南の島の小さな戦車
ちょっと悲しいお話
南海に浮かぶある小さな島に、一台のこれまた小さな戦車がいた。
遠く離れた故郷、日本では95式軽戦車と言われるその戦車は、その島の人たちからは花束の戦車と呼ばれていた。
太平洋戦争が始まってすぐに守備隊として駐屯した50人の日本兵もそう呼んでいた。
守備隊の隊長が、島の長から贈られた花束をその戦車のハッチに飾ったからだ。それからいつもその戦車には花束が飾られるようになった。
戦場から離れた小さな島で、その戦車は大活躍していた。ある時は島の人たちの家の木材を運ぶため、ある時は子供たちを乗せてドライブするため。その戦車は、いつも笑顔とともにいた。
しかし、戦況が悪化してきた大戦末期。この小さな島にも、戦いの匂いがただよってきた。
ある日、守備隊の隊長は島の人たちに安全な島に避難するように。
島の人たちは嫌がった。住み慣れた故郷を離れたくはないし、ともに過ごしてきた日本兵が殺されようとしているのを看過できない。
最後は命令という形で島の人たちは退避させられた。
避難するための輸送艦がやって来た時、島の人たちは日本兵と戦車に最後の花束を贈った。
島に残った日本兵と戦車は、島の人たちが乗った輸送艦が水平線に消えるまで、手を振った。
それから一週間後、米軍がこの島に上陸した。
熾烈な艦砲射撃と空爆が、美しかった小さな島を焼け野原に変えた。
そして大量の米軍の歩兵と戦車が焼け残った花や木を、踏み潰していった。
日本兵たちは必死に戦った。絶望的な戦場で最後まで。花束をのせた戦車も、また米軍を迎え撃った。
しかし、多数に無勢。奮闘虚しく彼等は散っていった。最後まで戦闘を続けた戦車も、花束とともに紅蓮の炎に呑まれた。
長い戦争が終わり、ようやく島に帰ることができた島の人たちは、朽ち果てた戦車と野ざらしにされた日本兵の遺骨を目にした。別れを惜しみ、いつまでも泣きながら手を振っていた日本兵たちはみな物言わぬ死体となっていた。
島の人たちは深く悲しみながらも、散らばった日本兵たちの遺骨を集め、それを戦車の周りに埋めた。そして燃え残っていた花で埋め尽くした。
花束に埋め尽くされた戦車は今でも、南の島で静かに眠っている。
絵本のような感じにしてみました。どこかの島では、現地の人々からジャパニーズソルジャーと呼ばれる花があるそうです。その花は日本兵たちが死んでいった所に咲き誇ったため、現地の人々が日本兵たちのことを忘れないようにとつけたそうです。
次は夏のお話です。
ではでは