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違和感

 なんだかおかしい。真司がそう思い始めたのは、別にあの窓の人影がきっかけというわけではなく、確か昨日からだった。


 授業中の教室を目だけで見回す。けだるい緊張感とでもいえばいいのだろうか、どこか曖昧に息の詰まる空気の教室には、その空気のまま特に変わったところはない。

 目を閉じる。もちろん何も見えなくなる。が。


 パッと目を開け視線を飛ばした床の一点、ちょうどその位置に消しゴムが落ちた。

 そして不規則に転がる。真司の目はその動きをぴたりと捕捉し続け、持ち主が拾い上げたところで注意を外した。


「ふうむ……」


 小さくうめく。昨日から妙に、なんといえばいいか、感覚が鋭くなってきている気がする。小さな音、空気の流れ、人の気配。いろいろな情報が目、耳、肌を通して入り込み、脳をぴりぴりと刺激する。この教室という空間全体を見下ろして手のひらに握っているのだと錯覚しそうにもなる。


 とはいえ、まさか本当に全部を把握できているはずもない。そんな大量の情報を自分の怠惰な脳が処理できるわけがないからだ。ということは気のせいなのだろう。少し過敏になっているだけ。窓の人影もおそらく遅刻を見咎めた真面目な生徒もしくは教師といったところか。

 チャイムが鳴って、教室の空気が緩んだ。


……


 買ったパンを外のベンチでもそもそ食んでいるとすみれの声がした。


「ちーす」


 無視して思考にふける真司に構わず、彼女は「お隣失礼」と真司の右に滑り込んだ。


「いやー今日もいい天気だねえ」


 見上げる空は確かに快晴で、雲も数えるほどしかない。風が優しく耳を撫でて吹き過ぎていった。

 しばらく何かに耳をすませるようにして、それからすみれは弁当を広げた。


 食べ始めたのは真司の方が先だが、ぼーっと食べていたので終わるのはいつも通りほぼ同時になった。二人ともすぐには教室には戻らない。真司は戻ってもやることがないからだが、すみれはまた別の理由だろう。とりあえずここにいれば清浄な空気に触れていられる。


 普段ならば特に内容のあることを話すでもなく適当に時間をつぶし、昼休み終了直前で戻るのだが今日は少し違った。


「真司くんはここ卒業したらどうする?」

「卒業?」

「うん。だってもう三年じゃん」

「だっけか」

「……本気で言ってる?」


 半分は冗談でもう半分は本気だ。頭では自分の学年を分かっていても実感が追いついていなかった。


「どうすっかなあ、俺」

「そんなんで大丈夫?」

「さあ。お前は?」

「大学」

「どこの」

「さあ? どこか適当に楽できて遊べて就職もきつくないとこ探して滑り込むつもり」

「それこそ大丈夫かよ」


 呆れて呟くとすみれは一度へへ、と笑って、それからすぐに笑みをひっこめた。


「まあ、あれじゃん? 自分の夢を追うとかそのために真剣に進路を模索するとかって、すごくいいことだと思うし実際いいことだって言われてるけどさ。でも人間の身体とか心とかがそういう正論についていけないなんてよくあることだし。だったらあんまり背伸びしなくてもいいかなって」


 ふうん、と曖昧に返事すると「あれだよね」と彼女は続けた。


「願いをかなえてくれる誰かがいたらいいんだけどね」


 奇跡を求める権利をやろう、と悪魔は言った。


「どういう意味だ?」


 自分の声にわずかに緊張が混じったことを自覚した。それに答えるすみれの声にはなにも気負うところはなかったが。


「別に深い意味はないよ。なんか面倒なことまとめて全部片付けてくれる誰かがいたらいいなって。そういうの、たまに考えたりするからさ」


 そろそろ戻ろうか、先行くね。そう言ってすみれは去っていった。


(まとめて面倒なこと全部、か)


 彼女が言い残していったことを思い出し、真司は眉間にしわを寄せた。面倒なことはいくつもある。残りの授業、今日の夕食、すみれの小言、それから、それから。


「……」


 なかったことにしたいことも。

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