Rules On City Kids
誰もが震える寒い冬が近づいていた頃、俺は道に立ってただ1人歌っていた
いつもは学校終わりのガキンチョが5-6人集まって遊んでいるただの広場だが、毎年この日だけは真っ直ぐ前を見ても誰かの頭しか見えないほど人が集まっていた
俺はこれを勝機だと思い、ちっぽけな自前のスピーカーにマイクとギターを繋いでストリートライブを始めた
何が勝ちなのか言っても誰にもわからないだろう
一体なんのために世の著名人たちは音楽をするのか、ロックをするのか、俺には長らくの疑問だった。
彼らは音楽をすることが1番のヨロコビであり、努力が目的であると言う。それが15歳終りの俺には全くわからない。音楽は好きだ、何も意識しなくったって、そこに隙があるなら勝手に音楽が流れ出すほど。
自己を啓発する言葉やロックスターの名言を見ても、瞬間はハッとするかもしれないが、そんなものは2-3日でも経てば言葉の一言一句思い出せなくなる。
俺が音楽をする理由はもっと別の場所にある。
音楽は手段である。
たった50年前、ロックが全盛期の頃だった。
大人も子供も構わずバンドを組み、才能があったやつはすぐに飯にありつけた。
その頃の音楽はとにかくメッセージがあった、戦争反対、原発反対、飢餓救済、そこには目的があった。
だが今はどうだ、
この社会に向けたメッセージのある歌は生まれているのか?
ヒットチャートをくまなく見ても、平和を願った曲ですら一曲もないだろう
それどころか「平和を願うなんて綺麗事」なんていう曲が流行っている。俺はこんな現代に革命を起こしたくて音楽をやっているんだ。今日だって、多くの人に多くの俺のメッセージを届けにここで歌っている
ライブパフォーマンスの半ば、ヘラヘラしたポリスが群衆をかき分け俺に近づいてきた。
俺に言う「あんちゃん、ここで何やってんだい」始めたライブは止めちゃいけない、気にもせず歌い続ける
「ちょっと聞いてるのか?お前は法律に反してるぞ、許可も取らずにここで歌って」
続けて
「音楽やるならルールの範囲内でやれよな」
何を言われても俺は構わない
法律になんの関係がある?
コイツらの言う音楽は、ただのエンターテイメントだ
ルールで守られた安全地帯から訴えかけるなんて、実行が伴わないソーシャルメディアの批判や、揚げ足取りあってる政治家となんら変わりない
ただこうして、反骨を歌にして響かせていくのは、無責任にあーだこーだ無様に叫んでいるよりはマシだってことさ
俺が歌ってる間この空間は治外法権だ、別に途中で俺を殺してくれたっていいんだ、そのくらいの覚悟を持って歌うから伝わる、現状を肯定していくだけの日々を送っているコイツより遥かに素晴らしいことなんだ。
「いい加減従わないとその手に縄をかけることになる」奴らは手錠を取り出し俺に警告する
やれるもんならワッパでも銃弾でもなんでもかければいい、そんなことで俺の音楽を止めてくれるなら嬉しい限りだ。だってここで強制的な制止が入れば俺の歌うというアクトは完了に移行する。自分でケリをつけることとはまた違う意味を音楽に持たせられるんだ。一生のキズがつくとわかっていても鳴らし続けるその覚悟が目の前の群衆を止めるきっかけになるんだ。
そして俺に手錠をかけようと奴の手が伸びる
『あぁ、やっと俺の音楽に本音を乗せてあげられる』
たった15年しか生きていないが、この1秒が最も長いだろうと真っ直ぐ前を見ながら感じる
俺のロックンロールはこれがスタートの合図だ
カチャリ




