ep.1 [洵]プロローグ
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魔力の広がる世界で—序章編は全7話です。今日は3話。明日、明後日は2話ずつ、21時を目安に10分の間隔を空けながら投稿します。
お楽しみいただけましたら、ぜひコメントをください。とても喜びます。
僕は呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
怪しいスーツ男がぐったりと力の抜けた“僕の形をした何か”を抱える姿を。
兄が申し訳なさそうに優しく手を振る姿を。
病的なまでに細身の女が二人に手を触れる姿を。
『絶対に迎えに来るから』
兄がくれたその言葉を最後に、僕と母は2ヶ月もの期間をただ画面越しに、ゲートから溢れ出たモンスターに恐怖して、麻痺しだした社会を見つめることしかできなかった。
僕が目覚めた春休みの日から三週間ほどで起こった日本中の田舎町を包む悲劇。その元凶となるゲートはこの町から川を跨いですぐそこの河川敷にもひとつ存在していた。
ゆらゆらと表面の模様が手招きするように揺れる石の台座の周りには囲むように半透明な三角形が三つ。
三週間で三角一つ。
六週間で三角二つ。
そんな規則性を見せたスタンピードの次の発生場所として真っ先に考えられるのは橋の先にあるそのゲートだった。
突如出現したダンジョンのゲートが開いてから九週間。
刻一刻と迫るタイムリミットに僕と母は貴重品を車に詰め込んで札幌に避難した。
そんな時、長い避難生活が始まると覚悟していた僕たちの前に兄がひょこっと戻ってきた。
隣に病の気が抜けたあの細身の女を連れて。
準備が整うまでと用意された臨時家屋の中で、洵は同じ長机を共有する年上の少年に向かって質問する。
「ぼくはそんな感じ! 陽翔くんはどんなふうにここに来たの?」
ここに来た時はちょっと怖い顔だったけど今は少し笑ってる。やっぱり緊張してたのかな。
「俺はじいちゃんと誰かとで取引があったみたいなんだけど、男の人に連れられて来たよ。これから俺どうなっちゃうの!?って思ってたからさワープされ仲間がいて安心したわ」
黒髪短髪。いかにも健康体な少年は気持ちの良い笑顔を見せた。
集められた僕たちは少しずつ数を増やしながら、魔法で作られたというボロボロの土塊のような仮校舎で生活を始めることになった。
実をいうと僕は少し特殊で兄が貰った“ひと枠”で入学していた。
どうしてこんな場所で。と悪感情をこぼしてしまいそうにもなるけど、周りを見れば自分たちがどれほど恵まれているのかは薄々分かっていた。
ただ現実から目を背けたかったんだ。
文明崩壊。
これまで当然とされてきた歴史と化学の結晶が消滅してしまった。
最初にその異変に気がついたのは、仮校舎からしばらく歩いた場所にあるゲート周囲一帯の人工物が、綺麗に無くなっているのを見てしまった時だった。
それから日に日に広がる絶望を僕らは肌で感じ取りひとり、またひとりと武器を手に取るようになった。
モンスターを倒せば理由は分からないがレベルが上がるらしい。
レベル1で自分の情報を見られる《下位自己鑑定》が使えるようになり、レベル5ではモンスターを倒して得たポイントと物資を取引できる《交換》というスキルが手に入る。
《交換》は元々レベル10で習得できたものが引き下げられたとなると、明らかに何者かの意図がある。
僕らはそんな奇妙で壊れた世界を生きていくしかなかった。
魔力が広がった新世界で人々はインフラを失い、情報網を失い、衣食住の拠り所を失った。
幸いにも僕ら学校組は守られている。学校には常にダンジョンを出入りする冒険者をまとめる協会の職員が常駐し、異常時にはモンスターから僕たち生徒を守ってくれる。
でもそれは同年代のみんなじゃない。僕ら中高生用の学校はまだここ一箇所だけ。
じゃあ僕らは学校組は戦わなくて良いのかと言われるとそうでもなかった。
だんだんと戦わないことを望んだ生徒にも戦闘が科されるようになっていったのだ。
最寄りのゲートにある半透明の石は三角形が二つ。下級中位と呼ばれる等級のもので中のモンスターはコボルト。犬っぽい顔を持った二足歩行の化け物だった。
ここは既に一度スタンピードが起こり、解決済みの場所だと聞く。
なら安心、とはいかないみたいで他のダンジョンは二回目のスタンピードを起こしている場所もあった。
次はどうなるか分からない。どんな敵が溢れてくるかも、どの程度の数であるかも、その時に対応できる戦力がこの街にあるかも、全部分からない。
『だから戦わないといけない』
僕にはそれがとても恐ろしくて、たった一歩を踏み出すのがなかなか出来なかった。