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WORLD SOUL  作者: Nhiul
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黒炎の器

西暦20XX年。突如として世界各地に“時空の歪み”が現れ、その裂け目から異形の怪物《虚喰うぐろい》が現れるようになった。

人類はその脅威に対抗するため、対異常災害機関『ネメシス』を設立。

都市部は歪みを封鎖する“ソウル障壁”に守られ、外の世界と完全に隔離された。


だが、すべての秩序は徐々にほころび始めていた。


そしてこれは、一人の少年——ソラの物語。

歪んだ世界「エデン」の中で“黒炎”という異能に目覚めた少年が、やがて人類の希望となるまでの、長く、過酷で、美しい軌跡。

  その日、空には太陽がなかった。


 いや、正確には、見えなかったのだ。


 かつて“都市”と呼ばれていた巨大な領域——そのうちでも最も辺境にある“第三区”では、朝焼けも、夕焼けも、もはや記憶の中にしか存在しない。空を覆い尽くす灰色のスモッグと、常に漂う微粒子混じりの湿った空気は、太陽の輪郭すら奪っていた。


 それでも時間は流れていた。腐りかけた機械時計の針がゆっくりと進んでいた。


 鉄錆の匂いが、鼻腔の奥に張りつく。


 ソラは、その匂いに慣れすぎていた。


 少年は、崩れかけた廃ビルの隙間を縫うように歩いていた。骨と皮だけの腕に通された袖は、色すらわからぬほど褪せていて、もともとどんな形の服だったのか、もはや本人にもわからない。


 彼が何かを探していたかと言えば、それは違う。探すものなどもう何もない。ただ、歩く。喉の渇きと空腹がない日は一日もなかったが、それを数えることにも飽きていた。


 かつて家族と呼べる人間がいた。が、それはすでに遠い夢だ。名前さえ、今は口にしない。


 重たい空気の中を進む彼の耳に、奇妙な音が微かに届いた。


 ——キィ……キィ……キィ……


 古びた鉄のブランコが、風に揺られて軋んでいた。


 数年前までは子供たちが笑い声を上げて遊んでいたはずの公園は、今では“死んだ音”しか奏でない。砂場には誰のものとも知れぬ足跡がいくつも交差し、その上を野良犬か、それとももっと別の何かが踏み荒らしていった形跡がある。


 「……雨が降るかもな」


 ぽつりとつぶやく。誰に向けた言葉でもない。


 その瞬間、耳の奥に何かが突き刺さるような**“重い音”**が鳴った。


 ——ズゥゥゥゥゥゥン。


 空気が震えた。


 ソラは即座に頭を上げる。


 視界の奥、空と空の接点のような場所。いつもと違う“揺らぎ”が、そこにあった。


 空が、割れていた。


 ぴたりと時が止まったかのようだった。息を吸うことを忘れ、足も動かない。

 じわじわと、空の裂け目から“何か”が滲み出していた。


 最初は霧のようなものだった。だが、それはすぐに形を持ち始めた。


 黒。灰。紫。人間にはない色彩で構成された、ぐにゃりとした塊。


 音もなく、それは落ちてきた。地面に触れた瞬間、腐臭が周囲に広がる。


 ソラの足が、ようやく動き出した。


 「——逃げなきゃ」


 足音を殺して、背を向けた。けれど、思考の半分は凍りついている。


 (なぜ、ここに……)


 第三区は“内側”だ。**虚喰うぐろい**が現れるはずがない。

 時空の歪みは“外”にしか起きない。そう教えられてきた。


 だが、確かにそこには裂け目があり、虚喰がいた。


 逃げ場は、なかった。


 ソラが裏通りへ滑り込もうとした瞬間——


 「……っ、あ……!!」


 何かが足首を掴んだ。見ると、黒く粘ついた触手のようなものが、足元の地面から伸びていた。地中に潜っていたのか。


 バランスを崩し、彼は瓦礫の山に投げ出された。背中に鋭い金属片が刺さる。

 口内に血の味。肺が潰れたように呼吸ができない。


 頭上に、それがいた。


 巨大な目が、こちらを見下ろしていた。目玉のような形状ではなく、“視られている”という感覚が脳に直接突き刺さる。


 声も出せない。脚も動かない。


 (死ぬ)


 その瞬間——


 「おーおー、こいつぁひでぇな。お祭りでも始まったかと思ったぜ」


 その声は、突然だった。まるで日常の一コマのように。


 視界に入ったのは、ボロボロのニット帽を被った老人だった。手には木の枝のような棒。笑っていた。


 「……なに……誰……?」


 ソラの口から漏れたのは、血混じりの声だった。


 「わし? 通りすがりのジジイだよ。あー、でも……お前さん、ちと珍しいな」


 その目は笑っていなかった。笑っているようで、すべてを見通している目だった。


 そしてそのジジイは、一歩前に出た。

 くぬぎ、と名乗るその男は、木の枝のような棒を片手にゆっくりと歩み出た。


 その背筋は、思いのほか真っ直ぐだった。

 肌は皺だらけで、何十年も風雨に晒されてきたような質感。だが、足取りは異様なまでに静かで、重さがなかった。


 「よぉ、虚喰うぐろい……ワシらがいくらフタをしても、こうしてまた湧いてくるってのは……なぁんとも、業が深いのう」


 虚喰は反応を示した。

 その身を震わせ、肉の塊のような腕が左右に膨らんだ。幾本もの黒い触手が、それぞれ別々の意志を持つようにうねる。


 「動くな」


 くぬぎは、ソラのほうを一瞥もしないまま、そう言った。

 その声に、何かが宿っていた。身体の芯を震わせる、**“絶対の命令”**のような響き。


 虚喰が、動いた。

 空気を裂くような音とともに、無数の触手がくぬぎに向かって飛び出した。


 ——瞬間。


 「はぁっ……」


 老人の呼吸が、風の音と混じった。


 次の瞬間には、虚喰の身体がバラバラに裂かれていた。

 斜めに、十字に、粉砕されるように。


 何も見えなかった。


 “攻撃”という概念が視認できる前に、それは完了していた。


 ソラはただ、口を開けたまま呆然と見ていた。


 老人の右手には、さっきまで木の枝のように見えた棒がある。だが、今は違う。

 細く、鋭く、そして異常なまでに冷たく光る銀の刃——それが、そこにあった。


 「終わったわけじゃない」


 くぬぎがつぶやいた。


 風がざわめく。瓦礫の向こうから、別の気配が湧いた。


 「……っ、またか……!?」


 ソラが顔を上げた瞬間、地面が膨らんだ。

 下から這い出すように、さらに小型の虚喰が現れたのだ。最初に出てきたそれよりも半分ほどの大きさ。

 全身がぬめり、地面を這いながら、ソラに一直線に飛びかかってきた。


 「くそ……間に合わない……!」


 くぬぎは、先の一撃で距離を詰めていた。

 それでも、虚喰の方が速い。目の前で触手が開く。尖った骨のような棘が、その内側に密集していた。


 ソラは目を閉じた。


 (……死ぬ)


 体の奥が、焼けるように熱かった。

 喉の奥が裂けそうで、呼吸ができない。

 瞼の裏に、黒い炎の残像がチラついた。


 ——ボンッ!


 火薬が弾けるような轟音。


 次の瞬間、虚喰の身体が、燃えていた。


 それも、黒い焔で。


 くぬぎが振り返った。

 ソラの足元に立ち昇る炎。それはまるで生きているかのように、敵だけを焼き、ソラには一切の傷を与えなかった。


 「こりゃあ……」


 老人の顔に、わずかな驚きと、何かを見透かすような冷静さが混ざった表情が浮かぶ。


 「黒炎……。いや、違う」


 ソラはその場に崩れ落ち、荒い息を繰り返していた。目を見開いたまま、口はうまく動かない。


 くぬぎは、静かに歩み寄り、しゃがみこむ。


 「坊主、お前……」


 黒炎がすうっと消える。虚喰も、焦げた肉片のような痕跡を残して、崩れ去った。


 静寂。


 灰色の空。焼け焦げた臭い。裂けた地面の奥で何かがまだ蠢いている。


 くぬぎは立ち上がり、虚空を見上げてつぶやいた。


 「“器”……か。なるほど、なるほど……」


 彼はそれ以上は言わなかった。


 ソラの肩を抱き起こし、立ち上がらせる。

 その目には、迷いも憐れみもなかった。ただ、一つの選択をする者の目だった。


 「ついてこい。お前には……見せなきゃいけんもんがある」


 そして、風が吹いた。

 誰もいない路地に、くぬぎの長いコートがはためいた。


───


 場面は、変わる。


 どこか、異様に白い部屋だった。

 天井も床も壁も、全てが無機質で、無音だった。

 その中央に、椅子が三脚。


 そこに座っていたのは、目元を黒布で覆った男だった。銀の長髪が肩まで垂れている。

 その脇に、若い男女が一人ずつ立っていた。軍服のような装束。全員、無言だった。


 やがて、布の男が口を開く。


 「……エデンの中で、虚喰が出たそうだな」


 女が頷く。


 「ネメシスの報告では確認されていません」


 「……いや、いたのだ。」


 男は、立ち上がる。


 白い空間に、音が返る。


 「“器”の反応だ。間違いない」


 沈黙が落ちる。


 「——始まるぞ」


 男の口元が、ゆっくりと歪んだ。


物語は、都市の最果て「第三区」から始まる。少年ソラの異能“黒炎”が目覚めたとき、世界エデンの運命が大きく動き出す。

次回は、くぬぎによるネメシスへの推薦と、彼が感じ取った“何か”の正体に迫っていきます。

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