冒険者とその先へ・1
しとしとと振り続ける雨は、一向に止む気配がなかった。
夜の食堂としての手伝いしかしていないシュウは、自室でごろりとベッドに寝転がりながら歌子のノートを開いていた。
僅かに擦り切れ変色した紙は、劣化を防止するという魔法のおかげで受け取って十二年経った今でも当時のままの姿を保っていた。
表紙に書かれた<吉田歌子>という名前は書き手の名前だ。綺麗に整った細い字で様々な知識が記された、シュウにとって大切なノートだった。
『これをいつか目にする人へ。信じられないし信じたくないかもしれないけれど、ここは日本じゃない国で、言葉も文化も違う、何もかも違う世界です』
口に出して読み上げるのは故郷の言葉だった。
ノートの最初の数ページを使って書かれた文章は、漢字よりもひらがなが多い。最後のページにはアルファベットで何かが綴られてた。それは誰かに読ませるために意図したものか、ひらがなの多い文章はシュウでも易々と読むことができた。
要約すれば、吉田歌子なる人物は過去日本で生まれそしてシルエスト・アーレイアにやって来た。彼女やシュウのようにこの世界に落ちてくる者が珍しいわけではなく、彼らの世界以外にも様々な迷い人が存在すること。そして一様にイスターシャと呼ばれることがかかれていた。
なによりも助かったのは、この世界の言語と日本語の対比表が日常よく使うものに限ってだが一部存在することだった。例えば『私』は『ウィ』、『あなた』は『ヒュー』と発音すること。
他にも『ありがとう』『ごめんなさい』といった言葉が記されていたのだ。
ノートを落とさないよう気をつけて仰向けになり、うんと伸びをする。
時々、歌子や自分が持ち込んだ教科書を見て、かつてを懐かしむ。
「入っていいかな」
そんな時だった、良く知った声がノックと共に聞こえたのは。
慌てて跳ね起き、「どうぞ!」と叫ぶと同時に扉が開く。だらだらとしていたのがバレないようにと立ち上がれば、栗毛の青年が入ってくる。
青年はシュウよりわずかに高い身長で、鍛えられたしなやかな体躯に細かな傷の刻まれた革の胸甲を身につけ、同じく傷はあるものの丁寧に手入れされた鞘の長剣を腰に下げている――冒険者だった。
「おかえり、はやかったねレスカ」
変わらぬ優しそうな青目の青年に呼びかける。
レスカと呼ばれた青年は手にした荷物を床に放るとシュウの頭に手を伸ばすと、柔らかい黒髪をぐしゃりとかき混ぜた。
「ただいま。まぁなんていったって可愛い弟分のためだし」
子供扱いに少しだけ膨れて見せると、もう一度お帰りと口にしてシュウは右手で印を切った。
冒険者と呼ばれる者たちがいた。
彼らは剣や弓などの武器や魔法の扱いを得意とし、己が抱く好奇心を満たすために、名誉のために、或いは富のために。旧き時代の遺跡へ赴き、または依頼を受けてその得物を振るう。
今でこそ一定の信頼を得ている冒険者は、遡れば根無し草・遊び人・便利屋などと呼ばれ疎まれ蔑まれた。当時在った他の、例えば魔法使い組合のような統一された組織もなく、個々にその力を振る舞うことができた時代だった。
信頼してもらえない。
それは冒険者にとっても彼らに依頼する者にとっても致命的だったのだ。結果、冒険者を他の職業組合のようにひとつの組織として纏め上げ、先人たちの努力の甲斐あって、現代に至る。
レスカトール、ユイファン、シアネド、ヒュー。
エステラに長く住む者で、彼らの四人の名を知らぬ者はいない。
志半ばで命を落とす者も不仲が原因で別れることもなく、冒険者としては長く十年近く行動を共にし、様々な依頼や厄介事に首を突っ込み成果を挙げる、評判の良いパーティーだ。
レスカトールたちとの付き合いはシュウがこの世界へ落ちてきた時からはじまった。
泣いているシュウを見つけ保護し、ユリスの宿を経てイスターシャ記念館へと導いたのも彼であり、年の離れた友人であり、特に八つ上のレスカトールを、兄のように慕っていた。
彼らはこの世界に落ちてきたシュウを見つけ保護した、最初の人物で言葉を教えた存在だったのだから。