7
道を歩いている。
オフィスから出て、三階を歩いて降りた先にある、三島市の郊外の街だ。今日はやけに天気が良いな。春の最後を飾る五月。天気の神様は春のクライマックスを現わしたかったのか、空には白く豊満な綿雲が踊り、頬を撫でるように流れてくる涼しい風は、ただ歩くという行為だけで十分に幸せにしてくれる。
三島市の郊外、目に見えるものは他の都市の郊外と大差ないだろう。東京のような大都市の中心部のように、見るだけでその雄大さを醸し出す、くすんだ色の高層ビルとは違い、こじんまりとした低層ビルが軒を連ねている。午前八時という出勤のピークタイムが、こうした都市郊外に活力を吹き込むとはいえ、目に見える人波は平日の午前十一時の都心と同じレベルだ。とにかく、そういう都心とは違う感じだな。ビル群が醸し出す閉塞感もなく、田舎のように閑散ともしていない、この三島市の郊外は、どうやら住みやすい場所らしい。
俺とツカハラちゃんは、道を歩いている。
サカセガワさんに「ツカハラちゃんをどこか遊びに連れて行ってこい」という稀代の難易度を誇る業務を受けたからだ。俺が苦悩し、苦悩して考え出した場所は見事に拒否され、落ち込みそうになったが、ツカハラちゃんは「街」が良かったのだろうか。ただ道を歩きながら、ゆっくりと何をするか決めようという結論が出たのだ。
だからこそ、俺とツカハラちゃんは道を歩いている。
だが、やはり都心とは違い、都市の郊外にはそれほど多くの娯楽は見当たらない。不動産、俺たちのような事務所、飲食店、モーテル、コンビニエンスストアなどが大半だ。だから、何というか、やはりツカハラちゃんくらいの年齢の子供は、こういう場所をあまり好きではないだろう。
だが、ツカハラちゃんは何か違うな。純粋な好奇心を持った眼差しで、ベテルギウス恒星も顔負けするほど明るい目つきで、首は自我を持ったかのように休むことなくあちこちの街の風景を見ようと回り、この退屈な場所がピラミッド遺跡になったかのように、街を探検しているように見えるな。
やはりツカハラちゃんはあまりにも不思議だ。
「人間ではない何か」という謎の正体に加え、「どこか深い山奥で暮らしていたのか?」といった考えが浮かぶ、俗世間からかけ離れた知識。記憶消去剤が作用したのかしていないのかも分からないし、何よりも何**だ、この可愛さは。こいつ、行動一つ一つがひたすら可愛さのためにプログラミングされたような感じだ。
とにかく、この途方もない可愛さがなかったら…俺は、この少女の得体の知れない存在に対する根源的な恐怖感が払拭されなかっただろう。感謝だ。こうしてツカハラちゃんと道を歩くことに。
ひとまず目的地は公園だ。
事務所から徒歩で約五分。そう遠くない距離に、小さな公園が一つある。正直、公園…というには少々物足りないな。それもそのはず、裏路地の空き地に建てられた公園で…滑り台が一つだけ寂しく立っている公園なのだ。周囲が開けているわけでもない。公園のすべての縁、そのフェンスのすぐ後ろにはビルが建っている。だから、公園という名にふさわしくない、かなりの閉塞感を醸し出しているな。
…うーん、どうやらやはり公園ではないな。
「やはり目的地を変えるか」と考えながら道を歩いている時だった。
「ミ…カド、あそこはどこ…?」
人差し指でどこかを指差しながら尋ねるツカハラちゃん。
俺は視線を人差し指が指す場所に向け。
「あそこは喫茶店だ。コーヒーやパンを食べる所だ。喫茶店に一度行ってみるかい?」
あそこはエスプレッソ専門店だ。子供が苦いコーヒーを好むはずがないだろうが、ケーキでも買ってやるべきか。
「コーヒー**?**それ…何が…?」
コーヒーも知らないのか。もちろん知らない可能性もあるだろうが、あまりにも日常的に飲む飲み物なのに。いや、もちろん子供はあまり飲まないだろうが、それでも十歳という年齢を重ねて一度は必ず見たはずの飲み物なのにな。
「コーヒーは…ココアは知ってるだろう?ココアだけど、甘みがなくて苦いものだ。」
最大限よく理解できるように、幼児向け…とでも言うべきか。とにかく理解しやすいように説明する。
「ココア**?**ココアって…何が…?」
…ウロボロスか。どうやら知らないことが多すぎるようだ。このままでは無限の質問の輪に嵌ってしまうな。ツカハラちゃんの現時点の知識状況…はよく分からないが、どうにか知っていそうなものを比喩するか、あるいは最初から説明するのだ。できるぞ、ミカド!どうにか説明してみるんだ!
「ココアはなんだろうな、水に似た感触で、木の皮の色をしているんだけど、甘い味がするんだ!」
どうにか説明し終えた。ツカハラちゃんは首をかしげると。口を「人」の字にして訝しげな表情で。
「それ、すごく不味そうだ…。」
ドスーン!という音が俺の頭の中で鳴る。こういう風に理解しちゃだめだ。あ、やはり。俺が見ても俺は何かを説明するのは下手くそなようだ。なんだかとても大きな誤解を植え付けてしまったようだ。
ところで、ツカハラちゃんは喫茶店から興味が逸れたのか、別の場所を人差し指で指差して。
「あそこは…?」
「あそこは映画館だ。ん、映画でも見てみるかい?」
東宝シネマのような他の大型シネマコンプレックスではない、古い街の映画館だ。これはこれで情緒があるな。どうやらツカハラちゃんもさらに目を輝かせている。もしかして映画館を選ぶのは成功なのか。
「…えいが**?そういうのはよくわからない…でもなんだか、あの建物は暖かい感じがする…**」
ツカハラちゃんが薄く微笑みながら言う。それに、俺も映画館が位置する建物を見る。別段変わったことのない建物だ。三階建てで、古びていて、狭い。なんだか俺たちの事務所のビルと外見がすごく似ているな。
「…………」
黙々と建物を凝視し続けるツカハラちゃん。なんだか、ツカハラちゃんの雰囲気に、まるで綿雲に乗って童話の空に浮かぶ城々が俺たちに挨拶し、おぼろげに見える星の光がほのかな照明を醸し出す、限りなく夢幻的で美しい風景の中を飛んでいくような雰囲気に。俺はツカハラちゃんへと自然と首が下がる。
「…なんか、家みたいだ…」
ツカハラちゃんは何か少し泣きそうな声で。建物を切ないように見つめながら。薄い微笑みは切実なように保ったまま。
「…幸せだ。」
小さな声で。独り言か。低く呟きながら。小さな唇を離した。
やがて、喜びに満ちた表情で俺を見つめる。ツカハラちゃんが見つめた風景。三島市郊外の、街の風景。誰にとっても日常的な風景。どこでも見かける建物。普段と変わらない日。見える風景は特別なこと一つなく、閑静な都市の姿を保っているにもかかわらず。
ツカハラちゃんは、喜びに満ちたように俺を見上げながら。
いつも聞こえる鳥の鳴き声。緑の草むらを、木の葉の中を横切って出てくる風の音。そんな都市の静かな日常の騒音に感謝するかのように。
ツカハラちゃんは、喜びに満ちた表情で俺を見上げながら。
会社ビルの二階で平凡かもしれない人生を送れることに感謝するかのように。これからも俺とユイタン、サカセガワさん、ヒサトさんに会えることに感謝するかのように。
ツカハラちゃんは、喜びに満ちた表情で、俺を見つめている。
その純粋な表情に、見たことのないこの少女の過去が再生されるようだ。目の前のこの少女はどのような十年を過ごしたのか。一体何があったのか。自分の十年、その歳月の荷物を全て一人で背負ってきたのか。あの小さな体を持つ少女には、どのような事情があるのだろうか。
────────どうして人間ではないのだろうか。
ツカハラちゃんは、やはり喜びに満ちた表情で、俺を見つめている。
人間ではないにもかかわらず、この無害そうな生命体を保護しなければならないという思いが強く湧き上がり。
人間でなければ何だというのだ。誰が来ても、今のツカハラちゃんを見れば、世話をしたくなるだろう。
人間でなければ何だというのだ。幸せにしてあげたくなるツカハラちゃんを見れば、人間でないことくらいはたいしたことではないかもしれない。
ツカハラ・セイジは、喜びに満ちて。
紛れもない喜びに満ちた少女の表情で。
────────────────俺を見つめている。
ツカハラちゃんが見せる不器用な感情表現。だが、その感情には深い感動が込められているな。
おぼろげに感じる。数多くの事情があったからこそ、取れる表現なのだろう。
ありふれた日常に感謝するかのような、これから続く狭い事務所の二階での生活に感謝するかのような、平凡な街の風景に感謝するツカハラちゃんの感情表現は。
俺にも、深い感動を与える。
ああ、これじゃ涙を流してしまいそうだ。
「これからも…私を…よろしくね…」
そうだ。お前の正体、お前の過去、その全てを知ることになったとしてもだ。
俺は、俺たちは、お前が生きられるよう。
俺が、俺たちができる最大限の努力で。
ツカハラ・セイジを、最善を尽くして、世話をしてやろう。
「ふう…」
俺は深く息を吸い込み、決意を終えたまま。
「さあ、じゃあ。映画でも見てみるかい?」
ツカハラちゃんを見て、暖かく、優しく、もう一度尋ねる。
「…映画、わかった…!一度見てみるよ…!」
ツカハラちゃんの肯定の返事。相変わらず、とても幸せそうな様子で、話している。
「そうだ。よし、行こう。」
俺は、一昨日俺の左目が見せた内容を知ってしまった映画を避け、ツカハラちゃんが好みそうな別の映画を予約しに、ツカハラちゃんと一緒に、映画館へと入っていく。
一方、俺がツカハラちゃんとの遊び探求という骨の折れる業務をしている間、サカセガワさんと、ユイタンは依頼された別の業務をするために出発していた。
だから、場面を切り替えることにしよう。
俺ではない、ユイタンへと。
次回もどうぞお楽しみに!




