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 目を覚ますと見慣れた天井が目に映った。シミ、傷の跡、全て覚えている通りの位置にある。ゆっくりと身を起こすと、やはり真司の部屋だ。彼はベッドに寝かされていた。


「……?」


 混乱を覚えて記憶を探る。しばらくして、自分が体育館跡で気絶したことを思い出した。見下ろすと自分の身体が埃などに汚れて、だいぶ治ってはいるものの怪我もしているのがわかる。服もあちこち破れていて、これらは戦闘によるものだろう。記憶に間違いはない。あの戦闘は確かにあった。


(……じゃあ、どうやって戻ってきたんだ?)


 意識がないまま歩いてきたはずはない。ならば誰かが運んできてくれたことになるが、その誰かがわからない。まさか泉が引き返して家まで送ってくれたわけでもあるまいし。


 不可解な気分を抱えたままふと視線をずらすと、部屋の床の真ん中に水槽が置いてあるのが見えた。中には大きなウシガエルがいて、ふてぶてしい顔でどこか遠くを見つめている。藤井家ペットことビッグケリーだ。


「……すみれ?」


 部屋を見回してつぶやく。狭い場所だ、もちろん彼女の姿はないし見つかるわけがない。


 ビッグケリーの頭上、つまり水槽の上には皿があって目玉焼きを乗せたパンが置かれていた。そしてその皿を持ち上げるとメモが一枚。


『学校の屋上で』


 その一文が、いかにもすみれらしいかわいい丸文字で書かれていた。



 平日にもかかわらず街は静かだった。まるでゴーストタウンにでもなってしまったかのようだ。道には車も通らないし人もいない。真司はその静寂の中をゆっくりと歩いていった。


 傷が痛む。能力がほぼすべてを治癒してしまってはいたが、鈍痛だけはこびりついたように残っているようだった。引きずるように足を進めていく。


 コンビニを通り過ぎ、バス停を横目に、それから大きめの道路を横断するところで。

道路の真ん中で真司は立ち止まった。


「いるんだろ?」


 それから振り返る。視線の先はすぐそこの曲がり角だ。


「……」


 待つこと数秒。一人の男が姿を現した。泉達郎。拳銃を隙なく構えてこちらを狙っているが、彼の左太腿は包帯が巻いてある。素人目にも分かる雑な巻き方で、大した治療はできなかったのだと知れた。


「何の用だ……ってのもおかしいか。不意打ちで俺を殺そうとしてたんだよな」

「……」


 泉は何も言わないが、その目ははっきりと語っていた。殺す、と。


「無理だ。今のあんたに俺は殺せないよ」

「知っている」


 泉はそれでも拳銃を下ろさずに続ける。


「だが殺す。それが私の正義だからだ」


 とんでもない言い様だが、真司は笑わなかった。正義の在り方は人によって違う。自分にとっての妹のような存在が、この男にもいるのだろう。


 と、真司は気づいて問いかけた。


「……泣いてるのか?」

「いいや」


 涙が見えたわけでもなかったが聞かざるを得なかった。そんな気がしたのだ。だが本人が違うというのなら違うのだろう。


「殺す。何としてでも殺す。絶対だ。そのためにここに来たんだ」


 真司はその様子に恐れよりも哀れを覚えた。これから自分の言うことは彼の意に沿うことは絶対にありえず、なおかつ彼の終わりを告げることだからだ。


「いいや無理だ。あんたが拳銃を撃つより俺が動く方が早い。あんたが撃とうと考えるより俺が察知する方が早い。あんたは俺を殺せない」

「だから、それは知ってるんだ! それでもやるんだ……」

「あんたに奇跡の権利を譲る」

「……?」


 いきなりの真司の言葉に、泉は面食らったようだった。彼が何かを言う前に真司は言葉を続けた。


「正義と悪の証明方法、多分分かった気がするんだ。もう少しだけ足りないピースが必要だろうけど。でも大筋はつかんだ。だからそれをあんたに譲るよ。あんたはそれを悪魔に渡して権利を得ればいい」

「なんのつもりだ」

「俺は興味ないんだ、奇跡の権利なんて。叶えたい願いは、とうの昔にもう叶わなくなっちまってた。だから、もういい」


「お前に何の得がある」

「代わりに時間が欲しい。会いに行かなきゃいけないんだ。待ってる奴がいるんだ。その時間が、欲しい」

「お前がその取引をきちんと履行するという保証は?」

「……ないな」


「なら」

「でもよ。考えてもみてくれよ。ここで絶対に勝てない勝負を挑んで全てを失うのと、それから不確かでも可能性が残されている方を信じて待つのとどっちがいいか」

「……」


 真司は急かさずに辛抱強く答えを待った。



 屋上の扉を開けると、気持ちのいい風が頬に触れた。学校は高台にあるためここからは街のほとんどが見渡せる。街が向こうの山並みまでずっと続いているのは壮観だった。真司たちの故郷はここより少しは遠いが、しかしここも一種の故郷には違いない。感慨を込めて真司はもっとも遠くを見やった。悪魔の力はこんな時にこそ一番役に立ってくれた。


「綺麗な風景だな――藤井」

「……そうだね」


 右に視線を移すと、フェンスに背中を預けてすみれがいた。うつむいて、瞳を閉じて。


「俺はここに逃げてきたんだよ。だからこの風景はあんまり好きじゃなかった」

「わたしも。好きな人が逃げてきた場所の光景なんて、嫌いも嫌いだったんだから」

「でも、どうしてだろうな。今はそんなに嫌じゃないんだ」


 すみれが顔を上げた。彼女には似合わない、陰のある無表情を浮かべて、風に遊ばれる髪を押さえて見せた。


「真司君」

「ああ」

「わたしね、真司くんの役に立ちたかったんだ」

「……」

「悪魔が目の前に現れた夜。あいつはわたしに言ったの」


『愛は正義か?』


「わたしがうなずくと『ならばそれを証明せよ』って」

「愛、か」

「ガソリン火災に巻き込まれたあの日、もうわかってると思うけど能力を使ったのはわたしだよ。わたしの能力は『魅了』。人を意のままに操ることができる。真司くんも能力者だって気づいたのもその時。真司くんにも同じように能力を使おうとして失敗した」


「悪魔能力者に悪魔の能力は効かない」

「真司くんの身体強化能力は別としてね」

「そして能力者の見分け方を知ったお前は、泉達郎が最後の能力者であることを突き止めた」

「そう」


「そして教室までおびき寄せて暴いた。……なんでそんな回りくどいことを?」

「真司くんにはわたしが能力者だって知られたくなかったからだよ」

「でも進み出てきたじゃないか。犯人はお前だーみたいに」

「あれはね、結局わたしが教えてあげないといけないって気づいてなかったんだよ」


 すみれがくすくす笑いを漏らす。その時だけ顔から悲しい色が消えた。


「……馬鹿だなお前」

「うん、馬鹿だよ」

「本当馬鹿だよ」

「本当、馬鹿だね……」


 すみれは視線を遠く町並みへ移した。


「綺麗だね、真司くんの言う通り。いつの間にか忘れちゃったのかな……真紀ちゃんのこと。あなたと過ごす時間が、あまりにも、楽しすぎて」

「……」

「わたしのせいで死んじゃったのかもしれないのに、あの子」


「……どうしてそう思うんだ?」

「あの子はあなたが大好きだった。もしかしたら兄としてではなく一人の男性として好きだったのかもしれない。でもあの子はすごく聡いから、わたしも真司くんが好きなことは分かってた。そして……わたしは多分、彼女を憎んでしまったから」


「それを察して真紀は死んだ、と?」

「馬鹿な話だと思う?」

「いいや。俺にも覚えがある」

「……。昔はいつも三人でいたよね。いつの間にか一緒にいることも少なくなっちゃったけど」

「本当、どうしてだろうな」


 いや。言うまでもなくわかっている。すみれの話を聞いてはっきりした。三人でいられなくなったのは自分のせいだ。自分が、真紀の才能に嫉妬し、怯えたから。自分がぐずぐずと悩んでいたから!


(でも、せめてこれからはもう間違えたくないんだ)


 一歩をすみれの方へ踏み出した。それを制するようにすみれが声を上げた。


「真司くん。お願いがあるんだ」


 足を止めてつぶやく。


「……お願い?」

「わたしを、殺してほしいの」

「できるか、そんなこと」

「やらなきゃいけないの」


 すみれが指をさす。その先には。フェンスの向こう側にずらりと学校の生徒や教師が並んで立っていた。


「……」

「わたしを殺さないと、わたしは自分の魅了の能力を使ってあの人たちを飛び降りさせる。わたしを止めたければわたしを殺すしかない」

「あの十数人よりお前を取ると言ったら?」

「嘘。そんな罪に堪えられるわけがない。あなたも、わたしも。それにね、わたしが人質に取っているのはここの人たちだけじゃないの」

「……街の人たち全員か」


 真司は誰もいないかのように静かな街の様子を思い出す。


「そう。わたしの能力は成長を続け、こんな離れ業まで可能にした。わたしが命じればその人たちはそれぞれにそれぞれの方法で自らの命を絶つ。それを止める方法はやっぱり一つ。わたしを殺すことだけ。真司くん、お願い」

「断る」


 真司は即答した。


「……優しいんだね」

「違うよ」

「でもダメだよ。あなたはわたしを殺すべきなの。だって、それが正義なんだから。悪を倒して多くの人の命を助けるの。そうすればあの悪魔への善悪証明が完成する。そうすれば真紀ちゃんを取り戻すことができる!」


「やっぱりそういうことか。くだらないこと、考えやがって」

「くだらなくなんかない! わたしはあなたを愛してる! あなたは正義を問われてる。そして私もまた問われてるの。わたし自身の愛を。わたしは怖くないよ。だってわたしがあなたの役に立つ方法は、これしかないんだから」

「できない」

「……そう」


 すみれはそうつぶやくと、さっと手を挙げた。同時に五人の男子生徒が真司の死角から現れた。どの生徒も目に光がなく、そして手には小型のナイフを構えている。


「……甘く見ない方がいいよ。能力者でもないただの人間だけど、わたしの魅了の力で身体能力が疑似的に強化されてる。それにわたしが統制する。あなたでもこの数を同時にさばいて殺さずに済ますことはできない。死にたくなかったら、わたしを殺すの」

「脅しても無理だ。俺はやらないよ」


 すみれは一瞬泣きそうな顔になった。下唇噛んで必死に堪える様子を見せてから。手を振り下ろした。同時、彼女の兵隊が、真司に殺到した。


 そして真司は。身構えず、ましてや力みもしなかった。ただ一歩、二歩とゆっくり歩き始めた。


「……!」


 そして、兵隊たちとすれ違う。すみれが息をのむのがわかる。その目の前に静かに歩き続ける。兵隊たちはその間攻撃の手を休めない、がそれでも真司に触れることができない。真司はすみれまであと数歩というところで手を斜めに振り下ろした。五人の男子生徒は声もなく膝をつき、倒れ伏した。


「真司、くん」


 目の前の少女の目が涙でにじむ。その輝きは瞼に閉ざされ、すみれは覚悟するようにうつむいた。あるいは、叱られて、怒声に怯える子供のように。


 その頭に、真司はゆっくりと手を伸ばす。


「すみれ」


 ぽん、と。手を置いて彼は言った。


「やっぱお前は馬鹿だよ。俺が好きなやつを殺せるわけ、ないだろ」


 街の風景は、それを吹き渡る風の色は、やっぱり綺麗だな。そんなことを考えながら彼は彼女の頭を撫でてやった。はねている癖毛の感触が、何となく手に心地よかった。


 すみれがぺたん、とへたり込んだ。


「なまっ……名前でっ、呼んでくれ、たっ……」


 嗚咽交じりのその声はひどく聞き取りづらかったが。彼女はそれだけ言うと、わっ、と大声で泣き出した。


 真司は苦笑する。


「……驚くとこ、そこかよ」

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