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その古びたビルで非日常は続く  作者: ケンプファー
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「ダン!」と音を立てて、不快極まりない古びた鉄の扉が倒れた。


扉が固く閉ざしていた内部から淀んだ空気が抜け出したのか、まるで手術室で漂うようなひどい化学薬品の臭いが広がってくる。


嗅覚神経をズタズタに引き裂くような強烈な臭い。

どれほど多くの化学薬品を、どれほど長い間放置していたのか。数多の化学薬品がまるで塩気がぎっしりと詰まった海水のように完璧に密度高く、完全に混ざり合っているかのように、熱い内部の空気と完全に混合して現れる吐き気を催す臭いだ。


「くっ…」


サカセガワの短く苛立った声。


「ひどい臭いだね…」


ユイもまた眉をひそめ、不平を漏らす。


ユイとサカセガワは、間違いなく人体に有害であろうこの空気に生理的な嫌悪感を覚え、携帯電話を握っていない方の袖で鼻を覆う。


内部空間はただでさえ暗い1.5階の空間の中でも一際暗い。この暗黒は内部に閉じ込められた人間の僅かな希望さえも消し去ってしまうほど暗鬱な雰囲気であり、ユイとサカセガワの唯一の光源である携帯電話のフラッシュさえも無慈悲に飲み込んでしまう、全てがこの暗黒に吸収されるような、まるで孤独なブラックホールのような暗闇だ。


ユイの携帯電話のフラッシュは内部の壁面を照らした。


空間が醸し出す漆黒の闇の中、頼りないフラッシュは壁に取り付けられた棚を映し出す。


棚には全て使用してから優に数ヶ月は経っていると見られるガラス瓶がある。ガラス瓶に貼られた成分表は、獣が爪でズタズタに引き裂いたかのようにボロボロになっており、何が何だか判別できない。


ユイはフラッシュを下に降ろしてみる。


木の机がある。


木の机の上には、内側に微かに正体不明の溶液が少量入っている三角フラスコがある。

三角フラスコの壁面は様々な溶液が使われたのか、ベトベトに干からびており、なんとなく手で触れると痒くなりそうな感じがする。

また、埃が積もったまま、微かにウィーンという機械音を立てている薬物配合機のように見えるものがある。


そうして注意深く机を眺めていたユイは、ビクッとして動揺した。


正体不明の溶液のせいで?


違う。


まだ作動中の機械のせいで?


違う。


原因は「机」のせいだ。


確かに棚に置かれた古い空のガラス瓶、壁面が干からびた三角フラスコ、埃が積もった機械はこの空間が「しばらく使われていなかった」という事実を示している。


だが、机。机の表面には、埃が積もっていなかった。


ただ、つい先ほどまで使っていたかのように。上には若干の異物が残存しているだけ。


その時。


「ハシノ君。あそこ───────何かいるようだ。」


サカセガワのひそひそとした小さな声。


ユイはサカセガワの声に、顔をパッと向ける。


サカセガワが人差し指で指し示すその先には、何かが動いているように、ある物体の影が少しずつ上に、下に、揺れ動いている。まるで老衰で死亡する寸前の生命体が、辛うじて息をしているかのように。


「……念のため背後を見ていてくれ、ハシノ君。」


「わかったよ。」


サカセガワは鼻を覆っていた袖を離し、ポケットの銃を握る。


その得体の知れない物体に照準を合わせ、徐々に近づいていく。


フラッシュを、照らしてみる。


人だ。


いや、獣か?


いや、違う。間違いなく人だ。人のはずだ。


サカセガワは顔を歪める。それもそのはず、目の前には人というよりは獣に近い何かが、非常に嫌悪感を催す姿でうずくまるように座っているからだ。


生気の一つもない蒼白な肌、こんな有害な空気の中で呼吸をしたせいだろうか。体のあちこちには正体不明の黄色い体液がひどく滲んでおり、肌は全てひび割れ、硬く強張って見え、あちこちが蕁麻疹あるいは皮膚病のように赤く染まっており非常に痒そうだ。胴体は長い間バランスよく栄養を摂取できていなかったのか、まるで木の枝のように骨が全て浮き出ており非常に痩せこけている。

骨の構造、見た目、さらには血管がボコボコと飛び出しており、曲がりくねった山脈のように솟き出ている。生気のない肌に手を触れれば、病気が移りそうだし、痩せこけた骨を軽く叩けばポキッ!と折れてしまいそうだ。


濁った目は焦点が合わないまま開いている。まるで長年のストレスが積み重なり精神的に狂ってしまい、全ての人格を失ってしまった人のように虚空を見つめており、痩せこけた頬骨と対比され、目が今にも眼窩から飛び出してきそうだ。また、大きく開いた口元からはヒュー、ヒューという音を出し、喉が枯れて鉄板を爪で引っ掻くような不快な音がしている。


おそらく、人が壊れる限界があるならば、あの姿が限界だろう。


酷い拷問でも受けたのだろうか。間違いなく、こんな部屋に数日間閉じ込められて過ごせば、誰だってああのようになるはずだ。


サカセガワは銃口を向けたまま、不快な生命体の見た目を把握してみる。


不快な姿ではあるが、この見た目。この目鼻立ちは、


間違いなく、カデ・アキヒロだ。書類の束で見た写真と顔が似ている。


書類でも十分に痩せた体型として出ていたが、今は痩せているどころか死体のようだ。


サカセガワはおそらくカデ・アキヒロと推定される生命体に話しかけてみる。


「……おい、大丈夫か?」


サカセガワの言葉に、カデ・アキヒロはビクッと驚き、「ヒッ、ヒイッ、ヒイイイイ!!」という恐怖に支配された声を出しながら頭を両手で抱え込み、ガタガタと震える。体は激しく揺れ動き、過呼吸で死んでしまいそうに急いで息を荒げる。


サカセガワは決して、大きな声で話しかけたわけではない。いや、むしろ小さな声だ。だが、あれほど驚愕する様子を見ると、おそらく、「人間の声」に対して何らかの理由でトラウマを持っているようだ。


サカセガワは痛ましい表情でカデ・アキヒロを見つめる。目の前の男がこの間どう過ごしてきたのか想像すればするほど、目の前の結果に対して憐れみを感じざるを得ない。


やがてカデ・アキヒロは不快に枯れた声で独り言を早口で呟く。鼓膜にガラスの破片をぶちまけて掻き回すような感覚だ。


「つ..つく..作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないか作ったじゃないかどうして僕に僕が何をしたっていうんだ一体僕が何をしたっていうんだお前たちがやれと言ったことは全部やったじゃないか僕をなんで閉じ込めるんだ閉じ込めるな暗い暗いんだよ閉じ込めるな閉じ込めるな閉じ込めるな閉じ込めるな助けて助けて助けて暗い暗い暗い助けて助け───────────────」


ハァハァと、息を荒げる頻度はますます激しくなる。


ポキッ、ポキッ、ポキッという音。


指と足の指が軋む。奇妙にねじれながら関節が折れる。


ブチッ、ブチッ、ブチブチッという音。


長い間手入れをしていない長く鋭い爪で掴んだ頭をむしり取る。


頭皮ごとむしり取る。引き裂かれた頭皮の欠片には痩せこけた髪の毛が付着している。


瞼はピク、ピクッ、ピクピクッ、と、奇妙に痙攣しているように見え。


唇を強く噛み締め、口からは赤い血が流れる。


このままではすぐに死んでしまうだろう。


「くそっ…」


この方法しかないか、とサカセガワは銃を向ける。


急所に当たらないよう、カデ・アキヒロの親指に銃を向ける。


やがて聞こえる「ダン!」という発砲音。


サカセガワはカデ・アキヒロの親指を綺麗に吹き飛ばした。


「!!!!!! ぐ、ギャアアアア!!!!」


カデ・アキヒロの悲鳴。あれほど傷んでしまった声帯からは出せないはずの、まるで全力を尽くしてハンマーで鉄を叩くような音だ。


ユイとサカセガワは急いで耳を塞ぐ。鼓膜に損傷が行くかもしれない損傷なだけに、耳がかなり痛いのか表情が優れない。


サカセガワの対処法が通じたのだろうか、体に激しい激痛を与えることでカデ・アキヒロの過呼吸は止まった。だが、その死体のような状態はそのままだ。


ゼーッ、ゼーッという力ない息遣い。


干からびた口からは、どうして乾かずに流れるのかわからない血の混じった唾液がダラダラと漏れ出ている最中だ。


力を使い果たしたのだろうか、本当にいつ死んでもおかしくない状態だ。


サカセガワはもう一度カデ・アキヒロに尋ねる。


「お前がカデ・アキヒロだね?お前を迎えに来た。」


サカセガワの言葉は、現在のカデ・アキヒロにとっては天使の救いのような、人類の原罪からの解放のような言葉のはずだが。


しかし、カデ・アキヒロはパパッ!と急激に動き、


あの体でどうやって動いているのかもわからない、まるでトカゲのような動きで隅にある木箱へ走り寄り、注射器を取り出す。


そして、自分に注射器を打つ行動を取る。


「..!」


注射器に入っている溶液を見たサカセガワはビクッとして驚き、カデ・アキヒロへ駆け寄りながら。


「やめろ!止まれ!」


サカセガワが右手を真っ直ぐ伸ばしてカデ・アキヒロを阻止しようとした瞬間、


ユイもまたサカセガワの叫びにすぐさま後ろを振り向き、銃口を注射器に向けようとした瞬間に。


既に、手遅れになった直後だった。


カデ・アキヒロは注射器の中の溶液を自分に投与した。


「あ……なんてことだ…」


サカセガワの自責の念が混じった声と共に。


カデ・アキヒロは薬物を投与するやいなや、ドサッと。倒れた。


「まさか、あれは…」


ユイもまた注射器を見ながら。


「ああ…記憶消去剤だ。くそっ、あいつ…PMDプロジェクトの研究員だったのか…」


「でもどうして記憶消去剤を自分に投与したんだい?記憶消去剤が何なのか知っているなら、絶対に自分に打つなんて考えはないはずなのに?」


「…おそらく、特定の人以外の人間が来たらそう行動するように洗脳させていたようだ。」


「そうなのか…。ちょっと待って、それならまさか…三角フラスコの中に入っていた溶液も…?」


ユイは動揺しながら、三角フラスコの方へ顔を向ける。


確かに、机は今まで使われてきたものだ。


機械も、埃は積もっていたが、作動中だった。


三角フラスコも、間違いなく残存溶液が残っていた。


それなら、カデ・アキヒロは監禁され、記憶消去剤を作っていたということかい?


どこが?どこの場所が?既にPMD計画は他の大規模な会社へ暗黙の了解で渡されたのかい?


いや、それより個人がどうやって?あの大規模計画だったPMDプロジェクトを実現させることができるんだい?


だけど、だけどもしも。


記憶消去剤を作るための段階のうち「一つの段階」、例えば薬物配合のような一つの段階だけを遂行していたのだとしたら?


他のPMD研究員たちもカデ・アキヒロのような状態でどこかの組織に閉じ込められ、他の段階を遂行中だとしたら?


それなら、ある程度現在の状況について信憑性が生まれる。


「おい、チコリ。これ、こいつら、どこかはわからないけど…PMD研究員のうち少数を閉じ込めて記憶消去剤を生産しているようだね。記憶消去剤の生産に、まるで自動車工場のように、各自受け持っている段階があるんじゃないかな。」


ユイは僕の考えをサカセガワに話してみる。


サカセガワも頷きながら。


「そうかもしれないな。PMDがどれくらい流出しているのかはよくわからないが、もしスパイが属していた組織以外に他の組織も知っているなら、これは…あまりにも危険だ…」


「だけど他の組織に記憶消去剤を教えるだけの理由があるのかな?独占するのが一番理想的なんじゃないのかい?」


「それはそうだろう。だが、PMDを推進していた会社のように、全く同じ手口あるいはそれ以上の手口で情報がもう一度盗まれた可能性もある。」


「それじゃあどうするんだい、僕たちが介入して止めるべきなのかな…?」


その言葉に、サカセガワは強く否定し。


「いや、違う。私達のような少数の人員が大型組織に立ち向かったら…いくら私たち個々人が強力でも数百、数千人の物量の前では無用の長物だ。ひとまず、PMDを知っている組織、明らかになったのは計2箇所だがその二つの組織、あるいはそれ以上の組織同士で競争させるしかない。いかなる組織であれ、この凄まじい威力を持った記憶消去剤を世間に知らせたいとは思わないだろう。だから、私たちは状況を見守るのだ。今介入するのは無理だ。明確な情報を導き出し、私たちが解決可能な領域なら、その時介入する。


何より、唯一の手がかりだったあいつもあのザマだ。これ以上理性が残ってはいないだろう。

今私たちが動いたところで、結局は徒労に終わるということだ。自殺行為だ、ということだよ。」


「……わかったよ。」


ユイはサカセガワの言葉に従う。


サカセガワは<オムニア>の社員たちが最も安全に、中立を守れる案を選んだ。これについて、誰も不平を言うことはできないだろう。サカセガワの心を誰もがよく知っているからだろうね。社長という地位に相応しい判断だ。


ユイとサカセガワは部屋の残りを二人で見回す。


「チコリ、ここ。木箱にメモのようなものがあるよ。」


そのメモは、インクで書かれているのを見るに間違いなく手書きのはずなのに、まるで精密加工された機械が書いたかのようにブレなく。キーボードで刻んだ文字のように、整然と書かれていた。

次回(じかい)もどうぞお(たの)しみに!

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