魔女の呪いを解いた王子は、王としての資質を失った
※一部残酷な描写があります。
魔女ミレースは、一年の休息から目が覚めた時に「あれ?」と思った。
王国に丹念に張り巡らせていた呪いが、一部は剥がれ落ち、一部は歪み、一部は消えている。
ミレースはこの四百年ほど、代々このケメルナ王国に呪いをかけていた。
これは、初代国王との契約である。
王国を様々に呪う。
その代わりに、ミレースは形式上の王妃の地位を授かっていた。
もちろん、形式上の地位である。
そのため、代々の王子たちは別に政略にふさわしい者なり、愛する者なりを側妃として迎え入れていた。
そして、離宮でのんびり暮らすミレースにとって、それはどうでも良いことだった。
人間と魔女は根本的に生命として別の存在だ。
寿命からして、せいぜい百年程度の人間と、三千年は生きる魔女では違う。
それでも、四百年も居ついた国にはそれなりに愛着があったので、ミレースは初代国王との約束通り、せっせと国を呪い続けていた。
「呪いが変なことになっているわね」
数十年に一度の一年間の深い眠りから覚めたばかりで、ミレースは天蓋付きのベッドの上で大きく伸びをした。
ベッドに張っていた結界を解く。
豪奢な離宮の室内は、少し埃が溜まっていた。首を傾げる。
これまでは一年の休眠期の間でも、室内には定期的に清掃が入り、目覚めた時はいつもピカピカだったのに。
寝起きであまり頭が働かないが、何かが変だということはわかった。
「魔女が目覚めたぞ!」
部屋の外から声が聞こえた。
扉のほうを見ると、部屋を覗き込んでいた兵士が踵を返すところだった。
次第に、外がずいぶんと騒がしくなる。
ミレースは寝癖のついた長い黒髪を手櫛で整えながら、大きくあくびをした。
真紅の瞳に生理的な涙が浮かぶ。それを子供のような仕草で、片手で擦った。
やがて、大勢の足音が聞こえてきて、彼らが部屋に押し入ってきた。
大勢の兵士を連れた先頭にいるのは、ミレースの『形式上の』婚約者である、第一王子のオーランドだ。
隣には、側妃になる予定の侯爵令嬢ミラルダが寄り添っている。
「あら、一年ぶりね。オーランド」
ミレースは幼児を見るようなゆったりとした笑みを向けたが、オーランドの顔は険しいままだ。そして、これまであった威厳が少し失われている。
「魔女ミレース。私はもう騙されない。
お前はずっと国を守護すると言いながら王族の思考を誘導し、洗脳に近い行為を行なって、このケメルナ王国を操ってきたのだ。
これらはすべて、聖なる力に目覚めたミラルダの浄化によって、明らかとなっている」
「魔女が代々王妃の座につくなんて、元々おかしかったんです。
これからはオーランドの最愛であるこの私が、聖女として浄化の力でこの国を守ってみせます」
「浄化……? 聖女の浄化? ミラルダが聖女の力に目覚めた?
もしかして、それでオーランドの呪いが半端に解けているのかしら」
オーランドに指を突きつけられながら、ミレースは小首を傾げた。
「やはり、これまでの私はお前によって呪われていたのだな!?
ミラルダの浄化によって、私は自由な思考が可能になった。
今までお前が国で好き勝手しているのを何の不思議にも思っていなかったが、あれは魔女の呪いによって思考が歪められていたせいだったのだ!」
「ええ、私がオーランド様に強力な呪いがかかっていることに気がついて、今も懸命に払っているのです!
私が聖女の力に目覚めたのも、きっと悪き魔女の手からこの国を救えという神のお導きです!」
オーランドが大仰に叫び、ミラルダが追従する。
兵士たちは、各々手にした槍をミレースに向けた。
「ミラルダが呪いを浄化するまで、私はずっと贅沢は敵だと思い込まされてきた。
誰よりも贅沢が許されるはずの王族なのにだ!
それに、何よりも民が大事だなどという思想にも侵されてきた!
平民などより貴族や王族のほうが立場が上だというのに!」
「あら、まあ……ずいぶんと我の強いこと……これは本当に呪いが解けているのね」
ミレースは片手を口元に当てて呟いた。
聖女の浄化というのは初めて見たが、呪いが効いているのなら決して言わないようなことを、オーランドは口にした。
ミレースがこれまで丹念に呪ってきたのは、主に王族に対する呪いがいくつか。
『必ず正解を選ぶ呪い』
『姿勢が良くなり威厳が増す呪い』
『贅沢をせずに民を第一に思いやる呪い』
『サボらずに政務を行う呪い』
である。
そして、ついでに『国の土地が豊作になる呪い』と、『魔物たちが近寄りたくなくなる呪い』を国中にかけてある。
これだけの呪いをかけているとかなり力を使うため、数十年に一度、一年間の長い休眠期に入って魔力を回復する必要があった。
つまり、目覚めたばかりの今のミレースは、魔力が満タンである。
「こうして呪いの解けた今、お前との婚約は破棄する!
その上で、これまで国を、王家を操ってきた罪を以って、魔女ミレースは公開処刑とする!」
「抵抗するのなら、私の聖なる力で滅します!」
身を寄せ合った二人が、高らかに宣言する。
ミレースは困ったように片手を頬に当てた。
「これまで契約に従ってせっせと働いてきたのに、処刑とはずいぶんなことを言うわね」
「王族を洗脳することが仕事だと!?」
「オーランド様は私に浄化されるまで、あなたに洗脳されて自由な思考を許されなかったのですよ? こんなに残酷な行為がありますか!?」
ベットの上で夜着のまま、ミレースは二人の顔をまじまじと見た。
「それは、初代国王レオニールの思想を否定するということ?」
王族の欲を縛る呪いは、ミレースと契約した初代国王レオニールが望んだものだ。国のためにならない王族は不要だと、彼は言っていた。
けれども、人は少しずつ低きに流れるもの。
それを知っていたからこそ、レオニールは魔女の呪いを欲した。
「初代国王レオニールの名を出せば、我々が引き下がるとでも考えたのか?
愚かな。レオニールだって、国王ならばそれにふさわしい暮らしをして当然と思うはずだ」
「彼は、贅沢をするために国王になったわけではないわ。
だからこそ、未来の子孫がそんな浅ましいことを考えないように呪ってほしいと、私に言ったのよ」
魔女として負けたと思った数少ない一人を愚弄されて、ミレースの機嫌が少し悪くなる。
誰よりも強かった彼の子孫だから見守ろうと四百年も頑張ってきたのに、ちょっと聖女が浄化したくらいでこんなふうに崩れてしまうなんて。
「我が先祖の言葉を勝手に捏造した罪も付け加えよう。兵たちよ、この女を引っ立てろ」
オーランドが嘲笑するように告げる。
槍を構えた兵士たちが、ミレースのいるベッドに向けて近寄ってきた。
ミレースは半眼で片手を向ける。
「撃ち抜け」
近寄った兵士たちが、一斉にこめかみを魔力の弾丸に撃ち抜かれてバタバタと倒れた。
ミラルダの悲鳴が上がる。
「何て残忍なことを……!」
蒼白な顔で言われて、ミレースは首を傾げる。
「炎の魔法で骨まで焼き払うこともできたけれど、部屋が煤けるし死体を残してあげたほうがお葬式をちゃんとあげられると思って、わざわざ撃ち殺してあげたのに」
「殺す必要があった!?」
「私を処刑するだなんて言っていたくせに、私が殺すのは駄目なの? 人間ってずいぶんと都合の良いことを考えるのね」
長い黒髪をかき上げる。
ミレースは魔女だ。お優しい聖女とは違う。
これまでは国に敬意を払われてきたから、こちらもそれにふさわしい態度でいただけだ。
人の命を奪うことについては、それほど忌避感はない。
特に、自分の身を守るためならば何とも思わない。
「何だかやる気がなくなってしまったわ」
これまで四百年間、休まずせっせと頑張って王族と国を呪ってきたのに、自分が正義だと思っている考えなしの聖女に呪いを台無しにされて、ずっと王族に相応しいように呪ってきた王太子オーランドも欲丸出しのクズに成り果てている。
「ミ、ミレース、待ってくれ! 殺さないでくれ!
私はただ、ミラルダが魔女なんかの下について側妃になるのは嫌だと、王妃になりたいと言うから仕方なく——」
相手が殺しを何とも思わない魔女だと、自分たちが敵わない強者だと分かった途端に、婚約者を差し出して命乞いをしてくるとか……。
本当にあの誇り高いレオニールの子孫とは思えない。思いたくもない。
幻滅してしまう。
「ちょっと! あなたがあんな魔女なんかより、王妃は聖女のほうがイメージ良いって言ったんじゃない!」
この部屋に入ってきた時にはあんなにピッタリ寄り添っていたのに、今はもうみっともない喧嘩が始まっている。
本当に、がっかりしてしまう。
人間というものに失望してしまう。
「……そろそろ、潮時かもね」
ミレースはそう呟き、裸足のままベッドから抜け出した。
兵士たちが怯えながら槍を向けてくるが、近付いてはこないので今度は無視をする。
「呪いをかけ直すのなんて簡単だけど、こんなに浅ましい人間のために尽くすのが馬鹿らしくなってしまったわ。
オーランド、喜びなさい。この国からはもう出て行ってあげる」
指を一つ鳴らすと、夜着が漆黒のローブに変わる。
艶のある黒髪を靡かせて、ミレースは部屋の中を見回した。長く住んだ場所だが、今となってはもう見飽きた室内だ。
「呪いも全部解いてあげるわ。これからは好きに生きればいい」
これまでかけていた呪いすべてを解く。
ミレースが四百年かけて国中に張り巡らせていた呪いが、スルスルと解けて散って行った。
「な、なんだ!? 急に頭がぼんやりして……ものがうまく考えられない……」
オーランドは『必ず正解を選ぶ呪い』でこれまでの勉強や政務で、問いかけに対して自然と正解が頭に浮かぶ状態にあったが、呪いを解いたことで普通に自分で考える必要ができた。
呪いで保持していた姿勢も悪くなり、威厳も減った。
贅沢をしないで国民に尽くす呪いはすでに聖女ミラルダによって解かれていたから、これからは贅沢三昧で国庫を傾け、民に恨まれるようになるかもしれない。
けれど、もうそんなことは、ミレースの知ったことではなかった。
「さようなら、オーランド。……さようなら、レオニール」
わずかな感傷を込めて呟くと、ミレースは床に転移のための陣を描いて、そこに飛び乗った。
さあ、どこへ行こう? 四百年ぶりの自由だ。いっそ別の大陸に行くのも良いかもしれない。
とりあえず、隣の国までひとっ飛び。
そう念じると、陣が輝いて転移が始まった。
ケメルナ王国は、長い間王族が極めて高い資質を持って良政を敷いていると評判だったが、王太子オーランドが国王になる頃から急激に外交や政策の失敗が続き、国力が落ちて行った。
それから何度か持ち直したが、建国五百年を手前に民による革命が起き、王族が処刑されて共和国制度となった。
ケメルナ王国を四百年支えた魔女ミレースの名は、王国史にのみわずかに伝わっている。
王国から去った彼女が、どこに行ったのかを知る者は誰もいなかった。
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