或る悪魔の使い
この章は BUMP OF CHICKEN の『K』をモデルにして描いた二次創作作品です。
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ケンタウロスは不遇な種族である。
知能はある。しかし人は彼らを魔獣扱いする。なぜならば彼らが人型をしていないからだ。所謂獣人といえる存在は、一般的に同種の中でも人に近い姿をしている者と動物に近い姿をしているモノとに分かれている。例えば、人に近い体型で高い知能を有するミノタウロスは亜人として扱われ、牛に近い体型で知能の低いミノタウロスは魔獣として扱われる。もっとも魔獣といっても人と敵対しているわけではなく、「魔力のある野生動物」程度の意味でそう呼ばれている。しかしケンタウロスにはその区分がない。全てのケンタウロスがある程度の知識を有しているが全てのケンタウロスが人からはかけ離れているのである。神話のように上半身だけでも人間の身体ならよかったのだろうが、毛むくじゃらの上半身(形こそ人間ではある)に馬の顔が乗っかっている以上、人は彼らを亜人とは認められなかったのだ。
魔力もある。にも関わらず、森の主ともいえるエルフは彼らを森の同胞として扱わずに駄馬扱いする。使える魔法が少ないことや、言葉を喋れないこと(ちなみに同族間ではかなり正確にコミュニケーションをとることが出来る)がその理由らしいが、そもそもエルフは自分達以外の種族を見下している節があることから、おそらくこの理由は後付けされたものであろう。その高い知能から、ほかの魔獣とは同列に並べられたくないという矜持を持っているケンタウロスだけに、森の主たるエルフからの駄馬扱いは腹に据えかねるものがあった。
結果としてケンタウロスは、ケンタウロスだけのコミュニティを構成することとなった。野生の動物達の群れとは一線を画し、しっかりとルールが整備され身分のようなものも存在する組織は、まさにケンタウロスに知性があることを象徴していた。しかしこのようにケンタウロスに知性が存在することが、ある一匹のケンタウロスを苦しめていた。
彼は黒毛だった。生まれた時から一点の曇りもないその毛並は、人間の目からすれば間違いなく美しいと感じるものだったが、ケンタウロスにとってはおぞましいものでしかなかった。彼らはある伝承を口伝していたのだ。
――遥か昔、黒き毛を持つケンタウロスが森に現れた。そのケンタウロスが現れた日から、森には様々な厄災が起こった。若きケンタウロスの族長がその黒いケンタウロスが悪魔の使いであることを見抜き、決死の戦いの果てに討ち滅ぼすと、森から厄災が消えた。
この伝承が正しいものであるかは、実は定かではない。おとぎ話のようなもので、モデルとなる事件はあったが脚色が加えられているという可能性も十分にある。しかし、ケンタウロスにとってその伝承は絶対的に真実であった。その伝承に登場する若き族長はケンタウロスにとっての英雄だったのである。
かくして黒い毛並を持つケンタウロスは生まれた時から同族に命を狙われることとなった。何もしていないのに憎しみの視線を向けられ、「悪魔の使い」と罵声を浴びせられることとなった。ケンタウロスが生まれてすぐに立ち上がり走ることができる種族でなければ彼はもはやこの世にはいなかったであろう。生まれて間もなく群れの中でも戦いにすぐれた者達に囲まれた家族のために彼の父は身体を張り、その命を落とした。子供を産んだばかりの母親と生まれたばかりの子供が逃げるには相応の時間が必要である。それだけの時間をたった一人で稼ぐことができたのは、親としての執念があったからなのだろう。とはいえ彼はその時のことをよく覚えていない。それも仕方ないことであろう。生まれてすぐのまだ物心つかぬ状態で、ただ本能に従って走ったのだから。
それから彼は母と二人で過ごした。ケンタウロスは雑食であるが、大きな動物を狩って捕食するということはしない。草や木の実そして小動物などを食べて生きているが、ケンタウロスにとって美味い草や木の実が群生するところには同族の群れも当然やってくる。小動物はすばしっこく、日によって狩れるかどうかは変わる。種族として食べる量が少なくないケンタウロスが主食となりうる草や木の実を食べることが出来ないとなると、必然的に飢えが訪れることになる。しかし、彼が飢えて苦しむことはほとんどなかったと言える。彼の母が自分の分の食糧も彼に与えていたからである。幼い彼は、最初そのことに気づくことが出来なかった。そして成長した彼がそのことに気づいた時、彼の母は既に食べたくても食べられない身体になってしまっていた。断続的に続いた飢えは母の体力を奪い、衰弱した身体は病魔に蝕まれていた。そんな身体で、血走った眼で彼ら親子を追いかけて殺そうとする同族から逃げ通せていたのは、これまたやはり子を守りたいという母の執念だったのだろう。結局母は、彼が一人で食糧を獲れるようになり精神的にも自らの境遇をしっかりと理解できるようになったのを見届けてこの世を去った。今際の際の母の言葉を彼ははっきりと覚えている。
――あなたは“悪魔の使い”なんかじゃないわ。私とお父さんの大事な子供……だから幸せになってね。……ごめんなさい。
最後の謝罪は何に対するものだったのだろうか、彼には今でも分からない。少なくとも謝らなければいけないのは自分のほうなのだ。彼が黒くさえなければ群れを追われることもなかっただろうし、彼が生まれなければ両親が死ぬこともなかったのだから。
こうして彼は独りになった。いつ自分を殺しにくるかも分からない同族を警戒しながら、毎日の食糧を探しそれを狩る日々。最初は辛かったが直に慣れた。むしろ愛してくれる存在が誰もいなくなった世界では、孤独でいる方が気楽だった。誰も愛してくれないのに、誰かを思いやるなんてことが出来るほど彼は聖人君子ではなかったのである。
……………
…………
……
その日も特に変わりのない一日となるはずだった。天気は快晴で空気もカラッとしており気持ちのいい朝だった。こんなに気持ちのいい日なのだから、きっとなにか美味しいものが見つかるに違いない。そんなことを考えながらのんびりと森の端を歩いていると、大きな石が置いてあるのが目に入る。彼がそれを見るのは二度目のことだった。初めて見たときは、明らかに誰かの意思によって形を整えられた美しいその石をみつけ、興奮しながら母にあれは何かと聞いた覚えがある。
――あれはね、自分の命を賭けて自分達の王様や仲間を守った偉い人間のお墓なのよ。
母は続けて教えてくれた。
――あなたも命を賭けてでも守りたいと思う存在を見つけなさい。それはきっと幸せなことだから。
いまだ母の教えは実行出来ていない。母の言うような相手を見つけることが出来ればよいのだが、もはや愛されることを忘れたケンタウロスにそれは難しいことだった。なんと書かれているのかは分からないが、おそらく王と仲間のために命を散らした人間を賛辞しているであろう墓に刻まれた文字を見て彼はこの世の不条理を感じる。他者のために命を賭けた人間が賞賛されているのに、なぜ自分のために命を散らせた両親は自分以外の誰にも惜しまれることが無いのか。
相変わらず天気は素晴しかった。沈んだ気持ちを心の隅に追いやり、彼は再び歩き出す。次にここに来ることがあったとして、きっとその時も独りなのだろう。そんなことを考えていた彼の耳に、突如として風切音が聞こえた。
――えっ!?
その音に反応したと同時に、目の端にすさまじい速度で飛来する矢が目に入る。ケンタウロスの持つ広い視野は斜め後方から飛んでくる矢もしっかりと捉えることが出来たのだが、それを躱すだけの時間はなかった。
――しまった!!
下半身の後方に鋭い痛みが走る。矢が刺さったのは後ろ脚の付け根の辺りだろうか、今はそれを確認する余裕はない。あの尋常じゃない速度の矢には見覚えがある。ケンタウロスが得意とする魔法の一つ、風を纏わせた矢はこれまでに何度も自分に向けて飛んできたことのある代物である。懐かしいモノを見て油断してしまっていた自分の甘さに彼は歯噛みする。
――死んでたまるか!
痛みを振り払い全力で走り出す。風を纏った彼の身体は猛烈な加速をみせるが、同時にそれが長くは続かないことも彼は理解していた。徐々に後ろ脚がしびれてくる。もはやこの速度に耐え切れなくなるのも時間の問題であった。彼は魔法を解除し、一瞬後ろを振り返る。
――振り切った……か?
後ろを追ってくる者はいなかった。警戒を緩めることなく速度を落とし、呼吸を整えながら傷を確認する。矢は思った通り後ろ脚の付け根を深く貫いており、傷の周辺は矢が纏った風によって抉られていた。かなりの量の出血が見られる。
――……まずいな。
この傷はちょっとやそっとじゃ治らない。下手をすれば走れなくなるかもしれない。また、矢が刺さった場所も問題である。身体を思いっきり捻れば手は届くが、これで力を入れるのは難しい。すなわち矢が抜けないのである。特に妙案も無いまま、彼は痛みを紛らわせるようによろよろと歩いた。するといきなり目の前に木を組んで造ったと思われる大きな箱が現れた。
――なんだ……これは?
彼は一瞬呆気にとられた後、この大きな箱の正体について思考を巡らせる。以前にこの辺りを歩いた際は、こんなものは無かったはずである。
――これは……家か?
母の言葉が脳裏によみがえる。森の奥にいるエルフ達は木を組んで“家”を造り、そこに住んでいるらしい。ただしエルフはケンタウロスを蔑視しているので、実際に見ることは難しいだろう。確か母はそんなことを言っていたはずである。彼はエルフに逢ったことは無くもちろんエルフの家も見たことはないのだが、この巨大な造形物はきっと高名なエルフが住む家に違いないを確信していた。それ以外にこのような巨大にして精緻な造形物が存在するはずないからである。しかしここは森の端である。なぜこんなところにエルフの家なんかがあるのだろうか……。そこまで考えたところで、彼はあることを思い出す。エルフがケンタウロスを蔑視していること、そして彼が“悪魔の使い”であること。
――しまった。今エルフなんかに襲われたら間違いなく殺される。
エルフは多様にして強力な魔法を使いこなすと聞く。万全の状態で逃げてもやられるかもしれない相手から、今の脚で逃げ切れるとは思えなかった。
即座に彼はこの場から立ち去ろうとする。しかし深く矢が刺さったまま酷使した後ろ脚は、すでに限界を超えていた。しびれが下半身全体に広がり、もはや歩くことすらままならない。
――ダメだ……動かない。
彼が逃走を諦めて天を仰いだその瞬間、家の扉が開いた。
・主人公が全く出てこない章はおかしい
・作風が全く変わっている
などのご指摘を頂きました。
この章は当初から第三者の物語を描きたいと思って書いたので、読者様がそのように感じられるのも無理のないことです。そのため3月4日にこの章を閑話に変更しました。なお、この章は全く本編に関係がないということは無く、本編に繋がる内容を盛り込んではおります。
重ね重ねご心配をおかけし申し訳ありません。