3、神社に巣食う魔物討伐
時計を見ると、まだ朝の七時を少し回ったところだ。昨日は、鳥型カカシの依頼を受けて疲れたから、今日は一日のんびりしようと思っていたのに、朝から騒がしい。
布団から顔を起こしてキッチンに目を向けると、バンダナで髪をまとめ、エプロンを身につけたアリスが、フライパンを巧みに操って何かを作っている様子が見えた。
……アリスがまた勝手に俺の家を我が物顔で占領している。
今日は昼過ぎまで寝て、そのあとはボケーっとしている予定だったのに、途中で起こされるのは腹立たしい。
ただ、食欲をそそる甘くて香ばしい匂いがして、空いた腹が音を立てる。
『ありゃ、目が覚めちゃった? おはよう、勇者様!』
フライパンを手に、にこやかな笑顔を向けてくるアリス。
対して俺は、ため息をつく。
「……勇者じゃないって何度言ったらわかるんだよ。俺は新堂橙綺。変なあだ名をつけんな」
アリスが作っていたのはホットケーキのようで、美味しそうな焼き色のついたそれを皿に乗せてから、アリスは俺の寝床へと近づいてきた。
そして、俺の面前までくると、俺を見下げるようにしゃがみ込む。
『何度も言わせてもらうわよ。橙綺くんは私にとっては勇者様なの。世界に蔓延るバグを修正することのできる唯一無二の存在なんだから——って聞いてる!?』
途中で聞くのが面倒くさくなったから、枕を抱きしめて身体を丸めた。
「……俺は眠いんだよ」
『もう……』
頭上でアリスのため息混じりの呟きが聞こえてくる。
『もっと、勇者としての自覚を持ってほしいものだわ。私のおかげで崩壊は免れたけど、バグが広がったらまた日本は滅んじゃうかもしれないの。それを救えるのは橙綺くんだけなんだから!』
今の日本人であれば、誰もが学校の歴史の授業で習っていることだ。日本は一度滅びかけた。異常気象、感染症、飢餓などの理由で、人口も減り、崩壊の一途を辿っていた。
だが、とある研究者が開発した超高性能AI『アリス』が、世界をデジタルコードで再定義し、異常気象や感染症などのない最適化した世界に作り変えた。それが、今俺たちが住んでいる日本という国だ。
「……つーか、どうして俺なんだよ。他にもすごい奴はいるだろ。俺は学校でも異能がないって言われてたんだぜ? 俺なんかを頼りにするなよ」
『コードを視認、改変できるのが橙綺くんだけだからよ!』
アリスはキッパリ言うが、俺は顔を顰める。
人間にはアリスから与えられた『異能力』が備わっている。それによって、今の俺たちの日常生活は賄われている。
コードを電気に変えたり、水に変えたり、土地の改修をしたり……。もともとは全てアリスの権能だったが、それが今は人間に受け継がれている。
俺にはコード書き換えの力が受け継がれた、とアリスは言う。
「……でも、俺は勇者じゃねえ。お前は女神なんだろ? 俺の手なんて借りないで、バグを修正してくれよ。そうすれば俺はのんびりできるんだ」
『だーかーらー、私の世界の再構築の力は人間に共有しちゃったから、書き換えの力は使えないの! 橙綺くんにお願いするしかないって言ったでしょ!』
最初は奇跡だともてはやされた『アリス』の世界の再構築だが、日本をデジタルコードで書き換えて百年。少しずつ綻びが出てきている。
「俺はそんなにすごい人間じゃない。学校の異能検査でも能力なしって言われて、卒業後は冒険者にしかなれないって言われてきたんだぜ?」
『あんなもので橙綺くんの異能を図るのは不可能よ。何せ、コードを書き換えられちゃうんだから』
「……コード修正ができるって言っても、昨日のカカシくらいが関の山だ。大それたバグの修復なんて俺にはできない」
『それは、練習をすればどうとでもなるから安心して!』
アリスはもてはやしてくるが、俺のコード書き換えの力も不十分だ。そもそも、能力がないと言われていたから、能力の練習なんてしてきてない俺は、簡単なコードの書き換えしかできない。
卒業したら、誰にも期待されずに、一人でのんびりと暮らしていけると思っていた。それなのに、一人暮らしを始めた途端にアリスが介入してきやがった。
「……俺は疲れてるんだ。頼むから寝かせてくれ」
『そうはさせないわよ!』
「何するんだよ! 布団と枕を返せ!」
アリスに枕と布団を回収されたから、アリスを睨みつけて抗議する。
だが、アリスは布団と枕を手にニヤリと笑みを浮かべるばかりだ。
「なんだよその顔は?」
……嫌な予感しかしない。
アリスは布団をたたみ、枕をその上に置いて口を開く。
『そういうわけだから橙綺くん、バグのある世界を平和に導くためにも、早く朝ごはんを食べて仕事の準備をしてちょうだいね』
「……は?」
仕事の準備ってなんだ?
俺は今日は一日のんびりしようと思っていたから、依頼を受けてない。だが、アリスの表情を見て、まさかと思いデバイスを見ると『依頼一件受理中』の文字が表示されている。
【討伐:咲椰神社で暴走する魔物の討伐】
【ランク:F】
【報酬:五千円】
依頼のランクは駆け出し冒険者の俺でも受けられる『ランクF』のものだから、そこまで難しい内容ではないのだろうが、そういう問題じゃない。
「……勝手に依頼受けやがったな」
アリスを睨みつけるが、笑みを浮かべて俺から顔を背けると、再びキッチンの方へと背中で手を組んだまま、ステップを踏みながら歩いて行った。
だめだ、面倒くさい。全くもってやる気にならない。今日は一日のんびりするから断ろうかと思っていると、デバイス上にメッセージが来た旨の通知が届いた。
田所桃花という名前からだ。聞き覚えがないが、どうやらアリスが勝手に受けた依頼の依頼人のようだ。
メッセージには『依頼を受けていただいてありがとうございます。九時に咲椰神社でお待ちしております』とのこと。
「……なんだと」
いよいよ面倒なことになったぞ。
依頼人からメッセージが届いてしまって、これから依頼を断るのは、アリスの保護責任者としての過失だ。このまま断ってしまうと、依頼を受けてくれたと思った相手方に迷惑をかけてしまう。
『あらぁ、これはもう断れないわね』
「くそぉ、俺の一日が……」
『さぁ、朝ごはんを食べて、咲椰神社に行くわよ!』
起き上がってテーブルに目を向ける。ホットケーキの他にも、スクランブルエッグにカフェオレもある。
湯気とともに美味しそうな匂いが鼻をくすぐる。
「……ちっ」
アリスに舌打ちをしてから、キッチンの水道で顔を洗い、うがいをする。席に着いて、ホットケーキを一口。
「……うま」
スポンジの柔らかさもさることながら、甘すぎないのは非常に俺好みだ。甘すぎるのは苦手だから。
『橙綺くんの好みは知り尽くしているわ。甘いものは苦手なのよね。……それにしても、本当に美味しそうに食べてくれるわね。作り甲斐があるわ』
「……なんだよ、こっち見んな」
まじまじと食べているところを見られるのは恥ずかしい。威嚇をするも動じないから、無視して食べよう。
『ふふっ、今日は面白いことになりそうだわぁ』
笑みを浮かべて、なんだか意味深な発言をするアリスを睨みつけ、俺は朝食を平らげた。




