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その古びたビルで非日常は続く  作者: ケンプファー
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昔の田舎の廃屋のように。


オフィスには陰惨な空気だけが漂っていた。まるで全ての生命力が吸収されたかのように、窓の外の夕焼けの光さえ、この空間では無彩色に変質しているようだった。


ソファに横たわり、熟睡しているあの生命体。


ヒサトさんのメッセージは明白に宣言していた。あれは「人間」ではない、と。


「ありえない。」


喉から絞り出すような独り言がこぼれそうになったが、固く閉じた唇は言葉を許さなかった。人間ではないなら、人ではないなら、一体あの姿は何を意味するのか? 完璧に人間の形を帯び、息をし、眠っているあの「形体」は、一体何だというのだろう。


規格外の、未知の生物から来る太古の時代から人間の脳裏に刻印されてきた、原初的な恐怖。「コズミック・ホラー」。理解しえない現象から来る無力感と無価値感を基盤とした恐怖だというのか。人間の姿をした何か。精密に作られたアンドロイド? いや、違う。現代の科学に、組織性、恒常性、物質代謝を含む生命体を備えたAIを作る技術力は、世界中どこにも存在しない。


それゆえに、あの存在について考えれば考えるほど、全身の神経体系がねじれるように、内臓の位置が変わるような感覚が、俺の精神に徐々にダメージを与えていく。これは俺だけに感じる感覚ではなかった。ユイたんの視線はヒサトさんが送った衝撃的なメッセージに吸収されたように固定され、二つの瞳孔は地震でも起こったかのように激しく震えている。スマートフォンを握っている手はどれほど震えているのか、まるで振動機能がオンになっているかのように不規則に揺れている。サカセガワさんも同様だ。サカセガワさんは現在、塚原セイジが投与された薬物、薬物の背後など、塚原セイジの状態に最も深く関わっている人物だ。そんな「深く関わっている」という様相を帯びた鎖は、サカセガワさんを縛りつけ、動く余裕さえ奪い、俺としては想像したくもない、息が遠くなるほどの重圧を与えているのだ。サカセガワさんが感じる精神的な負担のせいだろうか。手に力が抜けたのか、ドスンという鈍い音と共に握っていた携帯電話が床に落ちて転がった。


どうすべきか、見当もつかない。


この悪夢のような静寂を終わらせてしまいたい。


誰か、オフィスに電話でもかけてくれ。


ヒサトさんが**「冗談でした〜 ₍₍ (ง ˙ω˙)ว ⁾⁾」**というメールを送ってくれることを願う。


どこかで大きな事件が起こり、聞こえてくる悲鳴でも構わない。


ただ、ただこの状況から逃れたい。

このような考えが脳を支配してしまった中で、固く閉ざされた城の入り口のような口を開いたのは俺が先だった。


「とりあえず…何にせよ塚原セイジが起きてからが本番なんですから…。目を覚ますまで待ってみませんか?」


俺の意見にすぐさま論駁するサカセガワさん。


「目を覚ましたところでだ。…記憶消去剤が基礎的な知識を根こそぎ消し去っただろうから、私たちが塚原セイジにどんな質問をしても、何も答えは得られないだろう。ただ動物的に動くことしかできないだろうな。」


「それよりサカセガワ。」


冷たい声のユイたん。


「君は記憶消去剤について、どうして知っているんだい?」


サカセガワさんを貫く簡潔な質問。この疑問点はさらに大きな事件に埋もれて誰も尋ねる隙がなかったが、何よりも原初的な疑問点だ。この質問にサカセガワさんは、地にめり込むような深いため息をつき、


「──────────話しても、大丈夫だろうか。」


サカセガワさんの小さな独り言。


それに対し──────


「…知るべきだ。これ以上悪い状況には遭遇したくないんだ。」


独り言に動機を与える俺。サカセガワさんは少し躊躇した後、


「…まあ、お前たちなら大丈夫だろう。」


フッと薄く笑い、俺たちを信頼したようなことを言ってから、ユイたんの質問に答えた。


「─────さっきメモに『親交のある会社』って書いてたよな? 記憶消去剤はその会社が水面下で開発していた薬物の一つだったんだよ。ただの単純な会社じゃなかった。実態は巨大な情報と技術力を基に、世間の倫理的境界線を際どく越える研究をしていたんだ。


会社は自分たちが開発するこの薬物が、どれほど非倫理的で、今を揺るがす破壊力を持っているか、とてもよく知っていた。だから、この計画の情報一つ一つが、核兵器の設計図のように厳重に管理されるべきものだと考えていたんだろう。たった一片の情報でも外部に漏洩した瞬間、彼らの存在自体が致命傷を負い、世界的な非難と追跡を受けることになるだろうからな。だからこの記憶消去剤の開発プロジェクトは、製薬に精通したごく少数の人間だけがアクセスできるように徹底的に統制されていたんだ。物理的なセキュリティはもちろん、関係者には幾重もの誓約などで情報が漏れないように管理していた。まさに『絶対外部に知られてはならない』禁断の領域だったというわけだ。」


サカセガワさんは席から立ち上がり、窓辺へと近づいていく。


「だが、いくら徹底的に統制しようとしても、規模が巨大な会社には必ずどこかに欠点が存在するものだろう。この世に完璧なんてない。人間が作った組織のどこにも理想郷のような会社は存在しないんだよ。光が強ければ影も濃くなるものだし、巨大なシステムであるほど、小さな亀裂一つが致命的な破壊を招くこともあるからな。」


窓辺に近づいたサカセガワさんは、夕焼けを背にして、


「だが結局、マジノ線のような緻密なセキュリティ網さえも突破した産業スパイが存在したんだ。奴らが築いた鉄壁の防御壁は、ただの幻想に過ぎなかったってわけだ。


どの組織がそのスパイを送り込んだのかは、今になっても分からない。ただ、スパイを送り込んだ組織だけが知っているんだろうな。スパイは急がなかった。長い時間をかけて会社内部の一つの部品のようにゆっくりと同化していったという。ごく些細な業務から始まり、自身の途方もない技量で徐々に核心部署へと浸透し、信頼を築き、ついに会社の最も隠密な心臓部まで達した。巨大な木の根が地下深くに伸びていくように、彼の手が会社という巨大な有機体の最も敏感な神経にまで触れてしまったわけだ。


そうしてそのスパイが知ったのが、まさに『人間の記憶を消去する』禁断の技術、すなわち記憶消去剤を開発する計画だった。別名、『Project Memory Delete(記憶除去プロジェクト)』。


────略してPMD計画だ。


やがてスパイは、単に計画の存在を知ることに留まらなかった。PMD計画の詳細な研究資料、薬物製造工程に関する極秘レポートまで、巨大な図書館の本を丸ごとスキャンするように深く深く調査していった。そうやって調べた情報は、少しずつ自分が所属する組織へと抜き取られていたんだろう。おそらくごく微細なデータのかけらに分けられ、誰も気づかない方法で外部へ送信されたんだろう。水滴が岩を穿つように。そうやって少しずつ、だが確実に会社の秘密は漏れ出していたというわけだ。」


ソファに横たわる塚原セイジを悲しい目で見つめながら、


「そしていつの間にか、PMD計画の全ての情報は、完全に抜き取られてしまった。奴らが必死に守ろうとしていた秘密は、手の施しようもなく完全に露呈してしまったんだ。情報流出の事実が表面化すると、会社は文字通り修羅場と化した。最高位層から末端職員まで、全部署がパニックに陥り、互いに責任を転嫁する阿鼻叫喚の現場が繰り広げられたんだよ。


だが、もう手遅れだった。産業スパイは全てを終えた後、跡形もなく姿を消した後だったからな。遅すぎた会社は慌てて、まるで燃える証拠を消すかのようにPMD計画に関連する全ての記録を破棄し始めた。サーバーのデータを永久削除し、紙の文書は粉々に破って焼却し、関係者のコンピューターや機器を壊して廃棄するなど、必死にもがいた。会社のトップは激怒した。彼らの長年の機密と未来を賭けたプロジェクトが一瞬にして水の泡になったのだからな。PMD計画に関わったすべての関係者は、莫大な代償を支払わなければならなかった。最低でも年俸削減は免れず、大半は容赦なく解雇されただろう。単純な解雇では済まなかっただろうな。推測だが、口封じのために別途専門家をつけ、脅迫をしたのかもしれない。


…..塚原セイジに投与された薬物は、情報を抜き取った組織が作った薬物に違いないだろう。『なぜ塚原セイジが記憶消去剤を投与されたのか』までは、私もよく分からない。会社がこの少女に位置追跡装置まで付けていたこと。…おそらく情報を抜き取った組織に拉致されたのを見るに、重要な人物であることには間違いないだろうが…。」


わずかな沈黙の後、さらに続けるサカセガワさん。


「なぜアマチュアたちに命令して、拉致させたんだろうか…」


軽く首を傾げ、考え込んでから、


「わからんな〜。まあ、塚原セイジのことは後で会社に聞いてみるか。」


「サカセガワは、その会社をどうやって知ったんだい?」


追加質問をするユイたん。まだ声は冷たいままだ。


「ああ、大したことじゃないよ。以前、そこの幹部だったんだ。」


あっけらかんと言うサカセガワさん。


「退社の動機はなんだい?」


続くユイたんの質問攻め。


「何だと思う? 会社があんなものを開発してるから、愛想が尽きたのさ。退社して作ったここが私の望む姿を見せてくれるから、後悔なんてないね。」


サカセガワさんは以前の雰囲気に少しずつ戻っていくようだ。


「そう…なのかい。」


ユイたんも冷たい雰囲気を収め始めているようだ。


「あ、サカセガワさん。さっきおっしゃった言葉の中に『薬物たちの中の一つ』とありましたが、他の薬物もあるんですか?」


このような薬物が他にもあるかもしれないので、PMD計画のように非倫理的な薬物ではないにしても、正体を確認したいので、俺もサカセガワさんに質問を追加する。


「具体的なことは知らんな。私はPMD計画だけを詳しく知っているよ。他の薬物も開発しているということだけは知っているだけだ。」


サカセガワさんの答えに少し恐ろしくなる。


他の薬物にはどんな機能があるのだろうか。


感覚を消し去る薬物?


体が溶け落ちる薬物?


一体どんな怪物じみた機能なのだろうか。


もう完成しているのだろうか。


────────もう使用されているのだろうか。


このすべてのIFシナリオが、統制不能な競走馬のようにごちゃ混ぜになって頭の中で生まれる。


「それでも一番最初に開発に着手したのは記憶消去剤だからな、まだ完成までには程遠いだろう。」


数多くの不安を生み出していた俺に抑止装置をつけてくれたサカセガワさんの言葉。この言葉に少し安堵し、胸を撫で下ろす。


そして─────────────────────


ススッと、服が擦れる音。誰の服が擦れる音だったのだろうか。その音に、ヒサトさんは急いでドアを開けて出てくる。ヒサトさんが部屋から出てくることに視線が集中する隙はない。俺たち四人の視線は、全てソファへと向かう。沈黙して、見つめる。


音の根源は塚原セイジだった。


今、眠りから覚めたばかりの紛れもない少女の姿。寝ぐせでぼさぼさの髪と、ぼんやりとした瞳。唇はわずかに開き、小さな寝息が規則的に漏れ出ている。塚原セイジはゆっくりと瞬きをして、天井を見つめる。首はゆっくりと降りてくる。非常に、非常にゆっくりと。ナマケモノよりも遅い速度で。


「..........だれ……?」


開いた唇から漏れ出た微かな声。正真正銘、塚原セイジという少女の声だ。


その言葉に、


全く予想していなかった結果だったが、


心の片隅には深い安堵感が生まれる。

次回(じかい)もどうぞお(たの)しみに!

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