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遠く聞こえるその声は  作者: 五月伊織
はじまりの街
20/20

イスターシャ記念館・1

 願わくは、我らが残す記憶が役に立たないことを。


 けれど。

 風習、言語、価値観。

 そして世界すら同じにする者が迷い込んできたのならば。

 我らの記憶が、生きる助けとなりますように。

 そして願わくは。

 我らが叶わなかった故郷への帰還を果たせますよう。


 * * *


 壁にかけられた木製らしき額縁に収められたのは、各個人の記録だという。

 その人物がいつ頃にやって来て、いつ頃に亡くなったのか。

 どんな世界の出身で、どんな生涯だったのか。

 それが、その人の世界の言葉と、この世界の言葉で書かれている。

 山本修司――シュウと名乗る青年は、額縁を指さしてそう説明した。


「シュウ、さんのもあるんですか?」

 慣れない呼び方に詰まりながらもユウリが問いかけると、彼は微笑んでこっちだと案内する。


 その部屋はかなり広かった。

 ユウリの知る一番近い建物は体育館だろうか。バレーコート二面分はなさそうだったが、一面と半分くらいなら確保できそうなほど。

 天井は高めで明り取り用の窓が設けられていて、午前中らしい今は柔らかな光が差し込んでいる。

 床も壁も木目調で統一されているが、その表面を走るように淡い青色の光が紋様を描いているのが気になって仕方なかった。



 シュウと名乗る青年は人好きのする笑顔の人物だった。

 長く伸ばしているらしい癖のない黒髪はうなじのあたりで一つにまとめられている。

 厚手の黒コートに身を包んでいて、薄茶色の帽子は今は左手に握られている。

 拙い日本語を口にする少したれ目の青年について、いい人だけど、地味であまり目立たないのだろうな、という印象をユウリは持っていた。



 真新しい額縁に入れられて二つの言葉で書かれてるのはシュウ自身についてだった。

「字が汚いから、あんまりじっくりみないでね」

 そう言った彼の字は二十歳前後であろう外見年齢にしては確かに拙く、漢字は書き順がどうにもおかしいし、文字と文字の間隔は滅茶苦茶、ひらがなも大きさが不恰好だった。

 名前、年齢、どういった状況かがざっくりと書き連ねている。

 その隣にあるのは少し古い額縁で、達筆で吉田歌子と書かれている。二十四と書かれた数字の隣には、幼い文字で小さく数字が書き添えられている。

「こちらの人のは?」

「ああ、歌子さんだよ。会ったことないけど、ぼくの前に来た人、だよ」

 鞄をごそごそとやって取り出したのは古びたノートだった。

「歌子さんは、ぼくよりずっと前にやってきて、ノートを残してくれたんだ。この世界で生きていく手がかりをくれた、大切な人」

 歌子さん、と青年は大切なもののように大事に口にして、そのノートを差し出す。

 A5程のサイズのノートは思ったよりかは綺麗だったが、紙質は少し悪いのかざらざらとしている。日本製ではないらしい。裏表紙の隅のほうに、メーカー名かなんなのか、読めない文字で何かが書かれている。

 端は少し黄ばみ、開き癖がついているようだ。

 表紙をめくると、こちらも達筆で「吉田歌子」と記名され、その下に短く前置きと「ここは日本じゃない国で、言葉も文化も違う、何もかも違う世界です」と記載されていた。最下部には英語で同じような文章が書かれている。

 ノートの中ほどまで進むと、次は最上段に「単語/日本語/English/ヨミカタ」とあり、この世界らしき言語で単語と、その下に「私/I/ウィ」と書かれている。

 傍らの青年や、他の者たちがよく口にしている言葉だった。

 さらにめくると何やら文章らしきものもでてくる。

「この世界の言葉?」

「うん。歌子さんが作ってくれたんだ。日本語とこれは英語なのかなー? それとリスタリエ語っていえばいいのかな、こっちの言葉で、ね」

 すごいよねと、シュウは笑うと歌子の額縁へ視線を向ける。

「歌子さんもぼくも、ほかの人たちもみんな、故郷に帰りたかったんだ。ここはね、あってほしくないけど、もし同じ世界から誰かがやって来たときにに、少しでも役立てるようにって記録を残すんだ。それと、死んでからでもいいから、いつか故郷に戻れるようにって遺品を残す」

「シュウさんも……?」

 ユウリの問いかけに首を振って遺品は死んでからだと答える。

「まぁどこで生まれたとかいう記録は全部預けたけどね。名前とかはもう、こっちの形にあわせてて、修司って名乗ってないし」

 眉を下げてがしがしと黒髪をかくと、シュウは額縁に背を向けた。


「それじゃあ、ユウリのことを、とりあえず登録しよっか。ミモトフショウだっけ。誰かわからないままだと不便だからね」

 どことなく寂しそうにそう言って、シュウは部屋を後にする。

 ユウリもそのあとに続き……一度だけ部屋を振り返る。

 がらんとした青い部屋で、たくさんの額縁たちが寂しげにそこにはあった。



 受付を経由し、移動したのはホテルのような個室だった。

 窓際のテーブルを部屋の中央に引き出して、ユウリは備え付けの椅子に、シュウは別室から別の椅子を引きずってそこに腰かけた。

「そこは上から名前と性別、誕生日と何歳か。あと、元の世界で連絡が取れそうな人の住所とか、かな。適当に書いちゃって」

 真っ白な紙に書かれた項目を指さし、シュウはペンを渡した。

「ボールペンじゃだめ?」

「あ、書けるならなんでもいいよ」

 差し出していたペンを戻してシュウは笑い、ユウリは通学鞄のチャックを開く。

 中には教科書などの学用品、筆記用具。あとは学生証や財布、定期券。常備薬類やハンカチなどのエチケット用品。ウォークマン、携帯と充電器。それとちょとした化粧品。

 ユウリが持ち込んだ、すべてだった。


 流石にセーラー服は目立つからと、当面の着替えを含んでユイファンと名乗る女性に選んでもらい何着か用意した。

 今ユウリが着ている服もそうだ。

 真っ白い厚手のブラウスに、青いカーディガンを羽織っている。スカートは膝下までの丈で、ブラウスと同じ白色を基調に、裾のあたりに青や緑で模様が描かれている、とてもシンプルなデザインだった。

 靴はくたりとした革のロングブーツ。履きなれていないからと、包帯を巻いて靴擦れを防止しながら慣らしている途中だった。

 シュウの通訳曰く、宗教や習慣から基本的に女性はあまり肌を見せないらしく、くるぶしくらいまでの丈のものが主流らしい。あまりに長いと転びそうだと訴えた結果が膝下丈で、肌を見せないようにとロングブーツでごまかしたのだった。

 鞄も買い揃えようとしたがちょうどいいものがなく、保留している。

 かわりに使っているのがユウリの通学鞄だ。

 高校指定の革鞄は表面は赤茶色。表面には先生に何度か怒られながらもそのままにしている友人ととったプリクラを張り付けている。

 鞄自体はがっちりとした作りで、A4より少し大きめのサイズなら楽々入る。見た目の割に中に物は入るし、何より丈夫なのがありがたい。

 難点は空っぽでもそれなりに重いことだろう。


「やっぱりかわいい筆箱だなぁ」

 取り出した筆箱を見て、シュウがしみじみとつぶやいた。

 視線の先はユウリの手の上、筆箱だ。汚れてもいいようにと選んだ紺色の生地、白やピンクなどのインクが上から塗られた小さい筆箱だった。

「これ結構地味だよ?」

「小二で終わってる記憶だけど、女の子っていっつもかわいい筆箱とかもってたんだよねー。ぼくの筆箱、ヒーロー物のおもちゃみたいなのだし」

 白い犬と黄色い鳥のマスコットのボールペンも懐かしそうに見る青年を前にしながら、用紙を埋めていく。


「これはシュウさんもしたんですか?」

「うん。最初は言葉わからなかったから適当で、分かるようにしてからもう一度修正したんだ」

 後から見直したらめちゃくちゃだったと補足して、からから笑う。

「あの」

 指示された項目を埋めてボールペンを机の上において、ユウリは声をかけた。

 青年は不思議そうに首をかしげていて、どうしたのか聞いてくる。

「えっと、昨日のことなんですけど」

 気になっていて、聞けなかったことを問いかける。

 それに気付いたのか、シュウは気まずそうに「あれか」と口にして、視線をそらす。



 それは昨夜、食事が終わってからのことだ。

 慣れない味付けに苦戦しながらも、あげじゃがらしいものやサラダなどで腹を満たした後、地図を広げて何かを話し合っていた。

 シュウの通訳によれば明日以降の予定を相談しているようで、ひとまず、ユウリは  の町まで連れて行きいろいろな手続きを終える方向で話はまとまった。

 穏やかな空気の中、濃茶の髪のレスカトールという名前らしい青年が何かを切り出した途端、シュウが激昂したように叫んだのだ。

 銀髪や赤毛の青年はレスカトールを支持しているらしく、他のメンバーは困惑したように事態を見守るだけ。実質シュウ一人で彼らに立ち向かい、口で負けてしまっているようだった。

 言葉を理解できないもどかしさに状況を尋ねるユウリに、大丈夫、心配しないでと繰り返し、その場はお開きになって、もやもやしたまま体を清め、ベッドで横になった。

 思った以上につかれていたのだろう。ユウリが起きた頃には、すでにレスカトールたち三人の姿はなかった。それを疑問に思いつつも言い出せないまま、シュウ、ユイファン、カザリの三人に連れられて町までやってきたのだ。


「なんて言ったらいいのかな。とりあえず心配かけてごめん」

 溜息混じりにそう言って、シュウはユウリに目線を合わせるともう一度ごめんと口にした。

「単純に言うと、レスカトール達が向かった場所ってね、危険なんだって。元々は、ぼくとユイファンをあの町に残して、安全確保に三日くらいかけて、それから戻って合流して出発って予定を立ててたらしい」

 でもそれをぼくには内緒にしていた、と拗ねたような口調で続けた。

「それで昨日怒ってたんだ」

「そういうこと。いきなり『この先は危険だから俺らで行く』とか言い出すの、せこいよね!」

「でもなんで危険な場所に行くの?」

 ぷりぷりと怒るシュウに笑いながら、ユウリはふっと浮かんだ疑問を投げかけた。

 シューデというらしいこの町へやって来たのは、ユウリの身元を保証するためだと、なんとなくは理解している。ただ、その彼らがどうして危険を犯すのか、それが理解できなかった。


「えーっと」


 問いかけに、シュウは困ったなというように眉尻を下げた。

 言葉を探すように視線を彷徨わせ、それからユウリと合わせる。

「えっとね、初めに言っておくね。ぼくはここにきてこっちの暦で十二年になる。日本とどれくらい時間がずれてるかわからないけど……とにかく、それだけこっちにいて、でも帰れなかった」

 だから期待しないで、とそう前置きしたシュウは一度視線をユウリの手元の紙へ落とすと、

「ぼくたちがあの町に来たのは、元の世界に戻る手がかりを探して、だよ。彼らが向かったのはその手がかりがあるかもしれない場所、なんだ」

 何の期待もこもっていない、むしろ諦めすら混じったように淡々と黒髪の青年は口にした。


 ユウリは、

(帰る手立てがあるかも、しれない……?)

 その言葉に、事実にくらりと視界が揺れたのを自覚したのだった。

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