―角の章― 第五話 黒きレパルド
すでにもういろいろ綻んでますが、気にせず投稿します。
…一話タイプするのに6時間くらいかかっとります……がくっ。
アミスライン大陸に住まう民の半数は人間種である。だが、逆に言えば半分は人間ではないのだ。『すべてがある地』の名に相応しく、あらゆる種がこの地て暮らしている。しかしそれだけではなく、その種の中でさらに民族・部族で分かたれていた。それが最も顕著な種は『獣人』ビースティアンである。
獣人たちの民族・部族数は多岐にわたり、大陸中に彼らの集落が分布していた。その為、人間と最も共存が進んだ種族となった。一族を遺すため人間との共生を選んだ彼等だが、基本的に縄張り意識が強いため、他部族間での交流はほとんど無いとされている。――かの地、エルズリッドを除いては。
そこは森を抜けた場所。視界は開けており、シンクレイリアの街並みが遠くに見渡せる。森から流れ出でる小川は、ここから先が人間の領域である事を示す境界線のようにそこに在った。
「ッ!」
シェルナスは強く大地を蹴り全力で駆け出す。目指すは草むらで眠るエルフの女性の元。だがシェルナスは理解している、それが至難であることを。
―――ザザッッ!!
彼女との間に立ちはだかる黒い影。黒い外套で頭まですっぽりと覆い、両腕には鉤爪のあるガントレット、そしてシェルナスの一回り以上はありそうな巨体。
(敵はあの黒いのだけじゃ無い。俺の肩を貫いた攻撃は森の方からだった。そちらにも潜んでいる筈だ。目の前の黒いのはその身体能力から獣人と推測。森に潜む者の攻撃は、確信は無いが火の魔法ではないだろうか。肩から焦げたような匂いがするし。何にせよどちらの攻撃も喰らうのはヤバい。だが魔法の方は精度が低いのかもしれない、絶好の機会に俺を仕留められなかった。であるならば…。)
シェルナスはわずかな情報を自らの勘と経験で補填し、指針を決めた。
「んぐ!」
シェルナスは痛む右肩にムチ打ち、ズボンのポケットに右手を突っ込んだ。使えない右腕が振られてしまわないよう固定する為にだ。そして可能な限り身を低くしながら、黒い外套の者に向かって疾駆する。相手も迎え撃つべく構えた。
「ヒュッ。」
シェルナスは短く息を吸い込み、大きく吐く。
「ハアアアッ!!」
―――ズバアアンッッ!!
「ぬう!?」
相手の驚いたような声。シェルナスの渾身の一撃は、相手の大きく手前で地へと放たれたのだ。低い姿勢から放たれたそれは、敵の眼前に土煙を巻き上げる。シェルナスは虚を突くことに成功した。だが…。
―――ブオオォンッッ!!
相手も流石。その太い腕を一振りすると、簡単に土煙を掃う。それによりすぐさま姿を現す羽目になるシェルナス。彼は跳んで剣を大きく振りかぶっている。乾竹割りの体だ。
「フンッ。」
黒い外套の者は掃った腕に力を込め、そのままシェルナスに振るった。最初と同様、剣ごと打ち貫く腹積もりだ。
―――ブオォンッ!
「?!」
空振りだった。ガントレットに予想していた衝撃は来ない。なんと振り下ろされたシェルナスの左手に剣が無かったのだ。互いに空振りしたような格好となり二人は肉薄する。そこでシェルナスは振り切った腕をそのまま後方にまで持っていき、背後に現れたそれを手にする。
―――パシッ……
「なに!?」
相手は驚く。シェルナスの左手には剣。振るう前に手放し、無手で振り下ろしたのち、落ちてきた剣を後ろ手に掴んだのだ。シェルナスは逆手に掴んだそれを、間髪入れずに薙いだ。
「ふっ!」
「うぬっ。」
―――ヒュンッッ ズバッ!
(?! 浅い!)
シェルナスは舌を巻く。相手はその巨体でありながら、素早く身体を側転させ回避したのだ。腹部を斬りつけたつもりが、左大腿部を浅く斬りつけるに止まる。だがその際に相手のフードの奥にある顔がシェルナスの目に入っていた。
(やはり獣人!)
――黒豹。黒い毛皮に覆われた豹の貌がそこに在った。
(ッ。今はどうでもいいっ。)
シェルナスは一瞬気を取られそうになったが、すぐに状況を読む。奇を衒った攻勢の収穫は思ったよりも少ない。だが最低限、相手に道を空けさせることには成功した。ならば一気にエルフの元へ向かうべき。シェルナスは相手を気にせず、一気に駆け抜けた。
「チッ。」
豹貌の男もシェルナスの意図に気付き、舌打ちと共にその後を追う。
「やらせはせぬっ!」
(なに?)
後ろからの男の言葉に一瞬違和感を覚えるシェルナス。だがそこに森の者からの横やりが入る。
―――ズギュンッッッッ!
「うわっ。」
シェルナスは一切回避行動はとっていない。ただ駆け抜けているだけだった。しかしそれは外れた。その速さはゼスの木の矢とは比べるべくもないが、やはり精度は低いらしい。幸運にもシェルナスの予想は当たっていた。彼はそのまま低い姿勢で駆け抜け、ようやくエルフの元へ。だがここで再び違和感。
(ちょっと待て。なんで俺を狙う。俺が標的なのか?)
ゼスの一件で相手の狙いはエルフの女性と決めてかかっていたが、ならば森に潜む者は何故彼女ではなく自分を狙うのだろうか。――これはもしや。と、解を出しかけたとき。
「ぬうんっ!」
「ッ!しまった!」
その一瞬の思索が仇となり、豹貌の男への対応に遅れるシェルナス。
―――ブオォンッッ …ザシュ!
「つっ!」
とっさに前方へと転がったが、シェルナスの背中はガントレットの鉤爪に裂かれた。
(ぐっ。だ、大丈夫。浅いっ、気にするなっ!)
もちろん傷の具合を確認している暇は無い。だがシェルナスは自分にそう言い聞かせ無理やり体勢を整えた。
「~~~~!」
右肩と背中の痛みに耐えながら身体をひねり反転させる。そして片膝をついた状態で剣と目線を上へと向けた。背後にはエルフの女性。今日何度繰り返したか分からない状況で、次なる攻撃を迎え撃つ。獣人の鉤爪はすでにシェルナスへと迫っていた。もはや、破れかぶれでその剛腕を受止めけざるを得なかった。
「くっそおおおお!!」
―――ブオオンッ ガキィイインッッ!!
(ッ?! 止めれた!?)
シェルナスは驚く。まさか被害無しに止める事が出来るとは思わなかったのだ。だがそれは止まった。この瞬間ある事を確信するシェルナス。
―――ガチャッ!
シェルナスは受け止めたガントレットの鉤爪に剣を引っ掛ける。そして、てこの原理を利用して獣人の腕を思いっきり捻った。
「うおりゃああああああああ!!」
肩や背中から飛び散る血もお構いなく、とにかく全力で捻る。
「ぬおおお?!」
―――ズダアアーンッ!
獣人の巨体が右腕を支点に一回転し、地面に叩き付けられる。シェルナスは躊躇なくその巨体に跨り、剥き出しになった豹貌の付け根に刃を宛行った。
「ぐっ、おのれ…。」
「―――動くな。」
「ッ。」
底冷えするような声と強烈な殺気を孕んだ目に、獣人の男は怯んだ。
◇
―――ダンナ、シェルナスのダンナ。
「…ん?よおコル。奇遇だな。」
「でもないですよ。自分、お昼は大抵この店ですから。」
「分かってるよ。挨拶みたいなもんだ。」
「はは。席、一緒してもいいですか。」
「ああ、もちろん。」
「んじゃ失礼してっと。…我が糧をどーのこーので、あれがそれでいろいろそんな感じで、お礼申し上げます。じゃ、いただきま~す。」
「……今のはなんだ?」
「へ?食事の前の祈りですけど?」
「そ、そうか。すまん、邪魔したな。どうぞ食べてくれ。」
「ほい。いっただっきま~す。はぐはぐむしゃむしゃ…。」
「んぐんぐ…ぷは。」
「あ、ほうは。はんはひひひはいほほははっはんは。」
「なんだって?」
「ごくん…ふう。ダンナに訊きたいことがあるんですよ。」
「なんだ?」
「いえね?昨晩ユーリンと話してて話題に出たんですけど…。」
「ユーリン……て、御前とこのメイドの?」
「え?ええ。」
「…昨晩とはこれ如何に。」
「ちょっ?!何すかその顔!違いますよ!?話してただけですって!!」
「コル。よかったなぁ。にこり。」
「自分の事のように喜ばないで?!本ッ当に違うんですよ。!?」
「まあまあ。それで?どんな話題だ。」
「んぐぐ…、変な噂流さないで下さいよ?ああ、え~とですね。この大陸ってたくさんの種族が居るじゃないですか?そんなかで一番強いのはどの種族かなーって、軽い議論が起こったんですよ。」
「そりゃあ人間だろ。民の半分は人間種なんだから。」
「んぐんぐ…ごくん。あ、いえその種族のね?一番強いやつ同士で戦ったらって事です。」
「種じゃなくて戦いの強さか。…んー、強さねぇ。コル、戦いは正を以て合し奇を以て勝つって云ってな?勝つのが目的なら相手の裏をかく事こそ肝要なんだ。でもそれがすなわち強者かと訊かれると…疑問だな。う~ん…。…時運ってのもあるしなぁ。一概には……。」
「あ、いや、ちょっと?そんな真剣に考え込まないで下さいよ。単なる話のタネなんですから。」
「んあ?あ、ああ、すまん。」
「あ、そうだ!じゃあ、ダンナが今までで一番苦戦した種族って…。」
「人間だが?」
「…………。」
「人間強いぞ?なんせ一番戦争に慣れてる種族だからな。」
「…自分戦争なんて行った事無いっす。」
「長い歴史で培ってるって意味だ。特にアスターティはな。」
「……ユーリンには、人間最強!って言っときます…。」
「なんで残念そうなんだ?」
「自分は『獣人』を推したんすよ。ユーリンは……『有角人』でしたけど……。」
「…『有角人』…は、まあ…そうかもな…。だが『獣人』は千差万別すぎて判断がつかん。そもそも獣人とは共生が進んでるから、めったに争う事がない。」
「めったにって事は、あるにはあるんですか?戦った事。」
「…あるには、ある…な…ハハ。」
「? そん時はどうだったんです?」
「…………集団でコテンパンにされた。」
「え゛…。」
「わ、若気の至りというやつだ。…ごほん。彼らは基本温厚だからな、無暗に殺生はしない。」
「はは…、ダンナが今ここに居るのが証拠ですね…。」
「…まーな…。」
「あっ、えと。と、とにかく強いのは人間っすね?ユーリンにもそう伝えます。」
「ピクッ。……もしかして今夜もか?今晩もなのか?」
「は、え?いいいやいやいやいやっ。」
「コル。よかったなぁ。にこり。」
「だからなんでそんな嬉しそうなの?!」
◇
首都シンクレイリアの市街地の西側から森までの間には、短草草原地帯が広がる。元々、市街化の為に森林を皆伐した土地なのだが、森の動物達との生活領域を明確化するため、あえて開発が止められたのである。そんな土地を流れる小さな川のそばに彼らはいた。
土壇場での形勢逆転。シェルナスは豹貌の獣人の喉に刃を強く押し付けている。そこからはすでにわずかな出血がみられ、いつでもその命を止められる状態だった。獣人に馬乗りになり静止している状態は、ともすれば森に潜む者にとって恰好の的であるはず。しかし攻撃は無かった。
(やはりそうか。)
シェルナスは考えた。獣人の一撃を受け止めることが出来た理由。森に潜む者がいまだ攻撃を仕掛けてここない理由。それは傍にエルフの女性が居るため。彼らは彼女の身を案じているのだ。獣人はシェルナスの背後に及びがゆかぬよう手心を加えた。森の者はシェルナスがエルフの傍にいるときは攻撃してこない。これらの理由から彼らはエルフの仲間ではないかと、シェルナスは推理した。
「お前たちは勘違いしている。俺はエルフに危害を加えるつもりはない。」
シェルナスは誤解を解くため、獣人に話しかける。
「……。」
しかし獣人は黙したままシェルナスを睨みつける。
「分かるだろ?俺はいつでもお前を殺せる。だがそれをしないという事が何を意味するか。」
それは諭すような口調ではあるが、殺意はしっかり込められていた。牽制の為だ。絶対有利の状態とはいえ油断できる相手では無いのだ。シェルナスは慎重にならざるを得ない。彼らは問答無用で攻撃を仕掛けてきた。それはつまり彼らがシェルナスを敵としか認識していないという事。そんな相手は何を言ったところで通じない事がままある。シェルナスは言葉を選びながら獣人に話す。
「いいかよく聞け。俺はエルフに危害を加えない。それどころか追っ手から彼女を救った。お前達が彼女の仲間なら俺達に争う理由は無い。」
「……それを信ずる証は。」
ようやく獣人は口を開いた。だがやはり簡単に誤解は解けない。
「俺がお前を殺してない。」
「……人間は狡猾だ。何かをたくらんでいる可能性も捨てきれぬ。」
「そうか。ならばエルフが目を覚ますまでこうしてるとしよう。彼女の口から聞けば信じられるだろう?」
シェルナスは相手の喉に刃を宛行ったままの状態を続ける。だが相手が動きを見せたら容赦なく殺すつもりだった。獣人もそれを分かっているようで微動だにしない。
「…………本当に敵ではないのか?」
獣人は様子を見ながら話しかけてきた。
「あのエルフに対してはな。お前は今んとこまだ敵だ。」
シェルナスは殺意を消さず応じる。
「…我々が何者かは…。」
「エルズリッドの民で合ってるか?」
「…………。」
「合ってるようだな。」
「…“こちら側”の民は我らを敵とみなす。貴様は違うのか?」
「エルズリッドの事は関係ない。俺は彼女の敵ではないだけだ。何度も言わせるな。」
「…………。」
シェルナスはあえて敵か味方か判断しづらい応対をする。彼に自分で考えさせるためだ。今の状態で言い聞かせても単なる強迫にしか見えない。自分で解させれば、話を聞くようになるかもしれない。と、考えての事だった。
「ん?」
シェルナスはその気配に気付いた。どうやら森に潜んでいたも者が出て来たようだ。
「出て来たか…。」
シェルナスはつぶやく。だが顔はそちらには向けない。飽くまで獣人に注意を払っていた。
「…むう?」
思案していた獣人もそれ気付き眼球だけをそちらに向ける。
―――ザッ…ザッ…
シェルナスの視線は下。よってその風貌は確認できない。足音からして小柄な人物ではないかと、なんとなくわかる程度だ。
「来るな!来なくていい!」
喉を押さえ付けられながらも声を張って止める獣人に、森から出て来た人物は…。
「 ヴィーチェ ダル ディーチェ 」
魔法を行使するため、言葉を紡いだ。その声は女性の声だった。
「いい!よすのだ!」
再び声を上げる獣人に、その女性は言葉を返す。
「…この距離なら外しません。」
どうやら攻撃の意思があるようだ。シェルナスはやはり視線は下のまま、牽制の言葉をかける。
「俺が死ぬより先にこの男が死ぬ。それも辞さぬというのなら、仕方ない。この男を道ずれに逝くとしよう。」
「…………。」
シェルナスの言葉にその女性はひとまず魔法の行使はやめたようだ。どうやらゼス同様、仲間諸共攻撃するタイプではないらしい。シェルナスはその事に安堵した。
「……どうすればよいのですか?」
女性は魔法を行使する態勢はそのままに交渉を求めてきた。シェルナスはすぐに応じる。
「そこのエルフを起こしてくれ。」
「……なんですって?」
彼女は驚いた様子で声を上げた。かなり意外だったようだ。
「なかなか起きなくて本気で困ってる。おかげで命の危機も迫ってる。」
シェルナスの右肩と背中の出血はそろそろ無視できなくなっていた。
「…眠っているのですか?ニア様は…。」
「ん?ああ、怪我とかは一切ない。寝てるだけだ。」
知らぬ名だが、状況からしてエルフの名前だろうと判断して答えるシェルナス。
「クレオよ。この人間は敵ではないと言っている。ニア様がそれを証明するらしい。」
再び知らぬ名が豹貌の口から放たれる。これも状況からして森から出て来た女性の名前だろう。獣人の言葉に彼女は、シェルナスを警戒しながらゆっくりとエルフの元へ向かう。
「俺はこの獣人で手いっぱいだ。お前には何もできないさ。」
「……、ッ。」
シェルナスのその言葉にクレオと呼ばれた女性は一気にエルフの元へと駆け寄る。
「…ニア様………ニア様…!」
「ん、ん…すぅ…すぅ…。」
「ニア様…!」
掛けられていたコートを剥ぎ取り、傷病兵の如く容態を診る。結果、無事と判断したようで安堵の言葉を口する。
「ニア様…よかった…。」
彼女の明るい声色に獣人の男もほっと息を吐いた。
「…とっとと起こしてい欲しいのだが。」
――というかいつまで寝る気だあのエルフっ。と、シェルナスは怪我も手伝ってかややイライラしていた。
「……このコートは貴方が?」
「? そうだが。」
いいから早くしろと言いたがる口を宥めながら、シェルナスは女性に答える。
「…本当に敵では無いのかもしれません。…ニア様は安心すると眠りが深い…。」
「だから起こして確認しろと言っている。」
今現在、最も危機に瀕しているのは剣を喉に突き付けられた獣人。ではなく、出血が致死量に達しつつあるシェルナスだった。しかも、目下の獣人に悟られてはなるまいと必死に虚勢を張っている状態なのだ。するとようやくクレオがニアを起こそうとする。
「…そうですね。まずはニア様を起こしましょう。」
「ああ、早く…。」
「ん!…よい…しょっ!」
「?」
何やら女性の踏ん張るような声。声だけでは何をしているのか判らない。シェルナスはすぐさま声をかける。
「おいっ、何をしている。この黒豹がどうなっても…。」
「心配は無用。彼女はニア様を起こそうとしているだけだ。」
睨み合っている獣人の男がそう言う。だがシェルナスは油断は出来ぬとばかりに、最大級の警戒を発する。
「…………。」
しかし、獣人は目を瞑り身体を完全に弛緩させた。
「……。」
彼が戦意を手放した事で、シェルナスは警戒レベルをやや下げた。
「んしょ…んしょ…。」
クレオと呼ばれた女性は何かを運んでいるかのような動静を示す。そして…。
「…えい。」
―――バッシャーン……
「…………。」
「…………。」
「…………。」
一時の静寂。
―――ザバァッッ!
「ぷはあああっっ?!」
どうやらエルフの女性は小川へと投げ込まれたようだ。さすがに目を覚ました彼女はそのまま激しくせき込んだ。
「げほげほげほげほっ…なに…げほ、が。ガハッ、ゴホッ、一体…カハコホッ、何…が、ごほおっ!」
「ニア様…。御無事で何よりです。」
「ケホッ!ケホッ!…無事じゃ、ガホゲホッ…ないっ…ゴホンッ、もんっ……こほっこほっ。」
彼女ははひどく苦しそうな応対する。そして自分に話しかけた人物が誰かに気付いた。
「ケホケホケホッ…はあ…はあ…て、あれ?クレオ?」
「はい。ニア様。」
「クレオーーーーー!よかったぁぁぁぁーーーーー!!」
ニアは喜びを前面に押し出し、抱き着きにかかった。
―――ヒラリ
「へっ?……んきゃっ?!」
―――ビターン!
しかしそれを躱されてしまい、ニアは思いっきり草むらへと突っ込む。
「…………なんで……?」
彼女は涙目で避けた理由を訊ねる。
「いえ、濡れそうだったので。つい。」
「ううー!」
クレオのあんまりな返答に頬を膨らませてうなるニア。
「ていうか私なんで川に?!ていうかさっきまでそんなのあった?!ていうかここ森じゃないじゃん!!」
「落ち着いて下さいまし、ニア様。」
「落ち着けって言われても!いったいどうなったの!?敵は!?追っ手は!?」
「ニア様っ!!」
「あう!?」
エルフのその特徴的な耳は、耳元での大きな声を十二分に拾い上げてしまう。
「ッッッッ、キーンてする~…。」
「ニア様。急ぎお伺いしたい事が御座います。」
「は…え?…なに?聞きたい事?」
「ええ、あの方の事です。」
「あの方……?」
ニアは指された方へと目を向ける。
「ちょ!?ククククレオ!ジェンギィが大変なことに!!」
「ニア様落ち着いて!今は大丈夫です!…それよりも人間の方です。一体何者に御座いますか?」
「え、人間?」
彼女はようやくシェルナスを目に捉える。――やっとかよ。と、シェルナスは安堵する。彼女たちのやり取りは無駄に長かった。肩と背中を負傷しているシェルナスにとってあまりにも長かった。だがようやくこの闘いにも終わりが見えた。
しかしそれは起きてしまった。こういう時ほど起こるものなのだ。――想定外の事態は。
「………え、誰?」
「うおおおいいっっ?!」
エルフの口からまさかの言葉。シェルナスが模索して出した解決法は根底から覆る。
「ぬううんっ!」
―――ザシュッッ!
「ぐあああ!?」
―――ズザザザァァ……
シェルナスはまたもや地を転がる。豹貌の獣人に隙を突かれ、横合いからその太い腕で殴り掃われたのだ。その腕には鉤爪付のガントレット。もちろんただでは済まなかった。
「ぐっ、くそ!左腕まで…!」
シェルナスは右肩、背中に続き左腕までも負傷してしまった。もはや剣は使えない。何とか立ち上がり前方に目を向けると、獣人もすでに立ち上がっていた。クレオと思われる、帽子をかぶった小柄な女性も、エルフを背に庇っている。2人の目には明確な敵意が宿っていた。
(はは…、さすがに無理か…?)
シェルナスは状況に絶望しかけていた。右肩、背中、そして左腕。加えてゼス達からの連戦。シェルナスにとって絶体絶命を絵に描いた状況だった。そこへ獣人が口を開く。
「人間。覚悟はいいな。」
「よくないぞ。というかエルフが無事なんだからそっちの目的は達したんじゃないのか?」
「…我らを欺いた目的はなんだ。」
「いやいや、意味ないだろ?あの状況で嘘ついても。なんで分からないんだ…。」
「ニア様は貴様を知らぬ。それが答えだ。」
「くそっ。俺はお前を殺さなかったんだからお前も俺を殺すな。」
「…命乞いか。見苦しいな。」
「俺を殺さない方がお前達の為になるって意味だ。」
「その手には乗らぬ。」
獣人はその言葉を最後に戦闘態勢を取る。凌げる可能性は果てしなく低い。シェルナスは駄目で元々と、もう少し足掻いてみる事にした。
「なあ、エルフにかけてたそのコートなんだがな。」
シェルナスは上がらない両腕の代わりに顎をやる。だが獣人とクレオという女性はシェルナスから目を離さない。ニアだけはそちらに目を向けた。
「そのコートの内ポケットにな…。」
シェルナスは続ける。獣人とクレオの2人に変化はない。だがニアはコートを見つけて「あれ?」といったような顔をした。
「…エルズリッドの秘宝が入ってる。」
「!!」
「なんですって!?」
「……は?」
このシェルナスの言葉に彼らの様子は反転する。獣人とクレオはコートを見やり、ニアはシェルナスへと目を向けた。
「 テクス タアト ファル ヴァ リオ 」
シェルナスはその隙に魔法の行使を図る。正直体力は限界で、魔法を行使できるかは微妙だった。正真正銘最後の賭けだ。体が発光して、神と繋がったことを知らせた。
「我が望は壁。大地の隆起を以てかの者たちの侵攻を阻め。」
《承認 権力ノ行使ヲ許可スル》
「ッ!人間、またしても…!」
「ニア様、下がって!」
「え?え?!ちょっと待って!今の、今の言葉って…!」
獣人とクレオが気付いた時には、シェルナスはすでにイールズとの交感を終えていた。あとは預かりし権力を行使するのみ。
「させぬ!」
「 ヴィーチェ ダル ディーチェ 」
獣人は踏み出し、クレオは言葉を紡ぐ。しかし、シェルナスが一歩先んずる。イールズの力が宿った地面に目をやり、その言葉を口した。
「 セラ イールズ 」
―――ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………ッッッ!!
それは壁。大地が垂直に隆起したのだ。相手との間にまるで城壁のような土の塊がそびえ立った。
「よし撤退っ。」
そう、シェルナスは退く事を選んだのだ。相手の追撃を遮るのを目的に壁を生み出したのだった。シェルナスは壁に背を向け、その場を去ろうとする。しかし…。
「あ…れ…。」
ガクンと膝をつくシェルナス。一か八かの魔法の行使は、シェルナスに逃げる体力を残さなかったのだ。
「ッ……立て!このぉ……!」
己に活を入れどうにか立ち上がるが、その歩みは亀のように遅い。
「―――私は破壊を求めます。お前の兇害たる火砲を貸しなさい。そして私を阻むものを灰燼に。」
《諒承 サア毀セ》
「 セラ ドラーニーナッツォ 」
―――……ドガアアアアアアアアーーーーーンッッッッ!!
「うわっ!?」
背後からの爆風に、前のめりに倒されるシェルナス。信じられないことに、壁は簡単に破壊されてしまった。
「………万策、尽きたな…。」
爆発で巻き上がった土煙の中で、シェルナスはうつ伏せに倒れている。そしてすぐに感じる敵の気配。豹貌の獣人がすでに其処に居た。
「さらばだ。」
獣人はそう短く言ってガントレットを振り下ろす。シェルナスはその鉤爪を受け入れるほかなかった。
「やめてえええええええええええーーー!!」
「ぬ?」
その叫びに獣人は辛うじて腕を止める。見るとニアが駆け寄って来ていた。
「だめえ!!ジェンギィ!!」
「ニア様?」
「はあ…はあ…その人、ケホッ…その人は!…その人は私の命の恩人なの!!」
「……何と申された?」
「けほっけほっ…だ、だから恩人!はあはあ…こほっ、私は、その人に命を救われたのっ!」
土煙でむせながらもなんとか伝える銀髪のエルフ。それをうつ伏せのまま聞いていたシェルナスは、小さくつぶやいた。
「……やれ…やれ、…だ。」
口癖になりそうだった。
ありがとうございました
次回は
『王国皇太子』
お楽しみに