やさしい小言 1
ギードはハクレイの館を訪れるため、「始まりの町」に来ていた。それは町の中心部から北西の、魔法柵に囲まれた高級住宅街にある。
最近、この町はドラゴンを迎えるための闘技場の建設が始まっており、賑やかを通り越して騒々しい。
ギードはその町の喧騒のすき間を縫うように歩く。気配を消しているため、誰にも認知されていない。
「本当は店の様子も見に行きたかったんだけどなあ」
ギードはエルフの商人であり、この町にある土産物店を任されていた。しかし、店を預けて旅に出てから、すでに半年以上が経つ。
こそこそと周りの様子を窺いながら、店の噂を仕入れる。どうやら無事に繁盛しているようだ。
いつも店の報告は眷属精霊であるリンから聞いているが、こうして生で町の噂を聞けるのは久しぶりでうれしかった。
店主がいなくても店は安泰なのだから喜ぶべきなのだが、自分はあんまり必要とされていないなあと多少はがっかりする。
実際には従業員達がギードの名に恥じないよう、がんばっているお陰なのだが。
慎重に移動を続け、目的の館に到着する。
この館は、領主館にも近いのでギードは警戒を強める。国王の娘でありながら外戚の身分である領主のシャルネ様や、護衛のダークエルフのイヴォン隊長に会うのはまずい。
絶対に小言をいわれるのは確定なのである。
ギードはさっさと屋敷の正面でなく、別棟の入口へ向かう。そこには、この国の最強の魔術師といわれるハクレイを師とする、魔術の私塾がある。
ハクレイは頑なに弟子を取ろうとしないので、今の塾という形になったと聞いている。生徒のほとんどが国や上流階級の推薦でやって来る。その中からハクレイが適当に選んでいるそうだ。
「大変そうだなあ」
ギードの率直な感想はそういうものだった。
普通の学校のように机を並べた生徒が壇上の先生から習う、というわけではない。生徒といわれる内弟子達は、館の中で客人のように自由に過ごしているが、ハクレイの手が空いている時しか教えを乞うことは出来ない。その他の時間というか、まあほとんどの時間は自習だ。
授業らしい授業はないが、ハクレイは自分の研究や検証を生徒に手伝わせ、興味がある質問には答えるそうだ。
「ハクレイ様、この魔法陣のことなんですがー」
ようやく師を捕まえたようで、廊下で若い男性がハクレイの服を引っ張っている。
「えええーーい!、様なんて言うんじゃねええ!、先生と呼べ。お前らになんぞ、名前を呼ばれたくねえんだよ!」
これで高給取りなんだから、理不尽なやつである。ギードは「はぁ」と溜め息を吐く。
しょんぼりとした若い男性を睨みつけていたハクレイが、玄関口のギードを見つけた。
「お、腹黒エルフ。何しに来た」
「いや、ちょっと。お取り込みのようなのでまた後日」
にしようとしたが、いつの間にかがっしりと腕を掴まれていた。
「お前が来たら逃がすなと、イヴォンさんからの依頼、いや命令なんだ。悪く思うな」
耳元で囁かれたギードはぶるっと悪寒に震える。
「わかりました。ちゃんと掴まりますから、その人の質問に答えてあげてください」
生徒である男性が大きく目を見開いて驚いている。自分のせいで師に逃げられたって思われるのが嫌なんですよ、小心者なんで。
「わかったよ。お前の機嫌を損ねると後で怖いからな」
それはどういう意味ですかーとギードが眉根を寄せている間、ハクレイはギードの腕を掴んだまま、その男性の話を聞いていた。
話は乱暴に早口で進んだようだが、終わったあと、ギードはその生徒にはすごく感謝された。
ふんっと鼻息で答えたハクレイは、ギードを部屋へ引き摺って行った。
「貴族に飼われた、魔力が多いだけの庶民が必死になってやってくるんだ。うんざりだよ」
昔はそれこそ貴族の子供が多かったそうだが、ハクレイのやり方についてこられない者が多かった。そのせいでもめ事が絶えなかったそうで、今はもう推薦者しか取らないことにしたそうだ。
「今は何人くらい?」
「あ?、生徒か。二人かな」
数もちゃんと覚えてないのかと思ったが、今は子育てに忙しいから減らしているのかもしれない。ハクレイにはもうすぐ二歳になる息子がいるが、妻とは死別である。
私塾のための応接室なのか、そこそこの調度品はあるが殺風景な応接間に入れられ、座らされる。領主館に近いので母屋は避けたのだが、いまいち甘かったようだ。
ギードが座ると、館の使用人ではない、ハクレイと同じようなローブを着た人族の女性がお茶を入れてくれた。
その姿をギードが目で追っているのを見て、ハクレイは首を横に振りつつ、「勘違いするな。生徒のひとりだ」とぼそりと言った。
しばらくするとダークエルフ傭兵隊長のイヴォンの気配が部屋に現れ、女性が下がっていった。
「いよう」
片手を上げて椅子に座るイヴォンに、ギードは冷や汗を流しつつ苦笑いを返す。
イヴォンが盗聴避けの魔道具を起動する。
「早速だがギード、お前はどこへ行こうとしてるんだ。わかってるのか、国の情勢を」
ふぅ、さっそく小言が始まりそうな気配に、ギードは懐から何枚かの紙を取り出す。
「王太子殿下から越境許可証をもらった時に、いっしょにスレヴィさんが用意してくれた物です」
それを受け取り、一枚一枚眺めていたハクレイとイヴォンはむーと唸りだす。
「いやに細かいな。すごいぞ、これ」
それには隣接国の情勢や、主要人物の詳細、種族の数まで書かれている。ハクレイはその綿密さに驚いている。
「スレヴィめ……」
イヴォンはこめかみを押さえ顔をしかめている。たぶん国の最高機密情報。これを作成したのはおそらくイヴォンの幼馴染であり、現在は王太子の護衛を勤めるスレヴィに違いない。
そんなものを実力者とはいえ、エルフに貸し出すのは非常にまずいのではないだろうか。
「ダークエルフの皆さんには感謝します」
ギードはにっこり微笑むが、それが黒いのは言うまでも無い。
現在、ギード達が暮らしている王国は、約二百年前の大戦の時は、もっと大きな領土を持っていた。
しかし大戦の後、妖精族を擁護する派と、人族以外を認めない派とに国が分かれてしまったのだ。
ギード達が山を越え、入ろうとしている国が、まさに人族以外を迫害していた者達が多くいる地域なのである。
「いや、もうすでに国とはいえないがな」
資料を見ると、今いる王国はあのお茶目な王の血筋を中心としてまとまっていたが、その分裂して出来上がった国は、結局まとまることが出来なかったようだ。
「連合国なんて呼ばれてはいるが、実質は大きな町程度の小国があちこちに分散しているだけだ」
その国々はお互いにけん制し合い、未だに争い続けている。
「そんな所に妻子を連れて旅なんて」
ハクレイが呆れ顔をギードに向ける。
「あー、えーっと」
ギードが口を開こうとすると、母屋の方から何やら騒がしい声が聞こえた。