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野良猫談話

作者: 杜々裏戸

エッセイではありません。徒然な話でもありません。づらづらとしたただの愚痴。猫の戯言。そんな話です。

・猫

 最初に触れておこう。

 猫とは旅をするものだ。ぬくぬくとした厨から出て、ふらふらと旅に出る。誰がとやかく言おうとも、猫を止めることは出来なかった。

 それが昨今、猫の首には首輪が掛かり、時には家から出して貰えず、もっと酷いときには首に掛けられた輪に縄まで付けられて引っ張られる。これは猫の沽券に関わる。そもそも、大人しく人間の後を追いかけるのは犬の役目ではないか。

 とはいえ、最近では犬と猫との違いも曖昧だ。

 犬は人間に懐き、尾を振り、餌を貰って飛び跳ねる。

 反対に、猫には人間の方が近付き、追いかけて来る。余り一生懸命よってくるから、時には御義理で尻尾を振ってやる。するとまた、人間は喜ぶ。食事にしたって別に欲しくはないのだけれど、人間の方からどうぞお食べくださいと出してくるものだから、その気持ちを汲んで食べてやるのだ。だから猫は食事にがっつかないし、犬には餌というものを食べさせる人間も、猫の方は敬い、自分たちと同じ食事を出す。白い米の上に焼いた魚を尾頭付きで添えたりと、それはもう真心尽くして従っていたのだ。ねこまんまという食べ物にしても、人間の食べる米と味噌汁を、二つの皿に分けては面倒臭いだろうと、自分たちの方からひとつ皿に合わせて差し出していた。

 それがどうだ、今では多くの猫が自分たちのプライドを忘れ去り、あの犬の如く自ら尾を振り、人間の後を追いかけている。人間の命令と規則に甘んじ、自分の意志を捨て去ってしまい、旅に出るような気概のある猫はいなくなった。食事でさえ、人間が作るものではなく、缶詰というインスタント食品に格下げされた。ドライフードよりはマシとはいえ、これでは猫も犬も同じ扱いではないか。人間の中にはキャットフードを美味いだの何だの抜かす奴がいるが、そう言う奴こそキャットフードを主食にすればいいのだ。少なくともそんなインスタント食品は、我々猫に提供するものとしては余りに素っ気ない。……と、話が脱線した。

 昔から、猫は旅に出て自分の領域を自分で決めてきた。自分たちで伴侶を選び、時に争いながらも友好な猫関係を築き上げてきた。それなのに今世の猫は、父よりも、祖父よりも昔、遠い祖先から続いてきた自分たちの本能を、人間のために諦めなくてはならなくなってきている。

 生まれて間もなく母親から離され、万物がそうであるように母を慕う心を引き裂かれて狭いガラスケースに閉じ込められる。好奇心に満ちた人間達の前に見せ物にされ、猫の猫たる尊厳を打ち砕き、恥辱に至らしめる。我ら猫の魂と誇りはこうして人間達によって踏みにじられ、そして我らはその、仇とでも言うべき人間達に従うように指導される。

 民家に産まれた子供達も大抵は同じ道を歩むが、時に見放され、野山にゴミ同然に放り投げられ、捨てられる。これは一体どうしたことか。

 それに飽きたらず、幼き子供達を手に入れた人間達は浅ましく、誇り高い猫をただの慰み者にするのだ。果たしてこんな暴挙が赦されようか。

 ともあれ今の時世、人間にとって猫は自分たちが支配するものだと思い込み、その為尊厳ある猫の人生、いや猫生までも支配しようとしている。

 その一つが、我々猫の本能でもある旅心で、人間達は猫が旅に出ようとすると、「戻ってきたって入れてやらないからね!」等と不条理極まりない発言をする。中には「迷子になったらどうするの」等と馬鹿げた事を言う人間もいるが、これはただの無知なので致し方ない。心配しなくても、猫には立派な帰巣習性とでも言うべき本能があるからこれはただの杞憂である。

 そんな事はさておいて、問題は、そんな人間の勝手の所為で、突然世の中に投げ出される猫達もいるという事だ。かく言うこの私も、そんな中の一匹なのである。

 一週間の旅から戻ると、我が家は空き家になっていた。




・書く

 書くというのは、主に文字である。

 これは頭を使う。ひとつの字を書いている中にも、これで合っているのかどうかという疑念が沸き、書くこと自体に集中できない。人間、若かりし頃には文字を書くことを長きに渡って強制され、中にはトラウマになった輩もいるとかいないとか。ちなみにこれは虎と馬のことではない。

 猫生において、勿論人生においても宿敵犬の犬生においても、まあアメーバ生なんかはどうなっているのか知らないが、ともかく、我々が何かしら行動を起こす際、必ず別の何かを喪失、もっと言えば消費しているものだ。たとえば寝れば休息を得る代わりに時間を消費し、料理好きにとっては娯楽と完成品を得る代わりに食材と時間を、嫌いな者にとっては完成品と苦痛の代わりに、やっぱり食材と時間、それに自由も失ってしまう。

 それらの中で何かを書くというのは、もっとも消費の激しい行為だ。文章を綴るのではなく、ただ文字を書くという事になると大抵において苦痛ではあるまいか。苦痛だとしたら、文字と苦痛を得る代わりにその間の自由を失い、時間を消費し、文字を書いた対象物のスペースや物品そのものを消費し、鉛筆なら芯、ペンならインクを消費する。何という無駄遣い。省エネだの環境破壊だのを云々抜かすより先に、こういうところをどうにかすれば良いものを、人間とは妙な生き物である。

 これを、人間は幼い頃、年長の人間達によって強制されているという。資源の無駄遣いとはまさにこのことだ。その点、猫の場合は非常に楽だ。自分の領域に立て札を立てる必要も、そこにメッセージを書く必要もない。猫も犬もマーキング、たったそれだけ。

 簡単に言えば、猫という生き物の殆どは文字を書くのが嫌いだ。面倒臭いという事も事実ではあるが、何より猫は鉛筆が持てないからである。




・本

 基本的に楽である。

 読む場合に消費するのは時間と自由と視力、これくらいだ。ページを捲るだけで良し、目が疲れるのが難点ではあるが、別段物質を消費する訳でもない。

 ところでこの本という物体、ものが大判で分厚いハードカバーであればあるほど良い。表紙は爪研ぎに不自由せず、何よりこれを何冊も積み重ねて陽の当たる縁側に置き、良くその上で丸くなったものだ。

 私が飼い猫であった頃の話である。




・打つ

 打つと言えば色々ある。釘を打つ、点を打つ、打つ打つ打つ。別に思い付かなかったわけではない。無論、投げ遣りになった訳でもない。思い出すのに疲れただけだ。

 この打つという字、今回はパソコンのキーボードの事とする。

 キーボード自体は叩くともいったりするが、画面に文字を出力する場合、「××と打って下さい」という輩もいる。慣れるまでは大変だが、中々便利で使い勝手も良い奴だ。漢字を思い出せなくても勝手に変換してくれるし、紙も芯もインクも消費しない。消費するのは時間と電気、ブラインドの中のページだけだ。

 それになにより、ペンを持てない我ら猫類も、キーボードなら爪を伸ばしさえすれば、何とか使いこなせるのだ。そんなわけでこの私も、こうしてちまちま打ち込んでいるのである。

 文明の進歩とキーボードの発明者に、乾杯。




・茶菓子

 此処で言う茶は色ではない。

 茶をいただきながら、茶菓子を抓む。この一時がえもいわれぬ。至福の時間である。

 しかしながら、この世界は余りに人間贔屓ではないか。

 我ら猫類の中でも家猫に属する小型の猫は、デパートやスーパーで売っている茶菓子が何ともデカい。茶葉は小分けにして使えるし、湯呑みは大きくても分量を調節できるが、個装された菓子がデカいと手に負えない。

 たとえば饅頭の類。あれはデカい。大きさだけでも我々の顔半分はあるのではないかというサイズ、おまけに皮は薄く、中身は大抵、ずっしりとした重量感溢れる餡。とてもではないが、食べきれるサイズではない。かといって食べかけを仕舞うのも悩みもので、皮も餡子も時間を置くとぽそぽそになる。

 大福になると、もっと酷い。皮はぽってりとした餅、中身はやっぱり餡。そのサイズがまた酷い。これもやっぱり食べきれない。こっちの場合は餅が固くなるしでもっと保存しにくいし、大抵大福の類は個装されていない。何個も合わせて一パック、賞味期限も近い。猫缶だのドッグフードだの作る暇があるのなら、猫用茶菓子も作って貰いたいものだ。いやいっそのこと、猫サイズを中心として、そこに人間用の菓子も並べるべきなのだ。

 人間用茶菓子。人間用食品。

 自己主張の強い人間向きの表記ではないか。




・恋

 我々猫の恋は簡単だ。

 発情期になると伴侶を見つけ、子供を作るだけの話だからだ。

 所謂、期間限定女房。発情期ごとに取り替え可能。これだと夫婦喧嘩も少なくて済み、勿論飽きも滅多に来ないし倦怠感とは程遠い。熟年夫婦云々という人間社会とは随分な違いだ。

 しかし昨今、こんな猫にあるべき自由でさえ、やはり人間の侵略を受けつつある。

 まず第一に、人間は我々の伴侶を選ぶ自由を奪った。勝手に伴侶を見繕って連れて帰り、強制的につがわせようとする。言って置くが、猫という生き物は、人間に媚びを売る犬とは違って元来高貴で自由な生き物なのだ。人間如き生物の王を気取る生き物が猫生を歩ませるなど、何という勘違い甚だしい行為か。

 それを、中には喜べ等と理解のつかない言葉を添えて、何処からともなく伴侶を連れてくる。これが美形であれば良いが、所詮人間の感性だ。余り期待は出来ない。

 そして次には我々を強制的につがわせる。何のといったところで、猫には発情期という自然の摂理がある。家に閉じ込められ、少々難のある相手と結ばれざるを得ないこともままある。

 結ばれたら次だ。女は子供を身籠もり、生み、万物の女という生き物がそうであるように、母親になる。しかし家猫族の男に、すべき事はない。

 食事も寝床も、全て人間がやいのやいのと騒ぎながら行う。外敵といえばその人間くらいしかおらず、男は手持ち無沙汰に寝るだけである。

 そして子供達が大きく成長した頃、我々夫婦にも人間と同様の危機が訪れる。倦怠期だ。

 毎日伴侶と顔を合わせ、見れば見るほど飽きてくる。元から少しばかり難があったから、いつまでも見ていたい美猫とは到底言えない。人間には美人は三日で飽きるとか何とか言う諺があるらしいが、それは恐らく人間が常に発情期だからであって、我々猫の場合は時期が決まっているからまだましである。とは言え、のんびりとした気分で見るのも、関係を得るのも、そこはやはり美人の方が良い。

 発情期が終われば、お互い大して興味もなくなる。人間のようにやたらと喧嘩をするような愚かな事はしないが、だからといって常に寄り添っているわけでもない。家の中でかち合ったらちょっと立ち止まって、それからお互い好きな方向へ行く。好きなことをし、気が合えば並んで縁側に微睡んだりもする。だが、次の発情期でも待たない限り、伴侶に対する胸の高まりなんて決して覚えないのだ。たとえ、最初から全くなかったとしても。

 それが外を出歩く猫であれば、毎回毎回自分好みの相手に胸を高鳴らせて関係を持ち、発情期が終わればさっぱりとその手の関係から手を引く。これぞドライでクールな、猫の恋なのである。




・恋、其の弐

 しかし中には、恋をすることすらも赦されない猫がいる。

 よりにもよって人間の手で、全生物の男が所持する大切な何某を、去勢だのといって勝手に奪い去られるのだ。当然、我ら猫に拒否権はない。

 それを失った猫は、発情期で有れど伴侶を見つけることなど叶わず、精々背を丸めて耳を倒し、こそこそとそれらから逃げ出さざるを得ない。

 誰それと夫婦になる権利まで奪われた猫には、恋をする権利すらも与えられないのである。

 出来るのはただ、超然と素知らぬ振りをして、微塵の興味も無いと態度で見せ付けてやることだけなのだ。




・食事

 飢えた猫が真っ先に望むのは、食事である。

 これが完全な野良猫であったなら、長年の経験から自在に生きていく。食事を捕るのも簡単ではないとはいえ、今までそうして生きてきたのだから、大した困難ではない。

 問題は、元家猫の野良猫である。

 家猫は常日頃から人間に食事を提供されてきた為に、自分で餌を捕る本能というか、そういうものが欠落してしまっている。当然食事は皿に入れて人間がお出しする(、、、、、)物であって、猫自ら獲物を漁るのは、みっともない行為だというプライドがある。第一、どれが食事になりうる物で、どれがそうでないのかなんてわかるわけもない。ちょこまか奔っている鼠が食事になるはずもない。

 そこで家猫生活経験者は、まず人間を捜す。人間というのはいつでも我々猫に食事を提供してきたのだから、今回もそうするべきである、ということだ。まあ自分の見知った人間ではないのだから、少しくらい愛想を良くしてやっても良い。

 そこまで妥協してやった猫族は、まず魚屋を始め、食べ物を売る店に向かう。にっこり笑ってやり、お前に私へ食事を提供する、権威ある身分を与えてやろうと言ったところで、大抵の人間は我ら崇高なる猫族を追い払いに掛かる。これは何としたことか。

 そうか、あいつは自分の立場を知らないのだなと嘲って次の店に向かう。そこでも矢張り追い出しを喰らう。次の店でも、その次の店でも追い出され、とうとう食事を提供する人間が現れないのも世の常である。

 流石に温厚な我ら猫族と言えど、この仕打ちは許せない。だが、それが大抵に置いての真理なのだ。とはいえ野良猫に鞍替えしたばかりの家猫は、そんな常識など到底知らない。本来は何者よりも思慮深く心の広い猫族も、流石に怒る。けれど背に腹は代えられない。

 こうして元家猫は、そのプライドを泣く泣く封印し、人間に愛嬌を振りまく、かつては己の嘲ってきた野良猫に身を落とすのである。

 しかし、猫族の怒りは収まらない。人間如きが我ら猫族を軽く扱うようになるとは許し難い。元家猫族は人間撲滅の策略を、その優秀な頭脳で企み始める。

 だがもしも元家猫にお越し下さいと頭を下げる人間が現れたなら、元家猫はすっぱりその怒りを忘れてやる。世の中に見る目のない人間は多いがお前は優秀だと褒めてやり、良し仕方ない、お前に免じて人類を撲滅するのは止めてやろうと懐の深さを見せ、快くその招待を受けるのが、猫の猫たる態度の見せ方だ。

 そうといったところで、家猫から野良猫への転落の路を辿る猫族は多い。彼らは沈黙を守りながら、今日もまた、人類撲滅計画を立てているのである。


読んで頂き有難うございました!

少しでも気に入って頂ける作品になっておりましたら幸いです。


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