第2章 スメールの遺言
【1】セクター47 地下5階・AR裁定サーバホール
「倫理、というものが、システムに組み込めると、本気で思ってるのか?」
蟻生アリョは静かに問いかけた。
正面には、巨大な円卓型シェルサーバ。その中央に、井和イワンがいた。
——まるで、裁定者のように。だが、彼の瞳には一片の裁きも宿っていなかった。あったのは、冷たい肯定。
「逆に訊こう。倫理を“人間が手作業で運用する”って、今でも思ってるのか?」
アリョの左手には、スメルの記録モジュールがあった。それは既に再生済み——そして、今なお“起動中”だった。
【2】スメルの遺言:第一層
「僕は彼を尊敬していた。兄のように。いや——それ以上だった。
でも、彼は僕を見ていなかった。僕の行動ではなく、僕の論理だけを見ていた」
アリョの網膜HUDに文字が浮かぶ。スメルの肉声と映像が同期して再生される。
「……お前が、スメルを見なかったから、あいつは……ああなった」
イワンは目を閉じ、指先でAR裁定パネルを閉じる。
「俺は……見てたよ。見てたからこそ、あえて言葉を与えなかった。
思考は自由だ、そう教えた。でも……まさか、そこまで信じるとは」
「違う。お前は、“語る自由”を信じて、“受け取る責任”を捨てたんだ」
【3】スメルの記録:第二層(封印解放)
記録データがさらに深部に切り替わる。
_「この記録が再生されているということは、僕はもういないかもしれない。
それでも、君にだけは、最後の一歩を託す。
僕は——実行した。あの夜、ミト兄の“計画”を手伝った。
セキュリティを偽装し、AIを欺き、逃走ルートを開いたのは……僕だ」_
アリョの指が震える。
「なんで……そこまでして……」
「だって、兄たちの中で“一番弱いのは俺”だと思ってたからさ。
でも、あの夜だけは違った。
俺が、“誰かの意志”になれたんだ」
【4】倫理の問答:アリョ vs イワン
アリョは机に記録装置を叩きつける。
「それが、お前の理想か? 思想が他人を武器にする構造が?」
イワンは目を伏せたまま言った。
「思考は自由だ。だが、自由であることと、正しいことは別問題だ」
「自由は、責任と対なんだよ。
“語ったこと”が誰かを動かすなら、その“動かされた誰か”に対して——
お前が沈黙したことが、罪だ」
【5】スメルの映像:最終層
最後の映像は、スメールが旧廃棄区画で一人、記録装置に向けて語る姿だった。
「アリョーシャ。君はきっと、誰かを守るって決めて生きる人間だ。
だから、お願いがある。俺のこと、全部話してくれ。
黙ってたら、また誰かが“自由の名のもとで”暴走する。
語ってくれ。君の声で、君の名前で」
【6】章末:その後の静寂
映像が終わる。
イワンはそっと言った。
「俺は……赦されるべきじゃない。スメルは、俺に“真理”を学ばせるために、犠牲になったんだ」
アリョは、その言葉に首を振る。
「違う。スメルは、あんたを赦すために語ったんじゃない。
“語る者”が“行動する者”より弱い世界を、終わらせるために語ったんだ」