悲痛な来訪者
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その患者がリュウの元に運び込まれたのは、日が落ちてからのことだった。
まだソフィアがほとんどご飯を食べられなかったため、リュウは彼女の口元にお粥を運んでやっていた。
「シルベスト先生はいらっしゃいますか!?」
ドンドンという激しいノックとその叫び声に緊急性を感じたリュウは、怯えるソフィアの頭を優しく撫でてからドアの方へと向かう。
「どうされましたか?」
ドアの向こうには一人の女性が立っていた。普段ならば間違いなく美しいであろう顔が、悲痛に歪んでいる。
内心の動揺を隠すため、リュウはいつもの微笑みを作る。
「主人を……主人を助けてください!」
もはや半狂半乱のその女性は、リュウにしがみついてそう叫ぶ。
その後ろには、蒼白な顔の痩せた青年が屈強そうな男に背負われていた。
「とりあえず中へ!彼をベッドに寝かせてください」
そう言うとリュウは彼らを案内し、ソフィアの元に戻った。
「今から少し仕事をしなきゃいけないんだ。一人で眠れるか?」
リュウの優しい問いかけにソフィアはこっくり頷く。
「いい子だ。怖かったら明かりをつけたままでいいからな」
そう言ってソフィアの頭をぽんぽんと撫でると、リュウは患者の元へと戻った。
「お待たせしました。どうされましたか?」
リュウはゆっくりと問いかける。先ほどのような微笑みこそないものの、その言葉には「落ち着いて」という気持ちが込められている。
「主人が……息が出来なくて……ベルツ先生でも治せなくて……」
夫人は泣きながら、途切れ途切れに答える。
「奥さん、落ち着いてください。ご主人は呼吸が苦しくなられたんですね?」
リュウの問いに夫人は何度も頷く。
「それはいつごろからですか?」
「昨日の朝から……息が苦しいとは言っていました。……でも……夕方ごろに急に倒れてしまって!」
「なるほど。ご主人のお名前は?」
「アラン・アシュリーです」
そこまで聞くとリュウはベッドに横たわったアシュリー氏の診察に移る。
まずは名前を大声で呼びかけ、頬を軽く叩く。……反応なし、意識を失っている。
顔にはチアノーゼが出ており、呼吸もかなり浅い。
胸のあたりを叩くと、「ポーン」という高い音がした。
「先生!主人は……もうダメなのでしょうか?」
興奮していた声は、鎮痛なものに変わっていた。
「ベルツ先生に診ていただいたのですが、手の施しようがないと……安楽死が夫を楽にしてあげる唯一の方法だと……」
アシュリー夫人の小さな声は、最後は嗚咽に変わっていた。
……参ったな。
これがリュウの正直な感想だった。
症状や彼の痩せた体型から判断するに、間違いなくアシュリー氏は気胸を患っている。
気胸とは肺に穴が開くことで肺が膨らまなくなり、呼吸が困難になる等の症状を引き起こす病気である。ひどい場合は肺から漏れた空気が胸腔の中で肺を圧迫することで肺が潰れたり、心臓を圧迫することもある。
軽度の気胸ならばそれほど漏れ出した空気が多くないため、『回復』の魔法で肺の穴を塞いでしまえば再び肺が膨らむはずである。
つまり『回復』でも治らなかったということは、すでに肺がぺちゃんこになってしまっている可能性が高い。
チアノーゼが出ていることから、血胸に発展している可能性もある。
となると治療の際にどうしても「胸腔ドレーン」という器材が必要になるのだが、幸いリュウはこれを一組持っていた。(転生の際に持っていた救命バックの中に入っていた)
しかし、この器材は「胸の横から胸腔に管を通して肺から漏れた空気を抜く」というものであり、元の世界でも胸から管が飛び出ているのを見て気分が悪くなる人が多い。
この世界で胸腔ドレーンをやったらどうなるか……考えるだけでも憂鬱である。
また治療法にも問題がある。
元の世界でこの状況ならば、選択肢は二つ。
「胸腔鏡手術」か「開胸手術」のどちらかである。
「胸腔鏡手術」は、胸の中に直径10mm程度のビデオカメラを入れて、胸の中の様子をテレビ画面に映しながら、マジックハンドのような機械を用いて遠隔操作で治療する方法である。つまりこの世界では絶対無理な術式だ。
ともなれば「開胸手術」なのだが、この世界の人は胸を開くことに強烈な拒絶感を覚える。それは半年前の手術で嫌というほど実感したことだった。
(そうは言っても……やるしかないよな)
「奥さん、もはや旦那さんを魔法で治すことは出来ません」
「……っ!!やはり……主人はもうダメなんですね」
アシュリー夫人が泣き崩れる。
「そうではありません。東方の新しい治療法を用いれば。ご主人を助けることができるかもしれません」
「……!?」
その言葉でアシュリー夫人の目に光が戻る。
「しかしその方法は不確実な方法です。最悪の場合、治療中に旦那さんが命を落とすことも考えられます」
「……!」
「全力を尽くします。私を……信じてください」
その言葉に、アシュリー夫人を夫の顔を見る。顔は紫に変色し、もういつ呼吸が止まってもおかしくないように見えた。
「……お願いします。主人を助けて……」
夫人のか細い声が、病室に響いた。
気胸についてはまたもっと詳しく説明できたらと思っています。
11月24日 ご指摘いただき、誤字を訂正しました。