プロローグ
(ああ……今日は煮干しの味噌汁が飲みたい)
重たい空を見上げ、少女はぽつりと心の中で呟いた。
その名は──黎花。
齢十七、名もなき辺境の薬館に勤めていた鑑定士。
彼女は今、都の御所にいる。
いや、正確には「攫われてきた」が正しい。
つい先日まで、山間の村で毒草の鑑別や薬の調合をしていた黎花は、ある日、村に訪れた「薬師選抜」の役人により、半ば強引に連れてこられた。名目は「優秀な若手を中央に召し上げる」という美名のもとだったが、実態は違った。
──都で、幼子が次々と謎の死を遂げていた。
しかもそれは、宮廷の中で起きている。
罪人の子でも、貧民の子でもない。
王妃の腹を痛めた、正統な皇子たちであった。
噂が噂を呼び、「呪い」「怨霊」「妬みの毒」とまで言われ始めたころ、名もなき辺境の少女が、都へ連れて来られた。
──薬に詳しい変わり者がいる、と。
(まったく、わたしがこんな宮廷なんぞで何をしろと……)
長い廊下の先、香の煙が漂う診療所の奥。
黎花は、使い古された薬箪笥の引き出しをひとつひとつ開けながら、匂いと色と形を確かめていた。
「……よくもまあ、これで誰も死んでなかったね」
赤褐色に変色したセンブリ、干しすぎた朝鮮人参。
混入した芥子、石灰の粉。
どれも薬として扱うには致命的。
むしろ毒と呼んだ方がふさわしいものばかりだった。
(死ぬはずだよ、こんなの……)
それが、王族の子に処方された薬だと知ったとき、彼女の中のある感情が目を覚ました。
──好奇心。そして、正義感。
どこで誰が、何を混ぜたのか。
なぜこんな粗悪品が流通しているのか。
本当に事故なのか、それとも……。
黎花は、毒草と薬草を見分ける目を持っている。
見た目、匂い、舌先に落としたときの味、その余韻。
その全てが、彼女に「真実」を告げてくれる。
(知ってる……これは、わざとだ。事故なんかじゃない)
御所の奥。
男たちが入れない後宮の、そのまた奥。
目に見えない毒と嘘が、濁った水のように溜まっている。
その中に、彼女は投げ込まれた。
だが、彼女は逃げない。
──これは、辺境から来た名もなき鑑定士が
後宮に渦巻く毒と嘘を、暴いていく物語である。