前の世界-月明かりの庭園にて
プロローグ的な話になります。
お付き合いください。
薄暗く湿った街で一人の男がうな垂れながらゆっくりと歩いている。
地面にはどこからか溢れ出した汚れた水が満ち、一歩、また一歩と……歩く度に足首まで濡らし、汚していく。
濃い霧のかかった街中をボロボロの薄汚れた茶色いコートと革靴、スーツを思わせるような出で立ちの男が何も言わずに歩いていく。
両手には襲い来る魔物を切り裂き屠るのに用いた禍々しいノコギリ状の武器がそれぞれ握られていた。
黙々と歩き続けて辿り着いた場所は、月明かりが美しく色とりどりの花が咲き誇る庭園。
先程までの汚水と魔物の血で穢れた街とはまるで別世界のその空間の中央に……不自然なほど当たり前に置かれた揺り椅子の揺られながら……一人の老人が男を待っていた。
「約束を果たしに来たぞ……」
疲れや乾きで掠れ切った声で男は老人に向けて言葉を紡ぐ。
血で汚れた武器を握り締め直し……背筋を伸ばし、胸を張って老人に刃を向ける。
「君は優秀な戦士であった…… 数多の魔物を屠り、狂った人間を殺し尽くし…… 獣と血と狂気に満ちた世界に静寂をもたらした……」
刃を向けられた老人は男を見詰めながらゆっくりと言葉を紡いでいく、老人特有の掠れた声には男に対する称賛と、感謝と……憐れみに満ちていた。
「それなのにまだ……何を求める? 君はこの世界に……なんだったか?」
老人はゆるゆると腰を上げ、傍らにある杖を手にして立ち上がった。
男が着ているボロボロの茶色いコート…スーツの様な出で立ち、それら全てが新品であったのなら、今の老人が着ている服と同じような外見をしていただろう。
立ち上がり、一瞬だけ姿勢を正すように足に力を込めて、何かを思い出そうとこめかみを指で数回叩く。
「そう、エンディングだ…… 君の言葉ではそうだったね? それを求めに来た…… 違うかな?」
違わない、そう答えるように男は頷き……老人との距離を詰めていく。
目には明確な殺意を、その武器の次の獲物は目の前の老人であると宣言するように歩みを早めて……!
「魔物は全て消え失せた……君は誰もが辿り着く事ができなかった獣の王の喉笛を食い千切り、この世界を救った……!違うかッ!?」
先程までは落ち着き払っていた老人の声に激情が混じる……!
目の前まで迫った男の武器が勢いよく振り下ろされ、老人の眼前に迫る……刹那ッ!
「安心しなさい、君は英雄だ……大丈夫だ……だからもう……解放されるべきなんだ……ッ!!」
老人は男の刃を難なく受け止め、打ち払う。
体格的には一回り老人の方が小さく、男の力に到底太刀打ちできるとは思えないほど細く…枯れ枝の様な腕を振るった瞬間……銀色の光が男に迫
る。
「それはこっちの台詞だッ! あんたはいつまでここにいたッ!?ずっと……ずっと!!終わらない夜を一人で耐え……ッ!!」
銀色の光の正体は老人の持つ杖だった。杖本体と言うよりは、杖から伸びた蛇腹状の刃に月明かりが反射したのが真相だった。刃を紙一重で避け、バックステップの勢いをあまり後転にまで派生させる。
老人の言葉に男も声に感情を交えながら言い返す。
「この世界に来て……貴方も同じなんだと気付いた……! 私と同じ! 転移して来て……成し遂げられなくて……! 囚われたままの……ッ!!」
会話はそこで終わった……男と老人は己の武器を振るい、月明かりと花びらを撒き散らしながらぶつかり合う……!
「おぉぉおおぉおッ!!!!」
どちらとも思えぬ渾身の一撃を相手へと繰り出すための叫び……月夜に照らされた庭園に銀色の光が広がっていく……。