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その古びたビルで非日常は続く  作者: ケンプファー
6/14

5

俺たち4人の視線は、ツカハラ・セイジに固定されていた。


今、目を覚ました少女の姿に、固定されている。

本来、女性とでも言うべきか、とにかく女性の姿をした生命体が熟睡する様子や、特に目覚めて間もない姿を見るのは紳士的ではないだろうが、俺たちの予想を外れたツカハラ・セイジの言葉のせいで、俺たちの耳目はより一層集中した状態だ。


「..........ここ、どこ….?」


少女はオフィスの様子を見て、別の言葉を口にした。どうやら『理性』が残っていると推測される少女の追加の質問は、俺たちにさらなる混乱をもたらす。俺たちの体はさらに硬直する。特に、常に冷静で淡々としており、いかなる出来事にも驚かないヒサトさんが、直接体で驚いた様子を見せたことにより、それに動揺した俺たちの戸惑いの大きさは、雨や湖に劣らない規模で頭の中を掻き回す。


「.....チコリ、確かに動物的な行動しか取れないって言ってなかったかい?」


ユイタンの視線は少女に固定されたまま。戸惑った声で隣のサカセガワさんに尋ねる。


「ふ...ふむ、そうだろうな…。一体どういうことだろう。」


サカセガワさんもやはり予想外の状況だったのか動揺し、質問を質問で返す。


「その…。俺たちと同じ種類ではないから、ということではないでしょうか?」


少女が聞くかと、『人間』という単語を最大限ぼかしながら、俺は一つの理論を投げかけてみる。


「いや、まさか。記憶消去剤は、いかなる種類(Type)の生命体であろうと、脳内記憶を根こそぎ消し去るだろう。」


すぐに反論するサカセガワさん。それならなおさ

ら、この当惑する状況は説明がつかない。どうしてツカハラ・セイジには理性が残っていると思われるのか。一体どんな理由がこのような因果を生んだのか。行動もまた極めて普通だ。ありふれた人間とあまりにも同一だ。もしかしたら投与された薬物が記憶消去剤ではなかったのか。あるいは記憶消去剤の機能が発現しなかったのか。


いや、記憶消去剤は現実ではなかったのか。俺はあの残酷な薬物が現実ではないことを願いながら。


「サカセガワさん、ツカハラ・セイジに投与された薬物が記憶消去剤ではなかったか、それともまだ未完成な状態で機能が表れていないのか、ということはないでしょうか?」


「まさか。さっき僕が使った検査キットは正確だ。血液を2回注入しても反応が出ないなら、それは薬物の機能が発現したという明確な証拠だろう。」


「..それでは今のツカハラ・セイジは一体…。」

俺の全ての理論が反論され、現在のツカハラ・セイジに対する疑問はますます大きくなる。


「....何を…話しているの?記憶…?私…?私に何が…?」


俺たちの言葉にソファに座った少女は目をこすりながら質問する。


「ああ、何でもないよ。」


とりあえず少女を安心させ、サカセガワさんに耳打ちで。


「...明らかに記憶に異常があるように見えますが…。」


サカセガワさんは少し考え込み。


「..うーん、いくつか質問をしてみよう。」


サカセガワさんの提案は賢明だ。ツカハラ・セイジに質問をすることで、どれくらいの認知能力があるのか、記憶が残っているのかを知ることができるからな。


「ツカハラちゃんと呼んでもいいかい?」


薄い笑みを浮かべ、温かい声で少女に近づくサカセガワさん。


「.....うん。」


サカセガワさんの穏やかな姿に少し安心したようなツカハラ・セイジの様子。


「今が西暦何年か、何日か知っているかい?」

サカセガワさんの質問に少し考え込んでから。


「ううん... 2025年の5月18日…だったかな..」


正確だ。今日は2025年5月18日だ。


「そうだね。では、君が最後にいた場所はどこだい?」


「...確かにすごく大きな四角い場所だったけど..目を覚ましたらここだったの…。」


俺たちが認知していた場所とは違うようだ。


「そうか。最後に君が誰なのか分かるかい?」


「私…?私の名前を言うなら、私はツカハラ・セイジだよ…。」


曖昧な答え。どうやら自分が拉致されていたという記憶はないようだ。


「ふむ…見当識が不完全だな…。」


サカセガワさんは小さく呟いてから。


「ありがとう、ツカハラちゃん。良い子だね。」

サカセガワさんは少女の頭を一度撫でる。


「それよりチコリ、あの会社ではツカハラ・セイジを回収には来ないのかい?」


ユイタンの質問。考えてみれば、確かにあの会社から依頼された仕事だったのに、別途誰かが訪ねてくるだとか、連絡が来るだとかいう行動が見えない。ツカハラ・セイジを回収してからもう7時間が経ったにもかかわらず、何の気配も見えない。


「ああ、ここでツカハラ・セイジを保護してくれればいいそうだ。まあ、どうやら今、あの場所は少し危険かもしれないから、ということだろう。メモに僕がうっかり書き残していなかったのかもな。」


サカセガワさんの答え。これはこれで正しいな。極秘情報が持ち出されたのに安全だと見ることはできない。だが、あの少女をここで保護しろだって…。


「ちょっと、それじゃツカハラ・セイジがここで暮らすことになったってことかい?!」


ほんの少し声が荒くなった口調で尋ねるユイタン。


「うん。そうだよ。」


サカセガワさんはいつもの口調で。


「な.....保護者は誰なのよ?」


戸惑うユイタン。


「うーん.....ヒサト、お前が────────」


ひっ、と驚くヒサトさん。彼女はスタスタと歩いていくと、バタン!という力強いドアの音とともに素早く部屋に入っていった。そして鳴るサカセガワさんの携帯。


[嫌だ。昨日も言っただろう。]


文字で見ると冷たく見えるが、何かもごもごしている様子に、かなり可愛らしさが感じられる。


「うーん.....僕は外出する時間が多くてツカハラちゃんの面倒を見るのは少々無理があるけど…。」


サカセガワさんの視線は自然と俺たちの方へ。俺たちは何か大変なことが起こりそうな気配に気づき、おずおずと後ずさりする。


サカセガワさんは何かを決めたようなうすら笑いを浮かべながら。


「君たちが、面倒を見てくれ。」


配慮などない一方的な通告に、ドスンと俺たちの心が沈み込む。今からツカハラ・セイジの保護者になれだって。あんなのがどうして社長なんだよ?くそ、くそ、くそ、くそ、本当に退職したいだろうか…!!!


「な.....このクソチコリが。僕たちがあの子を世話しろってことかい?」


ユイタンは驚いた様子で行動し、サカセガワさんに抗議する。


「うん**〜!君・た・ち**が。」


おどけた笑みで再び強調するサカセガワさん。


「でも俺たちは出勤している人間だろう。俺とユイタンは住んでいる場所も違うし、ここから家までの距離も結構あるんだが、世話をするのは難しいかもしれません。」


俺もまた呆れた通告に抗議する。


「ふむ…..そんなことくらいは!1、2階が空いているんだよ。1階はちょっとあれだから2階でみんなで暮らしなよ!通勤時間も減るし良いじゃないか!」


このなんていう無責任さだな。今日は朝からやたらと無責任さが天井を突き破るかと思ったら、今度は宇宙までも突き破る勢いだ。サカセガワさんの純粋だが残忍な通告に、その勢いに、俺たちは首輪をつけられたチワワのように気勢を抑え込まれ、縮こまる。


「待ってよ、チコリ。いくら何でも、ここはオフィスのビルだろ?私的な領域じゃないよ。それに、僕は君の私的な都合で住まいを移すなんてごめんだよ。」


折れた勢いを一度押し殺して抗議するユイタン。

しかし、


「そうだろうな。だが、これは遊びじゃないよ。この子は危険だ。そして危険に晒されている。外に出すわけにはいかないんだ。それに、君たちの、君は大丈夫だろうけど、負傷したハリマくんの安全を確保するためにも、今はここにいる必要があるだろう。」


サカセガワさんは真剣に、本当に決定的な根拠で、最後に残った勢いまで完全に꺾어しまう。


「あ......」


俺とユイタンは感情が抜け落ちたように、気の抜けた声を出す。サカセガワさんは正しいことを言っている。俺たちがここで暮らさなければならない理由、ツカハラ・セイジがここで保護されなければならない理由を明確に教えてくれた。もうどうしようもないだろう。社長の言葉に従うしか──────


「...あの……。」


そして、俺たちを呼んだと思われる少女の声に、生気なく首を折る。


「....迷惑…?….ごめん...ね..」


何かがおかしい。

俺たちの前の少女は泣きそうな顔で俺たちを見上げる。急いで周りを見渡す。サカセガワさんは『あんな人間でもないやつ』といった腐りきった表情を浮かべており、ヒサトさんがいる部屋からは『人類愛もないのか』といった雰囲気が漂ってくる。ユイタンもまた、非常に戸惑っている。

いや、それより、あんな表情で俺たちを見つめられたら…。


拒否なんかできるか…!


「あ、そ、その…。あー…。うーん…。そうだね。住めばいいさ。うん。住めばいい。」

言葉を濁すユイタン。それに俺もまた大げさに首を縦に振りながら。


「そうだな、そうだな!迷惑なんてとんでもないさ!みんなで一緒に暮らすんだ!楽しみだな!」

大げさな表現で同調をする。


「そう…?」

徐々に明るくなる少女の表情。ふう、良かったな。


「じゃあ、荷物を運ばないとね。」

サカセガワさんは「良かったね、良かったね」と言いながら話す。


「実はもう運び途中だよ〜!」


「よし、荷物運びは早そうだね….って、いつからだっけ?!」


ユイタンのツッコミ。


「いつからだろう。君たちが来てすぐからさ。」


最初から俺たちに押し付けるつもりだったというのか…..ああ…やはりな。


あまりにも無責任だ、この人間は。


「ふむ、今頃には到着しているだろう。2階の部屋の掃除は自分たちでやってくれ〜」


サカセガワさんはこの言葉を最後に悠々と退場する。


そんな無責任で呆れた姿に、俺とユイタンは間抜けな表情で互いを見つめ合う。


「あ.....ミカド、僕たちはものすごくしつこく見てきたけど、同居までするとは思わなかったよ。子供まで連れてだなんて。」


暗鬱な声で話すユイタン。俺もまたその言葉に全面的に同意しながら暗鬱な声で。


「....そうだな。このなんていう悪縁だ。」


「────というわけで、よろしくな。ミカド。」


ため息をつき、明るい声で話すユイタン。やはり、俺とユイタンは切っても切れない関係のようだな。


「ああ、よろしくな。」


俺たちはくすくすと笑い、お互いの厚い、数年来の縁によって生まれた信頼を基に話す。


「さて….じゃあ、ツカハラ・セイジ。これからは君は『キー』だよ。だから君を『キーちゃん』と呼ぶことにするよ。」


ユイタンのあだ名が炸裂した。


「...え?キー?それ、私…?」


わけが分からないといった少女の表情。俺は深いため息をつき。


「...こいつが君を見てつけたあだ名だ。元々こういうやつだから、まあそういうことだと思ってくれ…。」


「あ….うん。」


とりあえず分かったといった様子で首を縦に振るツカハラ・セイジ。


「俺も君をツカハラちゃんと呼ぶんだが、大丈夫か?」


「うん。」


「そういえば、まだ自己紹介をしていないな。」


俺は咳払いをして。


「俺はハリマ・ミカド。君のあだ名をつけたそこのあいつがハシノ・ユイ。君と俺と一緒に暮らすことになるやつだ。さっきオフィスから出て行った人がサカセガワ・アキミさん。あだ名はチコリだ。このあだ名もユイタンがつけたものだから、まあそういうことだと思ってくれ。最後に部屋に入った人がヒサト・ホノカさん。

以上がこの小さな会社<オムニア>の社員だ。これからよろしくな、ツカハラちゃん。」


紹介を終えた俺は、目の前の少女に握手を求める。


「うん..!」


俺の握手を受けながら、薄く笑うツカハラちゃん。その薄い微笑みに真実が伝わってくるようで、思わず感動してしまう。その威力はほとんど核兵器級だ。俺は体温がカーッと上がるのを感じる。ユイタンも驚いた様子で俺を見ている。


「う、ユイタン。もう、いいんじゃないか…?」


「あ…そ、そうだね。とにかくまずは荷物を片付けて掃除を…!」


ユイタンの言葉と、俺とユイタンは一緒に家を掃除し始める。


─────────こうして、俺たち3人の同居は始まる。

これで第1章は終了です。


次回(じかい)もどうぞお(たの)しみに!

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