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捕捉

「……」


 夢を見ていたようだ。真司はベッドに寝そべったまましばらくぼうっと天井を眺めた。どうやら泣いてもいたようで涙の余りが目の縁に残っている。それをぬぐって起き上がった。ビッグケリーの目覚ましボディプレスは当然だがなかった。


「なかったらなかったで……なんだか調子狂うな」


 しぶしぶ認めてベッドから降りる。ウシガエルの姿がないということは当然朝食の用意もない。すみれの姿もだ。


「……」


 後ろめたいような心地で頭を掻く。すみれはここ数日この部屋には来ていなかった。正確にはあの口論の日からずっとだ。学校に行けば教室に姿はある。だが目が合うことはない。昼休みの一緒の昼食もなくなった。避けられている。


 どうにも気が沈んだ。悪いことをした、と思うことができればいくらかよかっただろう。しかし必要なことでもあった。すみれを危険には巻き込みたくない。ただ、それでもそれをしっかり言葉にすべきだっただろう。


 ため息をついて一階に降り顔を洗った。一通りの支度を済ませ高校に向かう。時計の針は十時を回っていて、今日も遅刻だ。



 教室に入るとちょうど授業間の小休憩だったらしい。クラスメイトたちが思い思いに雑談に興じていた。だが真司の入室した一瞬、それらの声がぴたりと止んだ。教室中の視線がこちらに集まり……それから波のように引いていく。いや一見注意は散っていったように見えるが皆がこちらを気にしていることは嫌でもわかる。雑談の声が先ほどよりも小さく低い。


 真司もまた気に留めなかった振りをして席に着いた。まあ振りだけだ。全て聞きとれてしまうのだから気にするなという方が難しい。悪魔の力はそんな余計なことまで可能にした。それでも意志の力で自分に無視することを強いた。


 ちらりと肩越しに振り返る。すみれは自分の席に一人でいた。机に突っ伏して、寝ているように見える。彼女の周りだけぽっかりと空間ができていた。

 気にはなったが、どうすることもできなかった。今さら自分に何かを言う権利はない。そう思ったからだ。


 昼休みに入ってベンチで簡単に食事を済ませると真司は校内を端から端まで歩き始めた。最初はガス爆発現場の実験室、それからガソリン火災の部室棟跡。後は本当に玄関口から校舎の奥まったところまでをひたすら歩いた。


「ふうむ」


 やっているのは情報収集だ。悪魔の力があるのでただ眺めるだけ、ただ聞き流すだけでもわかることはそれなりに多い。現場の様子、捜査員や生徒のやりとり、それらから重要なことを抜き出して整理し並べていく。


 まず見て分かったのは、何の手がかりもないということだった。手際がいいのかそれとも爆発、火災の事件の特徴なのか見て分かる痕跡らしきものは残っていない。捜査員が持って行ったわけでないことはその会話を聞きとって確認済みだ。


 そして聞いて分かったのは、誰も犯人らしき人物を見ていないということ。爆発も火災も人為的なものでほぼ間違いないしそう噂されているのに犯人を見たという情報はない。あってもそれらは何組の生徒だ、いやあの教師だ外部の人間だ、などとバラバラでまとめてみてもとてもではないが人物の特定にこぎつけるのは無理そうだった。奇妙なことではある。具体的な目撃証言がないというのは。


(つまり……)


 何もわからない、ということだけが分かった。


「いや」


 もしくは何らかの不可能を可能にする力によって犯行を行ったかだ。例えば、悪魔から与えられる力。


 真司は視線を感じて振り向いた。廊下の先には誰もいない。走って角の向こうを確認する。が、やはり誰もいない。

 舌打ちして頭を振る。過敏になりすぎているのか。それでもぬぐいきれない不気味さがある。


「どうすればいい……?」


 真司は床に視線を落としてつぶやいた。



 昼休みの終わり際、教室の方へと歩きながらも真司は考え続けていた。自分を攻撃している力の所持者は何者か。目的は何か。そしてその攻撃への対処法を。だが考えているうちに別の声が頭の中で響いてついと思考が逸れた。


『真司くんって名前で呼んでくれたことないよね、わたしのこと……』


 すみれの言葉だ。


『真紀ちゃんが死んじゃったの、もしかしてわたしのせいなのかなって、ずっと考えてた』


「……」


 身に迫る危険のことが一時遠のいて、真司はすみれのことを思った。

 すみれは明るい少女だ。深く物を考えるような性質ではなく、だからこそ普通の人間がつまづくところでつまづかずに飛び越えて行ってしまう。そんな彼女が気にしているのだからきっと大事なことに違いない。


 妹が死んだとき、近しい者たちは自責の念にさいなまれた。彼女もそうなのだろうか。中学生だった頃、真司と真紀とすみれと。三人でいることが多かった。だから彼女も呪いの中に巻き取られてしまったのだろうか。


 教室に入って席につく。まだ時間に余裕はあった。周りはまだそれぞれの話に夢中になっているようだ。その視線が背中に刺さるのが分かる。


「ねえ、平川っているじゃん? あそこの、そう、真司」


 本人たちは聞こえないと思っているのだろうその声も、今の真司の耳はやはり無駄に拾ってきてしまう。


「前のガス爆発と次のガソリン火災、どっちも巻き込まれてるらしいよ。なんかあるって絶対」

「ガス爆発の時はなんか呼び出されたんだって聞いたけど」

「え、嘘、告白!?」

「すっごい気になるそれ!」


 別の声も聞こえる。


「隣のクラスの奴に聞いたんだけどさ、ガソリン事故の時に藤井、監禁されてたんだって」

「マジ?」

「マジ。超マジ。なんかあったんじゃねって思うんだけど」

「なんかってなんだよ」

「ナニだろ」


 くだらない、無視しろ。そう自分に命じても苛立ちは自然と湧いてくる。


「そういえば藤井と平川って同じ中学じゃなかったっけ」

「そうなの? 知らないけど」

「らしいよ。結構遠いとこみたいなんだけど、どうしてこの高校来たんだろうね」

「わたし知ってる」


 一呼吸分、その女子に視線が集まる間が空いた。


「平川真紀って知ってる? 三年前に死んじゃったピアノ上手い子なんだけど」


 真司は奥歯をかみしめた。舌に苦味が広がる。


「平川って……」

「そう平川君の妹。その、自殺だったらしいんだけど」


 ドン! とすさまじい音を立てたのは真司の机だった。真司は机を叩いた力でそのまま立ち上がった。


「いい加減にしろよ」


 振り返ると全員の視線がこちらに集まっていた。そのすべてを受け止め睨み返しながら真司は怒鳴る。


「好き勝手に言えばいい。そこまでお前らに自制は期待してないさ。思う存分楽しいおもちゃで遊べばいいだろう。でもな、無遠慮に踏み入ってくるならそれ相応のやり方でやり返されても文句は言うなよ!」


 脅しだ。これ以上言うならお前らをぶちのめすと。信じる奴はいないだろう。それでもやる。やるならば彼らは思い知ることになる。


(思い知ればいいさ。他人の心に土足で踏み入るのなら)


 しん、と教室が静まった。誰も微動だにせず何も言わない。真司の声に呆気にとられ、硬直している。

 ため息をついて椅子に座ろうとして、真司は異変に気付いた。


「……?」


 誰も動かない。動き出そうとしない。訝しく思って手前の生徒を見やるが彼も真司の方を見たまま動かなかった。目に光がない。


(一体……?)


 妙だった。いや、頭に上っていた血が引いてくるにつれてわかるようになる……悪魔の力の気配だ。


(これは、あの時と同じ!?)


 慌てて跳び退り身構える。まだ生徒たちは動かない。とても静かだった。まるで真司以外の時間が止まってしまったかのように。


(静かすぎる)


 まさか、と背筋を冷たいものが伝う。学校全体に力が働いている?


 なぜこのタイミングで、とまず思った。回りくどい手が失敗したために真正面からの攻撃に移った、ということだろうか。だがやはり分からない。なんのための攻撃なんだ?


 と。教室の戸が開いた。ちょうど教壇に身構えていた真司の左の戸だ。一人の男の姿があった。


「あなただね」


 はっとして声のした方を見ると、女子生徒が一人、進み出てくるところだった。彼女は立ち止まり、ぴたりと男に指を突き付ける。


「あなたが三人目の、悪魔の力の所持者だ」


 すみれは静かにそう告げた。

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