ドラゴンとの約束
ギードはエルフという妖精族であるが、この国ではその力を認められた実力者のひとりである。
古の精霊が契約精霊として付いており、絶対防御の結界を得意とする。その金色に輝く結界から、ギードの二つ名は『黄金の守護者』という。
長い間、エルフの森の最深部である聖域で、守護者に守られながら引き篭っていた。
それが何故か人族の町で結婚し、エルフと人族との仲介役となったり、実力者達のために祭りを考案したりした。それが認められて実力者認定を受けることになったらしい。
その後、聖域にある遺跡の調査をしているうちに子供ができ、そして、気がつくとかなり高位の精霊を四体も眷属として契約している。
「一体いつの間にこうなったのやら……」
ギードはいつも流れに身を任せているだけなのになーと、溜め息を吐くのである。
しかし実際、周りから見れば、ギードはかなり変わったエルフなのは間違いない。
「ズメイ様、長い間、誠にありがとうございました」
その日、ギードはドラゴンであるズメイとユランに、出立の挨拶をするために棲家を訪れていた。
ギードは妻や子供達、そして眷属である精霊とともに、ドラゴンの領域でしばらくの間、やっかいになっていた。
「いや、まあ、我らも楽しかったのでな」
これはズメイの本心だろう。
ギードは思う。このズメイという雪のドラゴンは変わっている。
ドラゴンという巨体で、他の種族との交流が乏しかったために、ズメイは分身体を作ってまで他種族との接触を求め続けた。そしてようやく、ドラゴンを恐れず、友人のように接する者に出会った。
いろいろな下心はあったものの、人族でギードの妻であるタミリアや、その仲間である者達と知り合えたことは、このドラゴン達にはよい経験になったと思われる。
特に炎のドラゴンであるユランは小さな子供達に興味を示していた。
今まで人族は、親の仇であり、怨む対象でしかなかったが、こうして無垢な子供達を見ていると、すべての人族が悪ではないと、そんな当たり前のことを実感する。
「私は恨みで心が曇っておった」
ユランはギード家族のお陰でそのことに気付いたのだ。
この国に住んでいるドラゴンは、現在この雪のドラゴンと炎のドラゴンの二体だけである。二百年近く前の人族と妖精族との大戦の時、巻き込まれることを恐れ、そのほとんどが他の場所へ移動してしまっている。
「お二方には本当にお世話になりました」
にっこりと笑うこのエルフは相変わらず胡散臭い。ユランはこのエルフとの別れに、こっそりと安堵の溜め息を吐いた。
「加護もいただきましたし」
ギードの言葉にドラゴン二体がぴくりと固まる。
「気づいておったのか」
「はい」
ギード夫妻の双子の子供達は次の冬が来ると三歳になる。
先日、まだ幼いこの子達が、冷たい洞窟の泉に落ちた。その上、古の水の精霊の多重結界を通り抜けた。
無傷なのがおかしかったのだ。
子供達の命を救ったのは、ズメイが『保護者・ドラゴン』という称号を双子に与えていたためである。
ギードは後になってそれに気づいた。
「え、お兄様もですの?。私もつい先日、タミリアに加護を与えましたの」
毎日のように剣による模擬戦の相手をしていたタミリアが、この地を去ると聞いてユランは慌てた。
「きっとまた私の相手をしに来るのだぞ」
ユランはタミリアが無事に戻るようにと、『盟友・ドラゴン』の称号を与えた。
ドラゴンから与えられる称号は、加護そのものだ。
子供達には、そのままドラゴンが保護者であることを。その加護は、ドラゴンほどではないが、それに準ずる力で状態異常に対する抵抗と、身体の回復が早いこと。
タミリアには、ドラゴンの友人であるという証を。知性のある魔物や、気配に敏感なモノなら避けていく。近くにいなくても、ドラゴンの威光が守ってくれるのだ。
その加護に気づいたのは、ギードの眷属である精霊達だ。彼らも同じく、自ら気に入った者には加護を与えることがあるからだ。
ギードは微笑む。
これで、人族である妻と娘、そしてエルフである息子までが、簡単に死ぬことはなくなった。
「ありがとうございます」
ギードは心からの、精一杯の感謝を込めて膝を折る。
ああ、これで自分は何の憂いも無く旅立てる。
「身に余る光栄。何のお返しもできませんが」
ギードは顔を上げ、ズメイの瞳を見つめる。人族の姿に変化している白い鱗の肌をしたドラゴンだが、それでもその威圧にギードは怯むことがない。
「贈り物を一つ」
「なんだ。お前から何かもらおうとは思わんがな」
ズメイはこのエルフがあまり好ましく思えない。あのタミリアの夫でなければ相手にもしなかっただろう。
いつものように薄い笑みを浮かべているエルフの商人を見下ろす。
「この先もし自分が光に戻りましたら、以前のお約束通り、タミリア付きで子供達をお二方に差し上げます。煮るなり焼くなり、何なりとお好きなようになさってください」
妖精族が光になる、ということは、この世を去るという意味である。
「な、なんだと!」
ズメイが白い鱗をやや赤くして怒りを表す。
「お前は、自分が死んだら妻も子も、どうでもいいと申すか!」
ギードはそれ以上は答えない。「失礼します」とだけ残し、怒りに震える人型のドラゴンに背を向ける。
「お兄様」
ユランは、エルフの姿を見送りながら、兄の体を抑えるように手を伸ばす。
「あのエルフはいずれ闇に飲まれる」
ユランがぽつりと呟いた。
「そう仰ったのはお兄様です」
「あ、ああ」
ズメイにはあのエルフの闇が見えた。妖精族とは元来、純粋な生き物であり、あのような闇を抱えている者は少ない。
短い間だったが、あのエルフと近しく相手をしているうちに、何故このような異質な妖精族がいるのか不思議に思ったが、幼い頃の彼の様子を眷属から聞き、納得した。
おそらく訳の分からない幼子のうちに、その環境のせいで心に闇が生まれた。その魂に染みついた闇が、彼の妖精らしからぬ複雑な心の揺らぎに繋がり、そしてすでに切り離すことが出来ないモノになった。
「大きな魔力を持つが故に、その闇もまた大きい」
心の中で育てられた闇。ギードの場合はその闇こそが彼の力の、思考の元になっている。不気味なはずだ。
「おそらく、もうすでに手遅れなのであろうな」
ズメイはやっと冷静になり、ギードの本心に気づく。
「愛する家族を、我らドラゴンに預けるか」
ズメイは、あのエルフに頼られたことを意外に思ったが、口の端はにやりと歪んでいた。
この時、ドラゴン達は気づいていなかったが、ドラゴンの加護を受けた者が、普通に人族の町で暮らすのは難しい。
実力者どころではない。普通の人族からは、かけ離れた異様な加護なのだ。
ギードは、自分がそばにいれば何としても隠し、ごまかし通す自信はある。
でも、自分がいなくなったら、タミリアと自分の子供達だけならば、町や森よりも、このドラゴン達と暮らす方がいいだろうと思った。
きっとその方が幸せだろう。そのための約束を取り付けたのだ。
「さて、次いくかー」
出立の挨拶はまだ続く。