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遠く聞こえるその声は  作者: 五月伊織
はじまりの街
16/20

キーダルフにて・3*

 何かを恨んだり、絶望したり、妬んだり。

 暗く淀み歪んだ思いを、シルエスト・アーレイアの住人たちは負と表現する。

 それは生きている者に影響を及ぼすことはほとんどなかった。

 けれど死んだ者に対しては絶大な影響を誇り、それが時折死体を魔物として蘇らせることがある。シュウの知る言葉で表現するならば、アンデッドと。


 眼前の<犬>もその一種なのだという。

 何らかの形で死んだ犬の体を、負の力が乗っ取った。体の本来の持ち主が抱え込んだ思いを糧にして。


 <犬>は警戒するように闖入者たるシュウたちを睨み唸りを上げていた。

 威嚇とばかりに煌くの白銀に、グルルと掠れた声が上がる。


「シア、ルーフェ」


 シュウの耳に届いたのは低い声だった。

 タンと石畳を蹴ってレスカトールは<犬>の元へ駆ける。同時にシアネドは先ほどの淡い光を呼び戻すと、レスカトールを左回り追い抜いて牽制する。

 左の通りを封鎖するように。

 だから、

「シュウ、行け」

 シアネドの声と同時に駆け出す。

 視界の隅で再び銀色が煌く。ぎゃんと上がった悲鳴を背中に受け、動けないでいる二人を目指す。呆然と座り込んだままシュウを見やる少女を立ち上がらせ、その間にユイファンが意識を失っているであろう青年を診る。

「大丈夫?」

「命に別状はないと思うけど、怪我した時の様子がわからないわ」

 黒髪の少女が当てたのだろうハンカチは、青年の頭部にあてられて真っ赤に染まっていた。その上からユイファンは手をかざして短い詠唱と共に癒しの術を施す。

 ユイファンの声は悲痛だ。

「魔物は任せればいいけど、あっちの人も心配だし、追い込んでくれれば……」

 向かい側にいる若者は、青年よりもさらにぐったりしている。


「助けないと」

 ユイファンが呟いた先では、レスカトールが二匹目の<犬>に止めを刺した瞬間だった。

 飛びかかった<犬>に振りかぶられた切っ先が両目を抉るように切り裂いて。哀れにのた打ち回る<犬>の頭部に、止めの一撃が加えられた。レスカトールは慣れた動作で肉塊を蹴り飛ばし剣を抜くと、軽く剣を振り駆け出す。べしゃりとどす黒い血が石畳に紋様を描いていた。

 残る魔物は三匹で、向かいの通路の若者も各々魔法や武器を構えて討伐にあたっている。



「……こっちはなんとか、する、から行け」

 あっという女の声と、男の途切れ気味の声が響いた。応急処置を受けた青年だった。

 肘をつき上体を起こそうとして、シュウと黒髪の少女とで手を貸し座らせてやる。

『よかった……死ななくて』

 少女は安心したように手の甲で目元をぬぐっていて、シュウは「本当に」と一言だけ日本語で返し、男へ向き合う。

「起きて平気?」

「一応は。そっちの、金髪のお嬢さんは癒し手だろ? 黒髪のお嬢さんとこのチビくらいなら守ってやるから、あっち行ってやれ」 

「……ごめん、頼んだ。シア!」

 青年が胸元のペンダントを指させば、ユイファンは頷き、銀髪の魔法使いに一言だけ呼びかけて通路を駆けていく。それに反応した魔物は放たれた矢で縫いとめられ、追撃の火の魔法によって悪臭を放ち絶命した。


「さーてー、お返ししますかね」

 少しだけふらつきながらも立ち上がった男は、シュウと目が合うとにやりと笑った。

「もうすぐ片付くけど」

 既に残り二体で、そう掛からず魔物は片付けられる。

 青年は問いかけに「騎士団」と短く答えると、左手を前に伸ばして口を開く。

「"我が血に流れる古き契約"」

 ぴんと空気が張り詰め、少女が混乱したようにシュウの服を掴む。

 青年の足元に風が渦巻き上掛けの裾がふわりと揺れた。シアネドが濃青の双眸を男へ向ける。遠くでユイファンの詠唱と、魔物の唸り声が混じって聞こえた。

「"例えこの身朽ちても、この血絶えるその日まで、繋ぐ、遠き約束。友よ。カデナを祖とするエストゥールが一子、カザリが呼びかける。リャンシェ、今ここへ"」

 リーンという鈴の音がして、

「精霊使いか!」

 シアネドがそう叫ぶと同時に当初の半分以下になった魔物の群れの上に赤い羽根の鳥が表れた。

「騎士団が来たぞ!」

 誰かが叫ぶのと、鳥が放った火の矢が魔物を貫くのはほとんど同時だった。

「撃ち漏らし任せた!」

「Yel!! 任せな」

 叫んだ男の声にレスカトールが答えて、傷を負った最後の一匹をその剣で貫き。

 騒ぎを聞きつけたキーダルフの騎士団が到着した時にはすべてが終わっていた。



 * * *



 転がった魔物の残骸と返り血を浴びたレスカトール、それから二人の怪我人とその他という集団を見て、やって来た騎士団員は彼らに詰所への同行を求めた。

 事情聴取ということだが、当然の結果だろう。

 詰所へ着くと一行は事情聴取として会議室へ通されたのだった。シュウと少女を除いては。


「ご同行者様がお迎えにいらっしゃるまで、こちらでごゆっくり」

 どこか緊張した様子で団員の一人は、彼と彼女を案内すると、固い動作で一礼し立ち去った。

 大人たちは事情聴取として呼ばれる間、シュウと暫定イスターシャとされた少女の二人は別室で待機することになった。

 通された部屋はそこそこの身分を持つ者への対応用らしく、学校の教室ほどの広さで、中央に三人掛けと二人掛けのソファが置かれている。

 窓際ではレースのカーテンが風に揺れ、午後の強烈な日差しを和らげている。壁には神話をモチーフにしたであろう絵画が飾られ、その下の調度品は細かな紋様が掘り込まれた、シュウが見ても高級ではないが質の良いものが置かれていた。黒を基調としたチェストやテーブル、ソファなどで落ち着いた印象を持つ部屋だ。

 待っている間にと出された紅茶からはよい香りが焼き立てらしいクッキーの匂いとともに室内に漂っていた。

 テーブルの真ん中には硝子の花瓶に、来訪を歓迎するという花言葉を持った黄色い花が三輪飾られている。

 恐らくは、日本に存在しない花だ。


 シュウは通路側に、テーブルを挟み少女は窓際に対角線上に腰をおろしていた。

 互いに話しかけづらいのだろうか、居心地の悪い沈黙が続き、少女は手元の四角い携帯に視線を落としたまま、十数分が経っていた。


「……あーと」

 居心地の悪さに、口を開いたのはシュウだ。 

 一番状況を理解し、そして会話できるのであろう人物は彼一人しかいないだろう。

 少女は携帯から視線を離しシュウと視線が交わる。


 少女は若い。

 シュウより二、三歳下くらいだろうか。

 少し明るい黒髪に日本でよく見かける黄色い肌。

 近所のお姉さんが着ていたような、白い三本のラインが縫い付けられた紺色の襟のセーラー服にチェックのスカート。傍らには赤茶色の革の通学バッグ。使い込まれたその表面は傷だらけで、プリクラや可愛らしいシールが貼り付けられている。


(どう考えても同郷なんだよな)


 はじめに聞いた声らしきものは確実にこの少女のものだろうし、なにより発せられた言葉は日本語だった。

『ぼくの言うことわかるよね』

『ええ、貴方は日本…人なの?』

 試しに問いかければ少女は確かに日本語で返答した。

 黒い双眸には不信と警戒の色が混じっているようだ。

『うん。ぼくは日本人。名前は山本修司。君は?』

 伝えたい言葉を少ない語彙から探し出し、口にしながら、不謹慎ながら頬が緩んでいく己を自覚して心の中で苦笑する。

 日本人だとそう口にすることも、日本語を理解してくれる相手がいることも嬉しく感じる。自制できないのだ。

 己の喉がきゅっとしまり熱くなるのを感じながら、シュウは少しぼやけた景色を移す目元をぬぐう。

『キノシタユウリ。高校生……』

 ユウリと音にせず転がして、日本語を堪能する。

 己以外が鼓膜を震わす音が懐かしくて、嬉しくって、思わずシュウは目元を覆って天を仰いだ。

「まさか、会えるなんて」

 喜びの滲んだ掠れた呟きに、異国語を理解できないもう一人のイスターシャが困惑したように首を傾げた。

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