クリーガー「メヌエット」
こんにちは、葵枝燕です。
昨日の今日で、第二弾を書きました。やる気があるうちにやっておこうと思いまして。
著作権的な問題ですが、前回書き忘れていたことがありました。曲名と作曲者などの情報くらいなら、紹介してもいいようです。そこに、歌詞を一部でも掲載したり、曲を無断で載せたりすると、アウトらしいです。だから、これは大丈夫というかセーフになると思います(じゃなかったらどうすればいいのか……)。
そんなわけで、始めていきましょうか。
耶麻緒は、そっと楽譜を開いた。そして、そっとその譜面をなぞった。
ヨハン・フィリップ・クリーガー作曲「メヌエット」。繰り返し部分を抜かせば、二十四小節からなる曲である。演奏時間は二分かからないほどという短い曲だ。
メヌエットとは、フランスで生まれた三拍子を刻む舞曲である。同名の曲では、バッハのものが最も有名であろう。
耶麻緒はこのクリーガーの「メヌエット」が好きだった。
この曲はとても舞曲とは思えない、と耶麻緒は感じている。バッハの「メヌエット」は、かわいらしい響きがある。小さな妖精がひらひら踊る光景が浮かぶかもしれない。しかし、クリーガーの「メヌエット」は違う。決して明るい曲とはいえない。フラットは一個も出てこず、シャープも二ヵ所に出てくるのみだ。それなのに、この曲は悲しげに響く。
その物悲しさに、耶麻緒の心は惹かれたのだ。初めて両手で弾いたときから、その紡ぎだされる響きになぜか魅了されていた。理由は今もわからない。ただ、そのどこか悲哀を滲ませるこの曲に、強く強く惹かれたことは事実だった。
(弾いてみようかな)
ふと、そんな思いが芽生えた。
この曲を弾いたのは、正確には思い出せないが軽く一年は前のことだ。体感では短く感じる一年も、楽器を弾いていない期間となれば話が変わってくるらしい。しかも、楽譜を見ただけではその曲の雰囲気さえも感じ取れない耶麻緒には、その一年以上というブランクは大きい。好きになった曲のはずなのに、今ではもうどんな曲だったのかすら思い出せない。
それでも、耶麻緒にとってクリーガーの「メヌエット」は思い出深い曲である。
楽譜の余白に書かれた担当教官からのメッセージ――「たいへんよくできました。やったね!!」というスマイルマーク付きの言葉が、あのときの嬉しさを呼び起こす。そうきっと、これもクリーガーの「メヌエット」に今も魅了されている証拠かもしれない。
耶麻緒は、楽譜を閉じて立ち上がる。
(もう一回、自分の手で弾いてみよう)
物悲しい響きを感じた「メヌエット」。思い出の曲。弾かなくなって一年ほどの月日が流れたが、それでも弾きたかった。
ちらりと、視線を窓際に向ける。黒い電子ピアノがそこにいた。練習なんてめったにしないから、椅子も譜面台も物置と化している。ピアノに向かって歩み寄った耶麻緒は、ピアノの周りにあったそれらをとりあえず机の上に積み上げた。そして、ピアノの椅子に腰かけ、小さく息を吐いた。
(ちゃんと弾けるかな……)
不安は残る。考えてみれば、ここ数年の耶麻緒は三拍子の曲とは縁遠い。それがさらに不安を大きくする。それでも、忘れてしまったこの曲を、自身の手で奏でたかった。
ピアノの電源を入れる。譜面台に楽譜を置く。
(とりあえず、まずは右手から)
ゆっくりでいい。もう一度、クリーガーの「メヌエット」を響かせる。一度目を閉じて、耶麻緒はそっと右手を鍵盤に載せた。
『クリーガー「メヌエット」』、読んでいただきありがとうございます。
「メヌエット」作曲者であるヨハン・フィリップ・クリーガーは、ドイツの作曲家でオルガン奏者です。一六四九年にドイツで生まれ、一七二五年に亡くなりました。
私はこのクリーガーの「メヌエット」が好きです。あまり明るい曲ではありません。それでも、この曲が好きです。そんな思いを、耶麻緒を通して伝えられればと思います。
あまり知られていない作曲家かもしれません。私も、「メヌエット」しか知りません。この作品で、少しでもクリーガーや彼の「メヌエット」に興味を持っていただけたなら嬉しいです。
気が向いたら、第三弾も書くかもしれません。気が向いたら、ですが。
読んでいただき、ありがとうございました!