13、寂しい気持ち
神社のダンジョンに入ると、そこは異空間と化していた。視界には境内のような石畳の空間が広がっている。
外のように雨は降っていない。激しい風も吹いていないし、雷も鳴っていない。だが、空は不気味に紫色に薄く光っている。
地面からは枯れて黒くなった木々が生えていて、時折すすり泣くような声が聞こえてくる。
神社がバグったためだろう、そこらじゅうに絵馬が浮かんでいる。その一つ一つに悲しさを訴えるような絵が描かれている。
「これがご神体様のお気持ちなんでしょうか」
「分かんねえけど、修正しながら進んでいくしかねえな」
絵馬に触れると、頭の奥に温かな光景が流れ込んできた。神体の視点からだろうか、誰かの背中を見守るような穏やかな感じだ。
試験前の子供だったり、病床に伏す家族を抱えた母だったり……。あの神体は、確かに『祈られていた』のだと、改めて胸の奥に染みこんだ。
「——新堂さん!」
「な、なんだよ、急に大きな声を出すな。前みたいに魔物が襲ってくるかもしれないだろ!」
「すみません……。ですが、絵馬に触れた途端に、固まってしまったので心配になったんです! ……何か見えたんですか?」
「うーん……」
あまりセンチメンタルな気持ちになることはないが、これは、どうやら本当に神体の気持ちが表れているようだ。参拝客が減って、暴走してしまった神様の気持ちが。
「うまく言えないが、やっぱりすごく寂しかったんじゃないか? 忘れられたのが、辛くて仕方なかったって感じだ」
「……そうですか」
田所はそう言って、祈るかのように消えゆく絵馬に向かって手を合わせて祈りを捧げている。すると、消滅する際にわずかにコードが優しく揺らいだような気がした。
肩を落とす田所を尻目に、石畳の道を絵馬に触れ修正しながら奥へと進んでいく。
大昔から人々を見守ってきた神体の記憶が次々と流れ込んでくる。試験のため応援してください、病気を治すための体力をください——絵馬に触れていくと、次から次へと感情の波が俺を襲う。
俺は普段から能天気に過ごしてきた。そんな中でも色々と楽をしようと考えてきたが、俺は人前でこんな感情を表に出したことはない。
そんな人々の感情の情景を見せつけられると疲れてくる。体力的にというよりは精神的に。ただまぁ、神体はそれをここまで耐えてきていたのだから、俺が根を上げるわけにはいかない。
というか、一日にここまでコード修正をしたことがないから疲れてきた。視線の先にちょうど倒れた木がある。あそこで休憩させてもらおう。
「……田所、悪いが休憩してもいいか? ちょっと、疲れた」
「休みなく解析してくださってましたからね。わかりました。そこの木に座って休憩しましょう」
息を吐くと田所が胸元にお札を貼ってくれた。疲れた気持ちが一瞬にして吹き飛んだ。
「【体力回復】効果のあるお札です」
「……助かる」
このままだと座りながら寝そうだ。さすがにダンジョンの中で寝てしまったら危険なことぐらいはわかっている。
とはいえ、コード修正は集中する必要があるから疲れる。それに、神体の感情の奔流も絵馬を通して勝手に頭の中に流れ込んでくるから、いつも以上に疲れる。
あぁ、冒険者なんて楽をしてのんびりと過ごしていけると思ったのに……。まさか村の窮地を救うことになるなんてな。
『橙綺くんは体力ないからねぇ。でも、コード修正しながら進めているのは感心、感心!』
場の雰囲気にそぐわない、軽快な声色のアリスの声が聞こえてきた。
『神体の起こしたバグの現象だからね、コードを解析していくごとに一歩ずつ神体に近づいているわよ』
「……これを全部とか、その前に俺の体力がもたねえよ」
空を仰ぎながらため息をつくと、傍の田所が声をかけてきた。彼女の方を見ると、何故だか胡乱げな表情をしている。
「新堂さん、時々独り言を言いますよね」
「……そんなことないと思うぞ」
「そうですか——いえ、さすがに何度も目の当たりにしているので、もう騙されませんよ」
「……ちっ」
田所は人のことを信じやすそうな印象があったが、何度も独り言を呟いているように見せてしまっては怪しまれてしまうのは仕方ないか。
だが、説明が面倒くさい。俺にはこの世界の女神のアリスが見えている、と言っても見えない田所は信用——いや、信用しそうだな。
アリスを見ると笑みを浮かべている。
『田所ちゃんには言ってもいいわよ。何せ、大神官様だからね!』
「……そうかい」
アリスもいいと言っているから、説明するか。
「田所、アリスって知ってるよな?」
「もちろんです。この世界を再構築してくださった女神様ですよね」
俺は頷いてから続ける。
「その『アリス』が俺には見たくもないのに見えるんだ。今も、俺の隣に座っているんだよ」
虚空を指差す。アリスは立ち上がり、横ピースでキメポーズをとっている。
『田所ちゃん、私はアリス。この世界の女神よ! よろしくね』
まぁ、田所にはアリスの姿が見えてないし、アリスの声も聞こえていないわけで、シーンとした状況が繰り広げられている。
『橙綺くん、代弁よろしく!』
俺はため息を一つ、アリスの代弁をする。
「……よろしくって言ってる」
「そう……なんですね。アリス様、田所桃花と申します。よろしくお願いします」
見えないアリスに対して丁寧にお辞儀をする田所に俺は言う。
「そんなに畏まることないぞ。アリスは様なんてつけるような奴じゃねえよ。いつも勝手なことばっかしやがる」
『待ちなさいよ! そもそも橙綺くんの方がおかしいんだって! 私はこの世界を再構築した女神なのよ。そんな高貴な存在相手にタメ口で呼び捨ての方がおかしいんだから!』
「あーうっせえ」
『何よ!』
地団駄を踏んでいるアリス。こんな様子を見たら誰だって女神様だなんて思わないだろう。ただのお調子者だ。
耳を塞いでアリスの怒鳴り声をかき消していると、田所がクスッと笑い出す。
「……どうした?」
「あぁ、すみません。そのですね、私にはアリス様の様子は見えませんが、新堂さんの様子を見ていると感じます。お二人は仲良しなんですね」
「なっ……」
何を言っているんだ田所は。俺とアリスが仲良しだって。そんなわけはない。俺の自由を奪って、勝手に付きまとってくる奴を好きになんてなるわけがない。
まぁ、食事だけは満足させられているが、それ以外は迷惑を被っているんだ。勝手に依頼を受けるし、人を手のひらの上で操ってくる。
「田所は、アリスが見えないからそんなことが言えるんだ。俺は迷惑ばっかり被ってるんだぜ? それに、アリスは百歳を超えた婆さんだ」
『ちょっと、調子に乗って何を言ってるのよ! 出不精! ものぐさ! ぼっち!』
「お前こそ、言わせておけば」
アリスと睨み合う。
「新堂さんと……おそらくアリス様もですよね。ダンジョン内ですから、落ち着いてください」
田所の声落ち着いた声で我に返る。
冷静に振り返ると、ものすごく幼稚な言い合いをしていたな。だが、俺だって自尊心はある。
「謝罪はしねえぞ」
『私だって』
悪態をつきつつ、俺は腕を組んだ。
「とまぁ、こう言うことだ。話は以上」
田所は一瞬呆気にとられた様子でいたが、すぐに笑みを浮かべた。
「でも、そんなアリス様のおかげで私は新堂さんに会うことができました。私にはやはり女神様だと思います」
「……好きにしろ」
そっぽを向いているとアリスが視界に入った。勝ち誇った笑みを俺に向けて。
『見なさい、これが女神というものなのよ。橙綺くんは、もっと私を崇拝しなさい!』
いつか仕返しをしてやる。そう心に誓った。




