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作者: 八木橋けい

 愛知県豊田市は、実り豊かな豊穣の地だ。名鉄豊田市駅の周辺も、今はマクドナルドも松坂屋もある繁華街だが、かつて例外なく荒れ野原であった頃の名残なのか、行き場を失った小鳥たちが街路樹に群がって押し合いへし合い、夜の街を騒がしくしている。夏ともなればあちこちから蝉も加わって、一帯は大変な喧騒になる。眠ることも知らず鳴き続けるのは、鳥や虫たちだけではない。客引き、暴走族、酔っぱらい、夜の盛り場は音の出所に不自由しない。風船みたいに急に膨らんでできた町だからこそ度量の大きさも人一倍で、きれいなものも汚いものも、新しいものも古いものも、どこからともなく一緒くたになってやってきて、さも昔からの隣人のようにそこに収まっている。かつて挙母(ころも)藩の城下町だった面影はどこにもない。動いていないように見える地面の上さえ、栄枯盛衰はこんなにも激しい。

 そんな街にぼくは生まれた。両親が付けてくれた大輔という名は、昭和五十九年の名前ランキングでめでたく首位の座を獲得した。名字の梅村も平凡極まりないもので、ご近所にも小学校にも同姓が何人もいた。尾張の武家に由来していて、日本でも特に三河に多いと聞くけれど、本当のところはよく知らない。村の随所に梅の木があるわけでもない。菅原道真との因縁はもっと想像できない。何にせよ梅の花咲く村か、そうでなければ低湿地を埋め立てたウメ村に生まれた誰かが功名を立てて、子孫が栄えて、この町を梅村さんだらけにしてしまったのだろう。そういう意味では、どこかトヨタに似た名前だとも思う。

 昔から飽きっぽい性格で、初めましてをいった翌日には、もうさよならのことを考えているような人間だった。部活もバイトも習い事も、一年と続けたことがない。そんなぼくが唯一、死ぬまで、いや死んでも一緒にいたいと思った人がきみだった。平凡な顔と性格をした、どこにでもいるような名前の人。それでもぼくの中では、きみの存在と名前はずっと特別だった。どうしてかと聞かれても困るけれど、初恋の人とか忘れられない友達とか、そういう人が誰にだっているだろう。ぼくも人並みにそういう人を見つけたということ。満天の星空の中に、ひときわ輝く一等星を見つけたということ。

 就職した翌年に結婚をして、二人でアパート暮らしを始めた。三十歳くらいになったら家を買いたいねと、無邪気に話し合ったりして。結局その夢は叶っていないし、子どもも出来なかったけれど、毎日それなりに幸せだった。大きな事件といえば、数年に一度、きみがインフルエンザにかかるくらい。あとは少しの昇進と昇給。それからだんだん増えていくぬいぐるみ。きみの誕生日に、毎年ぼくが買ってあげたものだ。そんな何でもない日常を積み重ねながら、ぼくたちは三十年足らずの人生を生きてきた。

 ある日の帰り道、歩き疲れてふと夜空を見上げたら、市街の照明にぼかされた星々がうっすらと見えた。その中でも何とか目に見える程度のものをたどっていると、それを線でつなごうとした昔の人の心持ちがよくわかるような気がした。目の動きは自然と空に絵を描く。名のない星座が、頭の中にいくつもできる。永久に、誰にも知られずに終わった星座の候補が、何百億人という頭の中に、何千億個とあったのかもしれない。そんなぼくの詩に、果たしてきみからはどんな反応が返ってくるだろう。いつか話そうと思って話せないままだ。でも話したところで、また難しいこと考えてるねと、ちょっと困った顔で笑われるだけかもしれない。


 同じ村に生まれたわけではないけれど、きみの名前も梅村だった。だから下の名前で呼び合う関係になれた。いつしかよく一緒にいるようになって、付き合うのも、永遠の愛を誓うのも自然の成り行きだった。そして結婚する時もお別れするときも、どちらの名字も変わらなかったから、ぼくらはぼくらのままで夫婦になって、またぼくらのままで他人になった。

 今までで一番の思い出を挙げろといわれても困るけれど、三つくらいにまでなら絞ることができる。そのうちのひとつはごく最近のものだ。

 きみの村には素朴な夏祭りがあったのに、ぼくの在所では廃れてしまっていて、さあ遊びに行こうとなった時に、他の村の祭りに出向くのは何となく気が引けて、自然と二人で出かけるのはおいでんまつりになった。ダンス・パレードと花火が主役で、にぎやかで、部外者でも気ままに入り込める雰囲気は、新しい町によく似合っていた。

 御霊会から発達した豊橋の祇園祭とか、例の三英傑もご出陣される名古屋まつりとか、愛知には大きなお祭りがいろいろある。おいでんまつりもそれらに負けず劣らず、ほぼ全国区の知名度といっていいかもしれない。中でも最終日、矢作川河畔で打ち上げられる花火が有名で、花火大会のランキングでは毎回上位に入っている。他県からもたくさんの人が見に来る大きな催しで、その分、招かれざる客もたくさん来るわけだった。

 その年はその手の人たちがご苦労なことに関西のほうから出張してきて、駐車場には黒のセダンがずらりと並んだ。祭りを潰しに来たらしい。誰が来ようが人は踊るし花火は上がるから問題ないのだけれど、結婚して八年目のぼくらは夫婦そろってかなりびびった。警察の人たちもずらっと並んで守りを固めて、さだめし戦国時代の合戦のような雰囲気だった。ぼくらはそんな戦場からはできるだけ離れようとしていたのに、たぶん間が悪かったんだろう。暴走族かどうかは知らないけれど、金髪革ジャンの兄ちゃん同士が喧嘩しているところに行き合わせた。後ろの人にぶつかられてよろけたきみは、兄ちゃんの体にまともにかき氷をひっかけた。

 飛び散るいちごのシロップが、ゆっくり落下していくあの光景が、ぼくは今でも忘れられない。

 きみが悪いわけでは全然ない。でも相手も頭に血がのぼっていたんだろう、手にしたナイフみたいなものをきみに向かって振り下ろした。その時は必死で何も考えていなかったけれど、あとから考えると、きみのためなら死んでもいいと思っていた。間に割って入ったぼくの体がそれを受けた。愛の形といえばぬいぐるみくらいしかあげられなかったぼくが、初めて愛らしい愛を見せた瞬間だったと思う。喧騒と人の波と電飾の明かりがめまぐるしく渦を巻いて、ぼくの頭を混乱させた。それからは少し記憶が抜けている。あとできみはぼくにいってくれた。今までで一番かっこよかったよって。これが一番なら、普段のぼくはどれだけかっこ悪かったんだよって話になるけれど。

 そんな事件があった後も、ぼくたちの日常にそう大きな変化はなかった。結婚生活が終わってしまっても、きみは相変わらず仕事を頑張っていたし、ぼくもできる限りきみのそばにいたから。でも、それも長くは続かなかった。

 きみはいなくなってしまった。何の書き置きも残さずに、居場所のないぼくを置き去りにして。ぼくと別れて間もない夏のことだった。そして、再びその季節がめぐってこようとしている今でもまだ、ぼくはきみを見つけられずにいる。いなくなってしまったきみの行方を、ぼくはまだ探している。


   *


 山のふもとの村で――子どもの少ない、打ち捨てられた土地ばかりむやみに多い、さびれたところで、ぼくは生まれた。小字はトヲモといった。豊田の村には日面(ひおもて)だの日陰だの、稲作に関係した地名ばかり多い。どうやらこれもその一つだ。根をわざわざ根っこというのと同じように、田のことをタというだけだと短くて座りが悪いから、田の表面を指すタヅラとかタノモとかいう言葉がかつてはよく使われたそうだ。タノモがタオモやトウモと発音を変えていって、しまいにはもとの意味がわからなくなってしまったらしい。この土地を開拓し始めた時代、唯一の耕作地をそう呼んだのだと思う。生まれた土地の名前からして、そう恵まれてはいなかった。ぼくの家がああいうことになってしまったのも、仕方のないことだったのかもしれない。

 父はいわゆる新しい人間で、古い風習を嬉々として捨てていくような人だった。村の祭りには見向きもしないどころかあからさまに軽蔑していたし、お盆や正月にあった行事や決まりごとも経済的でないと見るや否やすぐ廃止。家に年神様が訪れることも、おなかをすかせた餓鬼たちが寄ってくることもなくなってしまった。そしてそんなことを、まるで自分の武勇伝ででもあるかのように話すのだった。

 父は、ぼくと祖父母が関わるのもよく思わなかったようだ。父にとっての実の両親でありながら、因習に縛られた古い人間としか見ることができなかったらしい。ぼくは四六時中ベビーシッターか託児所かに預けられていて、少し大きくなってからは幼稚園に通わされたので、家で遊んだ記憶がほとんどない。まして、近所の人とのかかわりもほとんどない。知っているのは名字がみんな梅村だということくらい。だれがどこの畑を持っていて、だれがあの菊を、だれがあのスイカを作っていたのか、何も知らずじまいだ。

 就職を機に1Kの部屋を借りて、家を出た。

 きみと二人で暮らしているうちに父も母も亡くなって、人のいなくなった家は荒れ放題だった。窓ガラスが割れ、ツタが伸び、蛇やとかげが天井を這い回っている。代わりに毎年やってきていた燕が来なくなって、空っぽの巣だけが軒下にぶら下がっている。大切なものが失われると途端に朽ちてしまうのは、人の身体も家も同じらしい。それが以前人の住む家であったことを疑うくらい、驚くほどの速度で、ぼくの家は腐ってしまった。

 そんなわけで、ぼくには帰る家がない。といって、行くところもない。繁華街の中にも田園地帯にも、自分の居場所がないことはよくわかっている。ぼくは当てもなくふらふらと、いなくなってしまったきみを探すばかり。きみはどうしていなくなってしまったのだろう。きみには、行くところも帰るところもあったはずなのに。

 ぼくが今でもこの町にいるのは、きっときみのせいだ。きみにもう一度会いたいばかりに、いつまでもこんな所でぐずぐずしている。


 ぼくと別れて以来、実家から車で職場に通っていたきみは、ある日突然消えてしまった。深夜十一時ごろまで残業をして、それから元気よく会社を出たことまでは同僚の人が覚えている。けれどきみはその日、家に帰らなかった。翌朝、心配した家の人が会社に連絡を入れ、さらにほうぼうに電話をかけて、きみが本当に行方不明になってしまったことがわかった。捜索願が出された。事件かもしれないし事故かもしれなかった。警察の人が捜査を始めた。

 ぼくだってじっとしてはいられない。心当たりの場所は全部当たってみた。きみが好きだった五平餅のお店、駅近くの科学館、美術館、よく行った喫茶店、知り合いの家。どこにもいない。途方に暮れて夜の町を歩くぼくを見下すように、街路樹の小鳥がぴいぴいぴいぴい、あるいはちよちよちよちよ、群れて飛び回ってはうるさく鳴いた。歩道いちめんに白い糞がこびりついていた。何という名前の鳥かは知らない。仲間どうし、寝床の取り合いでもしているのか。それとも人間みたいに、昼間の労をねぎらって騒いでいるのか。どちらでもいいけれど、ぼくには腹立たしかった。

 きみとの思い出の場所を、全部探し終わってから気づいた。ぼくの思い出の中のきみは、きみの半分ですらなかったんだと。


 一緒にいた時は、これ以上ないくらい幸せな時間を過ごしていると思っていた。それなのに、いざ別れたあとは何もできなかった。もっといろいろな時間を共有したかったと思う。ましてぼくは、ぼくと出会う前のきみのことを、いや、ぼくと出会ってからのきみのことさえ、ほとんど知ってはいなかったのだから。

 きみの村は山奥で、つづら折りの道を何度も何度も曲がって登っていかなければ行けないような土地だった。こんな所にどうやって人が入り込んだのかと思うほど、周りに山しかない辺鄙な場所。切り開いたわずかな田の間に、瓦葺きの家がぽつりぽつりと佇んでいた。昔は星がよく見えたらしい。電柱と街灯が何本か立てられたせいで、その唯一のとりえもなくなってしまった。ただ物が乏しい分、人の心は豊かなようで、ぼくが訪ねた時はどの人も笑顔で迎えてくれたのを覚えている。

 そんな村の人でも、きみの両親はスーツを着て町に働きに出ていた。親が日中働いていて、子どもにかまう時間がないのはどこでも同じ。違うのは、その子どもの世話を誰がするのかということだけ。ぼくの場合は保母さんで、きみの場合はおじいさんであり、おばあさんであり、家の周りの花や虫たちだった。小さい頃から家でたくさんの時間を過ごして、おばあさんにいろんな話を聞かせてもらっていたものだから、きみは根っからのおばあちゃん子に育ってしまった。

 それが、きみとぼくの違うところ。ぼくの人生には、ついぞなかったこと。

 きみの思い出話は、たとえそれがほんの断片だけであっても、ぼくにとってはいつも驚きだった。節分には焼いた髪の毛を割り箸にはさんで玄関に吊るしておくとか、「鬼の目はぴっしゃり、馬の目はぱっちり」とかいう唱えごとがあるとか。意味は分からないまでも、きみはそれを大人になってからもよく覚えていた。お盆になるとおばあさんに連れられて、むせるような日差しと熱風の中、山にオショロイさんなるものを迎えに行ったらしい。仏壇を掃除したり、施餓鬼供養の盆棚を準備したりというお手伝いもせっせとこなしたのは、おやつに食べる団子が何より楽しみだったから。何度誘われてもぼくが一度も行くことのなかった村の秋祭りでは、神輿行列に加わって、農民芸能の棒の手を披露する。祭りの最後に子どもたちだけで、青竹を石に打ち付けてぼろぼろにする奇習があって、それがきみにはいちばんの楽しみで。ほかにもまだ、ぼくに話し切れないものがたくさんあったろう。そんな思い出の中にきみの人生の半分以上があった。つまりいなくなったきみを見つけるために、ぼくが知らなければいけないことは星の数ほどもあったのだ。ぼくの詩を笑って聞いてくれたきみは、きみのほんの一部に過ぎない。ぼくはきみの中の明るい星を線でつないで、ただ自分好みの星座を作って見ていただけだった。


   *


 もう二度目の夏がやってこようとしている。七夕を終えたきみの村は、午後の淡い日差しの中で静かにまどろんでいた。白くかすむ山が四方を取り囲み、青々と茂った稲を見下ろしていて、どこの山からもアブラゼミの声が聞こえた。遠くで村の人が一人、大きな機械を背負って農薬をまいている。緑がどこまでも広がる中に、いくつかの家が、電柱が、ゴミ捨て場が、道路が途切れ途切れに見えていた。

 ノリゴイは、その道を進んでもっと山のほうに入ったところにある。住所にもなっているれっきとした地名だけれど、きみはその由来をずっと不思議がっていた。よくよく調べてみたら、これはノリコエがなまったもの、つまり乗り越える所、の意味らしい。山の中でも周りより低くて山越えに便利な場所、ということだ。実際の地形にもぴたりと当てはまるから、たぶん間違いない。乗るというのは、馬に乗るということだと思う。昔の山道はどこも狭くて急斜面だったから、ふつうは人の足で苦労して登らないといけなくて、馬に乗ってパカパカ越えられるところはきっと貴重だった。だから地名にもなったのではないか。何となくぼくはそう思っている。

 少し高台にあるお寺の境内で、住職の奥さんと近所の人が世間話を始めた。犬を連れたおじさんがやってきて、お堂の前で手を合わせる。黄土色をした柴犬はそれには無関心で、お堂の柱に向かって片足を上げていた。主のいない鉢植えに、鮮やかな色をした小さなアマガエルがはりついている。人一人では抱えきれないほど太い杉の木の幹に、蝉の抜け殻が大きな目をきょろつかせてぶら下がっている。何度も訪れた場所で、何の変化もない。きみの実家もいつも通り、立派な瓦屋根のいかめしい姿を、のどかな風景に溶け込ませていた。ただ、年々見放される土地が増えて、そうでなければ菊や野菜の畑に変わっていくことだけが、こんな辺鄙な村にも移ろいがあることを知らせてくれる。おととし定年を迎えたきみのお母さんが、庭先に出て洗濯物を取り込んでいるのを、ぼくはただ遠くからじっと眺めていた。背筋のしゃんと伸びた背の高い人で、年齢よりもずっと若く見える。思ったより元気そうで、ぼくはちょっとほっとした。

 日が傾き、ほこりっぽい風が吹き始めるころ、遊び終わった子どもが数人、連れ立って帰ってきた。どの子も我がもの顔で、手に持った遊び道具を誇らしげに掲げている。中の女の子が一人、ぼくを不思議そうな目で見つめた以外は、誰もぼくに気づかず通り過ぎていった。きみもこんなふうに遊んでいたんだろうな。そしてきっと、きみが子どもだった時代より、村の子どもの数はずっと減っている。

 蝉が鳴くのをあきらめ、家々の窓に明かりがともる。白い街灯からなるべく離れるようにして、下弦の月が浮かぶ夜空を見上げた。日を追うごとに月がしぼんで、星が明るくなってきていた。もうまた一月経つんだな、と実感させられる。月で暦を読んでいた時代と違って、カレンダーを見なければ日付さえわからないけれど、やっぱり月は律儀に形を変えていく。

「ほとんど満月だね」と、小さな顔を上げてつぶやいたきみの声を思い出す。このお寺の石段に腰かけて、二人で白く光る月を見上げていた。きみの実家に遊びに行かせてもらった日のこと。まだぼくたちは結婚もしていなかった。

「十六日くらいかな」月の形をよくよく見定めて、ぼくがつぶやいた。「今日、三日だよ」と、新暦で生活しているきみはきょとんとしていた。

 きみは「月が明るいと、星がよく見えないね」ともいった。行き所のない不満を押し隠すような言い方だった。きみはどっちも見たかったんだろうな。ぼくはちょっと呆れながらも、その時、月は天然の砂時計なんじゃないかと思った。月の光がこぼれて、それが星に入っていくんじゃないかって。だから月が大きいうちは、星がよく見えない。それを聞いたきみは、途端にくすくす笑い出した。鈴のような声が、夜のうつろな空間を満たして村に響いた。ぼくが黙りこむと、気を悪くさせたと思ったんだろう、きみは困った顔をして、ごめんなさいごめんなさいとつぶやいて、それでも笑いをこらえきれていなかった。ぼくだって気を悪くしたわけじゃない。むしろ困らせてしまったことが気の毒だった。それでもきみの存在は、どうしてもぼくを詩人にしてしまう。馬鹿げた詩をいくつも頭の中に描きながら、ぼくはきみの声を、一言も漏らすまいとして聞いていた。

「死んじゃったらお星さまになるって、ほんとかなあ」

 不安そうに口をすぼめたきみの顔が、その小さな声が、ふいによみがえる。人が死ぬと星になるというのは、幼い頃からよく聞く話で、ぼくも何となくそう思っていたところがあったから、ぼくは何気なく、本当に何気なく、そうなんじゃない? と答えた。きみは何といっただろう。そこまでは、もう記憶が心の奥深くまで入り込んでしまって、思い出すことができない。消えてしまったはずはないのに、あんなに大切に刻み込んだのに、と、無性に悔しくなる。

 そうだ。

 さびしいね、と、きみは困った顔をして笑ったんだ。


 また鳥だ。何を伝えようというのだろう、一匹がばたばたと羽を鳴らし、先の丸まった葉をぼくに向かって落としてきた。かさ、と微かな音を立てて葉は落ちて、そのままゆるい風に吹かれて転がっていく。日差しは強く、蒸し暑く、日曜日の駅前は顔をゆがめて歩く人で満ちていた。誰もぼくなんかには目もくれない。ティッシュ配りのおばさんも、ぼくだけには目もくれない。

「あ、またいる」無遠慮な声が耳に飛びこんできて、ぼくは現実に引き戻されるように立ち止まった。振り返ると、広場のベンチに座った男の子が、じっとこちらに視線を注いでいた。やわらかそうな髪が風にふわふわとなびいていた。手に持ったゲーム機はひっきりなしに爆撃音を立てている。常にくしゃみをしそうな顔は、年齢よりも幼く見える。父の弟、つまりぼくの叔父の、孫の玲我くんだった。

 何してるの、いつまでここにいるの、と、玲我くんは大声でぼくに聞いてくる。本当に子どもは正直だ。人を傷つけるかどうかにはお構いなく、自分のいいたいことだけをいう。そばを通りかかった会社員らしき人たちが玲我くんをじろじろ見た。ぼくは近づいていって隣に腰かけた。彼の質問には答えずに、逆に尋ねる。

「それおもしろい?」

 玲我くんはしばらくゲーム機に視線を落としたあと、ぼくの顔をじっと見つめて「うん、この主人公めっちゃ強い」と答えた。「やりたいんか?」

「いや、いいよ」

「でもねえ、じいじが遊んでくれんからつまらん。休みの日も全然おうちにおらん」

「仕事が忙しいのかな」ぼくはつぶやく。おじいさんの隆さんは堅実に会社勤めをした人で、確かもう六十を過ぎているけれど、退職はせず、まだどこかの子会社の重役を任されているはずだ。肌の黒い、大柄な、仕事のできる男という印象だった。週末返上で働いていそうな気がした。

 玲我くんはほおをふくらませて、ゲーム機のボタンをでたらめにいじった。また爆撃音がして主人公が墜落する。またぼくの顔を見つめる。どこか父に似た小さな鼻をさらに縮めて、今にもはくしょんといきそうな顔で、玲我くんはいった。「ねえ大輔くんから、じいじにいってよ。もっと遊んでって」

 どうしてぼくが、と思う。ぼくだって暇じゃない。暇どころか、きみを探すことだけで精一杯なのに。これ以上仕事を増やされても困ると思った。けれど、玲我くんは許してくれなかった。人通りの多い広場の真ん中で、ぼくの名前を呼び続け、非難を轟々と浴びせてくる。通行人の視線が集まってくる。仕方なくぼくは折れて、立ち上がった。

 玲我くんの家は市駅近くの住宅地にある、小ぎれいな一戸建てだった。実家を出た隆さんが懸命に働いて建てた家だ。ぼくもこんな家がほしかった、と思う。もう関係ないことだけど、やっぱり隆さんくらい働かないと家は建てられないのかと思って、今さらながら切なくなった。隆さんはちょうど家にいて、庭の物置を一人でがさごそ掻き回していた。

「じいじ何してんの」と玲我くんが尋ねる。「もう仕事終わった? 遊ぼう」

 隆さんは日に焼けた顔を孫に向けて、ちょっと困った顔をした。シャツには汗がにじみ、ズボンは土埃で汚れていた。「玲くん、じいじ、お昼食べに帰ってきただけだから。このあともやることがあってな。ちょっと待ってて、八月になったら、いくらでも遊んであげるから」

「八月ってまだまだじゃん。じゃあおいでんは? おいでんは? ねえねえ」

 文句と要求を垂れ続ける玲我くんを必死になだめすかして、隆さんは車に乗り込んだ。後部座席には古びた掃除機やら大工道具やら、よくわからないものをいろいろと詰め込んでいる。その隙間にぼくはこっそり身をひそめた。

 それに気づいた玲我くんが「大輔くん!」と叫ぶ。隆さんがえっと声を上げ、顔をひきつらせた。ぼくは口に人さし指をあて、玲我くんを黙らせる。約束は覚えてるから。じいじがまた遊んでくれるように、できるだけのことはするから。ぼくの意図が伝わったのか、玲我くんは口をつぐんだ。隆さんはそわそわしながらも、ぼくには気づかず車を発進させる。不満顔で庭にたたずむ玲我くんの姿が、うしろの窓からちらりと見えた。


 運転席の隆さんの顔は淡々としていて、その心の中まで読み取ることは難しかった。少したるんだ口元は、ずっと真一文字に結ばれていて、話し相手のいない時の隆さんはちょっと怖いなと思わせられた。ナビも使わず、道路標示も見ず、ほとんど無意識でやっているようにハンドルを切っている。どうやら通い慣れた場所らしい。玲我くんもおじいちゃん子だけど、隆さんのほうもそれに負けず劣らずのかわいがりぶりだったはずだ。孫と遊ぶのを断ってまで行くところってどこなのだろう。本当はぼくにも興味はあった。家族の中にいて気の休まることのなかったぼくにとって、叔父の隆さんは唯一親しみの持てる存在だったから。

 豊田の市街地を抜け、矢作川を渡り、国道301号線を南東に進んでいくと、見えてきたのは懐かしい風景だった。遠い稜線。打ち捨てられた草むらの田んぼ。隆さんは迷わず一軒の家の前に車を停め、ドアから降りて腰をさすりながら伸びをした。後部座席から道具をいくつか引っぱり出し、その家の中に入っていく。しばらくすると、物を移動させる音や掃除機の機械音が中から聞こえてきた。玄関にはごみと思われる家具、食器、雑誌の類が、尋常でない量のほこりをかぶって山と積まれている。黄ばんだ窓ガラスはあちこち割れている。表に並べられた鉢植えには雑草が生い茂り、もともと何が植えてあったのかも定かではない。昔の栄華の面影はどこにもなくて、ただ見捨てられたものに対する同情を誘うだけだ。これが、ぼくの生まれた家のなれの果てだった。

 村に人通りはほとんどない。あってもぼくに気づく人はいない。太陽が容赦なく白い光を注ぐ中、ぼくはまぶしさに目を細めつつ、家の前に突っ立って隆さんの作業を眺めていた。暗い陰になった窓の向こうに、時折隆さんの姿がちらりと見える。吐き出され続けるほこりが、その家がどれほど長い間放置されていたのかを物語っていた。

 隆さんは一体何をしているのか。掃除なんかして、またここを何かに使うつもりなんだろうか。あんなに立派な自分の家があるのに、子もいて孫もいるのに、今さら実家が恋しくなったんだろうか。案外そうかもしれない。ぼくと違って次男だった隆さんは、ここに住みたくても住めない人だったんだから。ぼくにはなかった楽しい思い出も、隆さんには沢山あるのかもしれない。きみのように。きみがおじいちゃんやおばあちゃんと過ごし、外で遅くまで遊んだような思い出が、沢山詰まっているのかもしれない。そう思うと、ちょっぴりの後悔が胸に浮かんだ。梅村の家をこんなふうにしてしまったのは、誰でもないぼくだったから。ぼくの家はぼくだけのものじゃなかった。そんなことに、今さらながら気づいたってわけだ。

 あるいは家と土地の権利は隆さんが持っているはずだから、売却の話が進んでいるのかもしれないと思った。何にせよ隆さんが好きなようにしてくれるのなら、悪いことはない。どうせぼくには用のない場所だ。もうここに帰ってくることもないのだ。

 ここにきみが来たことはなかった。連れてこなかったというほうが正しいけど。実家とも呼べない場所に、きみを連れてくる必要なんかなかったから。

 そんなことを考えて、ふと思い出す。

 二人の生活を始める前だった。帰る家がないとこぼしたぼくに、きみは何と、うらやましいといったんだ。きみの口からそんな言葉が出てくることが、ぼくには信じられなかった。だって、きみの思い出と幼い頃の日々と、それから家族に囲まれた暮らしは、むしろぼくにとってうらやましいものだったから。結局は程度の差で、ぼくが家に対して持っていたような感情は、多かれ少なかれ誰でも持っているものだったと気づいた。ただそれが、表面に現れるかどうかの違いだけだったんだ。

「帰りたくない、出て行きたいって思うときもあるよ。もっと都会で生活して、いろんな経験をしてみたいって思うときもあるよ」

 ごくごく当然のことのように、きみはいった。

 きみだって、生まれた家が心から好きなわけじゃなかった。生まれた町が心から好きなわけじゃなかった。どれだけ長い時間を過ごしていても。楽しい思い出がどれだけあったとしても。きみがいまだに実家に帰っていないことが、その証拠のように思えた。

 きみは本当に、遠くに行ってしまったのかもしれない。


   *


 きみは結婚して初めて家を出て、初めて自分の家庭を持った。ぼくと二人だけの、ちっぽけな家庭でも、それでも大きな変化だったろう。二十年以上ずっと寝起きしていた家が、ある日を境に本当の家ではなくなってしまうんだから。きみの胸の中は寂しさと嬉しさと、その他いろんなものがないまぜになっていたのだろうけど、ぼくはそんなことには無頓着で、ただただきみの笑顔だけを見て満足していた。

 ぼくと違って家の中できちんと育てられたきみは、新しい家庭に対しても強い責任感を持っていた。二人の新しい家を、より良いものにしようとしてくれていた。例えばこまめに掃除をしているとか、高級なティッシュを買っているとか、そんな上っ面のことしかぼくは気づかなかったけれど、本当はもっともっとあったんだよね。自分の家庭のために、きみは全力を傾けてくれていた。いつか家族が三人になり、四人になり、そして次の世代に家を引き継いでいくことを、漠然と思い描いていたんだろう。運命の不条理か、それとも何かの罰か、子どもができなかったのはきみにとって相当つらいことだったに違いない。二人だけの家庭は、いつまでも小さなアパートの部屋から出られなかった。きみの中には自分の生まれた家がいつも理想としてあったのに、ぼくらは新しい家をそれに近づけることができなくて。八年間の結婚生活はそんなふうに過ぎた。それでもぼくの見る限り、きみはおおむね幸せそうだった。お別れする日が来るなんて、ぼくは夢にも。

 結婚した後も、きみは実家との関係をきちんと保ち続けた。ほどよい距離感が実家への愛着を呼び起こしたのかもしれない。ぼくらの家庭への懸念の裏返しだったのかもしれない。とにかく、きみはよく生まれた家に帰った。あれやこれやの行事を手伝ったり、お墓参りに行ったりしていたんだよね。だからなのかな。梅村の家をかえりみないぼくを、きみはあまり良く思っていなかったみたいだ。

「大輔くんとこのお墓参り行こう」

 ある年の九月の末、朝晩が寒くなってぶ厚い布団がいるなと思い始める頃、きみはぼくにいった。「どうして?」とぼくが尋ねると、お彼岸だよ、と当然のように答えが返ってきた。

「どうしてお彼岸だったらお墓参りに行くの」

 ぼくの意地悪な質問に、きみは一瞬言葉を詰まらせて、それから唇を突き出してすねてしまった。いつものこと。ぼくはきちんと謝って、きみの意を汲んで梅村の墓に参ることにした。きみのお墓参りに付き合うことはあっても、自分の家の墓なんて、もう何年も訪れていなかったはずだ。きみに無理やり連れて行かれなかったら、一生行くことはなかったかもしれない。

 その日は二十三日だった。お彼岸や夏至冬至は太陽暦に基づく日だけれども、これが風習として根付いたのはたぶん別に理由がある。月がちょうど半分になる日が元来いかに特別だったかということを道々ぼくが熱く語ったら、やっぱりきみは困ったように笑っていた。

 名鉄の高架のそばに梅村の墓はあった。菩提寺(ぼだいじ)も何もない小さな霊園で、まわりに建物がないために、遠くからでも立ち並んだ石が夕日に輝いているのがよく見える。頭を重そうに垂らした稲穂の陰からは虫の声がひっきりなしに聞こえていて、刈田には落ち穂をついばむ鳥が降りては昇り、降りては昇りしていた。いつの間にか蝉の声は消え、鳥や虫の鳴き声ばかり耳に入ることに気づく。この季節を待っていたかのように、曼珠沙華が土手にあぜ道に一斉に花開いていた。

 ハサに掛けて干された稲の向こう側を、赤いワンマン電車がゆっくり走っていくのが見えた。まだこの町にこんな風景が残っているのかと思って、そしてこれもすぐに消えていくのだろうと思って、ぼくは流れる時間の交差点にいるかのような、不思議な感覚をおぼえた。

 石神様の祭られた小さなお宮の前を通る。そこだけに数本の大木が茂っていて、さわやかな風の吹き抜ける木陰を作っていた。看板の説明によると、もとは路傍にあった石を移してきて、わざわざ小屋で囲ったらしい。周りに立てられた白地ののぼりが、何だかものものしかった。

 どこからともなくぱち、ぱち、ぱちと音がした。「誰かいるのかな?」きみがつぶやく。ぼくもあたりを見回すけれど、木が立っているばかりで誰もいない。きみは上を見上げる。「鳥?」

 その時、きみの体に何か小さなものが落ちてきてはねた。「うわーフンだ」ときみが慌ててのけぞったものだから、これにはぼくも気の毒さより先におびえが来た。とっさに身をかがめて臨戦態勢に入る。そんなものを落とされたらたまったものじゃない。子どもの頃にひっかけられた嫌な思い出が、一気によみがえってぼくの頭をいっぱいにした。でも、自分の体を仔細に点検していたきみが、あれれ? といったような顔でぼくを見た。

「何にもついてない。フンじゃなかったみたい」そういってしゃがみこみ、地面をじっと見つめる。「何だろ?」

 そのうちにも、小さなものは次々落ちてきていた。しばらく待っていると目の前に一つ。きみと一緒にのぞきこんだ。木の実の食べかすだ。黒い種に、食べ残した緑の実がほんのちょっぴりくっついている。上で鳥が食べてるんだろう。何だこんなものか、といおうとしたぼくの頭に、何かがこつんと当たった。木の実じゃない。大粒のどんぐりだった。見ると頭上で何羽もの鳥が飛び交い、葉を揺らしているのだ。ぱちん、とどんぐりが道に落ちて転がった。音の原因はこれだったらしい。そう考えたのも束の間、ぱちんぱちんぱちん、木の実もどんぐりも一緒くたになって落ちてきて、ぼくら二人に雨あられと降りそそいだ。きみが驚いて悲鳴をあげる。何ていたずらな鳥だ。どんぐりが鉄砲玉のように襲ってくる。痛いなんてもんじゃない。でも何だか笑えてきた。見るときみも笑っていた。ぼくらは笑いながら、頭を抱えて逃げだした。ぱちん、ぱちん、ぱちん。

「あれって何の木? 何の実? おいしいのかなあ?」夕焼け空の下に出てから、きみはそう聞いてきたよね。どんぐりは間違いなくクヌギだった、それはわかったけど、緑の実のほうは何だろう? ぼくは考えたけれど、答えられなかった。まして味なんて知るはずもなかった。

 帰り道に二人で秋の星を見上げた。混んだお店でご飯を食べた後だったから、もうだいぶ遅い時間だったはずだ。夜が更けるほど空は黒さを増していくものらしい。朝方に雨が降ったせいもあるんだろう、星は澄んで、青白く光っていた。燃える灯のように絶えず揺れ動いていた。生まれて初めて、夜空ではなく、一粒一粒の星を、美しいと思った。

「やっぱり死んだ人はお墓の中にいるのかな?」

 唐突に、きみがつぶやく。ぼくの答えを待つというより、自分に問いかけているような言い方だった。まあそうなんじゃない、と、ぼくは曖昧な答えを返した。

「本当にそう信じてる?」

 ぼくは言葉に詰まる。正直いって信じてなかった。そりゃあ、骨はお墓に入るかもしれない。でも、それは体の一部でしかないんだし、第一、体がその人の本体かどうかも怪しい。もし天国や地獄を信じているのなら、人の本体は魂ということになるんだから。でも今は、体のほうを大切に思う人のほうが多いのかな。そんなことを思いつくまま、きみに話してみた。でもきみは納得しなかった。期待していた答えじゃなかったんだね。

「でもさあ、私たちの体って原子の集まりでしかないんでしょ」

 うん、とぼくはうなずく。いわれてみれば確かにそうだ。人間の体も、動物も、地面も、全部つぶつぶの集まりで、常に動いていて、頻繁に入れ替わっているものらしいと聞いたことがある。そして生き物がその命を終えた時、その入れ替わりが機能しなくなって、つぶつぶはやがて自然の中に散ってしまう。体は腐る。骨だっていつかは消える。

「死んだら消えちゃうのかな」きみは空を見上げてつぶやいた。

「つぶつぶになって?」

「うん」

「そんな寂しいこと、いわなくてもいいのに」

 ぼくはいった。どうしてきみがそんなことをいうのか、理解できなかった。今でもわからない。ずっと考え続けている。

「じゃあせめて星になりたいなあ。寂しいのは同じだけど、あんなにきれいなんだったら」

 きみの言葉は、今でもぼくの耳に焼き付いている。ほんのさっき聞いたことのように、いつでもはっきりと思い出せる。ぼくはあの木の名前を苦労して突き止めたけれど、まだきみに教えてあげることができないままでいる。いつか教えてあげなくちゃと思っている。でもそんな機会は、もう二度と来ないのかもしれない。


   *


 山奥の村は相変わらず静かだった。ヘッドライトが行き交うこともなく、信号が点滅することもなく、虫や鳥がうるさく鳴くこともなく、静かに眠りの中に沈んでいる。豊田の町なかだと、夜になっても蝉の声がやまない。いやむしろ明るい時より大きくなるような気がする。昼の暑い時間を避けて鳴いているんだろうけど、こいつらを一概にひ弱だと決めつけるわけにはいかない。子どもの頃に比べると、夏の盛りに虫を見かけることが少なくなって、春と秋の虫が増えた気がする。畑の蝶も梢の蝉も、世代が変わるごとに、その生活を変えていくんだろう。その変化は、もしかすると人間よりも大きいのかもしれない。

 きみの家のお墓はぼくの家とちょっと違う。平地の霊園じゃなくて、急な石段をのぼった丘の中腹にある。村の中だけどふだんは行かない場所。あたりを覆う木々の葉や、這いまわる太い根のおかげで、遠くから見られることも太陽が照りつけることもなく、苔むした墓石は静かに立っていた。死者の眠りには申し分なさそうだった。

 月に一度、この日に必ずここに来ることにしている。来月でもう一年になる。暗くてよく見えないけれど、またきれいな花が供えられていた。きみのお母さんだろう。物いわぬ石に向かって、何となく手を合わせる。ぼくが二十三日の重要性を力説したから、それできみも二十三日を選んだんだろうか。いやいやそんなはずはないよね。

 聞きたいことがたくさんある。話したいこともたくさんある。でも、ここに来たってきみはいない。もう何度も訪れて、何度も同じ失望を味わっていた。考えてみれば当然だ。きみは自分の家を、この町を出たいと思っていたんでしょ。こんな狭苦しいお墓に戻ってくるはずはないんだ。

 空を見上げ、星を見る。湿気と熱気で少しゆがんだ夜空がそこにあった。市街地から見るのとは比べ物にならないほど美しい。でもその遠さは変わらない。点々と浮かんだ星は、何万光年も先で回っている。思わず上げかけた腕を、すぐに下ろした。ぼくは飛ぶすべを持たないまま、地面に足をつけてさまようしかない。星になりたいといったきみの言葉、あれは嘘であってほしいと願う。

 きみが本当に星になってしまったのなら、ぼくがいくら手を伸ばしても、届くはずがないんだ。


 付近の山を捜索していた警察がきみの遺体を見つけたのは、行方不明になってから三日後のことだった。交通量の少ない山の中、県道の崖から深い谷底に転落した車は、もはや見る影もなかった。変わり果てた姿のきみがシートに巻かれて運び出されるのを、ぼくは遠くから眺めていた。去年の八月の終わりのことだった。

 居眠り運転。警察の人はそう断定したし、実際そうだったんだよね。きみは毎日朝から晩まで、くたくたになりながら働き続けていたんだから。こんなことなら、ずっときみのそばにいてあげればよかった。無理やりにでも助手席に座って、きみの最後に付き合えばよかった。でも、もうぼくはきみの夫じゃなかったし、きみはきみで新しい人生を歩み始めているんだからって、そこでぼくは遠慮をしてしまった。

 後悔したよ。きみが死んでしまったからじゃない。

 きみがいなくなってしまったから。


   *


「じいじが呼んでるよ」

 振り返ると、玲我くんはもう踵を返して走りはじめていた。日差しに熱されたタイルの上を、小さな体が遠ざかっていく。隆さんがぼくを呼んでいる。その言葉に不審を感じながらも、ぼくは玲我くんについて行く。七月末の日曜だった。前日のおいでん踊りの熱気も冷めやらず、駅前は驚くほどの人でごった返していた。玲我くんはぴょこぴょこ跳ねるように駆けていく。何がそんなに嬉しいんだろう。

 いつも鳥の糞で汚れているはずの歩道が、今日はきれいだ。誰かが掃除したんだろうか。何気なく上を見やると、歩道わきの街路樹は丸裸になっていた。呆然として、玲我くんを追うのをやめて立ち止まる。つい最近まで、枝を広げて緑の葉を茂らせていたのに。鳥が騒がしく鳴きながら、羽根や糞をまき散らしていたのに。その姿も見えない。声も聞こえない。残っているのは、どこからともなく響く虫の声だけだった。

 鳥たちはどこへ行ってしまったのか。引っ越したのか。それとも死んでしまったのか? ぼくはそこで考えるのをやめて、再び玲我くんを追って走り出した。

 きっと暑いだろうに、隆さんはぴしっと礼服を着て玄関に立っていた。孫が帰って来るのを見ると、優しい表情で手招きして車までつれて行った。玲我くんを後部座席に乗せ、しっかりシートベルトをかけさせると、自分は運転席に乗り込んだ。もう家の戸締りも済んでいるらしい。ということは、隆さんの息子夫婦、つまりぼくのいとこたちも外出中らしい。ぼくは事情がよく飲み込めないまま玲我くんの隣に座って、体を隆さんの運転に預けた。この前走ったのと同じ道を、この前よりもさらに安全運転で、隆さんは車を走らせる。誰も何もしゃべらない。乗り物酔いするからかもしれないけど、玲我くんはゲームもせず、ただひたすらに窓の外を見ている。バックミラーに映る隆さんの顔は神妙で、だけどその目は不思議と穏やかだ。

 トヲモの実家に着くと、隆さんは玲我くんを連れて中に入った。一週間前山と積まれていたごみや家具は全て片付けられ、割れていた窓は直され、新しいすだれが掛けられ、庭木も整えられて、家は本来の姿を取り戻していた。晴れ渡った空も、裏山の蝉の声までも鮮やかになったような気がして、幼い頃にここで過ごした思い出が、一つか二つ浮かんでは消える。いい思い出は全くなかったわけではなくて、忘れていただけなのかもしれなかった。

 家の前には隆さんの車以外にも二台の車が並んでいた。中から人の気配がする。ぼくは玄関の前で立ちつくし、迷った。何年も帰っていなかった場所だ。今さら何でもないような顔をして入れるわけがない。ここはもうぼくの家ではないのだ。たぶん、隆さんが何か会合でも開いてるんだろう。休日返上で掃除して、孫と遊ぶのも我慢するくらいなんだから、きっと重要な会に違いない。村の集まりか、何かのお祝いか。どちらにしろ、この家を使う権利を持っているのは隆さんなのだから、ぼくがどうこう口出しするものでもなかった。家がきれいになって、良かったと思う。これからも人がたくさん集まる場所になれば、資源の有効利用ともいえるし、隆さんとしてもうれしいだろうし、何にせよ捨てておくよりはよっぽどいい。

 いや、全部言い訳だ。本当は寂しかった。

 玄関の戸が勢いよく開いた。驚くぼくの目の前に、玲我くんが顔を出す。

「何やってんの? 早く来いよ」

 小さな鼻を突き出してそういいながら、ぼくの手を引こうとする。ぼくは自然と家の中に足を踏み入れていた。玲我くんについて廊下を渡り、座敷に入る。仏壇の前に並べられた座布団には、見覚えのある顔が並んでいた。玲我くんが勢いよく駆け込むと、背の高い男がこら、といっていさめた。隣にいた女性がさっと立ち上がり、玲我くんを捕まえて無理やり座らせる。ぼくのいとこ夫婦だった。隆さんはというと、初老の女性と静かに話を続けている。

 どうしてこんなところに。

 ぼくは一瞬、自分の目を疑った。きみのお母さんだったんだ。

 隆さん一家はともかく、きみのお母さんまで山奥の村から出てくる理由がない。そして不思議なことに玲我くん以外、その場の全員が黒の礼装だった。

「そちらのおばあさんの具合は、どうですか」

 隆さんが尋ねると、きみのお母さんはゆっくりうなずいた。きみとは似ても似つかない、しっかりしていて、かつ優雅な仕草。きみも年を取るとこんなふうになったんだろうか、と、そんなことを少し考えた。

「おかげさまで、まだ達者で。普段は病院に入れてあるんですが、お盆には一度帰ってくることになっていて」

 ああ、と隆さんもうなずく。「達者なだけ幸せですな。こっちは早くに逝かれて、孝行なんかこれっぽっちもできませんでしたから。生きててもらえるだけ、子どもにとってはありがたい」

「本当に」お母さんは相槌を打ってから、少し目を伏せて黙りこんだ。茶碗を手に取り、少しだけ口を付ける。それからまた隆さんを見た。

「親が生きていてくれるのは、ありがたいんですけど」穏やかな声が、少し震えた。「でも自分の子どもには、せめて自分より長く生きてほしかったと思ってしまって」

「すいません」

 隆さんは申し訳なさそうに頭を掻いて、自分の息子夫婦や孫にちらりと目をやった。玲我くんが動き回ろうとするのを、母親がしっかりと押さえつけていた。父親が訓戒を垂れるけれども、玲我くんは意味不明な言葉を発して反抗している。

「いえ、気にされなくていいんですよ」きみのお母さんは慌てて手を振った。「仕方のないことですから。こっちももう落ち着きましたし、他人がどうこうっていう歳でもないですし。そちらこそ……」

 若い娘を亡くした母親の気持ちは、どんなものだろう。ぼくには想像すらできない。それでも平気そうに話をしていられるのは、経てきた年数が多いからかもしれない。出会ってきた別れが多いから、なのかもしれない。きみに執着している自分のことを、ちょっと恥ずかしく思った。ぼくがきみのことを諦められなかったのは、きっとぼくが若かったからだね。

「もうすぐ娘さんも一年ですか」隆さんがぽつりという。

「早いものです」と、きみのお母さんは答えた。

「大変だったでしょう。お葬式も、ご実家のほうでされていましたし」

「田舎なもので。そちらは本当にご立派になさっていて」

「いやいや」隆さんは首を振った。「今の時代、セレモニーホールでやってもらうのが一番楽なもんですから。何から何まで、何円ぽっきりっていう値段で世話してくれて。しかしまあ、何とも……」

 しばらく沈黙が続いた。どちらからともなく、二人は仏壇のほうに顔を向ける。きみのお母さんが口を開いた。

「あの子はずっと泣いてましたよ。自分のせいだ、自分のせいだって」

「そんな馬鹿な」責めるような口調で隆さんがいった。「運が悪かっただけです。誰のせいでもない。花火見物に行って死ぬなんて、誰が考えますか」

 仏壇にはぼくの遺影が飾られていた。生真面目な顔をして、写真の中のぼくがみんなを見つめていた。

「急なことで、こっちもろくに世話してやれんかった」隆さんの声は、珍しく小さい。「この家もずっと空き家で、ひどい状況で。でもね、何ていうんだろう、寂しいでしょ。死んでも帰ってくる家がないっていうのは。大輔、生きてるうちは帰ってこなかったけど、何てったって生まれた家なんですから。あいつの行く場所はほかにあるのかもしれんけど、たまには帰ってきたいって、思うんじゃないですかね。だから一周忌くらいは、ここでしてやりたいと思って。あいつがいつ帰ってきてもいいように、きれいにしておいてやろうと思って」

 いつの間にか部屋は静まりかえって、クーラーの音だけがごうごうと響いていた。いとこ夫婦はじっとうつむいていた。きみのお母さんはハンカチを目に当てていた。誰も何もいわなかった。

 隆さんは仏壇の遺影に向かって、穏やかに声をかけた。「大輔、帰ってきてるか?」

「来てるよ」

 大きな声を出したのは玲我くんだった。止める間もなく、ぼくを指さして叫んでいた。「ほら、連れてきたよ!」

 その場の全員が玲我くんを見た。隆さんは一瞬呆気に取られたような顔をして、それから豪快に笑った。「そうかそうか、玲くんには見えるのか。そうか、そのあたりにいるんだな」そういって、ぼくの右脇あたりの空間を指でさす。信じているのかいないのか、いかにも楽しげに見つめている。

「こっちだよ」玲我くんが訂正してくれる。

「玲我、いい加減にしなさい」母親がぴしゃりといった。「冗談でもそんなこといっちゃだめ」

「来てるもん! ねえ見えないの?」

「わかった、わかった」隆さんは笑い続けている。きみのお母さんもくすくす笑う。玲我くんはふてくされたようにぼくを見上げた。ぼくはしゃがんで、実際には触れられない手で玲我くんの肩をたたいて、ありがとう、とだけいった。ふくれっ面の玲我くんを残して、ぼくはさっさと家を出た。その時の顔を、誰にも見られたくはなかったから。


 花火は流れる滝のように、空を埋め尽くして止まらない。雷鳴のような音と光が、歓声を上げる人たちの頭上に渦を巻く。一年前の今日、きみと一緒にこれを見ているはずだったのに。花火はお盆の火祭りから発達してきた面もあるらしい。おいでんの花火が、本当にぼくの送り火になってしまったわけだった。

 ぼくがこの町を出て行かなかったのは、やっぱりきみがいたからだと思う。ぼくのあとを追っかけて来るんじゃないかって、それをまず一番心配したよ。ヤーさんにかき氷をひっかけたのはきみだったし、必要以上に責任感じちゃうんじゃないかとも思った。でも、きみはそんなにやわじゃなかった。ぼくとお別れしたあと、きみはちゃんと立ち直って新しい生活を始めたよね。たまには泣くこともあったけど。

 だからきみがあんな形で死んでしまうなんて、夢にも思ってなかったんだ。

 今年の花火が、きみの迎え火になればいいと思った。ほんの一縷の望みを持っていた。大勢の人の中に、ふときみの顔を見出す瞬間を夢見てた。でも、やっぱりきみはそこにも来なかった。花火が終わり、観客が立ち退き、空が白み、徹夜組が引きあげたあと、やわらかい風の吹く河川敷に、ぼく一人だけが立っていた。がっかりしなかったといえば嘘になる。けど、きみはもうこの町にはいないんだって、ぼくはもう半分諦めてたから。あとの半分は未練たらたらだったけれど。ぼくはまだ、きみを探してここにいるのに、って。あんまりじゃないか。ぼくを置いてきぼりにするなんて。


   *


 スーパームーンなんて聞き慣れない名前が、やっぱりぼくの耳にも入ってきていた。月が地球に近づく時期に満月が重なって、ふだんより大きく見えるというものらしい。それがちょうど今年のお盆の直前だった。確かに八月に入ってから、月が少し大きくなっているような気がしていた。白い半月がこれ見よがしに南西の空に浮かんで、まわりの星をしょげさせていたけれど、そんな景色、きみは絶対に見たくなかっただろうね。

 法事の時、きみのお母さんが話していたことが、ぼくには少し気になっていた。病院暮らしのきみのおばあさんが、お盆には実家に帰って来るってこと。きみは相当のおばあちゃん子だったんだよね。きみのことも何かわかるかと期待して、ぼくはおばあさんに会いに行くことにした。例のスーパームーンが終わって、星がまた明るくなり始めた八月十三日のことだった。

 お盆休みというのは確か法律でも規定されていなくて、もう何のために休むのかよくわからなくなっていて、帰省ラッシュと終戦日の式典がニュース番組を騒がせるだけの日になってしまっている。きみみたいに日曜祝日も働くのはもう当たり前。だから社会人の心のよりどころであるこの夏休みも、早晩消えてなくなるかもしれない。でもきみの家は古風な家だったから、お盆はまだ大切な日のままだった。ぼくが訪ねた時も、きみのお母さんや叔母さんが、もろもろの準備に慌ただしくしていた。

「おばあちゃんは帰ってきたのにねえ」

 家の掃除が一段落した頃、きみのお母さんが、仏壇に線香をあげてつぶやいた。きみの遺影が、にっこり笑ったその顔が、ぼくらを見つめ返した。成人式のとき記念に撮った写真。当然だけど若くてきれいだ。ずっと一緒にいたからだろうか。きみが子どもから大人になって、それから少しずつ年を取っていたということを、ぼくはほとんど考えたことがなかった。

 きみの叔母さんが部屋に入ってきて、そっとお母さんのそばに座った。写真を見ながら、誰にともなく「おばあちゃん子だったね」という。

「そうね」お母さんは言葉少なに返事をした。少しの間があった。そして感情を高ぶらせるわけでもなく、でも悲しげに、ぽつりぽつりと話を始めた。「こんなことならね、もう少しあの子のために時間を割いてあげたらよかった。私も夫も働きづめで、この家にはほとんどいられなくて、世話はお義父さんとお義母さんに任せっきりで」

 叔母さんがそっと、きみのお母さんの肩を抱いた。立ちのぼる線香の煙が、縁側から入ってきた風にかすかに揺らいだ。お母さんは話し続ける。

「本当におばあちゃん子だった。だから私にはよくわからないことばっかり。お盆になると、あの子、おばあちゃんと一緒に出かけて、何かしに行ったりしてたじゃない。あれ、あの子が働き始めるまで、毎年行ってたわよね」

「ああ、そういえば」叔母さんが相槌を打つ。「楽しそうについて行ってた。おばあちゃんも嬉しそうで。あたし達は連れて行ってもらえた覚えないのにね。そういえば、あの子、好きだったよねえ、お団子。毎年毎年いくつも食べて……」

「そうだ」お母さんがはっとしたように口を手で覆った。「毎年作ってたんだ。もう、おばあちゃんがいないと、わからないことばっかり」

 急いで立ち上がり、台所に向かう。二人で材料や調理器具の相談なんかしていたけれど、冷蔵庫を開けたお母さんが、ふとつぶやいた。

「オショロイさんを迎えに行くんだっていってたかしらね。オショロイさんって、結局何のことだったんでしょうね……」


 山にオショロイさんを迎えに行った話、きみはぼくにも一度してくれたよね。これが、きみを見つける最後の手がかりだと思った。

 きみのおばあさんは奥の一番涼しい部屋で、静かに座椅子に腰をかけて、やまない蝉の声と時折吹く風の音に耳を傾けていた。日差しをたっぷり含んだ白いカーテンが、ふわりと膨らんでは部屋の中に光を投げ込んでいた。

「ご気分は、いかがですか」部屋の入口に正座して、ぼくはおばあさんに声をかける。おばあさんはこちらにゆっくりと顔を向けた。少し間を置いて、答えが返ってきた。

「おかげさまで、大輔くん」

 弱々しい声。たいして変化のない表情。でもうわごとをいっているようでもなかった。うっすらと開かれた目は確かにぼくを見ていて、おばあさんは優しいまなざしをぼくに注いでいた。死というものをもう十分に意識しているからなのか、人は年を取ると子どもに戻るということなのか、とにかくぼくのことが見えているようだった。

「一つお聞きしたくて」ぼくは急いで切りだした。生きている人より死んだ人のほうが焦っているなんて、おかしな話だ。「オショロイさんっていうのは、何ですか」

 おばあさんは頭をわずかに動かした。首をかしげているようだ。

「ほら、いつもお盆に迎えに行くっていう。お孫さんと迎えに行ってたっていう。今年はどうするんですか。行かなくていいんですか」

 おばあさんの口はなかなか開かない。ただ考えていることは確かなようだった。ぼくはすがるような気持ちで答えを待った。一言だけが返ってきた。

「昔から、山へ迎えにいくものだでな」

 それはわかってる。もどかしい思いを抑えながら、さらに尋ねようとする。

「じゃあ、今年は」

「そう急がんでええ。まだ花が開いとらんで」

 何の話だろう。ぼくは黙りこんだ。不安がつのるばかりだった。もしかして、おばあさんも詳しいことは知らないんじゃないか。だとしたらきみも知らないだろうし、きみの行方にも、何の関係もないんじゃないか。ぼくはうなだれて座りこんでいた。すると、おばあさんがまた口を開いた。

「最近は山に迎えに行く人もおらんようになってな」

「はい」聞き取りづらい声を一言も聞きもらすまいと、ぼくはじっとおばあさんの顔を見つめる。

「大輔くんが行ってくれるならええことじゃ。わたしもそろそろだで」

 おばあさんが立ち上がっていた。いや、違う。おばあさんは座っている。それなのに、同じ人が、ぼくに向かって近づいてきている。ぼくは反射的に立ち上がって、おばあさんを押しとどめた。ゆっくり体を誘導して、もとの座椅子に戻す。必死だった。おばあさんに向かって強く首を横に振る。まだ。まだ。

「気にしんでええで」おばあさんは笑った。「わたしもじき、オショロイさんになって帰って来るだで」

 その言葉を、すぐに理解することができなかった。おばあさんがオショロイさんになる。どういうことかはわからない。でも、それならきみもオショロイさんになって。

「その迎えに行く山って、どこですか。どこの山ですか?」

 おばあさんは相変わらず穏やかな目でぼくを見つめていたけれど、やがてわずかに腕を動かし、どこか遠くのほうを指さした。

「ノリゴイのあたりから、もう少し上ったとこじゃ」

 説明はそれだけだった。それで十分だと思ったのか、おばあさんは目を閉じてしまった。でも、ぼくにもそれで十分だった。十分すぎる程だった。ぼくはおばあさんにお礼をいって部屋を飛び出す。台所の前を通った時、きみのお母さんが動き回っているのがちらっと見えた。まっ白なお団子をきみが食べているところを、なぜかとてもはっきりと想像することができた。

 真昼の日差しは容赦がない。暑さを感じない体のはずなのに、あぜ道を走っていると汗が噴き出してきそうだった。この時間帯は虫も活動をやめている。実り始めた早稲の穂が、ほんのわずかな風にゆらゆら揺れていた。

 いつかきみとノリゴイの話をしたっけ。ノリゴイは乗り越えがなまったものだった。オショロイも、もとはオショロエだったとしたら。それがもしも、お精霊会(しょうりょうえ)、だったとしたら。そんな名前のお祭りが、かつてあったのだとしたら。それは想像をたくましくし過ぎかもしれない。でもそんなお祭りがあったにしろ、なかったにしろ、おばあさんは信じていた。オショロイさんの名前の由来はわからなくなっても、信仰は廃れてしまっても、おばあさんみたいな人の心の中には残っていた。亡くなった人の魂を山に迎えに行く。そんな素朴な考え方だけは。お盆になれば帰ってこられる。そんな死後のささやかな楽しみも。


 山を切り開いたような坂道を上る。周りは鬱蒼とした林なのに、そこだけが生えている木もわずかで、日差しがじかに当たっている。地形と気候がもたらした天然の山道だ。昔はここをたくさんの人が行き来して、この山を越えたんだろう。もしかしたら、道は信州の山奥まで通じていたのかもしれない。

 峠を越えると、今度はゆるやかな下りになった。ぼくはそこで立ち止まり、あたりを見回す。おばあさんは、もう少し上ったところといっていた。もっと高いところに行かなければ。遥か遠くの空でとんびが鳴いた。見上げてみてもその姿は見えない。ただ空のまぶしさに目がくらんだ。足もとは一面雑草で覆われていて、道らしき道もない。熱気にゆがんだ緑一色の景色の中で、ぼくは立ち尽くした。

 誰もいない。虫も鳴かない。もう鳥もさえずらない。世界の中でひとりぼっちになったような気がした。

 ふいに不安が大きくなって、はじけた。もしかしたら、すべて夢なんじゃないか。この世をさまよっていたというのは全部嘘で、本当はもう、ぼくは数万光年先のひとりぼっちの世界にいるんじゃないか。きみと会うことなんて、もともとできない話だったんじゃないか――。

 ふと目に入ったのは、一輪の花だった。緑の中にひときわ目立つ、白い山ユリの花だった。大きな花びらが日差しを受けて、目が痛くなるほどに輝いている。それに誘われるまま、ぼくはゆっくりと歩き出す。さっきまでは気づかなかった花が、ここにも、そこにも、あそこにも咲いている。たった今花開いたかのようだった。そうしているうちにも、いくつものつぼみが次々とほころび、甘い香りがあたりを満たしていった。山がその表情を一変させていた。花の道をたどって、ぼくは藪に分け入る。いつか誰かが踏み分けたらしい、かすかな道の跡がそこにあった。茂みはすぐに途切れた。

 そこは小さな空き地だった。山の斜面に張り付いたような狭い場所で、木々の葉の間からは遠くにかすむ山なみが見渡せる。太陽の光が降りそそぎ、地面に鮮やかなまだら模様を作っている。その真ん中で、誰かがこちらに背を向けてしゃがみ込んでいた。小さな墓碑のようなものに花を手向け、静かに手を合わせていた。

 夜空のお星さまになることも、お墓に入って眠ることも、きみは望んじゃいなかったんだね。天国に行くことも、成仏することも、生まれ変わることも期待しちゃいなかったんだね。

 やっぱりきみはおばあちゃん子だった。きみは何よりも信じてた。死んでしまっても、この日には帰ってこれることを。お精霊(しょうりょう)さんになって、自分の家に戻ってこれることを。

「迎えに来てくれたの?」

 ふり返ったきみは心底驚いた顔をして、それから、うれしそうに笑った。


主人公が亡くなっていること、読者の皆様はどの時点で気づかれたでしょうか。

俗なハッピーエンドでなく、美しいハッピーエンドが描けたでしょうか。

不安な点ばかりですがぜひ、読後感やご意見ご感想をお聞かせください。

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