冒険者とその先へ・3
漆黒の布の上に数多の宝石を散りばめたような。
気の利いた吟遊詩人ならばもっと上手く表現するであろう星空の下を、レスカトールは故郷の歌を口ずさみながら歩いていた。
夕方まで降り続けた雨が嘘のように澄み渡った空に浮かぶ双つ月は、青く冷たい光を地上へ投げかける。
瞳と同じ濃青の外套の裾は擦り切れてボロボロで、その陰から除く濃茶の革の胸甲には細かな傷が刻まれている。腰にはいつも愛用している長剣はなく、護身用にと短剣を下げているだけだった。
その足取りは軽く、雨水に濡れた深夜の街中を迷うこと無く進んでいく。
通りすぎる酒場からは笑い声や怒声が零れてきて、レスカトールはくすりと笑う。
(かわらないなぁ)
レスカトールはもともとストラルの生まれではない。隣の大陸であるククロルの生まれで十二年前にこの大陸に、町に渡ってきたのだ。その時から良くも悪くも町は変わってはいない。出迎えてくれる人々は気さくでお人よしで温かく、だから大好きだった。
「Wim ran rus-tiel,Et,Liste……っと」
歌を中断させ、とある建物の前で足を止める。
ぶら下がる看板には雑貨屋を意味する硝子瓶と星の紋様が描かれている。その隅に小さく――意味を知らなければ見逃すほど小さな逆三角が黒の染料で描かれていること確認し、周囲を見回し人影な無いことを確かめると脇道へ身を躍らせる。裏口に当たる部分まで忍び寄ると、
――トン、トン、トントン
定められた方法で扉を叩いた。
「偽書と断罪、我らが罪は」
その向こうで人の気配がしてしわがれた低い声がする。カタリと小さな音がして、視線を感じた――覗き窓が僅かに開いたのだ。舌で唇を湿らせると、低く抑えた声でレスカトールは続きを口にする。
「偽書が示すは真、断罪こそが偽りなれど、逆しまの月が指し示す」
「汝が名は?」
「"LuMedyEin et LuesCatra"」
<繋ぐ者のレスカトール>だと名乗り、覗き窓から見える様に鞘ごと短剣を引き抜き、柄に巻きつけられた紺色の飾り紐を見せつければ僅かな沈黙の後、錠の落ちる音がやけに大きく聞こえ入れと促された。
むっとした熱気と酒臭さが漏れてきて、レスカトールは顔を顰めると礼を口にし、地下へと続く階段を進んだ。
地下は天井が低く、レスカトールの頭一つほど余裕がある程度だった。大男であれば背を屈めなければならぬほどに。
そこは地上の店二軒分の地下をぶちぬいて作られた小さな酒場だった。丸机三つは既に酒瓶の山に埋まり、だらしなく呑んだくれた男共寝台となり果てている。あとは酔い潰れ床で寝転がる者とカウンターで何やら話し込んでいるのが数名。
レスカトールはその誰にも目をくれず奥のカウンターへ向かうと、店員に酒を注文する。
「それから、情報」
懐から金貨を一枚取り出し、台の上へ置いた。
他人の財産に手を付ける者。忘れられた遺産に手を出す者。身軽さを武器に諜報あるいは暗殺を行う者。それら纏め上げ管理している組織がある。証と符牒を得ぬ者は立ち入ることを許されない、その場所を<盗賊組合>と呼ぶ。
エステラにあるこの雑貨屋もそうだった。
「知りたい情報の種類は」
「噂の裏付け、現地の情報。ここでは詳細は口にできない」
淡々と述べる構成員の男を、濃青の双眸でジロリと組合構成員を射抜くように睨み付け、レスカトールは口元だけを歪ませた笑みを浮かべる。金貨の横に先に見せた短剣を添え、顎で奥を指示し、高圧的な口調と態度で臨む。
(シュウには見せられないな……)
内心苦笑しながら、短く整えられた人差し指の爪先で、催促するように金貨をつついた。
「……少々お待ちください」
男は飾り紐を前に逡巡しそれだけを答えると素早く奥の部屋へ駆け込んで行く。入れ替わりに別の男が血のように赤い酒で満たしたグラスを、レスカトールの前に差し出した。
グラスに口をつけ、レスカトールは奥に消えた男を待つ。黒い布で遮られた奥には、ウォルティアの組織を統括する長がいるのだと仲間から聞いていた。短剣の飾り紐もまた彼――ヒューから借り受けたものだ。
『レスカトール様お待たせ致しました――奥へ』
慣れ親しんだ発音と共に奥から戻った男の態度はやや畏まったものへ変わっていて、レスカトールは冷笑を隠さずに立ち上がり、示された黒布の奥へ進んだ。
その奥は、店側から挿し込む光だけが光源となっていて薄暗い。細く伸びた廊下には左右に一つ、正面に一つ扉がある。
『正面へ』
背後に立つ男が言い、それに従い進む。左右の扉はそれほど重要ではない情報交換を行う場所だと、耳にしていた。左の扉は誰かがいるのか、通り過ぎた時聞き取れぬほど小さな声がした。
古びた木製の扉を押し開ければ、真っ赤な絨毯の敷かれ奥に書架が見えた。手前に置かれた大きな机の向こうに座るのは、盗賊組合を取り仕切る長だ。傍らに置かれた金色の天秤がゆらりと揺れる。
『直接お目にかかるのははじめてですね』
入り口から五歩進んだ時点で歩みを止め、レスカトールは眼前の男に問いかけた。
男はレスカトールが想像していたよりも若く、まだ五十に見たぬであろう、黒髪の男だった。無精であろうか伸ばされた髭が顎を多い、左目は斜めに走る刀傷で塞がれている。
(グウェイン……か)
教えられた名を反芻する。
『その組紐は構成員にしか渡してはおらぬはずだがな』
『ああ、そうでしょうね。私もこちらに所属した覚えもないですから』
左右の壁際に三人ずつ、後ろから案内の男が一人。レスカトールの発言に空気が変わった。長の指示さえあればいつでも拘束しにかかるであろう、その体勢に。
『まあ、お前さんにそれが渡るとしたらヒューしかいないだろうな』
用件を聞こうか。
長グウェインはくつくつと笑うと、話すように促す。相変わらず周囲の男はレスカトールを警戒しているようだった。
『ひとつ、異なる世界へ渡る術の存在の有無とその裏付け。ふたつ、魔術大全の原本・写本それぞれの所有者とその所在地について。……みっつ、過去に落ちてきたイスターシャの中で、帰還できたか、もしくはそれに近づけた人物の有無と詳細』
『ほう……期限は』
『三日と言いたいができる限り速やかに。一件目を最優先、二件目は難しければレクナーを優先、残りは三件目と共に後での報告で構わない。報酬は一件につきレクナス金貨五もしくはストラス金貨八。手付として三割』
『レクナス金貨で十』
『レクナーまでの転移門使用許可と入国許可証の手配を追加。それで八だ。十を望むならあっちの組合への渡りを』
きっぱりと言い切ったレスカトールの言葉に、グウェインは考えこむような素振りを見せる。時計が刻む音がカチカチと室内に響いた。
「……ヴェダル、入国許可証他手配へ回れ」
「はっ」
左の壁に立っていた男は名を呼ばれると音もなく部屋を後にする。
『ひとまず三日待ってくれ。できる限り集めよう』
グウェインは、厳しかった表情を緩めると、口元にうっすらと笑みさえ浮かべる。壁沿いの男たちも気がつけば警戒体勢をといているようだった。
『助かる。私たちが噂を聞いたのはレクナーの魔術師からだ』
知らず知らず詰めていた息を吐き出し、レスカトールも姿勢を崩す。
『ヒューも情報を集めると別れたきりだが、やはり難しいか?』
『あっちで動いてるようだが芳しくはない。だいたい世界を渡る何ぞ普通は考えんだろう。魔術大全ですら現存しているのはほとんどが写本だろ? 懇意にしてるイスターシャの為にそこまでの金を出すのか?』
どこか呆れたような少しだけ砕けた口調で言って、グウェインは楽しそうに暗緑色の瞳を和ませる。それに肯定して、
『兄と慕ってくれる可愛い弟分ですしね』
と笑って付け足した。
グウェインもそうかと笑う。それからレスカトールをまっすぐ見据えると、
「そう言えば……。これは裏付けもとれてないただの噂だし、こちらとしても不確かな情報を渡すわけにいかんのだが、聞くか?」
と、よく透る低い声で問いかけた。