2、バグを修正する異能
バグが起きると、物体は本来設定されていない動きをする。このカカシは、害鳥を追う代わりに、目についたもの全てを敵と認識して追っている。
『そういうことだから橙綺くん! 早く修正して、私を助けて!』
アリスは頭を押さえ、つついてくるカカシから逃げながら叫んでくる。
「……ったく」
こいつは手を貸さない。というか、貸せない。アリスの役割は、俺がバグを修正した後の固定化だ。
一件のバグを直すだけじゃなく、同種のバグが世界のどこかで起きても同じ対処がされるようにすることがアリスの役割だ。
仮にも女神だからな。
……面倒な役回りを押しつけられている気がするが、仕事だから文句は言えない。
ポーチから、掌サイズの剣を取り出す。サイズを示すコードを書き換えれば、元の形に戻すことができる。
『え、なにそれ? ……枕? 橙綺くん、まさかこんなところで寝ようとしてるんじゃないわよね!?』
「……間違えただけだ」
剣を取り出したつもりが、枕を取り出していたようだ。今度こそ、剣を取り出してサイズのコードを通常に戻すと——
圧縮されていた剣が、空気を割るように展開し、日本刀の形に戻った。金属の冷たい光が夕焼けを映す。
剣を構えながら、アリスとカカシの様子を見つめる。
カカシがアリスへ突っ込んで行くから、アリスがぴょんぴょん逃げる。そのたびに警報音が鳴るから、うるさくてかなわない。
「アリス、カカシから離れてくれ」
『だって追ってくるんだもん!』
女神ならカカシくらい黙って受けて立て、と言いたいところだが、言い合いをしてもカカシは止まらない。
平穏を取り戻すには、カカシのバグを修正するしかない——が、俺の能力は、触れないと修正できない。つまり、接近しないといけないのだ。
剣で斬りつけて強引に停止させる手もあるが、それじゃ根本的な解決にならない。それに、カカシのコードの乱れの中に、妙な影が見えた。揺らぎが、悲鳴のように。
俺は、構えた剣をだらんと下げた。
「……やっぱ、斬るのは違うか。問題はこいつの中にあるバグだもんな」
カカシの暴走は、本人の意思じゃない。見たところ、なんらかの悪意がこいつに取り憑いたような感じだ。
なら、止め方も力づくじゃない方がいい。
『橙綺くん!? まさか、迷ってる!? 斬っていいんだよ! ほら、報酬! 夜ご飯!』
「分かってる。……少し、黙ってくれ」
目の焦点を、カカシの胸部に合わせた。そこに、余計なコードが結び目みたいに絡みついている。
あれをほどけば、カカシの暴走もおさまるだろう。
まずは、アリスから俺に注目を移す必要がある。剣で斬るのは忍びないからな。
『きゃっ!? どうしていきなり剣を投げてくるのよ!』
「俺に注意を向けさせるためだ!」
それに、バグの修正は触れればできる。剣は必要ない。
アリスがやかましいが、俺が急に剣を投げたことで、カカシの注意が俺に向いた。カカシがアリスへの追撃をやめ、今度は俺へ向かってくる。
金属の鋭いクチバシが、俺に向かって猛スピードで迫ってくる。
だが。
怖いと思うより先に、身体が動いた。足を踏み出し、俺は両腕を広げる。
『えっ!? 危ないわよ、橙綺くん!』
アリスの悲鳴を背に、俺は真正面から受け止めた。
「……ぐっ」
——抱きしめる。
カカシの勢いが、そのまま胸にぶつかる。
衝撃で息が詰まる。カカシの鋭いクチバシが胸に叩きつけられ、胸元からじんわりと血が滲む。痛みでその場に膝をついたが、腕を回し、ぎゅっとカカシを締める。
「大丈夫だ。……お前、怖かったんだろ?」
自分でも、何を言っているのか分からない。だけど、不思議と口から出た。
カカシの胸部で、ノイズが走る。
俺の視界に、コードがはっきりと浮かんだ。『Ω』と『Δ』が、心臓のような位置にしがみつき、周囲の『0』『1』を引っ掻き回している。
痛みで、意識が遠のきそうだ。だが、触れている。コードに接続できる距離に俺はいる。
指先で、絡まりの核へ触れる。コードが熱を持ち、空気が震える。
ほどけろ。
戻れ。
「……頼むから、落ち着いてくれ!」
余計な記号を、正しい場所へ押し戻す。『Ω』は消える。『Δ』は薄れ——代わりに『0』と『1』が、自然に並び直っていく。
ノイズが止まると同時に、警報音がすうっと消えた。
カカシの体から力が抜け、羽ばたきが穏やかになる。抱きしめた腕の中で、硬さが少し柔らかくなった気がした。
「……よし」
手を離すと、鳥型カカシは一度だけ、くるりと円を描いて上昇した。まるで、俺にお礼を言っているかのように。その様子を眺めて、俺はその場にへたり込んだ。
田んぼの上を、一定範囲で旋回し始めた。害鳥が来ないか確かめながら落ち着いて動いている。
『橙綺くんお疲れ——って、胸から血が出てるじゃない!?』
「……これくらい、平気だ」
そうは言ったものの、気を抜いたら痛みで気を失いそうだ。だが、こいつの前で弱気な部分を見せたくない。
シャツを脱いで、デバイスから『応急薬』を取り出して、クチバシで刺された胸に塗る。痛みで顔が歪む。
『全然平気そうじゃないじゃない! ……もう、本当に強がりなんだから』
「……うっせえ。……平気だって、言ってるだろ」
アリスのちゃかしに切り返しつつ、俺は『応急バンド』を傷に貼り付ける。とりあえず、応急処置は終了だ。
深呼吸を一つ、俺はアリスに仕返しをする。
「お前こそ、さっきまでつつかれていたのに元気なもんだな」
『あ、あれは油断してただけです! まさか、女神の私に襲いかかってくるなんて思わないじゃない! 橙綺くんだって、いつもやる気ないくせに、やる気満々でやってたじゃない』
「そんなこと……ねえよ」
アリスと睨み合うが、そんな悠長なことをしている場合じゃない。こいつにはまだやるべきことが残っている。
旋回するカカシのコードは、整っている。だが、ほんの小さな影がまだ残っている。
アリスによる固定化が済んでいないからだろう。また、同じようなバグは発生しないためにもアリスに頑張ってもらう番だ。
「……俺はのんびり暮らせれば、それでいいんだよ。そのためにもアリス、後は頼んだぞ」
『本当に、素直じゃないわねぇ。でも、さっきの橙綺くん、すごく格好良かったよ』
アリスの笑みを見て、思わずドキッしてしまったのは不覚だ。俺の悠々自適な生活を破綻させた相手に、何してんだろうな。
笑みを浮かべたアリスが指を鳴らすと、空の高いところで、光が一瞬きらりと弾けた。目に見えない何かが広がっていく感覚。
次いで俺の視界にも、薄いコードの波が流れていくのが見えた。
『修正完了! 橙綺くんが直したコード、私が世界に反映しておいたわ』
「……助かるよ」
緊張感が抜けた俺は、ふうと息を漏らした。ふと空を見上げると、夕焼けの奥に群青色の夜が迫ってきているのが見えた。いつも通りの平穏な夜が訪れようとしている。
アリスが俺の隣にしゃがみ込む。
『お疲れ様、橙綺くん』
「……今回のバグ、あのカカシの中に外から何かが入り込んだみたいだな」
『うん。さすが橙綺くん、よくわかったわね』
アリスの声が、少しだけ真面目になる。
『人の感情とか、滞った想いとか。データで言えば、ゴミみたいなもの。行き場がなくて、どこかにくっついちゃうのよね。今回は、たまたまファームガーディアンちゃんに取り憑いたみたいだけど』
ここまで言って、アリスはまた笑みを浮かべた。
『橙綺くんがバグを修正して、私がそれを固定化する——これで、問題は解決するわ』
決めポーズと言わんばかりに、アリスは横ピースをしている。
時々女神らしいことを言う。色々わかっている風なくせに、さっきはカカシにクチバシでつつかれて泣くようなドジな面もある。
そのギャップが、少しだけ可笑しくて——俺は笑いそうになり、慌てて咳払いで誤魔化した。
『な、何よ? いい雰囲気なところで、どうして笑うのよ!?』
「……女神を自称するなら、もっと緊張感を持てよな。カカシに襲われてちゃ世話ないだろ」
『うっ、反省してます。……ちょっと待って、自称じゃなくて、本物の女神なんだけど!』
「はいはい」
アリスは不満げに唇を尖らせたが、すぐに俺の背中にぺたりと寄ってくる。抱きつくような距離に身体が熱くなってくる。
「……近い。もっと、離れろ」
『別にいいじゃない。橙綺くん以外に私は見えないんだから』
確かに、俺以外には見えない。
だからこそ、厄介だ。誰にもアリスのことを相談できないんだからな。
落ち着かない気持ちを振り払うために、腕時計デバイスを操作して、依頼完了報告を送ると、数秒後、すぐに入金通知が表示された。
【報酬:三千円受領】
「……よし。これで夕飯も食えるな」
言うと、アリスがぱっと笑う。
『よかった! じゃあ帰ろ。ねえ橙綺くん、夕飯なににする?』
「とりあえずたらふく食う。早く傷も治したいしな。それに、頭使って疲れたから糖分も欲しいかな」
『それ、ほっこりしないやつ! 合理的すぎるわよ! せっかくなら、なんかこう、勇者様っぽいのにしましょうよ!』
「だから、俺は勇者じゃないって言ってるだろ。つーか、勇者っぽい食事ってなんだよ?」
『そりゃ、もっと豪勢なものよ!』
「いらね」
浮遊原付にまたがると、アリスが勝手に俺の後ろに腰をかけるが、気にせず畦道を自宅の方へと走り出す。
夜の匂いが混ざり始め、遠くの家々に灯りが点る。田んぼの上では、鳥型カカシが静かに旋回を続けていた。
害鳥から田んぼを守る、本来の役割のために。
さっき抱きしめた硬さが、まだ胸の奥に残っている。
バグのせいで、怖くて、叫んで、暴れて——それでも守ろうとしていた。
俺が受け止めて、アリスが固定した。
たったそれだけで、カカシはまた穏やかに空を回りはじめた。コードでできてるはずなのに、やけに人間くさいものだ。
『ねえ橙綺くん』
「……なんだよ、あらたまって?」
『さっき、すごくかっこよかったよ』
アリスの思いがけない台詞に、運転が乱れる。
「……あんまり、茶化すな。事故るじゃねえか」
『ふふっ。じゃあ、気のせいってことにしとく』
アリスは満足そうに頷いた。俺は前を向いたまま、速度を少しだけ落とす。
腹が減ったから早く家に戻りたい。
でも——今日くらいは、夕焼けの続きを見ながら帰ってもいい気がした。
畦道の向こう、田んぼの鏡に、最初の星がひとつ映っていた。




