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毒見の娘と後宮の闇  作者: 朝陽 澄
2/7

第1話:毒入り乳と泣きやまぬ赤子

(……思ったより、都って臭いのね)


 西の果て、青蘭山地のふもとで育った黎花リーファは、薄い霧がかかる御苑の奥を眺めてそう思った。


 木々の間を抜けて漂うのは、華やかな香の匂いではなく、生乾きの布と酸味の強い乳の臭い。少し前まで乳児がいたという屋敷の一角に、彼女は連れてこられた。


 昨日まで、そこにいたはずの赤子は、今はいない。


「この部屋で亡くなったのは、第三皇子様……でございます」


 そばで説明するのは、女官頭の蘭真らんしん。口元に扇子を当て、目だけが鋭く黎花を観察している。


「生後三か月。急に泣き出し、数刻後には息を引き取られたとのことです。乳母はふたりおりましたが、どちらも原因は不明と証言しております」


「ふーん……母親は?」


「側妃、芍陽しゃくよう様です。取り乱して療養中ですが……いずれは事情聴取があるかと」


(取り乱すのは当然ね)


 黎花は部屋の隅にある乳瓶へと近づいた。蓋の緩んだ陶器壺が、まだ乳の匂いを残している。


 指先に少しだけ中身をとり、軽く舌に乗せて味を見る。


「……酸味が強すぎる。変質してる」


「それは、保存状態のせいでは?」


「まあ、それもあるけど」


 彼女は乳瓶の底を指でなぞり、うっすらと沈殿した白い粉を見せる。


「見て。この沈殿物、ミョウバンじゃない? 凝乳剤としては使えるけど、取りすぎると腹を壊す。まして赤子には毒よ」


 蘭真の目が細くなった。


「……それが原因と?」


「まだ断定はできない。でも、この粉だけじゃなく、香も気になるわ」


 部屋の天井からは、先ほどから細い煙がゆらゆらと揺れていた。香炉にくべられた灰色の香は、甘い花のような匂いを放っている。


 黎花は香炉の前にしゃがみこみ、小さく息を吸った。


(……ユウタンと蘇合香、あと……極微量の白芷)


 香の成分を心の中で確認する。


 リラックスを促す配合ではあるが、赤子には刺激が強すぎる。


「この香も……赤子が泣き止まなかった原因のひとつかも。刺激臭は母乳にも影響するしね」


「つまり……自然死ではなく、毒殺と?」


「意図的かどうかはともかく、毒の影響は濃厚ね」


 黎花は立ち上がると、棚の上に置かれていた乾いたおしゃぶりを手に取り、裏側にうっすらと粉が残っているのを見て目を細めた。


(……なるほど、そういうことか)


 


 再び蘭真に向き直る。


「質問があるわ。乳母たちの食事と香は、誰が手配してたの?」


「妃様付きの侍女たちです」


「その侍女の中に、妃様の出自に不満を持つ者はいない? たとえば他の妃の縁者とか」


「…………」


 蘭真の表情がわずかに揺れる。それが、答えだった。


「芍陽様は、商人の娘。正妃の推薦ではありません。側室の中でも異質な存在です。……貴女、何が言いたいの?」


「簡単な話よ」


 黎花は指を立てる。


「赤子は“わざと”死ぬように仕向けられた。毒は母乳からも、香からも、おしゃぶりからも取り込まれた。でもどれも微量。死因は“事故”に見せかけるためのもの」


「……っ」


「つまり、“側妃とその子を排除するために、わざと微量の毒を盛った”の。妃本人には直接手を下さず、赤子だけを狙って」


「証拠は?」


「証拠なんて、今さら残ってるわけないでしょ。だから、証言を取るしかない」


 黎花はくるりと背を向け、部屋を出ようとする。


「これ以上、赤子が死ぬのを見たくないのよ。あなたたちが、何も気づかないまま、見て見ぬふりしてるなら──わたしが嗅ぎつけるわ」


「……貴女、何者?」


 蘭真の声が、背中越しに投げかけられる。


 黎花は軽く振り返ると、そばかすのある素朴な顔に薄く笑みを浮かべた。


「ただの薬草バカよ。毒と嘘の匂いには、ちょっとうるさいの」


 


 その日から、彼女の名は──後宮でささやかれ始めた。


“毒見の娘”


“命を見分ける鑑定士”


 


そう、これは始まりに過ぎない。


次に狙われるのは、生き残った第七皇子。


そして、その背後には、宮廷の奥に根を張る巨大な影があった──。

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