教授が言ってましたから」
「ああ、それなら俺も聞いたことがある。なるほどサイズはこれよりずっと小さいが、自動車用のエンジンは沢山作らないとダメだな。参考になるんじゃないか」
「ちょっと前にフォードの工場の映画見ましたよ」
「あ、そういえばあったな、そんなのが。だけど流れ作業でクルマを組み立てているところしか見てなかった」
「とんでもなく沢山の人間を働かしているとてつもなく大きな工場らしいんで、もしかしたら日本から出て行った移民の中にもあそこで働いたことのある経験者がいるかもしれませんね」
「なるほど、そういう線で情報をつかむか。藁としては悪くないな」
「ところで溶けた鉄をいれて固める型って、木とかじゃないですよね。もちろん同じ金属ってこともないでしょうけど。鍋作るんなら、ほんの少しの鉄で済むからそんなに耐熱も耐圧強度もいらないでしょうけど、こんな大きなモノ、半端な強度でも金属みたいなすぐ溶けるもんも使えませんよね。しかもエンジンみたいな複雑な形状となったらオス型メス型で内子をはさんでサンドイッチにするんでしょ。どんな型でやるんだろ」
「それなら、ドイツの連中から、前に、砂を使っていると聞いたことはある。ただ普通の砂じゃ、すぐ崩れてしまうから、形が壊れないように砂を固めるための特別な技術がある、とかなんとか言っていた。で、中で部品が固まったら砂の型を破壊して中身を取り出すんだそうだ」
「え、じゃあ、その砂型って一回しか使えないんですか?」
「ああ、だからまず砂型を整形する型があって、その都度それで砂型を造るらしい」
「なるほど、型で型を作るのか……。手間がすごいな。なるほどそういうふうに初めから考えておかないとたくさん造るってことはできないのか……」
「幸い、我々は全くゼロからモノを作れって言われているわけじゃない。要するにこれと同じモノをたくさん作れ、と言われているわけだ。ならやる作業としては、コイツを造っているすべての部品を大量に造れるように、設備機械を整える、ってことでいいんだろ」
「ああ、だがその中身で、我々がすでに手持ちで持っている設備、経験、知識、技術ではまったく不十分だってことが大問題なんだ。部品の設計図を起こせば終わりじゃなくて、部品毎の製造設備や造形型からまず設計図を起こさないといけない」
「設計の負荷がとんでもないな」
「型で作ったモノを合わせていくってことは、現場で現物合わせしながら加工するってわけにはいきませんもんね。部品がピッタリにならなかったら、まず型の図面から修正していかなきゃいけないし、そもそも図面通りになっているかどうか型の寸法精度を厳密に管理しなきゃいけない」
「そっか切削加工だったら、図面通りの寸法じゃ無くても現物がピッタリ合えば問題無しで済ませられたのか。それじゃあ、完成品に品質のバラツキが出るのは当たり前だったんだ。だけど現物の寸法のチェックって実際はすごく面倒ですよ。温度とかで変わっちゃうことが多いし。だいたい、そうなると設計段階の図面上で、プラスマイナスでどれくらいの誤差なら認めるっていう記述が必要ってことでしょ、図面起こしの段階から相当入念にいろんなことを実験しておかないといけませんよ」
「うわぁ、そういうことか。まいったな。ってことはあれか、部品図も造形型図も、試作図と量産用は別ってことになるじゃないか」
「マジありえねぇ……図面起こしだけで死ぬ……」
「昔は楽だったな……。部品の完成図を職人さんに渡して、この通りに作ってね、で終わりだったもんなのに。量産なんてくそ食らえだ」
「いや、それじゃまだ予想としては甘い。まあ、我々のその一品料理式の経験でもな、一通り出来た、ってなってもその完成品が一発でオーケーが出るなんてことは奇跡でも起きない限りありえない。当然、その都度出てくる中間生成品の完成度を確かめながら、図面を直したり工程を見直したり、製造設備を改良したりせんといかん。そのすべての段階での仕事が数倍に増える、ってことはまあ計算しないとダメだろうな」
「おい、これって部品いくつぐらいから出来てるんだ? まあ大きくてもエンジンであることには変わりないから桁違いな数ではないだろうが」
「このエンジン、我々の設計するものよりも一つの部品を構成しているピースは多いですよ。おそらくさっき話した量産対応のせいでしょうけど。部品全体の形状維持の強度や位置決めは鋳物部品、精密さや耐久性を求められる部分は鍛造品にして両方をくっつける、みたいなことをあちこちでやってるみたいだから。ですんで、直感で言えば我々の常識的な数字が千ぐらいだとしたら、その四倍ぐらい、四千ぐらいにはなるんじゃないかと」
「部品そのもの、工作機械、製鉄と精錬設備、さらに言えば、そいつらを動かす発電所とかも新たに造らないとどうしようもない……」
「となるとどっか一カ所に全部新たに造った方がいい、って感じですね」
「ああ、それに製図をやれる人間だって、仕事をこなしながらどんどん増やしていかないと増え続ける仕事に追いつかないぞ」
「今日本中にいる製図ができる人間全部集めたって、全然足りなさそうですもんね」
「しかし、そんな金、出せるんでしょうか?」
「それこそ我々の問題じゃ無いよ。言い出しっぺの殿下に初期費用でこれこれこれだけ掛かります、っていう予算書作って、後のことは殿下にお任せしようじゃないか。もっともあの人のことだから、どっかからホントに金集めてきそうな気はする……。そのかわり結果的に我々があちこちから恨みを買う、まあ、これぐらいは覚悟しておかないとダメだろうな」
「運営母体の組織は? 幕府内にそんな巨大な人員を抱えるなんてできないでしょ」
「まあ、普通に考えたら、陸海軍の工廠を合併させた新組織を立ち上げて、工廠の技術者をまず傘下に入れて駒として使えるようにする。その上で、民間も自由自在に巻き込めるようにそこからバンバン仕事を発注させて民間の技術者も手駒にする、そんな感じかな。どっちみち、発電とか砂型製作とか、工廠が今まで全く手がけてこなかった分野にまで手を出させるんだ。日本中の技術者全員結集、みたいな話にならざるをえん」
「佐藤さん、言うことがだんだん殿下っぽくなってきてません? 一役人の発言には聞こえませんって、ゼッタイ」
「仕方ないだろ、上がああいう人なんだから。俺のせいじゃない」
「あ~あ、せっかく安定的な公務員で、落ち着いた仕事ができると思っていたのに、これじゃ、完全にアテがはずれたな。これじゃ今年こそ結婚ってのも無理っぽいなぁ」
「ま、そうかもな。そんなこと気にすんなって。人生なんとかなるもんだ」
「佐藤さん、ご家族は?」
「いやあ、これがいろいろと今まで忙しくてな。それにほら、お前も知ってる通り、大学にしても、研究所にしても、機械工学分野なんて男ばっかしだからな。女性なんて滅多に見ないし」
「ひょっとして、お一人様ですか」
「まあ、そういうことだ。気楽でいいぞ。一人は、何も気にせず、仕事に没頭できるからな」
「佐藤さん、この間四十になったとかなんとかって言ってたよな……。俺の人生、終わったな……」
こうして日本初の本格大量生産型エンジンとなる轟エンジンは多くの男達のささやかな夢を跡形も無く踏み潰して誕生することになるのであった。