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遠く聞こえるその声は  作者: 五月伊織
はじまりの街
19/20

宵闇の宿

 レスカトールは焦っていた。


 がらーんと宵の鐘が遠くで鳴り響く。

 茜色の空も端から紫紺へ染まり、夜の訪れを告げていた。

 閉店前の安売りを狙っての主婦の姿と、家路を急ぐ者、今日の寝床へ向かう冒険者とで大通りはごった返し、ぶつからない様に苦心しながらできる限りの速度で宿を目指す。


 懸念することは二つ。

 ひとつは、宿の確保。

 三人部屋と二人部屋の二室はあらかじめ手配していたが、更に二人増えた分を確保せねばならない。

 ユイファンは彼らの中でただ一人の女性だ。

 見た目も可憐で魅力的な女性だが、それでも冒険者を名乗っている。時と場合によっては部屋分けできない状況があることも承知している。けれど、今回は増えてしまったイスターシャがいる。彼女を男と同室に、とは言えやしないだろう。

 確保できない場合は、レスカトールと何人かで他を探すかどこかで野宿になるが、できるならふわふわとした布団の上で夢を見たいものだ。


 ふたつめは、宿で待っているはずの仲間の存在だ。

 昼過ぎに合流のはずが一連の騒動によって連絡も入れられず今に至っている。

「怒ってるだろうなぁ」

 溜息交じりに吐き出して、雑踏を抜ける速度を気持ちだけ上げた。


 通りには宿屋を示す三日月の絵が描かれた看板をいくつも見受けられる。そこを利用するのはいかにも旅行者の親子連れが多く、レスカトールのように武装した姿はあまりなかった。

 通りを歩く冒険者らしき人物の姿は見るものの、彼らが消えていくのは酒場かあるいは教会関係の施設だった。


 目的の店には何度か足を運んでいたことと、通りに向かって下げられた看板のおかげで迷うことなく辿り着いた。

 看板部分にはくすんだ元は白であろう染料で三日月とそれに向かって吠える狼らしき動物の影、それから食事処を示す絵が描かれている。風に揺れる飾り布には、白糸で片翼の翼が織り込まれていた。

 掲げられた看板に刻まれた名は、月夜の宴亭。


 そしてその傍ら、宿の玄関脇にもたれるようにして赤毛の青年が一人、暇そうに佇んでいた。

「――ヒュー」

 呼びかけに気づいたのか、ヒューと呼ばれた青年はゆっくりとレスカトールへ視線を向け、

「おっせぇと思ったら何やってんの?」

 呆れた声で出迎えた。

 悪いねと、少しもそうは思っていないような口調でレスカトールは左手を挙げる。

 ヒューはレスカトールと同い年で、燃えるような赤毛と剣呑に細められた同色の瞳が印象的な男だ。つり目がちで口汚いが、仲間思いで根っこの部分ではお人好しな人物だった。

 服装は軽装。黒の長袖の上衣にゆったりとした伸縮性のある布で作られた下袴と編み上げの長靴。武装はしていないが冒険者を示す紋章が胸元に揺れていた。


「ごめん、いろいろあったんだ」

「なーんて知ってるけど。魔物騒動にイスターシャに、まぁなんだお疲れさん。あれこれ大変だったな」

 わざとそうしていた目元を和ませると、青年はからからと笑い声をあげた。

「ん、ああ、これで会話聞こえてたんだよ」

 何で知っているのだと向けられた視線に気づいた男は、ほらと耳元を示す。

 男の瞳と同じ赤石の耳飾りがひとつ、そこにあった。

「シアネドの魔術具か」

「試作品らしいけど、一定範囲内での音声を共有するとかなんとか。片割れをあいつが持ってんだよ」

 だから大体知っていると言って、彼は羨ましいだろうと笑った。

「あ、一部屋確保してやったから感謝しておけよ」

 まるで悪戯っ子のように楽しそうな笑みを浮かべて胸を張る。

「で、他の奴らは?」

「女の子がちょっと取り乱して、そっちの対応。そろそろ追いつくんじゃないかな?」

 やれやれと肩をすくめて見せる。ヒューはなるほどと頷くと、赤毛をくしゃりと混ぜ宿の方へ視線を向けた。

「とりあえず、先入っとくか」

 寒いと呟く青年は、大袈裟に震えてみせると先に行くぞと鐘を鳴らして室内へと戻っていき、レスカトールもその後に続いた。


 食堂部分で空いた一確を人数分の椅子と共に確保して、まだ誰も集まらないが適当に冷めても大丈夫そうなものを注文をしておく。

「で、わかったか?」

 出された硝子の杯に口づけて冷たい水を流し込み問いかければ、向かいに座るゆるりと赤毛を揺らして否定が返る。

「確信に繋がるものはまったく。調べたけど、こっちにはほとんど存在してないらしいぜ? 見れそうなのは一応話はつけた。写しについては……ストラルで最近見つかったみたいだけど関係ない章って話だ。」

「ストラルのはシアネドが見に行ってた――ありがとう、あと酒を適当に二人分お願い」

 ほくほくと湯気を立ててる揚げじゃがとサラダの盛り合わせを受け取って二人の間に置いた。ふーと湯気を吹いてじゃがいもにかじりつき、レスカトールは慌てて水を口に含む。

「ばっかじゃねーの?」

「いけるって思ったんだよ」

 向けられるヒューの冷たい視線から逃げるように顔を背けて、もう一口水を含んだ。思った以上に熱くて、上前歯の裏あたりがひりひりする。

「で? この後どうするわけ。直行するわけにはいかないんだろ」

 一口サイズに器用に切り分けてヒューは得意げに揚げじゃがを口元に運んだ。

「お前見せつけなくてもいいだろ……。知ってるかもだけど、とりあえず彼女を記念館に連れていく。まぁそっちにシュウは行くだろう」

「だなあ……予定変更で俺ら先行するか? お前となら無傷とは言わないが、突破は出来るだろう」

「いや、間違いなく魔法使いが必要だろ」

 提案にレスカトールは頬を人差し指で掻きながら、硝子杯に視線を落とす。溶けかけた氷がからりと音を立てた。

「聖域の話は聞いてる。それに何かあった時に転移魔法が使えないのは痛手だ。だったらシアネド含めた俺らで行くのが最善だと思う」

「…………やっぱそうなるか。あとは説得するだけか」

 はぁと深く溜息を吐いて頭を抱えるヒューに苦笑いを浮かべる。

「その辺は、まぁ上手いことやるしかないさ。どの道冬まで時間はないんだし納得してもらうしか無い」

 あとひと月もすれば、この大陸の北部が白く染まり始める。それまでにできる限りの聖域を回らなければならないのだから。

「まー説得は任せる……そろそろ来るぞ」

 左手を耳元に伸ばして赤石を示すと、ヒューは店の入口に視線を向けた。

 カランカランと鐘を鳴らして、数名の人影が入ってきた。

 戦闘に立つのは銀髪の青年。

 彼はまっすぐに二人を見やると、店主に一言断って向かってくる。

 それは彼らがわかれて、四半刻してのことだった。


 少しだけ目の赤い少女はレスカトールが座る一確へやって来ると、シュウにでも教わったのか拙い発音で「ユディット(ごめんなさい)」と口にして頭を下げた。拍子に、長い黒髪がさらりと肩を滑り落ちる。

「ごめん、彼女の服を選んでいたのよ」

 ユイファンが補足した通り、シュウの腕には服屋の紋章入りの紙袋が抱えられていた。

「ほら、ユウリって目立つし、着替えもないから」

 そう示す少女は確かに悪目立ちが過ぎた。

 シュウの世界では普通らしい髪と瞳の黒双色。肌の色もレスカトールたちよりも黄色味を帯びていた。

 服装も、シュウ曰く学校の制服で、それ自体はあまり目立たないが、膝より下が露出していたり飾られた革の鞄があったりと、いろいろと注目を集めてしまう。

「僕らじゃさすがに選べないから、ユイファンに手伝ってもらったんだ」

「ああ、それくらいは大丈夫。むしろこっちもごめん、先に色々つまんでた」

 レスカトールは苦笑しながらそう言った。

 その日の夕食は、月夜の宴亭の酒場部分でとった。

 シュウは少女のために、揚げじゃがをはじめとしたなるべく元の世界に近い食べ物を選び、あとは皆が適当に注文し、適当に突っつきながら腹を満たしたのだ。


 * * *


 それぞれが膨れた腹を抱え、あてがわれた部屋に引っ込んだのは夜の鐘が鳴る頃だった。

 大人数での食事は、雑談と今後の予定、それからシュウのユウリに対する説明で賑やかな時間となっていた。


 部屋割りは、家具の都合でユウリとユイファンを同室にし、残った者を三人と二人の組に振り分けた。

 レスカトールはシアネド組と、ヒューとシュウ、カザリの組にだ。


 共同浴場で汗や汚れを落としたレスカトールが部屋に戻ると、いつかのようにシアネドが寝台の上に腰掛けて広げた地図と手帳を見比べていた。

「部屋割りの意図は?」

 部屋に入るなり姿を見ること無く問いかける声に、レスカトールは苦笑して後ろ手に扉を閉める。

「……今後について相談、シュウに聞かれたくない。それと、カザリの警戒。お前とシュウの三人は不味いし、かと言って俺だと魔法使い相手は厳しいし」

「一応は、信用してないんだ?」

「一応は、な。初対面の相手を信用するほどお人好しじゃないし」

 寝台の上に広げられた地図を挟むように腰を下ろすと、レスカトールは口元だけを歪めて笑った。

 その様子にシアネドは興味無さげにそうかと呟いて地図を指さす。

「聖域の主のいる場所の推測が赤印、地図の入手元はヒュー、ここがキーダルフ」

 とんとんと指がキーダルフの街を指し、更に南、緑に塗られた地域の赤い二つの印まで地図をなぞった。そのうちのキーダルフにより近い方をくるくると指先で描いた円で囲う。

「近いのはこっち、通称緑の塔だったかな。まずはこっちを目指すべきだ」

「やっぱり、お前も行くよな」

「当たり前だ。魔法の抵抗出来ないだろう」

 呆れ切った口調で言って、シアネドは地図を片付け始める。

「大方、カザリの件で悩んでたんだろう。多分思ってるほど悪い事にはならないし、ユイファンもいる。シュウだって馬鹿じゃないし、なるようになる、心配いらないと思う、よ?」

 一息に言って、自分の鞄の上に地図を置くと、「だいたい」と続けて指先をレスカトールの鼻先へ突きつける。

「悪い方向へ考えすぎ。慎重であることは冒険者として誇るべきことだと思うけど、必要以上の慎重さは害にしかならないよ。とにかく、別行動であることは明日納得させて別れる。といってもユイファンもカザリも知ってるから、あとはシュウたちだけに説明すればいいんだけど」

 そう言うと、着替えを手にして扉へ向かっていく。

「風呂か?」

「寝る前に汗流したい。先に寝といてよ、鍵は持ってくから」

 跳ね放題の銀髪を慣れた手つきで一つにまとめるのを見て、レスカトールはわかったよと笑った。

 彼なりに色々と心配してくれていたのだろう。


「鍵はかけとく。お言葉に甘えて先に寝ておくよ、おやすみ」

 銀髪の魔法使いの背中に声をかけ、施錠するために扉に近づいてついでとばかりに見送る。

 ふらふらと歩く魔法使いは部屋から数歩進んで足を止めて。


『ユイファンやシュウを残すのは万一を考えて、でしょ? 僕が行くんだから、万一は起こさせないよ』


 振り返った魔法使いは不敵な笑みを浮かべて耳慣れた言葉で力強く告げた。

 それから軽い足取りで階下へ向かって姿を消したのだった。


「バレてるや」

 カチャリと鍵をかけると、扉に持たれるようにしてレスカトールはくつくつと喉を鳴らして笑った。


 聖域の主は、その名を軽々しく呼ぶことは出来ない。創造神の本当の名を口にできないのと同じように。

 通称である<魔王>という呼び名すら、発する際に重圧を感じるのだ。

 人よりもはるかに強大な力を持つ者が住まうのが聖域の中にある塔と呼ばれる住居だ。

 聖域は人の手が入らず、魔物や精霊などといった人外の存在に満ちている。


森に入っては行けないよ、魔物が魂を食らうから。

森の主を怒らせてはいけないよ、この身が滅んでも許してもらえないから。


 幼子へ聴かせる寝物語の一節に残される程に、畏れられている。

 身の程知らずの冒険者が聖域の主への謁見を求めて聖域に踏み込み、還らなかった話も聞いていた。


 死ぬつもりはないけれど、万一のことをレスカトールは考えていたのだ。

 ユウリの存在は、二手にわかれるための都合の良い口実になった。


「やっぱりかなわないなあ」

 ずるずるとその場に座り込み膝を抱えると、レスカトールはくつりと笑い続けた。

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