賽の河原
緑色の錆びが、浸食する部屋の中で、
ただ、過去だけが、時間を止める。
柱時計は動かない。
おうい、兄さんよ、包帯を取ってくれ、座敷牢の弟が、叫んで、嗤っている。
おかしいのは弟じゃない。私なのだ。
私の罪が、罰が、家族を殺し、この家を、一人きりで、
血まみれの藁人形を守って生きる屍人なのだ。
迷い道は、人生。
何という曲がりくねった路、迷い道だろう。
僕の前に道はない。
僕の後ろに道は出来る。
高村光太郎は、そう詠った。
哀れな雛鳥、唄を忘れてさ迷い歩く。
鴨居にろくろ首。枕返しの門番。
おもちゃ箱を逆さにしたら、硝子細工と、大漁の鈴、
あの路地裏では、シャボン玉が、泡沫の様に。
夏の小径は、不思議な古道。
赤、青、黄色の風車を持って子供達が駆け抜けてゆく。
おはじきやビー玉が転がり、風が暖簾をはためかせる。
揺れる氷屋の暖簾と、店の中のあぶくを吐く金魚。
遠い処から来なすったね、と何処か遠い老婆の聲が聞こえる。
まるで、過去の世に来たように。
賽の河原で堕としたお守り袋を探すために、三途の川を渡ります。
祖母が息を吹きかけ磨いた水晶玉。お百度参りの念の籠った、大切な形見です。
三度めの月が、満月になるころ、人魚になって、水晶玉を常世の國へ返しに参ります。
人であることを辞めてしまった私の還る場所は、あの蔵の裏の川しかないのです。
懐かしき調べよ。おまへは何処へ行く。
鈍い音を立てて、日本人形が、髪の毛を振り乱し、おぎゃあおぎゃあと啼いている。
白無垢、純白、真砂、赤に染まりし、手袋の先。
ゆめゆめ忘れなさるな。水子の子に恨まれるな。
置いてゆくな、腹の子の臍の緒。
呪文を唱えて、禍福は糾える縄の如し。
狂い咲き。櫻の夢見し、秋の夜長。
肌襦袢姿の、見知らぬ女が、容赦なく首を絞めてきて、
奈落の底へ堕ちてゆく夢。
恋した男は、何時かの外灯の下で。
秋には春が恋しくなります。
季節はいつだって、思い出の向こう。
蛇が窓の外から睨みつけてきます。夜は藪から棒。
暗闇は、我らが友人。友よ、とこしえの眠りを、今宵も。黒猫が、鴉が、閨を探して鳴いている。
電気信号、パルスが、電線を伝って、誰もゐない空き家に届いている。
あの中には、光る遺体があって、奇妙に眼だけ光ってるんだ。
そんな、琥珀蝶のような、夢を見る、午後十二時半の踊り子。
いにしへの縁、夢の中でも、逢えたなら。
黒揚羽がいっせいに飛び立って、蜜壺の中の蜜田螺は静かに泡を吐いている。
世の中はえにしで廻っている、柱時計は静かに言う。
光るオキアミとホタルイカを、いっせいに網の中に入れると夜の筏を漕ぐ。
季節外れの櫻の花びらが花筏を創って常世の國へと舵を漕ぐ。
夢の後先。
先生、眠りについてしまわれたのですか?
まだ、闇は起きてますよ。
醤油蔵、味噌蔵、黒い家々に囲まれた裏路地を、黙って。
空は、曇天。
俄かに、雨。
アメフラシ、行く。
燐寸の、緑色の燐光。
宵も、忘れて、雨踊る。
貴方は、誰?
迷い子の、イニシアチブ。
紅い糸を、小指に絡めて、通りゃんせ。