キーダルフにて・5
「ありがとう、シュウ。本当にいい子だわ」
シュウのその宣言に嬉しそうにユイファンは赤い双眸を和ませて笑った。
カザリもどこかほっとしたように頷く。
「方針も決まったし、長居すると迷惑だから宿で打ち合わせ……ってカザリは泊まるところってあるんだっけ」
なかったら僕らとどうかとシアネドが問いかけると、カザリはゆるゆると首を振って、滞在予定ではなかったのだと伝える。
「まぁそうだよね、了解」
答えに微笑んで返し、それから荷物を手に一行は部屋を後にする。
来た時と同じように廊下を抜けて詰所の外へ出た。
思っていた以上に時間が経っていたようで、青かったはずの空は茜色に染まっていた。昼間見えた双つ月はもう妹月しか残っておらず、赤い空の片隅でぽつりと寂しく輝いている。
『もう夕方か』
思わずと漏らせば、傍らでユイファンが同じ事を口にしていた。
そのことにくすりと笑うと、
「同じこと言ったの?」
と不思議そうに聞いてくる。肯定して二人で顔を見合わせて笑った。
『それじゃあユウリ、行こうか』
一番最後に出てきた少女に並び立ち、先を行く大人たちの後に続く。
「じゃ、私は先に」
「ごめんね」
「ううんー」
外套の裾をふわりと風に揺らす彼女の背を見送り、シュウもゆっくりと歩き出す。
先頭に立つのはレスカトールとシアネドで、何かを相談しているのか手振りも交えて歩いている。その次にカザリ。部外者だった彼に追いついたユイファンが、何かの話題を振ったのか会話を始めた。
そのあとにシュウとユウリが続いた。
会話はなく、シュウは少女を気にしながら、そして彼女は鞄を手に少し俯いたまま歩く。
夕食時の通りには、冒険者の姿よりも買い出しに来ているのであろう住人の姿で賑わっている。
通りに面した飲食店からは食欲を誘う香りが漂い、商店では生鮮品の安売りが始まっていた。
『かわらないね』
つぶやかれた言葉にとっさに反応できないでいると、
『夕方になると安売り始まったり、とか』
と、付け足して微笑んで言う。
『あー言われてみるとそうだね、似てる』
遠い記憶の彼方で、商店街を歩く母が声を掛けられていた姿を思い出す。
ユウリの言うとおり、たしかにかつてみた光景に近かった。
『ここって、日本じゃないんでしょ? 食べ物とかってどうやって保存してるの?』
『魔法があるし、あとあんまり見かけないけど機械もあるんだけどね』
それを前提に簡単に説明してやる。
仕組みまでは興味は持たなかったが、ユリスの店にも魔法を使った小型の冷蔵庫のようなものがあり、そこで食材の保管を行っていたのを知っていた。
「ね、こっちって魔法とかで食材保管してるんだよね」
「そうよ。専門外だけど、範囲内の温度を下げてどうたらってことだけどね」
「あれの仕組み知りたいなら解説してやるけど?」
にやにやとカザリは笑んでいうのに、遠慮するとシュウは首をふって示した。
『よかった。他の人と姿も似てし……生活には困らないのかな?』
どこかほっとしたような言葉に視線を向ければ、ユウリは眉尻を下げ少し泣きそうな顔を浮かべていた。俯き気味のせいで、はっきりとは見えないのだけれど。
『ほら、僕でもここで生きてけたし、大丈夫だよ』
慰めにもならないことを言って、慌てて彼女から視線を外す。
視界の隅で目元を拭う姿が見えたからだ。
「え、あ、だ……大丈夫!?」
嗚咽を漏らす少女の姿にドクリと心臓が跳ねて、どう対処したらいいのか視線を彷徨わせる。それに気付いたのか、ユイファンがゆるゆると首を振る。仕方ない、ということだろう。
歩みを遅らせた彼女は、ユウリに並ぶと鞄からハンカチを取り出して差し出す。
「元の世界に、絶対還してあげるから」
わからないと知っていながら、ユイファンは声をかけあやすように頭を撫でていた。
* * *
冷めた視線で、カザリは彼らの様子を見ていた。
先に行ってくれと言い残し、隣で話していた女性は歩みを止めた。
後ろを歩く少年たちの元へ行き、彼女は鞄をごそごそとして何かを差し出していた。手元こそわからなかったが、涙を浮かべる少女への対応としてはごく当然の行動であることはわかるし、涙の理由も経緯を考えれば当然だ。通りすがる人々が彼女たちに向ける奇異の眼差しから庇うように少年が位置を変えたのも、自然な行動だと思った。
仮にカザリ自身がその場にいてどの立場であっても同じ事をしていただろう。
目元をぬぐう少女も、通訳をしていた少年も、外見的には、傍らの女性と変わらない。
顔立ちや肌の色、体格が違うのも、それは年齢差や地域、部族差によるものであるし、閉ざされていた大陸の者と言えば十分に許容範囲の差であろう。他の地の存在が明らかになって百八十年余り。けれど交流がはじまってまだ百年にも満たない。外へ出るのは好奇心旺盛な、或いはそれしか方法のなかった冒険者と呼ばれる人種と研究者が大半。
一般人は実情を知らないからこそ、常識がないだとか言葉が通じないだとか、それについてはいくらでも言い訳ができると考える。
不気味なのは、彼らが何の力も持っていないことだ。
薄目にして意識すれば肉の器から魔力が漏れ出す。どんな僅かな魔力しか持たないものでも、髪と瞳に色を持つものならば必ず見えるものが二人にもない。
はっきりと黒の双色を宿しているのに。
現にユイファンと名乗る金髪の女性からは、淡く白い光が見えるのだ。
「世界で二人だけの異質、か」
イスターシャには魔法を扱えない者がいると伝承で知ってはいても、実際に見ると奇妙な焦燥を覚える。
過去、落ちてきたイスターシャは環境の変化に耐えられず三日と持たずに死んだ例があるとも聞いていた。
ユイファンによれば少年は一巡りの間この世界に適応して生きているという。
(過去、落ちてきた者でも長生きしたものはいるらしいが)
彼らは異質な存在だ。何の偶然か神の意志か、よく似た容姿を持っていても、違う世界の生き物なのだ、所詮。
「異質って、彼らのことかな?」
そう考えた時だ、後ろから声をかけられたのは。
肩を震わして振り返った先、騒ぎに気付いたのか、先行していたはずの二人のうち、銀髪頭の青年が立っていた。もう一人、レスカトールの姿はない。
「ああ、レスカなら先に宿に。いい加減待たせるのも悪いってね」
彷徨わせる視線に気づいたのか、くつくつと喉を鳴らして青年――シアネドは笑った。
「で、異質って?」
「……魔力無しなのに色持ちなんだなってね」
端的に答えると、彼は口角だけをあげて笑った。冷め切った濃青の双眸がカザリを捕える。
風に翻る外套の裾を鬱陶しそうに払いのけていた。
「知らない世界の住人だし、こちらの常識に当てはまらないこともあるね。君はあれかな、魔法至上主義者?」
並べばカザリの頭半分背の低いが二、三歳ほど年上だろう彼は、見下すようにせせら笑う。
「差別主義者と同じにすんな」
「組合の頭のお堅ーい大先輩方がよく魔力云々とか言ってるよね」
「ぐっ……言葉は確かに悪かった。別に差別だとかそんなつもりはなかった」
単純に、理解できないものが気味が悪くて怖いだけなのだ。
素直に吐露すると、銀髪の魔術師は同意を示すかのように頷く。
「まぁ、それは分からなくもない」
シアネドの濃青の瞳は二人の異質に向けられている。
落ち着いたのか、或いは強がっているのか笑みさえ浮かべる少女に、他の二人はほっとしたような表情を浮かべていた。
「不思議だと思わないか」
視線は異質に向けられたまま、低く落ち着いた声で青年は告げる。
「過去に落ちてきた者には異形の者がいて、適応せず死んだって組合文書に残っている。もちろん僕らみたいな容姿もいて、それがまぁ奴隷だとかにされてたわけだけど」
魔術師組合に所属しているならば見ることのできる記録、カザリでさえも知っている常識を語る青年の意図が読めず、困惑する。
当の青年は冷たい青をシアネドに向けると口元だけをゆがませた。
「彼らに一番良く似ている種族は僕らヒューネイアだ。<神ではない>という名の通り、創造神の姿に似せたと言われているよね。それじゃあ、その僕らそっくりなイスターシャってさ」
何者なんだろうね。
その意味では確かに二人だけの異質は正しいと言い切って、くつりと喉を鳴らして笑い。
「シュウ、ユイファン、ユウリ。そろそろ行くよ!」
一瞬でお人よしな魔法使いの顔をして、彼らを呼んだ。
跳ね放題の銀髪を押さえつけ、踵を返す一瞬、
「あれは僕らだけの秘密で」
反応できないでいたカザリに口元だけの笑みを向けると、シアネドは一人先を歩き始めた。
「カザリさんどうかした?」
「あ、いや……なんでもない。行くか」
シュウに呼び掛けられ、ゆるゆると首を振り何でもないと笑いさえ浮かべると、彼らの後に続くように今日の宿へ向かう。
「<彼ではない>なら何者か……か」
小さくつぶやかれた言葉は誰にも拾われず、夕闇の迫る雑踏に零れ落ちた。