0 オレと野球とじいちゃんと
灼熱のマウンドに背番号「1」を付けたオレが立っている。目の前のバッターボックスには幼なじみでライバルの彼が立っておりバットを構えてこちらを真剣に見つめている状態だ。真夏の強い日差しの中、こちらの最後の守備の回。お互いのチームは同点で油断は一切出来ない。それなのに緊張は一切しない、それどころか思わず笑みが溢れる。そんなライバルもオレを見て笑っていた。そして俺は右手にボールを握り渾身の1球を振り放った。
ーーー時は世紀末、ここは日本の東京のとある場所。少子高齢化が進み、かつて栄華を誇っていた野球文化は衰退してしまった。そんな中、真剣に野球をしている人物がいた。彼の名前は「一条タイチ」かつて野球選手だった祖父を持つ小学4年生である。
「「馬鹿者!!!何度言ったら分かるんだタイチ!上半身だけでなく身体全体を使ってこうバットを振るんだ!!」」
怒りのあまり声の主の髪の毛が逆立っていてトゲみたいになっている。オレの育ての親でもあるこのじいちゃん、今年で80歳。年に似合わず、この通り実に元気で怒りっぽい。オレはこのじいちゃんから野球を教わり河原のグラウンドで毎日ボロボロになっている。
じいちゃんが若い頃はたくさん野球をしている人達がいて野球の最盛期だったらしい。でも今は少子化で野球をしている人が少なくなってしまったからか、オレの周りでは野球をしている人物はいない。なのにどうしてオレがそこまで野球をしているかって? その理由は小さい頃に1度だけ見せてもらった映像の中のじいちゃんの野球をしている姿に憧れてしまったからだ。今は機械は壊れてしまってもう見れなくなってしまったけど、あの姿は今でも頭の中に残っている。じいちゃんは昔のことと、オレの両親の事は詳しく語りたがらない。そして、理由は分からないが野球に関する資料が少ないから、じいちゃんがどんな選手だったのか知る機会がない。でも、きっと凄い選手だっだったんだろうな。そう思っている。
そんなわけで、オレもいつかじいちゃんのようになりたくてこうして野球を教わっている。でも、センスがないのか教わっても上手く出来なくていつも怒られてばかりいる。じいちゃんはいつも「こうガッとするんだ」とか、擬音で説明するんだ。じいちゃんとオレは体格が全然違うのに……。そして今はフライを捕る練習をしているが、どうしても落下地点からズレてしまう。遠くからじいちゃんの叫び声が響いているが良く聞き取れない。あ、またじいちゃんが飛ばした球を上手く捕れず、顔にボールがぶつかりそのまま気絶してしまった。
授業の終わりを知らせるチャイムが響き、オレは目を覚ます。日々の練習せいで、授業の時間ははほとんど寝ているのでチャイムは目覚まし代わりだ。「よう、タイチ。またじいちゃんと河原で野球とやらをしているのか」そう俺に絡んできたツリ目の彼は「明智連十郎」通称レンだ。近所に住む幼なじみだ。小さい頃は何かと一緒に遊んでいた。オレが野球を始めてからはこうやってなにかと突っかかって絡んでくる。「別にお前には関係ないだろ、オレが好きでやっているんだから」と負けじと反論する。
「何だと!タイチがぼっちとか淋しいだろうからこの俺が折角お前に声を掛けてやったのに!」
他の同級生は将来に備えて勉強をしている中1人「野球」をしているオレのほうが彼にとっては変に映るんだろうな。だけど早く「野球」を上達してあのじいちゃんを驚かせてやりたいんだ。レンの声を後に帰宅の準備を急いで駆け足で学校を出た。
「ただいまー」と玄関を開けて中に入ると何だか変だと思った。いつもなら返ってくるはずの声が聞こえてこないんだ。嫌な予感がしていつもいるはずの居間に向かう。そこにはじいちゃんがうつ伏せで倒れていた。頭の中が真っ白になり、一瞬どうしていいのか分からず慌ててレンの家に駆け込み助けを求めていた。
病院に着いてどれくらい時間が経っただろうか。窓の外は暗く何も見えない。オレのじいちゃん以外の身内はいないからレンのお母さんが代わりに話を聞いてくれていた。幸い命に別条はなかったようで今は点滴を受けている。病室に入るなりオレは目を覚ましたじいちゃんからこう告げられた。
「タイチ、もう野球は諦めろ」
耳を疑った。あれだけ野球を教えてくれていたのに今更どうしてそんなことを言うんだ。オレは膝の上で拳を握り肩を震わせる。
「お前のためを言っているんだ!!今ならまだ間に合う!もう、野球の時代は終わってしまったんだ……」
そう告げるじいちゃんの顔は今まで見たことのないような苦しげな表情でオレの肩を掴みこちらに訴えかけてくる。よく見ると身体は痩せ細りいつもの覇気も弱々しい。
「じいちゃんがオレの幸せを決めるなよ!!俺はずっとじいちゃんみたいな野球選手に」
バチン!!そこで言葉は途切れた。どうやら頬を叩かれたようだった。呆然としているオレのじいちゃんはこう告げた。
「フライの1つも捕れないヤツが何を夢見ているんだ。そこまで言うのなら退院したらせめて俺の目の前でフライの1つでも捕って証明してみせろ」
じいちゃんの言っていることは正しい。でも、売り言葉に買い言葉でオレはこう返事した。
「分かった。そしたら認めてくれるんだな」
そう話すじいちゃんの目にオレはどう映っていたのだろう。「男に2言はない!」と眉間に皺を寄せ背中をオレに見せてすぐ布団の中に入ってしまった。家に着き寝る準備をして天井を見上げていた。時間が経ったからか頭の中には色々な考えが駆け巡っていた。じいちゃんがいるのが当たり前すぎて、いない生活なんて想像したこともなかった。今日のじいちゃんの身体を見たからか余計にそう思ってしまったのかもしれない。結局その日はほとんど眠れずに朝を迎えていた。
ーーーさて、約束してしまった以上じいちゃんが退院するまでに練習をしなければならない。だけど、1人での野球の練習は限られている。入院のためじいちゃんの部屋で身の回りに必要な物探していたら押し入れの奥から何やら古びた箱を見つけた。何だか気になって開けてみるとそこには色褪せてははいるものの綺麗な状態の野球の「虎の巻」と書かれた本が大量に入っているのを見つけた。作者名はない、恐る恐るページめくるとそこには野球を分かりやすく説明した内容が載っていた。そこにはスイングの仕方や俺が苦手とするフライの捕り方など野球の全てが詰まっていた。ちなみにフライとはバッターが空高く打ち上げた打球のことだ。これはチャンスだと思って練習の参考にすることにした。授業中もオレは時間も忘れて夢中で読んでしまっていた。読み終えてふと考える、あの短気なじいちゃんがこんな丁寧かつ分かりやすい文章を書けると思わないから別の人が書いたのかな?あとで聞いてみようかな。
練習するに辺り問題点が1つ出てきたことに気づいた。練習相手がいないということに。そこで、レンに練習相手になってもらえないだろうか話すことにした。もちろんすぐに断られてしまった。当然の話だよな、虫が良すぎる。今までレンの話を聞いていなかったのにこれで「いいよ」なんて答えてくれる人物がいたらそれは余程のアホか聖人だろう。
ところが、翌日に明智は昨日のオレの熱意に負けたのか「…練習とやらに付き合ってやってもいいぜ、ただしタイチのじいちゃんとの対決までだからな」とのことで協力してもらうことになった。そこからオレたちは「虎の巻」を読みながら猛特訓することになった。
1週間後、じいちゃんは無事に退院することが出来た。オレは入院中に宣言したことを証明するためにいつもの河岸で特訓の成果を見せることになった。やるまえにじいちゃんから再度念押しされた。
「いいか、ここでお前が捕れなかったら野球はキッッパリ諦めてもらうからな」
オレは黙って頷いた。オレは誇りを掛けて絶対に約束を破るわけにはいかない。
ノックはレンが打ってくれることになった。元々体格が良くて運動神経抜群なレンだけど、全く野球をしてこなかった初心者のレンがここまで出来るようになったのは「虎の巻」に全部書いてあったからだと思う。それでもこの1週間付き合ってくれたレンには感謝しかない。あとでお礼を言わないと。
レンがノックを打つ、大丈夫オレなら絶対に捕れる、だって「虎の巻」に書いてあった通りに練習したんだから。今まではじいちゃんの球が怖かったからかグラブを顔を覆うように構えていた。だけど、それでは駄目だったらしい。グラブをやや斜め前に構えることがポイントだと書いてあった。その通りに練習したらあれだけ捕れなかった球が捕れるようになったのだ。だけどここで予想外の事態が起きてしまう。打った球が風で予想とは違う方向に飛んでいってしまったのだ。打ったレンも驚いてにるように見える。このままでは捕れない、だからオレは落下予想地点まで必死に走り何とかキャッチしようと試みた。この時、頭の中には「絶対に捕ってじいちゃんを驚かせるんだ」その気持ちだけしかなかった。
「パン」と周囲に音が響き渡る。無意識でスライディングキャッチをしていたようでなんとかグラブの中にはボールが入っていた。ホッとしたのも束の間じいちゃんが駆け寄ってきて開口1番に怒鳴られた。
「馬鹿者!!ただキャッチ擦ればいいもんじゃない!フライは捕ったら他の奴に回さないといけない場面もあるんだぞ!」またダメ出しされてしまった。そんな…やっぱりオレではじいちゃんを認めさせて野球をすることなんて出来ないのか、と諦めかけたその時じいちゃんがこう話した。
「だが条件はフライをキャッチすることだったな。お前はそれを守った。だからこの勝負はお前の勝ちだ」
そう話すとじいちゃんはすぐに背中を見せてしまった。一瞬だけしか見えなかったけどその顔には少しだけ笑顔が見えたような気がした。
気がついたらオレはじいちゃんに向かってこう叫んでいた。
「なあ、じいちゃん!!オレ、絶対じいちゃんみたいな野球選手なるから!それでもう一度野球を復活させてみせるから!!」と。
じいちゃんは顔をこちらに見せずに
「まったく……これじゃあおちおち休んでばかりもいられんな。よし、分かった!オレの持つ技術全て教えてやる!!覚悟は出来ているんだろうな?」
そう話したからオレは
「うん!!出来ている!!」
そう、即答した。じいちゃんはオレのその返事に
「その心意気やよし!!流石我が孫だ!!」
そう褒めてくれていた。思い返すとあとにも先にもじいちゃんに褒められたのはそれきりだった。
ーーーあれから数年後時は流れ、オレは高校生になった。いつものようにじいちゃんの遺影の前に手を合わせてこう話した。「じいちゃんオレようやく高校生になったよ。あの時の約束を果たす時が来たんだ」
そう伝えてしオレは部屋を飛び出した。波乱万丈の高校生野球生活の始まりだった。
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