2話 キサラギの日常?
「てんちょー、もうお昼ですよー?」
エインシュルド第三東区にある「100円ショップ・キサラギ」、その二階の一室。
すでに時刻は昼となっているのだが、カーテンが閉め切られたこの部屋は、その隙間から微かな陽光が漏れ出ているだけで、少々薄暗い。
そんな部屋のベッドに横たわり、熟睡している少年、ユーマ。
その傍らには、ユーマを起こそうとしている、小さな人影があった。
「てんちょー、てんちょー」
ゆさゆさ、とその人物は、寝ているユーマを揺する。
「なんで朝は起きていたのに、また寝てるんですかー?」
「…………」
しかし、起きない。耳元で声を上げられようが、少々強く身体を揺すられようが、ユーマ・キサラギは起きる気配が微塵もない。
「……もう、そんなてんちょーには――」
人影は、一度ユーマから離れると、僅かに助走をとった。
そして――。
「――てんちゅー、ですっ!」
勢いよく走り出した人影は、ベッドで熟睡しているユーマのお腹に、飛び乗った。
ギシ、とベッドのスプリングが軋むような音を立て、そして沈む。
「ギャァァアアッ!!」
一拍遅れ、ユーマの断末魔が、店に響き渡った。
「……マジありえねぇ」
ユーマは、未だにジンジンする腹を擦りながら、隣にいる人物を横目で睨んだ。
「ふふん、いつも起きないてんちょーが悪いのですよ」
ユーマに断末魔を出させた張本人――名を、アルシェという少女はユーマの視線を気にも留めず、そう言う。
そして、それは正論であった。……というよりも、この会話はアルシェがユーマを起こすたびに発生しているわけなのだが。
「…………」
しかし、それではユーマの気がおさまらない。
ユーマは無言のまま、アルシェの長く尖った耳を引っ張った。
「い、痛いっ、痛いのですよ、てんちょー!」
バタバタ、と暴れ、ユーマが手を離した後。アルシェは涙目になりながら、ユーマを見上げ、そして言った。
「て、てんちょーは、エルフの耳をなんだと思っているのですかっ!?」
そう、その発言の通り、アルシェは人間の少女ではない。
ユーマよりも、僅かに低い身長。パッチリとした目から覗く、宝石のごとく澄んだ翡翠色の瞳。絹のように、滑らかな金髪。そこからピョコッ、と飛び出ているのは、人間のものと比べて、長く、尖った耳。
――アルシェは、エルフという種族の少女なのである。
さて、そんな二人の関係は、店の店長と、その従業員。
言わずもがな、人間のユーマが店長。そしてエルフのアルシェが、この店のたった一人の従業員だ。
「んー……玩具?」
ユーマは、そんなアルシェの非難を聞いて、考えるふりをしながら、予め決まっていた答えを述べる。
そしてその答えにアルシェが怒り、ユーマを批判。この流れもまた、普段からよくやるやりとりだった。
「だいたい、客なんてあんまり来ないんだから、俺は別に寝てても問題ないだろうが。何のために拾って、従業員として雇ったと思ってるんだ」
「むっ、だから拾ったっていわないでくださいよ!」
ユーマの表現に、アルシェが抗議する。
しかし実際の所、拾った、という表現はあてはまらなくもない。
アルシェは、どういううわけかユーマの店のすぐ前で行き倒れていたのだ。それを奇しくもユーマが発見してしまった。それが、二人の出会いなのである。
小言を連発するアルシェを適当に相手しつつ、ユーマは店の一階、売り場スペースへと降りた。
客の姿は、無い。もっとも、客が店に入ってくれば、音が響く仕組みなので、分かっていたことではあるが。
「しっかし、毎度毎度、なんでこうも暇なのかね?」
ユーマは、会計カウンター内にある肘掛け椅子に座り、ガラガラの店内を見回す。
店に置いてある商品は、様々だ。
雑貨や小物をはじめとして、ちょっとしたインテリアなどが、整理されて並んでいる。そして、それだけではない。この店には、剣などといった武器の類や、鎧盾などの防具、更には石像といった物まであるのだ。
中々の品揃えだと自負しているし、勿論、品質などに問題はない。
「……てんちょー、それ本気で言ってます?」
そんなユーマの呟きが耳に入ったのか、アルシェが呆れを含んだ視線を向けた。
「100ジルクショップなら、なんとなく分かりますけど。……100円ショップなんていわれても、誰も分かりませんって」
――私だって働き始めるまで意味が分かりませんでしたし。
と、アルシェは、やれやれ、とでも言わんばかりに、肩を竦める。
アルシェの言う通り、ラフェイアに流通する通貨の単位は円――ではもちろんなく。ジルク、という単位なのだ。
――だが、ユーマは。
「だって、100ジルクショップって、なんか語呂が悪いじゃん」
普段からそう言って憚らず、店名を変えようとはしない。
それに言い難いし、と愚痴を零しながら、ユーマはカウンターに頬杖をつく。
もっとも、客が来ないのは怪しさもそうだが、立地の問題もないわけではないが。
それはともかく、アルシェはカウンターに座ったユーマを見て満足そうに頷くと、踵を返し階段を戻っていった。
「……ふぁ」
ユーマは、誰もいないのをいいことに、大きく欠伸を一つ。
変化があったのは、それから少ししてのことだった。
カランカランッ、と渇いた音が、店内に響く。
それは、キサラギに来店者が来たのを知らせる音。と同時に、店の扉が、ゆっくりと開かれていく。
「あー、いらっしゃ……」
来店者に対し、いかにもやる気のない、といった間延びした声を上げるユーマだったが。
しかしその声は、途中で止まることとなった。
彼の表情に浮かぶのは、微かな驚き。やや目を見開き、扉から入ってきた人物を、凝視している。
ユーマの視線の先にあったのは、二人の怪しい人物だった。
なにが怪しいかって、まず目を引くのは、フードを目深に被り、まるで顔を隠すかのようにしていること。実際、二人の顔を見るには、真下から覗きこまねば、その顔は窺い知れないだろう。
全身には、色がすっかり抜け落ちた薄汚いローブを纏っている。
店によっては、確実に入店拒否されるだろう、その二人組の不審人物。
だがしかし、ユーマはその正体を看破していた。
「……ああ、お嬢様たちか。いらっしゃい」
ユーマの言葉を受けてか、その二人組がフードに手をかけ、その素顔を晒す。
果たしてそこにあった顔は、ユーマの予想していた通りの人物であった。
「こんにちは、ユーマさん」
ユーマから見て右にいるのは、艶やかな紅の髪を揺らし、柔らかな笑みを湛える美しい女性。
彼女の名は、サラ・アーレスフィア。
ユーマは、サラのことを「お嬢様」と呼んでいるが、それは比喩でもなんでもない。
彼女は、本物のお嬢様。アーレスフィア家、という貴族の息女なのだ。
「どうも」
しかしユーマは、そんなサラの挨拶に片手を挙げ、ぞんざいに返事をした。
すると、その様を見咎め、ユーマに食って掛かる人物がいる。
「貴様! またサラ様に向かってそのような口を!」
サラの傍らに控える、紫色の髪を持つ男性。
ヨシュアという名である彼は、サラの護衛騎士だ。事実、ローブの下には鎧を着こんでいるのか、少々形が浮き出ている。
「いいのですよ、ヨシュア」
「……はっ」
サラは気にしていないのか、ユーマを睨みつけるヨシュアを、手で制す。
ヨシュアは、それに従って、怒気を収めたものの――やはり気に入らないのか、ユーマに鋭い視線を送っている。
さて、そもそもの話なぜユーマが、貴族という高貴な身分であるサラと関わりがあるかというと。
それは、「ユーマ・キサラギ」が「如月雄舞」であった頃まで、話は遡る。
如月雄舞は、日本に住む高校生であった。いや、正確には――どう言えばいいのだろうか。
高校生といえばそうなのだが、しかしまだ高校生になっていないともいえる、微妙なライン。
それは、私立高校にて入学式を迎えるため、桜舞い散る初めての通学路を歩いていた時のことだった。唐突に、如月雄舞の意識が暗転したのである。
そして気がつけば――目の前の彼女、サラ・アーレスフィアの寝室にいたのだ。
ユーマがこうして生きていられるのは、一重にサラのおかげであるといえる。
これがサラではなく、他の貴族であったなら。貴族の屋敷に侵入した無礼者として即座に連行され、投獄、最悪の場合処刑されていた可能性が高い。
確かにサラは、突然寝室に現れたユーマに驚きはした。しかし彼女は、人を呼ぶことなく、ユーマの話に耳を傾け。そしてこの世界のことなどを話してくれたのだ。
ユーマは、異世界人なのだろう。そう、サラは言った。
原因は解明されていないが、時折この世界には、他の世界からやってくる存在がいるらしい。
――それが、異世界人。
珍しくはあるが、すでに何人かが確認されているという事実を知り。自身もその一人となったことを、如月雄舞はそこで知ることとなったのだ。
まずこれが、貴族であるサラ・アーレスフィアと知り合った経緯。
では、何故こうしてユーマは100円ショップの店長を務めているかというと。
――それは、彼に宿っていた能力にある。
サラ曰く、異世界人はこの世界に来た時、秘めていた能力が開花されるという。
更に、能力だけではなく、身体能力なども上昇するらしい。
何人かの異世界人は、開花した能力と、その身体能力によって強力なモンスターなどを討伐し、この世界で有名人になったりしているんだそうな。
そして、ユーマに確認されたのが――「コピー」という能力。
効果は、物の複製を創り出す、という極めて単純なもの。
それを知った如月雄舞は、今後の身の振り方を考えた。
ならば、店を開けばいいと。しかしただの店では、他となんら変わりがない。
幸いにも、この世界には100円ショップという概念が無かった。
ならば、複製したものを売り物として、100円ショップを開こうと。
もっとも、考えついたところで、身分不詳にして無一文のユーマが即座に店を開けるわけがない。……普通ならば。
実行に移せたのは、貴族であるサラの支援があったためである。
そうでなければ、いかに能力を駆使したとして、かなりの時間を要したであろう。
まあ、そんなこんなで、運が味方したこともあり。
日本に住んでいた学生、如月雄舞は――この世界の住人、ユーマ・キサラギとなったのだ。