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とある日常

作者: kimera

 ファミレスの窓から、どんよりと曇った空を眺めていた。

 今日は5月7日の月曜日。繁華街から少し離れたところにある、昼過ぎのファミレスの店内には、連休明けの影響か、疲れた顔をしたスーツ姿が多い。灰色の分厚い雲に覆われた空の空気が、店内にも入り込んできているかのようだった。僕たちのような、学校帰りの学生の姿は少ない。おそらくみんな、繁華街のほうに出ているのだろう。

「何見てんだ?」

 隣に座っていた優斗が、いぶかしげに訪ねてくる。いけない、わけもなくぼんやりと思考を飛ばしてしまうのは、僕の悪い癖だ。僕が「なんでもないよ」と答えるより早く、優斗は窓の外に目を向けて、少し顔をゆがめた。

「げ、雨降ってきそうじゃん」

「うわ、ほんとだ。朝の天気予報じゃ言ってなかったのに……。傘もってきてないよ」

 優斗の声に応じて、僕の斜め前、つまり優斗の正面に座っていた彼女がそう声を上げる。店内の光の影響か、ぼんやりと茶色がかって見える肩口で切りそろえられた髪、少し不快そうなその横顔に、思わず視線が吸い込まれそうになる。

 ぼんやりと彼女を眺めていると、彼女はふと窓から視線を切って顔を正面に戻す。その顔には先ほどまでの表情はなく、ただただ無邪気な笑みがあった。

「そういえば、この間ね――」

 そうしてまた、いつものように彼女が話し出す。優斗が話の合間合間につっこみをいれ、僕が小さく相槌を打つ。毒にも薬にもならない、くだらない話。高校2年の去年、彼女と優斗が付き合い始めてから、何度も何度も、飽きるほど繰り返されてきたいつもの会話。これからいつでも、いつまでもこんな関係が続いていけたらいいなんて、そんことを思う。

 でも、永遠に続くものなんてない――なんて、大げさな物言いだけど、きっとこの日常がいつまでも続くことなんてないのだろう。僕たちは高校3年で、そろそろ進路に悩み始める頃合いだ。

 だからってどうしようもない。僕は彼女の話の切れ間を狙って、口を開いた。

「何か食べようか。おなか、空かない?」

 そういってメニューを差し出すと、彼女は少し考えた後、「うん」と小さく微笑んだ。その笑顔を見て、ああ、と心の内で今更なことを思う。

 僕はやっぱり、彼女のことが好きなんだ。


 僕が彼女のことを思うたび、思い出すのは夕日に染まった屋上だった。

 あれは確か、高校2年の秋だった。放課後、クラスの女の子から呼び出された優斗に付き添って、僕はその場で、彼女に見惚れていた。

 ああ、でもしかし、その時の彼女の表情がいつも思い出せない。斜陽が彼女の後背から後光のように差し込み、その表情をシルエットのように隠している。あの時見えていたものが、今はもう記憶から薄れてしまった。

 あの時彼女は、どんな表情を浮かべていたのだろうか。羞恥だったか、安堵だったか、喜びだったか。一つだけ言えるとするならば、そこに負の感情はなかったであろうということだけだ。

 予定調和のようなものだった。彼女はあらゆる方法で、優斗の心の内を探り、あらゆる予防線を張り、そして大丈夫だという確信を得た後に、告白という最終段階に出たのだ。おそらく優斗も、彼女に告白されることはある程度分かっていたに違いない。

 そんな彼女を、卑怯だとは思わない。自分の保身を最低限行うのは当然だし、それに、きっと優斗もそのほうがありがたかっただろう。むき出しの心っていうのは怖い。傷つきやすい分、ぶつけるほうも、ぶつけられるほうも。

 だから、彼女が優斗に告白することも、それを優斗が受け入れることも、決まり切っていたことだったんだ。

 そして、僕が彼女を好きになってしまうことも――はたして初めから決まり切っていたことだったんだろうか。


 ファミレスを出た僕らを出迎えたのは、土砂降りの雨だった。まるで僕らが出てくるのを待っていたかのように降り始めたそれに、僕らは思わず顔を見合わせたが、今更店内に戻るのもなんだか恰好がつかない。仕方なく僕らは、小走りで一番近い僕の家に向かった。

「はいこれタオル。靴下は適当に脱いでくれていいよ」

 雨に濡れたせいで、少々目に毒な彼女を極力視界に入れないようにしながら、僕は2枚のタオルを放る。それを危うげなくキャッチしながら、優斗はぐるりとあたりを見回した。

「ここがお前の家か。独り暮らしなんだろ」

「そうだよ。高校入学のすぐ後に、親の転勤が決まって家族は引っ越し。俺は高校卒業までこっちで一人暮らし」

 そういいながら、僕は風呂場にお湯を張っていく。シャワーでも良かったかと、湯船の半分ほどにお湯を張ってから気づいたが、まあいいだろう。体をしっかりと温められるという意味では、こっちのほうがいいはずだ。

「あー、そこまでしてもらわなくてもいいよ」

 僕の行動に気付いた優斗が、申し訳なさそうに言う声が背中に届いたが、僕は風呂場から顔だけ出して首を振った。

 「すぐに出るにせよ、少しここにいるにせよ、二人が家に着くまで結構かかるだろ?濡れた格好のままじゃ風邪ひくぞ」

「……わりいな」

「いいよ、気にすんな」

 軽く応じて、同時に顔を彼女にむける。反射的に目線が泳ぎそうになるのをこらえた。

「だから、無理にとは言わないけど、あー……」

 僕の煮え切らない声に、彼女は髪を拭いていた手を止めて少し首をを傾げた後、ちょっと笑った。

「うん、お風呂借りさせてもらうね。ありがと」

「いや、いいよ。すぐそこに洗濯機があるから、服は放り込んどいて。たぶんすぐ乾くと思う」

 そういいながら、風呂場に引っ込む途中、気が早いことにすでに服を脱ぎだしている優斗の姿が目に映った。

「お前、気が早すぎだろう。てか、彼女から先に入らせてやるのが男ってもんだろ」

 冗談交じりにそう言いつつ、風呂場の温度調整を再開する。少し熱いかと思い、水を出そうと思った瞬間、彼女が放った言葉を脳が理解するのを放棄した。

「長い間使うのも悪いし、私と優斗は一緒に入るよ」

「……うぇ!?」

 いかん、変な声が出た。同時に水も入れすぎた。とりあえず少しぬるめになってしまったお湯を張り終えてから、風呂場から出た。「いま、なんて?」

「あー、やっぱ変だよな」

 照れたように頭をかく優斗と、小首をかしげる彼女を見て、思わず吹き出しそうになった。仲良すぎだろ。

「なんでもないよ。お湯わいたから、入っていいよ――っ」

 思わず語尾が裏返りそうになるのをこらえて、即座に背を向ける。早くも制服を脱ぎだそうとしていた彼女の、ほっそりとした色白の肌が、網膜に焼付いた。

 まったく、何を試されているんだか。


 文明の発達というのは素晴らしい。普段から文明の利器にお世話になっておいて今更な身であるが、今日ほどそれを実感した日がいまだかつてあっただろうか。いやない。

 妙に火照った頭を2、3度降ることで覚ましつつ、僕はぼんやりと天井を見上げた。背中を預けた洗濯機が放つ振動がどこか心地よい。

 今背中で稼働している洗濯機の中で、彼女の衣服が洗われているのだと思うと、赤面どころの騒ぎではないのだが、なんだかいろいろと麻痺している感が否めない。

 だがまあ、この洗濯機が自動で乾かしてくれる機能付きで助かった。もし、彼女の衣類を干さなければならなかったとしたら、なんかもう、いろいろと、やばい。

「ねえ、起きてるー?寝てない?」

「……寝てないよ」

 現実逃避に走りかけた僕の思考を、少しくぐもった彼女の声が引き戻す。そう、現実――というか現在、僕は風呂場の前に座り込んでいた。言うまでもないが、彼女と優斗は風呂場の中。どんな罰ゲームだ。

 別に、僕が望んでここにいるわけではない。風呂場から足早に去ろうとした僕に、彼女が「ここでお話ししようよー」と無邪気に言い放ったせいだ。さすがに優斗も一瞬固まっていたが、別に拒否する理由を思いつくわけでもなかったため、僕はこの場にいる。あそこで必死に抵抗でもしようものなら、僕に下心があることを告白するようなもんだ。

「服、乾きそう?」

「うん、あと少し。だからもうちょっと入ってて」

「はーい」

 僕が彼女のことを好きなのは、間違いない。でも、この始まった時にはすでに終わっていた感情を、恋と呼んでもいいのだろうか。

 恋っていうのは、もっと熱くてドロドロしたものを指す言葉のような気がする。具体的に言ってしまえば、彼女を優斗から奪おうとかそういうやつ。

 もちろんそんなこと、できるはずもない。僕は今の、3人の関係性が気に入っているのだ。それに、仮に僕がそんなことをしようとしたところで、できる可能性は言うまでもなく皆無だし、彼女には嫌われること請け合いである。僕はまだ、彼女に嫌われたくない。

 恋愛感情よりも保身が先に来るあたり、僕の小物っぷりが分かるところだが、でもしかし、ちょっと待ってほしい。そもそもあのラブラブカップルを引き裂こうというのが、土台無理な話なのだ。僕には今の立ち位置でも、できすぎなくらいだ。

 ――でも、そんな版れる要素なんて見当たらない2人でも、いつまでも関係が続くとは限らない。同じ大学に通うつもりだ、といつか優斗から聞いた気がするが、それだって2人の仲の良さを裏付けるエピソードだと、安易に思えない僕がいた。

 同じ場所にいて、関係性を続けさせようということは、同じ場所にいないと関係が続かない可能性があるということだと、僕は思う。そして、いくら頑張ってみたところで、いつもいつでも一緒なんてありえないのだ。

 いつか、2人が離れてしまうときが来るのだろうか。2人が、1人とひとりになって、まるでお互いのことを忘れたように過ごす日が来るのだろうか。

 他人事なのに、それがとても怖いと感じている僕がいる。僕は思わず、膝を抱くように座り込んだ。

 ふと、意識を現実に戻すと、楽しそうに笑う彼女と、少し困ったような優斗の声がする。

「優斗、狭いって。もっとそっち寄ってよ」

「いやいや、俺のが狭いって。てか、こっち寄りすぎだろ」

「そんなことないって」

「いや、寄ってきてるだろ、お前!?ちょっ……」

「あはは」

 2人のやり取りを聞いて、僕は思わず声をあげて笑った。

 この先、2人がどうなるかわからない。わからないけれども、今2人がうまくいってて、それを僕が楽しめている。それでけで、十分幸せってやつだ。

 だってそうじゃないか。自分ではどうしようもないことで、悩んだりするのは愚かだ。どうしようもないことは、あきらめるのが一番じゃないか。


「嵐のような1日だった……」

 すっかり晴れた空をベランダから眺めて、僕はぽつりとそうこぼした。

 優斗たちはすでに帰っていた。実をいうと、優斗たちが風呂からあげるときに、また一悶着あったりしたのだが、まあそれは、僕の記憶の隅にひっそりと封印しておく。

 刺激的な1日だった。平凡で凡庸な僕には刺激的すぎて、いろいろとどうしようもないことを考えてしまうような、そんな1日だった。

 僕のこと。優斗のこと。彼女のこと。いろいろと考えて、その挙句の結論が現状維持でしかないのは、少々情けない話だ。

 去り際に、彼女が言ったセリフがふと頭に残った。

「また明日……か」

 ずいぶんと簡単に言ってくれる。僕は少し苦笑した。

 同じ日なんて2度と来ない。ちょっとずつ明日は変わっていって、いつか僕にも、彼女と会うことのない明日が来るのだろう。きっとそれを僕は悲しく感じて、でもどうしようもないから、こんな風に苦笑いで見つめるしかないんだろうな。

 でもそれでいい。これが分相応ってやつだ。僕の願いはそんなに難しくなくていい。

 願わくば、別れの明日が来るその日まで、彼女が笑顔でありますように。

 そんな願いを、僕は夕空に浮かぶ一番星に、そっと願うのだ。

 

 

どうにかなることより、どうにもならないことの方が、多い世の中だ


どうもkimeraと申します。ここまで読んでくださったあなたに、最大の感謝を

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