それでも旅は終わらない〜勇者物語〜
長い旅の終わりが、ようやく見えてきた。
仲間たちと歩いた道のり、笑い合った時間、乗り越えた戦い。
そのすべてが、たったひとつの目的──魔王を討つためにあった。
彼らは信じていた。
この旅の終わりに、未来が待っていると。
だが、旅の終わりが“希望”とは限らないことを、
彼だけはまだ知らない。
これは、ある勇者と仲間たちが歩んだ、最後の旅の物語。
静かに、静かに壊れていく、“とても幸せな記憶”の記録──
風が、草原を撫でていた。
青と緑の境目にそびえる黒い影──魔王城。
それを見上げながら、五人の旅人が焚き火を囲んでいた。
夕陽に染まる空の下、笑い声がゆるやかに流れる。
「明日で終わりだな、勇者様」
そう言ったのは、盗賊のキールだった。
ひょうひょうとしていて、冗談ばかり言うくせに、危機のときほど冷静なやつだった。
「緊張してんの? 勇者のくせに、手が震えてるぞ」
魔法使いのリシアが笑いながら肩をすくめた。
その灰色の髪は、火の揺らめきに照らされて、どこか儚げに揺れていた。
「……大丈夫。私が、回復するから」
僧侶のセラがそっと、勇者・レイの手に触れる。
彼女の指先は、驚くほど冷たかった。
剣士のヴァンは黙ってうなずいた。
昔から寡黙な男だったが、その沈黙がレイには心地よかった。
ぱちりと、焚き火の音がした。
「……ありがとう。お前たちがいてくれたから、ここまで来られた」
レイはそう言って、微笑んだ。
仲間たちは、それぞれの表情でうなずいた。
あたたかく、穏やかな時間。
でも、それは──完璧すぎて、不自然だった。
夜、レイはふと目を覚ました。
焚き火の前に、キールの姿があった。
背を向け、じっと火を見つめている。
「……眠れねぇのか?」
声をかけると、キールは小さく笑った。
「なあ、レイ。もし旅が終わったら……俺たち、どうなるんだろうな」
「王都に戻って、報告して……それから……」
「……でも、旅はもう終わってたんだよ。気づいてなかっただけでさ」
レイの胸がざわめく。
「俺、思い出しちまったんだよ。全部」
振り返ったキールは、どこか遠くを見るような目をしていた。
「じゃあな、勇者様」
次の瞬間、キールの姿は、風に溶けるように消えていった。
朝になっても、彼の荷物はそのままだった。
けれど、誰もそれに触れなかった。
まるで──最初から、彼は存在していなかったかのように。
その夜。
セラがレイの隣に座っていた。
彼女の指先が、より一層冷たく感じられる。
「……魔法が、出ないの。手が冷たくて、力が入らないの」
「疲れてるだけだよ。明日になれば──」
「ううん、違うの。もう、終わってるの。私も……」
そう言って、セラはそっと目を閉じた。
火の粉が空に舞った。
気がつけば、そこに彼女はいなかった。
次の日には、リシアもいなくなった。
レイは何も言わなかった。
言えなかった。
ただ、風の中に、彼女の笑い声がふわりと残っていた気がした。
残されたのは、レイとヴァンだけだった。
魔王城は、もう目の前にある。
「なあ、ヴァン。お前までいなくなったら、俺は──」
ヴァンは、何も言わなかった。
静かに、ただ、レイを見つめていた。
その瞳には、深い哀しみがあった。
──そして、魔王城。
玉座の間には、誰もいなかった。
魔王の姿も、兵の気配も、なにもない。
そこにあったのは──一つの石碑だけだった。
『勇者一行、ここに眠る』
キール
セラ
リシア
ヴァン
レイ
「──嘘だろ……」
レイは膝をついた。
剣が手から落ち、床に響いた。
「ずっと一緒にいたはずなんだ……一緒に旅して……話して……」
誰かの気配を感じて、振り返る。
そこには、仲間たちがいた。
血に染まり、焼け焦げ、傷だらけの姿。
だけど、誰も怒ってはいなかった。
ただ、静かに、レイを見ていた。
セラが、前に出て、小さく微笑んだ。
「……レイ。もう、いいんだよ」
その声を最後に、彼らは一人ずつ、闇に溶けていった。
レイはその場に、ただ、取り残された。
──風が吹く。
草原の先に、魔王城の影がそびえる。
焚き火を囲む、五人の仲間たち。
「明日で終わりだな、勇者様」
レイは、静かに微笑む。
「……ああ。行こう。みんなで、魔王を倒しに」
それが、何度目の旅なのか、もう覚えていない。
でも、仲間が笑っていてくれるのなら、それでいい。
旅は、今日も続いていく。
永遠に、終わらないままで──
end
旅が終わったとき、人は何を想うのだろう。
手を取り合い、笑い合い、目的を果たしたはずなのに、
なぜか心に残るのは、言葉にできない“わずかな違和感”。
それでも、きっと彼は今日も歩いている。
信じる仲間と共に、焚き火を囲み、
「明日で終わりだな」と笑い合いながら──
これは、旅の終わりを受け入れられなかった者の、
優しくて、静かで、ほんの少しだけ狂った記憶の話。
でも、もしも。
あなたのすぐそばにも“旅を終えられなかった誰か”がいたとしたら──
……どうか、そっと見守ってあげてほしい。
お読みいただき、ありがとうございました。