―角の章― 第七話 悪魔の末裔
主人公起きます。でもまた会話ばかり…。
赤。―――そこは全てが赤だった。赤い夕陽。赤い炎。そして赤い血。
「…なんて酷い。」
「くそ!悪魔の末裔め…。」
「敵影は!?」
「…いや、来るのが遅すぎたようだ。」
「嘆くのは後だ。今はまず生存者を。」
「よし、手分けして探そう!」
「了解!」
剣を携え、鎧を纏った男たち。その装いは戦場にこそ相応しい。
だがここは邑。
王侯が居る訳でも無い。戦略拠点である訳でも無い。ただただ人々が穏やかに暮らしていたであろう邑。
しかし男たちはそこにいた。
「おーーーいっ!!生きてる者はいないのかーーーっ!!」
倒れた人、人、人。焼けた家、家、家。村は滅びを強いられていた。
「………………。」
滅びゆく邑を彷徨う小さな少年。その顔に恐怖は無い。その顔に悲愴は無い。その顔にあるのは驚愕。
「! おいっ、大丈夫か!?」
問いかけに少年は答えない。声をかけられた事すら気付かない。
「おい!どうした!?」
「ッ!?うわああああああああっ!?」
少年の顔には恐怖。
「お、落ち着け!恐れなくていい。俺はオルランド家の私兵団の者だ。」
「…え?オルランド…様の?」
「そうだ。だから心配しなくていい。」
「な、なんだ…、よかった。それじゃあみんなもう避難したんですね。」
少年の周りには、おびただしい量の血。おびただしい数の死。
「いやあ、あはは…。自分もうびっくりっすよ。はは…、だってレムルから帰ってきたら、邑が燃えてるんですもん。あはは…。でもよかったぁ…みんな無事なんだぁ…ははは。」
少年は信じない。己の目に映るものを絶対に信じない。
「……………。」
「あはは………どうしたんですか?自分もみんなの所に連れて行ってくださいよ。」
「………ッ!」
「わ!?ちょっと急になんですか?あの…苦しいんですけど…。」
少年は抱きしめられた意味が解らない。解りたくない。
「ごめん…。ごめんな……。」
「ははは…、何が…っすか?…自分…あはは、わか…ん……な……ッ。」
――そして少年の顔には悲愴。
◇
―――カタン……ギィ…ギィ…
古びた掘立て小屋はそよ風にすら軋む。それでも己の内で休み憩う者を求める。その為に造られたのだから。
「…………………夢見悪ぅ…。」
シェルナスは目覚める。寝起きは悪かった。目を擦ろうと右手を顔にやろうとしたが、痛みに阻まれる。
「あだっ?!」
痛みの走る右肩に反射的に左手を当てようとするが、それもまた痛みに阻まれる。
「ぬぐっ?!」
その痛みに無意識に体が跳ねる。そこにさらに襲い掛かる背中の痛み。
「うおうっ?!……ッッ。うご…くな、俺…。」
シェルナスは静止し痛みが去るのを待つ。すでに意識は完全に覚醒していた。
「ふぅ…。よし、まだ生きてるな。」
痛みが完全に引く事は無かったが、まずは現状の把握が必要だった。
(…手当てしてあるな。傷には晒が巻いてあるし、ショウノウの臭いがする。…左腕には添え木か。折れてるんだろうか?ま、指は動くからそう深刻でもないか。)
身体の状態を一通り把握し、大事は無いと結論付け、周りに目をやる。
「…どこなんだ?ここは。」
狭く薄汚れた場所。シェルナスが横になっているのは一人分ぎりぎりのベッド。重ねて敷かれているぼろ布の上に寝かされており、腹にも一枚ぼろ布が掛けられていた。天井や壁は随分と古く、殴れば簡単に穴が開きそうだ。備え付けられているテーブルやイスもまともに使えるのか怪しい。要するに朽ちかけた小屋だった。
(…あの三人は居ないな。手当てだけして置いて行ったのか?……ん?いや、外に誰かいる。)
日差しの入る窓。その向こうから女性の声が聴こえてくる。
――…あはは、ダメダメそれじゃあ。うん、そうそう。…え?私も?…しょうがないなぁ…あはははは…
誰かと話しているようだが、一人の声しか聴こえない。身体を起こして外を覗こうかどうか思案していると、ドア越しに人の気配。
―――ガチャ…
「起きたようですね。」
そこには女の子。メイドに御仕着せるような藍色のロングドレスにエプロンといった装い。肌は薄めの褐色で、体格はかなり小柄。頭には随分と大きなベレー帽。それを耳が隠れるほど深くかぶっていた。
そして髪は銀色。やや暗めの長い銀の髪を、後ろで大きめに編みこんでいた。
「? なにか?」
「あ、いやすまん。…昨日の三人の一人だよな?とゆうか昨日で合ってるか?」
「合っておりますよ。どちらも。」
相対した時はじっくり観察している余裕は無かったが、こうして改めて見ると随分幼く感じられた。
「言っておきますが、私はニア様と同い年です。」
「…何も言ってないんだが。」
「目は口ほどに、というあれです。私にはこう聞こえました。小柄だとか、幼いだとか、胸が無いだとか。」
「いやいや、最後のは言ってない。」
「前の2つは言ったのですね?」
「まてまて、そもそも何も口に出してない。」
「つまり心の中で思ったわけですね?」
「……。」
「ほらやっぱり。悪かったですね胸無くてっ。」
「そっちは思っても無いっ。」
「…………。」
「…………。」
何故か険悪な雰囲気が漂う古びた小屋。
「まあ掴みはこれくらいに致しましょう。」
「つかみっ?!」
しかしそれは直ちに霧散した。
「具合はいかがですか?悪いと言われてもこれ以上できる事は御座いませんが。」
「え?あ、ああ…。だいぶましになってる。手当てはお前さんが?」
「ええ、仕方なく。」
「そ、そうか。あ、ありがとう…。」
「いえ。」
「…………。」
「…………。」
「…………ええと。」
「胸を見てますか?」
「見てないっ!!」
いろいろ噛み合ってなかった。
(くそ、さすがは『終わりの森』のエルフ。一筋縄ではいかないな。)
意識してなのか、無意識なのか。まるでシェルナスを翻弄するかのような語り口。少なくとも彼に対していい感情を持っていない事がありありと判った。どう応対するか対策を練り始めたシェルナスに、彼女の方から話しかけてきた。
「お名前…。伺ってもよろしいですか?」
「んあ?えっと、シェルナスだけど…?」
「そうですか…。」
名を名乗ると彼女は何か逡巡するような表情を見せる。何かあるのかと声をかけようとした矢先、彼女は突然片膝をついた。
「シェルナス様。この度は大変申し訳ありませんでした。ニア様を救って下さったとは露知らず、貴方に手傷を負わせてしまった事。深く謝罪いたします。」
突如の謝罪の言葉に意表を突かれるシェルナス。その言葉から誤解は解けていると思われた。そして気にくわない相手にも義を通すその態度にも好感が持てる。
「いや、俺も敵だと思い込んで応戦してしまったしな。そのことに関しては気にしていない。」
床に膝をつく彼女に、首だけ向けて謝罪を受け入れるシェルナス。とは言え、彼女にとってシェルナスはまだ得体の知れない人物である筈。謝罪の前にも逡巡があった。何が彼女をそうさせたのかと考えていると…。
「ふぅ。これでニア様の言いつけは守りました。」
「言いつけだからかっ!」
―――ギシ…ギシ…カタン…ギイ…
小屋は軋む。壁は古い。屋根も古い。いつからここに在るのだろうか。いつまでここに在るのだろうか。久方ぶりの客にそれを問うかのように、掘立て小屋は軋んでいた。
「上に…、何かいるな。」
そこは古い小屋。いつ倒壊してもおかしくない朽ちかけの小屋。シェルナスはやたらと軋むこの小屋に不安を覚え、首だけをぐるりと動かし安全を確認していた。しかし、仮に問題が見つかったとしても、まともに動けない彼に対処は不可能。それは本人も解っており、別に本気で安全確認をしたかった訳では無かった。ただ、自分を看病しているらしき女性から意識を離したかっただけだった。そんな折に、天井から何やら気配を感じたのだ。
「屋根に何かいる…。」
「ああ、ジェンギュウスですね。」
シェルナスの晒を替え、ショウノウを塗り直していた女性が答える。クレオだ。シェルナスの世話をする様はメイドにしか見えない。
「ジェンギュウス?」
「はい。豹のヒトです。見張りをしているのでしょう。」
「あの黒豹が屋根の上に?」
あの巨体がこのボロ小屋の屋根に居る。なかなかにスリリングだった。
「もう一人のエルフは?」
「? もう一人?」
「え?…そのなんだ、ニア。…でよかったか?」
「…ニア様でしたら只今ご歓談中ですが?」
「え、誰と?」
「動物達と。」
「……なるほど。」
――相手は『終わりの森』の民、それくらいは当たり前だ。と、シェルナスは真偽を問わずに真とした。
「そういやあ、お前の名はクレオでいいのか?」
「さん付けでお願いします。」
「……クレオさん?」
「なんでしょう?」
「…………。」
「…………。」
冗談では無いようだった。見た目はほとんど少女のクレオを敬称で呼ぶのは違和感があるが、本人がそうしろと云うならそうするしかない。
「…あ~っと、色々話さなければならない事があるよな?」
「分かりました。二人を呼んで参ります。」
「いや俺が外に出る。外で話そう。」
「何故でしょうか?」
「ん?その方が都合がいいんだ。」
「………分かりました。肩は貸しますか?」
ちなみに彼女の身長はシェルナスの胸の高さぐらいしかない。これで肩を借りたらむしろ歩けないのではないかと思われる。
「――などと思ってないでしょうね?」
「いやいやいやっ。足は怪我してないんだから自分で歩ける。気遣いは無用だ。」
焦ったようにすぐさま立ち上がろうとするシェルナス。だがそこに狙い澄ましたかのように立ち眩みが起こる。咄嗟にベッドへと手を付くが、彼は今両腕を負傷中。
「あ痛っ。」
痛みに思わず体をひねってしまう。
「え?ちょっ、きゃっ?」
―――ドス―ン……
「…………。」
「…………。」
クレオを巻き込み倒れてしまった。
「……なるほど。これを狙っていたわけですね。」
彼女はいま、床とシェルナスに挟まれている状態。第三者の目には押し倒されているように見えるだろう。
「仮にそうだとしても、両腕の使えない俺にはこれ以上の展開は無理だ。」
手で自分を支えられないシェルナスは、この上なく彼女と密着していた。
「どいて欲しいのですが?」
「どかせて欲しいのだが?」
「…………。」
「…………。」
―――グイッ…バタンッ!
「ぐあっ?!」
クレオはまるで扉を開け放つかのようにシェルナスを裏返した。彼は床に背中をひどく打ち付ける事となる。
「~~~っ。背中…は、怪…我して…。」
「自業自得です。」
そう吐き捨てながら上半身を起こすクレオ。今の拍子に大きなベレー帽は脱げていた。
「お前なぁ…。今のはどう見ても事故だ…ろ……、え?」
シェルナスの視線は一点へと釘付けになる。腰まである大きめに編み込まれた銀色のおさげ。――いや違う。エルフだとばかり思っていたが彼女の耳は長くなかった。――いやそれも違う。シェルナスが見つめるのはその耳のやや上。髪飾り?バレッタ?彼女の耳よりも大きい黒光りする三角形の何か。
「ここは決して清潔とは言えませんのに、やれやれです。」
彼女はそう言うと、自分の服をはたきながら立ち上がる。そして脱げたベレー帽を拾い、やはりそれもはたいてから再び深くかぶった。
「…………。」
「? なんですか?その顔。心配なさらずとも起こして差し上げますよ。」
クレオはシェルナスの上半身を起こし、そのまま立ち上がらせた。
「…………。」
「あの?外に出るのでは?」
立ったまま動かないシェルナスを訝るクレオ。彼の顔を覗くと、何故か深い煩悶が見て取れた。
「…何か問題が?」
「……ちゃんと自己紹介してなかったよな?」
「は?…ええ、まあ。」
「俺はシェルナス・レヴィスだ。」
「? 私はビホーンド・クレオです。」
「…二角の者か…。」
「…ホーンズが珍しいのですか?」
「いや…。珍しくないから悩んでいる。」
アスターティ王国は建国から今に至るまで、幾多の戦争を乗り越えてきた。人間同士であったり、異種族間であったり。すべてに勝利してきたわけでは無いが、国が亡ぶほどの敗北を喫したことは無い。そんなアスターティに有史以来からの宿敵が居る。それこそが『有角人』ホーンズである。
王国とホーンズの戦争は幾度となく繰り返されている。その殆んどで敗北してきたホーンズ達は今や少数勢力となってしまっている。でありながら、今なおアスターティは彼らの襲撃を受け続けていた。彼らは戦を仕掛けるのではなく、ゲリラ的な破壊活動を行うため、アスターティ国民にとってホーンズは忌避の象徴だった。『終わりの森』の民が僻遠の脅威なら、『有角人』は今そこにある脅威なのだ。
彼らの特徴は何と言っても角。アミスライン大陸に伝わる神話や叙事詩にしばしば登場する悪魔にも角が在った為に、彼ら『有角人』を“悪魔の末裔”と呼ぶものは少なくない。
「…お前さん、人前では絶対に帽子を脱ぐなよ。」
「え?」
シェルナスの顔は非常に厳しい。銀髪のエルフに出会った時よりもずっと。彼の様子にさすがのクレオも戸惑う。なぜならその目に敵意を見つけてしまったからだ。
「この国の民がもし『終わりの森』の民に出会えば、恐れをなして逃げ出す者が多いだろう。でもな、もしそれが『有角人』だったら、怒りのままに襲い掛かってくる者が多いかもしれん。」
「…………。」
「わかるか?この国の民にとって、お前さんはどうしようもなく敵なんだ。」
「………存じております。」
「…そうか。」
二人は互いを見つめる。相手を推し量るかのように。シェルナスにとって――いや、アスターティ国民にとって、銀髪のエルフとホーンズが共に居るという事は、この上なく脅威だった。かたや未知なる民。かたや王国を厭悪する民。この最悪の組み合わせを目の当たりにしたシェルナスは、自分のこれからとるであろう行動が、果たして正しいものなのかを見極めなければならなくなった。
「俺が今までで最も手に掛けてきたのは『有角人』だ。」
「………私の事も殺したいですか?」
「必要なら躊躇わない。」
「今、私の死は必要ですか?」
「必要ない。そもそも、今の俺じゃ返り討ちに合うだけだろう。」
「では何故そのような話を?」
「同族を討っている国に思うところは?」
「ありません。」
「…………。」
――無い訳が無いだろう。と、クレオの目から真意を読み取ろうとするシェルナス。だが嘘を言っているようには見えなかった。というか何やら馬鹿にするような目つきになっていた。
「“こちら”のホーンズがどうなろうと知ったこっちゃ御座いません。私はエルズリッドの民です。エルズリッドのホーンズです。一緒くたは不快です。」
「……本気で言ってるか?」
「はああぁぁ…。なんですか?私がこちらのホーンズの為に敵討ちを目論んでいるとでも云うのですか?縁も所縁もないのに?いいですか、私はエルズリッド人です。ニア様もエルズリッド人。ジェンギュウスもエルズリッド人。私達はエルズリッド人の為にここに来たのです。同族?なんですかそれは。私の家族たちはエルズリッドに居ます。エルフもビースティアンもホビットもフェアリーズも私の“同族”たちはみんなエルズリッドで暮らしております。」
「…………。」
シェルナスは押し黙る。“エルズリッド人”、その言葉が強く心に響いた。アスターティ王国にも共生の進んだ人外種は多々ある。だが彼等を“アスターティ人”と呼べるだろうか。答えは否。飽くまでアスターティは人間の国。異種族たちはその原則の元この国での生活規範を作る。この国における共生は“互いの生活領域を尊重しあう”という事であり、異種族が“共に生活を送っている”事は非常に稀である。その稀な例がローディネルオーダーな訳であるが、それも結局は王家を護る為の一時的な共生といえる。クレオの様に他種族を同族と呼んだりはしないだろう。彼女の言葉が真実であれば、『終わりの森』には種族の垣根は存在しないことになる。それは一つの理想ではないかと考えるシェルナス。
だが一方で、“エルズリッドの多種多様の民たちが手を取り合って人間に仇なす”という懸念が現実味を帯びだす。いや、クレオの言動を見るとエルズリッド以外は、まとめて敵と認識されてしまう可能性も窺える。――エルズリッドとアミスライン。そんな二極的な構図がシェルナスの頭に浮かんだ。
「それで?貴方は如何なさりたいのですか?」
「あ?あ、ああ。俺は火種を消したい。」
「…火種とは。」
「エルズリッドの秘宝。」
「……。」
秘宝は『終わりの森』が王国に攻め込む理由となる火種。永きに渡り守られてきた暗黙の原則を破る切っ掛け。
「お前さんはその在処を知っているか?」
「……。」
「俺は知っている。」
「……。」
二人は探り合う。シェルナスは、クレオらが王国に仇なす者達かどうか。逆にクレオは、シェルナスが自分に仇なす者かどうか。互いを信用できない者同士、“『終わりの森』の民と人間”そのままの構図だった。だがこのままでは埒があかないと、歩み寄ったのはシェルナス。
「なあ、今の俺の状態を見てくれ。お前達をどうにか出来ると思うか?むしろお前達は、都合が悪くなればいつでも俺を殺せる状況だろうが。」
「…………。」
「端的でいい。お互い思っている事を口にしてみないか?」
「………では。」
「ん?」
「…貴方の方から。」
「よし分かった。俺がその秘宝をとってくる、お前らはそれを持って大人しく『終わりの森』へ帰れ。」
「…何ですって…?」
―――ギシ…ギシ…ミシ…ミシ…
古びた掘立て小屋の軋む音。それは憩いを求める物が憩えない音。内にて休む者が外へ出たくなる音。
―――カタン…
小屋から出てくる2人。シェルナスとクレオだ。シェルナスは首をコキコキと鳴らし、辺りを見回した。一方、クレオは気怠そうな表情で大きく息を吐いた。
「豹面、お前がそこに居ると中に居るのが怖い。」
シェルナスは視線は前のまま、後ろの小屋の屋根に居るであろう獣人に声をかけた。
「ふむ。」
―――スタンッ
獣人は屋根から飛び降り、その巨体からは信じられぬほど軽やかに着地する。
「人間、謝罪するから許せ。」
「は?」
「そうか、感謝する。」
「へ?」
獣人は謝罪し許された。
「これでニア様の顔が立つ。」
「…………。」
シェルナスはいろいろ諦める事にした。すべては“『終わりの森』の民だから”と。――そんなのでよかったのなら私だって…。という後ろからの声も聴こえない。
「コホン。あ~、豹面…。」
「ジェンギュウスだ。豹面は止せ。」
「…ジェンギュウス。…話は聴こえていただろ?」
「まあな。」
獣人の耳ならば聴こえていたに違いないとシェルナスは思っていた。むしろ聴こえるように話していた。
「それで、ニアってエルフはどこに?」
「ニア様なら動物達と共に木々の向こうへ。」
「はあ?おいおい、追われている身だって解ってるのか?」
その小屋のある場所は王家の管理する森だった。つまりゼス達と闘った森だ。シェルナスが眠っている間に舞い戻っていたのである。この古びた掘立て小屋は、森の管理者たちが一時滞在するための小屋だった。
「ていうか、よく今まで見つからなかったな…。」
ジャンダルムなりローディネルオーダーなりが血眼になって探している筈。彼らがこの場所を探りに来ないわけがないと、シェルナスは疑問に思う。するとクレオがその疑問に答えてくれた。
「ニア様がホルクスの力でこの辺り一帯を、いわゆる迷いの森にしたのです。」
「…ホルクス。…神獣…だったか?」
「はい。」
「それじゃあここに来たとしても迷って近づけないのか…。ってエルフは平気なのか?」
「何を言うかと思えば。ここで迷わないのはニア様だけです。」
「……俺達は迷うんだ…。」
「ええ。ただし迷わせるだけで、ここに辿り着けないわけではありません。御注意を。」
「ああ、解った。どれほど持つものなんだ。」
「? と言いますと?」
「だから効力の時間。」
「ホルクスの力が宿った木々が枯れるまでですが?」
「…………。」
地味に強大な魔法だった。ここらの木々の樹齢がどれほどのものかは不明だが、少なくとも人間よりは長く生きるだろう。王家の森の管理者たちは苦難の道を強いられたようだ。そして、古びた掘立て小屋は朽ちる運命にあるらしい。
「エルフが戻ってくるまで話は置いておくか?」
シェルナスの提案に二人は同意する。
「じゃ俺は…。ああそうだ、豹づ…もといジェンギュウス。俺が付けた傷の具合はどうだ。」
「何の問題もないが?」
「…そうか。それは悔しいな。―― テクス タアト ファル ヴァ リオ 」
突如言葉を紡いだシェルナスに二人は色めき立つ。
「人間貴様っ!」
「 フェルグ ド… 」
「だーーっっ、待った待ったぁ!誤解だ誤解ぃっっ!!」
シェルナスはすぐさま無防備に大地へと寝転がる。
「む?」
「…何のつもりですか?」
「ちょっと身体を治したいだけだ。――我が望は恵み。生命の源を我に与えよ。」
《承認 権力ノ行使ヲ許可スル》
「 セラ イールズ 」
シェルナスの背の下の大地に宿ったイールズの力が、彼の身体を癒しはじめる。ゆるやかにじっくりと。例によって周りの草たちもその恩恵を受けていた。
「ほう、これは…。」
感嘆の声はジェンギュウス。彼は膝をつき大地に手を当て、その力を感じ取ろうとしていた。
「我も恩恵に与かってもよいか?お主につけられた傷を癒したい。」
「なんだやせ我慢だったのか。いいぞ。」
ジェンギュウスはどかっと座り込んだ。
「…イールズ。…昨日も思ったのですが、貴方はあの地母神と契約しているのですね。驚きです。しかも治癒魔法とは…。私の手当てなど必要なかったのでは?」
「いや、これはイールズが回復を促進させてくれてるだけだ。要するに身体が急いで治ろうとしている訳だな。だから怪我が治っても身体そのものへの負担はでかい。昨日の状態でやってたら衰弱死してたかもしれん。いやその前にイールズが許可しないか。」
シェルナスは地面に仰向けになりながら説明する。
「どうであれ、傷をいやす魔法は最高位の奇跡。イールズに随分と愛されておりますね。」
「そういうお前さんはどうなんだ?あんな凶悪な魔法は見た事はおろか、聞いた事もない。」
「ドラーニーナッツォの事ですか?」
「……それって、叙事詩とかに出てくるあれか…?」
「あら、こちら側にも伝わっているのですね。そうです。そのドラゴンです。」
「…………。」
シェルナスは驚きのあまり絶句する。無理もなかった。なぜならそれは、クレオが“竜魔法”を行使したという事だから。
『古き神々』の恵みである魔法。それは『古き神々』であるところの精霊、神獣、竜と契約する事で行使できる奇跡。だが何故3つの呼び名で分けられているのか。それは単純に姿の違いで分けられていた。
精霊またはエレメント達はほぼ人間と呼べる姿をしている。そしてそれ以外の姿をしている神は神獣またはテリオンと呼ばれているのだ。姿とはいうものの、彼らと遭遇できる者は限られているため、明確な線引きが出来るほどの情報がある訳では無い。飽くまで契約者たちと神秘学者たちの見地である。
人間のような姿をした神はエレメント。動物のような姿をした神はテリオン。では竜またはドラゴンという存在は如何なるものであるのか。答えは“わからない”だ。神話や叙事詩からその存在は窺える。伝説や噂話には度々登場する。だが確実に存在するという確証はなかった。エレメントとテリオンと共に名を連ねてはいるが、実際に竜魔法を行使する者は居なかった。いたとしてもそれを竜魔法と判別できる者が居なかった。今や架空ではないかとまで云われ始めたドラゴンと竜魔法。それを行使したという者が、今ここに居る。
「…………。」
ここ最近驚いてばかりいるシェルナス。これも“『終わりの森』の民だから”で一所懸命に納得しようとしていた。
「あの?いかがなさいました?」
「……はっ。いいいいやいや、予想以上…というか想像外の魔法だったのでな…。」
「はあ。まあ普段めったに使ったりはしませんから。ご心配なく。」
「…じゃあなんであのときは?」
「いえ、ニア様の事もあって、とっても貴方を殺したかったんです。」
「…………。」
ドラーニーナッツォと言えば、様々な物語の中で破壊しかしていない悪竜。そんな力に殺されかけたシェルナスは今更ながらに恐怖を覚えた。ショックで固まっている彼に、ジェンギュウスが追討ちをかける。
「クレオはエルズリッドでも随一の魔法使いだ。それを相手に生き延びた事を誇りに思うがよい。」
「……『終わりの森』随一…。」
「持ち上げないで下さいジェンギュウス。貴方だってエルズリッド一の戦士でしょう?」
「………おい。」
知らぬまに、かの『終わりの森』の最強の2人を相手にしてしまっていたシェルナス。心の中がいろんなもので飽和状態だった。シェルナスがしばらく放心していると、大地の加護が消えてしまう。
「………んあ?ああ、今の状態じゃこんなもんか…。」
シェルナスは気怠さを感じる。今の体力ではこれ以上の治癒は無理なようだ。
「治ったのですか?」
「ん?いや…。」
クレオの言葉に身体の具合を確かめるシェルナス。背中はほぼ治っている。再び傷が開くことは無いだろう。右肩も回せるようになっている。しかし痛みはまだあり本調子とは言えない。左腕は最も治りが悪い。添え木は必要ないがまともには動かなかった。
「う~ん、六割ってところか。」
よっ。と声を出して立ち上るシェルナス。足がいまいち覚束ない。かなり消耗しているようだった。しかしゆっくり休んでばかりもいられない。
「…何か腹に入れたいな。何かないか?」
空腹を感じたシェルナスは、食べ物を所望した。すると小屋の中に果実が有るとの事、彼は再び小屋の中に戻ることにした。そんなシェルナスを横目に、残った2人は身を寄せて言葉を交わす。
「クレオよ、信用できると思うか?」
「私には判りかねます。あの方はホーンズがお嫌いのようですから。」
「ふむ。まあこの国の事情は聞き及んでいる。仕方あるまい。」
「私の事は嫌いでも、ニア様の事は命懸けで守ったようですし…。いまいち一貫しておりませんね」
「他の者よりもエルズリッドに対する拒絶反応は薄いように見えるな。だからといって味方と考えるのは早計だが。」
「味方では無いでしょう。あの方は飽くまでこの国を想っています。ただ王家とは違って手段を選んでいる様です。」
「敵に慈悲をかけるタイプか。もしそうであるならば我々にとっても都合がいい。」
「どうであれ私たちの議論は意味がないと思いますよ?」
「む?何故だ?」
「すでにニア様はあの方に心を許していたようですから。」
「…ほとんど言葉も交わしておらぬのにか?」
「理由は私にも解りません。ですがそういった意味では信用してもよいかと思います。」
「奴ではなくニア様を信じるという訳か…。」
「はい。」
「…………。」
「…………。」
「………かなりの賭けだな。」
「ですね。」
―――キャアアアアアアアアアァァァッッッ!!
「!!」
突如響いた女性の悲鳴。今の状況で考えられる事は一つ。
―――バタンッッ
小屋からシェルナスが飛び出す。
「今のはエルフの悲鳴か!?」
「はい!」
休息の時は終わりを告げる。
ありがとうございました
次回は
『山の守護者』
お楽しみに